第9話 豪商を暗殺し、エルフの奴隷を解放する

 夜が更けてから、俺たちは豪商ごうしょうパブロ・ロドリゲスの屋敷へ向かった。


 豪華な住宅地が並ぶ通りの中でも、とりわけ大きな屋敷がパブロの邸宅だった。

 さすがに警備体制はしっかりしており、遠くから見ても衛兵どもが屋敷の四方をしっかり警備しているのが見て取れる。


「さすがに一筋縄ではいかないみたいね」


 路地のかげから屋敷の様子を眺めながら、シュリがぼやいた。

 昼に見た悪徳奴隷商人を暗殺するからか、かなりやる気に満ちた顔をしているが、俺はふと疑問に思って言った。


「お前、カルテルに組み込まれることに不満はないのか?」

「奴隷取引はしないんだよね? だったら、人狼族としては文句はないよ。どのみち商売をしないと村がよくなっていかないし、人間の商人と取引するなんてこと、あたしたちだけじゃできないことだから」

「でも、人殺しはすることになるんだぞ」

「人狼族は戦士の一族だよ? 前に村を冒険者や商人の私兵に襲われたこともあるし、人間と戦うことくらい慣れてるよ」


 ……どうやら、気を回しすぎたようだな。

 正直に言うと、人狼族はシュリを中心にきたえて殺し屋シカリオ集団になってもらいたいと思っていたので、戦いや殺しに抵抗がないのはありがたかった。


「それで、どうやって屋敷に入るの? 騒ぎを起こすのはよくないんだよね?」


 シュリに問われ、俺は調合素材の入った革袋を持ち上げた。


「ま、俺に任せておけ」


 俺は革袋から素材を取り出すと、風魔法スキル付与の薬を調合して飲み干した。


「インヴィジブル」


 透明化の魔法を俺とシュリにかけると、俺は路地のかげから身をさらした。

 当然、屋敷の衛兵どもは俺の存在に気づいた様子もなく、入口の警備を続けている。

 俺はシュリを小脇に抱えると、別の薬で強化した身体能力で跳躍し、屋敷の三階のベランダに降り立った。

 風魔法で部屋の内側から鍵を開けると、俺は音を立てないように室内に入ってから、俺は透明化を解いた。


 室内はどうやら、屋敷の物置きのようだった。

 美術品やら悪趣味な置物やらが部屋中に置かれた室内にうんざりしていると、シュリが正面に回り込んできてジト目でにらんできた。


「……ナザロってほんとめちゃくちゃだよね。キミ一人でなんでもできるじゃん」

「なんでもって、そんなわけないだろ」

「ほんとにぃ? この暗殺だって、本当は一人で片付けられたんじゃないの?」


 まぁそれはそうなのだが、俺一人で全部片付けてしまっては組織が育っていかないからな。

 殺し屋シカリオ部隊を立派にきたえ上げるためにも、こういう現場仕事は少しずつでもシュリたちに任せていくつもりだ。


 ペドロから教えてもらった屋敷の構造が確かなら、暗殺対象パブロの寝室はこの物置きの向かいにある。

 情報によれば屋敷の中にまで警護の兵はいないらしいので、俺たちは堂々とパブロの寝室に入っていった。


 調度品だらけの悪趣味な寝室の中、パブロはでかいベッドに横たわっていびきをかいていた。

 小柄で肥え太った体をベッドに横たえ、良い夢でも見ているのか、ヒゲに覆われた口元は下卑た笑みを浮かべている。


 ベッド脇のテーブルには飲みかけのワインボトルとグラスが置かれており、部屋の棚にはワインがいくつも保管されていた。

 俺は革袋から素材を取り出して致死性の毒を調合すると、ボトルとグラスに毒を落とす。

 俺のユニークスキルは毒の調合には効果を発揮しないのだが、パブロのような非戦闘員なら容易に毒殺できるはずだ。


「シュリ、手を押さえてろ」


 俺が小声で指示を出すと、シュリはうなずいてベッドの上に乗り、パブロの両手首を押さえ込む。

