第3話 美少女 VS 大学生のオタクくん


「はい。どうぞー」


 ガンガン、と頭蓋に反響する鉄扉のノック音を聞いた後、扉が開く。そこに立っていたのは、スーツ姿ではない、女の子二人だった。


 背の高い一人は、ウルフカットの髪を白色のアンブレラカラーで染めた──まるで白髪に黒のインナーを入れたみたいになっている──女の子で、その白い首を締め付けているパンクなチョーカーに、彼女の趣味を、自我を感じて美しかった。

 黒シャツにスタッズの付いたスカートを合わせたモードな雰囲気に、間違いなくこの子はロックミュージックが好きなバンギャだな、と目星を付ける。案の定、彼女が手に持っていたスマホのクリアケースには、おしゃれなデザインのピックと、聞いたこともないバンドのロゴシールが挟まっていた。


 一段背の低い方の女の子はというと、ポニーテール姿に肌の少し焼けた女の子で、大学生とは思えないほど溌剌としている。

 体のラインを拾うようなぴったりとした無地のトップスに、ハイウエストの太めのスウェットパンツから有名な下着ブランドのロゴを覗かせていた。色味の少ないヘルシーな服装に日本人メジャーリーガーが所属する球団の帽子を差し色として被っていて、緩さもありつつ、自分のポテンシャルを最大限引き立てた格好のように見える。


 対する二名は、「大学生 コーデ」で検索してそうな、あざといパーカーに変なネックレスをつけがちな堀江(オタク)くんと、ファッションに無頓着すぎるあまり同じ服を何枚も持っている俺という布陣だ。余りにも戦力格差がある。


 自分の大学は世間的に見て、かなり偏差値の高い大学だけれど、それは学力だけでなく、顔面もなのかもしれない。バンギャの方は一緒にライブを見に行って、ライブの照明を浴びる姿が美しすぎて演者よりも目を奪われてしまう……という魅力を持っていたし、ポニテの方は一緒にスポッチャに行ったら楽しすぎて一夏の思い出になってしまうくらい可愛かった。


 見た目ばかりに囚われる自分が情けなくて、今すぐ自傷行為に走りたくなる。


「こんにちは。ここって、サークル研究会で、合ってますか?」

「はい、そうですよ。ごめんなさい、まだ扉の前に貼っているポスターが新調できなくて。サークル名が去年のもののままなんですけど」


 脳内スポッチャで彼女と1ON1を始めたところで、思考をストップする。

 訪れたサークルが目的のものと合っているかどうか確認したバンギャちゃんの声は透き通っていた。彼女はきっと、歌が上手いだろう。一緒にカラオケを行ったときに、知らんサブカルクソバンドのエロい歌詞を歌っていてほしいという妄想が加速した。


 俺は肉体ではなく、物語にエクスタシーを感じたい。


 やはり外見による先入観、第一印象に俺は引っ張られてしまうが、そのせめぎ合いと、その人を知ることによってできる答え合わせが、俺は大好きだった。


「…………朝日」


 思考を全て読み取ったであろう堀江が、俺に肘打ちをする。そのやり取りだけでこちらの関係性を見抜いたのか、バンギャちゃんがにっこりと笑っていた。


「ん、改めまして、こんにちは。幹事長をやっています、政経二年の川端です」

「会計やってます、文学部二年の堀江です。全然くつろいでもらって大丈夫なのでー!」


 疲れ切ったテンプレ的な口上を、俺たちはする。

 座ってください、と着席を勧め、パックで濾して部室の冷蔵庫で冷やしたお茶を注ぎ、紙コップを差し出した。バンギャちゃんはニコッと笑って、紙コップを嬉しそうに受け取る。彼女はこちらに変な遠慮をすることもなく、ごく、と俺たちまで聞こえるように喉を鳴らし、それを一気飲みした。


「ありがとうございます。私、社学二年の宵原瑞規よいばらみずきです。こっちは、さっき扉の前で知り合った雀野栄楽すずのえらくちゃん。えっと、川端さんと同じ学部かな?」

「……川端、もしかして、私たちアカデミックライティングの講義同じじゃなかった?」


 雀野栄楽ちゃんという、名字の方がよっぽど名前っぽい女の子が、机に身を乗り出すようにして俺の顔を見ている。アカデミックライティング──一年生の必修授業であるそれは、レポートや論文をこれから大学で執筆する上で、必要となる基礎を学ぶ少人数のクラスだった。しかし、いまいち彼女のことは覚えていない。覚えていないというのも変だし、覚えているとウソを吐くのもボロが出る。俺はここで、第三の選択肢を取った。


「スーーッ……」

 

