第2話 なんかエモい


 昨夜は最高に気分の良い夜だった。堀江とサシで通話をしながら、深夜三時まで語り合った。サークルのサーバーは今年度のものをまだ使用しているが、ボイスチャンネルに二人で籠もる俺たちの姿を見て、村田はきっと気分が悪くなっただろう。


 代わりに、俺の気分は最高に良い。実際その様子を確認したかも分からない空想上の村田を消費することによって、俺は悦に浸る。シュレティンガーの村田。部室のゴミ箱を確認するまでは、セックスした状態とセックスしなかった状態が重なり合っている。


 サークル研究会というフレーミングを獲得した俺たちは、怒濤のインスピレーションに興奮し、更なるアイディアを蓄積した。俺たちの大学はマンモス校であるが故に、講義やサークル、近くの美味しいお店などを紹介した大学情報誌があるのだけれど、そのサークル紹介に載せる文面まで決まった。サークルの運営側に回る想像なんてしていなかったが、シミュレーションゲームみたいで少し楽しい。


 堀江はこのサークルに随分と愛着があるみたいだったが、感傷的になりすぎた、と昨夜言っていた。上手くいったらそれでいいし、上手くいかなかったらまた考えようと話し合った。だから、大丈夫だと思う。


 恋愛がモラトリアムじゃないと知った俺たちは、もう止まらない。就活というモラトリアムの終わりまでに、俺はもっと、大学生とはなんたるかを知る。その高尚な哲学的探求のために、性生活は放棄しよう。


「野球興味ないですかー!」


「新入生大歓迎! 二入ももちろん歓迎です! ダイビングサークル、ビーブルーで~す!」


「鹿興味ないですか! 狩りしてます! ボランティアやりたい人も是非!」


 在校生の大声が聞こえて、なんかエモい。エモいって言葉は、エモさを表現するために最も適切でない言葉で、こういうしょうもなさを強調したいときに、重宝する。


 春が来ている。今日は法学部の入学式があり、スーツ姿の新入生が集まっていて、サークルの勧誘をする在校生に取り囲まれていた。チラシを一枚でも受け取ったが最後、チラシを貰ってくれるやつ認定された彼の手には、一年以上溜めた郵便受けみたいに、紙で溢れている。声を掛けられすぎて怖がっている女の子は今、人波を全力疾走して、こちら側まで走ってきていた。


 綺麗な濡羽色のロングヘアが、風に靡いている。


「あ、あの! 十号館ってどっちですか?」

「ん? ああ、あそこ。でも、人多すぎて勧誘されるから、建物沿い歩いてった方がいいよ。見えるかな、あそこあたり。そこだと、チラシマンもいないから」

「え……あ、ありがとうございます!」


 ああ、あの綺麗な黒髪も、すぐきたねえ茶色かユーチューバーみたいな色になるんだろうなあ。

 おそらく目的のサークルがあるであろう場所目掛けて、彼女は一直線に走っていく。

 俺もあの子とあまり変わらなかったはずなのに、たった一年で随分と染まった。肺も汚れた。


 子どもたちの入学式で涙したあと、喫煙所へ直行したクズの保護者に紛れて、煙草を吸う。電子煙草を吸っている奴は、全員センスがない。そそくさと機械からヤニを外して、灰皿に投げ入れたおっさんに、俺は辟易した。火を点け、煙草を吸い、灰を落とすこの一連の動作には、美学がある。赤ん坊の搾乳と変わらない原始的な欲求が、そこにはあるのだ。


 きっと堀江がいたら、一心不乱に吸うこともまた、赤ん坊の美学なのではないか──という視点を俺にくれただろう。しかし彼はこの場にいないので、更なる議論は叶わない。そうだな、もし討論をするとすれば、おっぱいに執着するのは何故男だけなのか、という問題かもしれない。性を問わずおっぱいに囚われた時期は全員にあるわけで、何故女性がおっぱいに囚われないのか、それを欲さないのか──その話題だけで、講義一コマ分くらいは持ちそうだった。


 サークル公認アカウントで、部室で新歓活動を行っております! という形式張ったツイートをした。暑いですし、冷たい水も用意しているので、休憩がてら是非! というヤリモクと変わらない態度を取る。ちなみに、サークル名の変更は無事受理され、公的に俺はサークル研究会の幹事長になった。


 ヤニ補給済んだし、部室戻ろ。



「それでですね、ウチのサークルは、学生研究会という名から、より具体的に、でも前までの緩さも残した状態で、大学生とは何かを追求したいと思いまして! それでやっぱり、新入生の皆が今こうやってサークル探しを頑張ってるみたいに、大学生のアイデンティティとサークルって直結してるわけじゃないですか。だから、サークル研究会に生まれ変わろう、という」


「ほら、見てみて。向こうの棚にある本とか。これ、今までのサークル員が持ち寄ったものなんだけどさ、みんな勝手に読んだり、あと向こうのテレビでゲームしたり映画見てる」


「あー、サークルはね、最初のうちは沢山入っといた方がいいよ。サークルの活動自体もそうなんだけど、そこにいる人と合うかどうかがやっぱり重要だからさ。新歓期間中に人がいなくなるなんて全然普通だし、たくさん入って、絞ってくのがおすすめかな」


 人来すぎて気が狂いそう。エレベーターが昇ってくる音がする度に、叫びたくなった。新入生、話を聞いてみたら大学情報誌とツイッターにかじりついているみたい。そりゃ、あとの四年を左右するかもしれないんだから当然か。初めて新入生が来たときは、ぎこちなくてあり得ないくらい微妙な空気になったけれど、もう理想の先輩のロールプレイができるようになっている。


「ちょ、ちょっと朝日! こ、こここれどうする? 思ったより人来るし、大変だよお」

「もうツイートして、情報誌にも載せてしまった。いきなり閉じるのも楽しみにしてくれている新入生に不義理だし、やるしかないだろ」

「うげえ……」


 新歓、舐めてた。サークル研究会というネーミングセンスが呼び起こす期待、とんでもなかった。みんな、真剣な眼差しで俺のこと見てる。サークルなんて、先輩が部室で性欲に負けたら簡単に崩壊するのに。君たち、考えるだけ無駄だよ。


「あの、失礼します……」


 スマブラをする余裕もない。

 ドアノックされすぎ、トイレ行きたすぎて漏れそう。


「こんにちは! ごめん、ちょっと僕、うんちしてくるね!」

「ちょ、朝日!」


 やべ、ストレスレベルマックス。

 精神の脱糞をした。

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