 秘技。相手に困っていることを察させて、会話を進行させるテク。

「……ま、あんときと違って、格好とかも変わってるから分かんないか。髪型も違うし。大学で半年会ってなかったら、マジで誰か分かんなくなるしねー」


 成功。やはり返事に困ったときは、スーに限る。


「ごめんなさい、うちの幹事長が……」

「ううん。いいのいいの。ただ、そこの人めちゃめちゃクラスで目立ってたから。皆が無難なテーマを選択する中で、一人だけ貞操観念の変遷と宗教における世俗化の影響? みたいのやってたから……プレゼンで春画とか出し始めたときは、まあ、めちゃ笑ったけど引いたよね。でも、大学に来たって感じして楽しかったなー……」


 新入生に比べ、会話の質が全く違う。新入生を相手にするのとは違って、気楽に会話ができる一方、大学の権威を纏うことができないので、見透かされてしまうというデメリットもあった。


 余計なことを言いやがって。宵原さんがあはは……と苦笑いしている。

 このサークルはなし、ともう心の中でバッテンを付けられているのだろうな──と思いながらも、会話を続ける。


「いやさ、私はまあまあ仲良かったと思ってたんだけど……ほら、覚えてない? 遅刻回数と欠席数ギリギリでいつもバイトしてた女。なんだったら私、貴方にバイト紹介したよね? 紹介後の40日勤続ボーナスで、君と私どっちにも三万円入ったじゃん」

「あーッ! 思い出したわ! あんたね!」


 自分と関わりのある具体的なエピソードを聞かされて、やっと思い出す。彼女は、バイトをしすぎるあまり単位を落としそうになる典型的大学生の女だった。コーナーラインギリギリを攻め、教授のお情けで単位だけは貰っていたのを覚えている。


「まだあのバイト続けてる?」

「うん。一応。もう一年くらい経つかなー。ありがとね。その折は。明後日も出勤だわ」

「ね、ねえ朝日。例のバイトって、女性もやってるものなの?」


 恐る恐るといった感じで、堀江は俺に聞いてきた。俺がこの雀野から紹介されたバイトは、一般的な大学のバイトに比べて、かなりイカつい。それを思って、彼は言っているのだろう。


「いや、なんだったら女の人の方が多いよ。主婦とかもいるし、大学生の女の子とかもいる。まあ、楽だしなー。堀江もやるか?」

「い、いや。遠慮するー……」


 そのバイトの内容が何かを知っている雀野は、にまにまと笑っていた。その後、思い直したかのように、宵原の方を向く。


「ちょ、宵原さんごめんね。勝手に盛り上がっちゃって」

「ん、全然大丈夫だよ。ここ、涼しいし。外暑かったからねえ。別にスーツ着てるわけでもないのに、ガンガン声かけてくるし」

「ま、二年生も結構サークル探してるしね。じゃ、そろそろ、本題に入ってもらってもいいですか?」


 雀野が紙コップを握りながら、俺に笑いかける。常に周りに気配りできる余裕のある陽キャは憧れの存在だが、場を司ろうとするのが気に食わないので、なりたくはない。


 中性的で、容姿の優れた堀江があまり出てない喉仏を動かしながら、口に溜まった唾を飲み込んでいる。こいつ、在学生相手だと先輩ムーブが出来ないからって、ビビっているな。


「ちなみになんですけどお二人は、どうしてウチのサークルに興味を持ったんですか? あ、これみんなに聞いてるんですけど」


 相手のペースをまずは一度崩すため、質問をする。

 そんなことを意識しているのは朝日だけだよ──そう堀江に言われたことを、俺は思い出していた。


「うーん。私さ、川端だったら話早いと思うんだけど、めちゃくちゃバイトしてるのね。なんかさー。地元だったら一番頭良かったんだけど、いざ大学来てみたら、私より頭いい人がイチゴジャムにできるくらい沢山いるし。それで、どうにかして自分の優れたところを無駄な時間使わないように探せたらなーって思って、いろんなバイトをいっそ『社会科見学』のつもりでやってるのよ」


「例えば、どんなバイトなん? 俺に紹介したやつ以外だと」


「軽作業の単発、海の家、雑誌編集の補助とか、あと、講演会や握手会のサクラとか最近だとあったかな。とにかく、いろんなところを見てみたいと思って」


「へ、へー! 単発とかだったら分かるけど、色々あるんだねえ」


「うん。それでいろんな経験ができたから、良かったと思ってるんだけど、一年のうちに、大学にほとんどいなくてさ。サークルによっては三年以降からの加入ができないところもあるし、今入らないと大学で何かを知る、ってことはできないかもなー、と思って。ただ、何かを一本絞ってやるってのも難しいし、かといってありとあらゆるサークルに新歓期間中顔出すってのも不可能だからさ。そしたら、『サークル研究会』っていう、私に合ってそうなつまみ食いサークルがあったワケ」


 名前が面白そうなので……みたいな単純な理由ばかりを新入生から聞いていたから、目的が随分とハッキリしていて面白かった。


 大学生の頃に、力を入れたことは何ですか。

 あなたらしさが発揮されたときは、どんなときですか。

 辛かったことは何ですか。


 就活で聞かれずとも俺たちは、きっとこの時間の意味を、無意識のうちに問いかけ続けていて、大学でしかできない特別に囚われている。青年期の四年間を捧げ、親のすねを囓る俺たちは、意味を欲している。


 新入生たちもそれを意識してサークルを必死に探している。二年生になって大学の一年間というのがあっという間だということに気づいた俺たちは、夢の中で殺されて目を覚ますような、そういう恐怖を抱いていた。

 

「いや、ぴったりですよ。じゃあ。うち、激ゆるなんで」

「ほんと? 知ってる人もいたし、堀江くんも悪い人じゃなさそうだからありかなー……宵原さんはどうなの?」

「…………」


 今までニコニコしながら話を聞いていたのに、理由を問われると、一転、宵原は俯いていた。陽キャセンサーにより地雷を感知した雀野は、あー、と声を漏らしながら、俺のことを横目に見ている。


「そ、その。話しにくいことなんだけどねえ……」


 宵原は人差し指の先をつんつんと合わせながら、口を開く。


「私楽器やってるんだけどさ。エレキ。一年から軽音サークルに所属してて、楽しくしてたんだけどぉ……トラブっちゃって」


 ぴく、と堀江が動いた気がした。どうやら俺たちと同類の匂いがする。大学生が初対面で話しにくくなることなんて、どう考えても汚いシモの話が混ざる、恋愛(セックス)の話題に決まっていた。


「その、一年生の五人組バンドに所属してたの。ボーカルの女の子と、ベースの女の子。エレキとドラムの男の子と、リードギターの私で組んでてさあ。そしたら、夏休み始まる前くらいのときに、ベースとドラムが、ボーカルとギターが付き合っちゃって」


「う、おお」


 思わず声が漏れた。軽音サークルの典型(イデア)が飛び出てきて、興奮してしまう。


「いや、気まず……と思いながら五人で遊んだり、カラオケで私が歌ってるときだけ二人二人一人の空気になったりして辛いなあ、って思うくらいで済んでたんだけどさ……そ、その。夏休み中にタイ旅行行ってたらしいボーカルの子が、浮気しちゃって。もう、修羅場。ギターとドラムの男は親友だったみたいで、もう、ドラムがバチ切れちゃって。それでベースの子もそっちに合わせざるを得なくなって、合宿ライブ前に崩壊という……」


「わ、わぁ……!」


「ちょ、川端なんで嬉しそうなの?」


 胸熱。彼女は俺たちと同じ苦しみに苛まれた人間だった。もうマブダチ認定しても構わないほどである。大学生は共通点一つあるだけで、マブダチになれる。学年、学部、出身、趣味、ギャンブル、そして人間関係トラブル。このどれかさえ重なり合っていれば、全員友達なのだ。


「そして最後に残ったのは、ストレスを全部練習にぶつけてた、リフが異常に上手くなったリードギターただ一人だったわけよ」


「やっぱり、一番上手かったんですか?」


「当たり前よ! あいつらもう、スタジオ借りて練習する前に絶対デートしてたから、遅刻ばっかりしてて……ああああああもうマジでイライラする。ロックを汚い消費の道具にするなよ……畜生……ごほん。ま、それで、バンド熱も少し冷めちゃったから、どこか新しいサークルに入りたいなって思ってさ。入り浸れる場所だとなおいいなって。目星付けてたところはいくつか回ったんだけど、この部室に入ろうと思ったら、丁度入ろうとしている雀野さんがいてさ。それで、一緒にっていう流れ」


「やっぱりサークル崩壊してからが本番ですよね」


「……? まあ、一年生は失敗しないように失敗しないようにって動いているけど、無駄だと思うよねえ。私、ギター掻き鳴らしたかっただけなのに……」


「いっっっっや本当に大変ですよね! サークルのトラブル! いやあもう分かりますよ! 分かってしまうんですよねその苦しみ! ええ! 新歓シフト二人だけのサークルになってしまった俺たちからするとねえ!」


「うん! 朝日!」


「わ、いきなり声でかくなった」


 雀野。オタクくんたちをナイフで滅多刺しにする様なコメントはやめてほしい。


 共感の嵐すぎて涙がちょちょぎれそうだった。ただ、俺たちは幸せになりたかっただけなのに、理不尽が降り注いで、悪さをする。


 そしてビジュが最高に激強なこの女の子が、自分と同じ災難に見舞われているという事実だけで興奮してしまった。憂い気に動く瞳も、それに合わせて揺れた睫も、ギターの練習で硬くなった皮膚の感触を確かめるその指の動作も、全て美しい。


 堀江と雀野の怪訝な視線を浴びながら、俺は思わず立ち上がる。


「いやあさあ! 聞いてくださいよ二人とも。俺たちのここまでの物語、もう二人が二年生だから話せるんだけどさあ!」


 やばい、朝日の発作が起きたという呟き声が、横から聞こえた。

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