 それを確認してから、俺はテーブルの上のワイングラスを手に取った。

 呑気のんきにいびきをかいているパブロの口にグラスの中身を流し込むと、俺はパブロの口を手でふさぐ。

 数十秒ほどの間を置いて、毒が回り始めてパブロが暴れ出す。

 だがやつは声も出せず、手も動かせないまま、ただ体をすることしかできなかった。


 パブロが事切れたのを見届けてから、俺はやつの口から手を離した。


「これで、パブロは毒の仕込まれたワインを飲んで死んだってことになるはずだ。疑いの目はワインを贈ったやつか、仕入れ先の業者に向けられるだろうな」

「……この人、商人としてはすごい人なんでしょ? こんなあっさり殺せちゃうものなの?」

「普通は無理だろうな。外にいる衛兵も、たぶん今のお前よりは強かったぞ」

「そうなのっ!?」


 少なくとも、『鑑定』で見た限りではシュリより少しレベルが高かった。

 シュリも本来はそれなりに強いほうなので、パブロは優秀な私兵を雇っていたのは間違いない。

 それにもかかわらず、パブロがこんなにあっさり殺されてしまったのは――


「まぁ、こいつの死因は油断ってところだな」

「油断? あたしより強い衛兵まで雇ってたのに?」

「金があるのに、最高レベルの護衛をつけなかったのが問題だ。たぶんこいつは、名の知れた冒険者や国の騎士団長くらい力のある連中は、おおかた金で抱き込んでいたんだろう。だからこそ、強者に命を狙われるっていう想定をしてなかった」

「……なるほど。つまり今回は相手が悪かった、と」


 それはそうなんだが……そういう結論にされると、俺がめちゃくちゃ強さをひけらかしてるみたいで微妙な気分になるな。

 まぁ今後の関係性を考えたら、シュリやペドロには俺に少なからず畏敬いけいの念を抱いて欲しいのは確かだが。


 俺がひとりでもやもやしていると、シュリは鼻をひくつかせていた。

 怪訝けげんに思い、俺は彼女にたずねる。


「なにしてんだ?」

「えっと……この屋敷、地下に奴隷がとらえられてるみたい」

「どうしてそんなことがわかる?」

「その……昼間助けようとした子の匂いが、この屋敷の地下から流れてきてて……他にも十人くらい、捕まってる子の匂いがするから」

「マジか」


 パブロのやつ、悪趣味な野郎だとは思っていたが、まさか自宅にまで奴隷を囲っていたとはな。

 売り物にならない奴隷を一時的に屋敷に保管しているだけかもしれないが、そもそもそこまで奴隷を確保していること自体に嫌悪感がく。

 おおかた詐欺同然のビジネスで弱者を借金地獄におとしいれたり、冒険者や傭兵に金を積んで亜人の村を襲わせたのだろう。


 シュリは上目遣うわめづかいで俺を見上げ、露骨に「奴隷を解放してあげたい」とアピールしてきている。

 …………ここで奴隷を放置して、シュリに不満を抱かせるほうが面倒か。


 俺は嘆息をもらしてから、シュリに指示を出した。


「隣に書斎があるはずだ。そこから書類とペンを持ってきてくれ。遺書を偽造してみる」


   ◆


 奴隷売買の罪深さに気づき、良心の呵責かしゃくさいなまれて自殺した――

 パブロの筆跡を真似てそんな感じの遺書をでっちあげると、俺たちは再び透明化の魔法を使ってから地下室に下りた。


 地下に下りてすぐ正面に守衛室があり、ガラス窓越しに守衛が退屈そうにあくびをしているのが見える。

 俺は風魔法のスリープウィンドで守衛を眠らせると、守衛室に入って地下牢の鍵を手に入れた。

 透明化の魔法を解き、地下室の奥に続いている地下牢を眺める。


 石造りの壁と鉄格子によって部屋が五つに区切られており、見たところ並の冒険者でも脱走が困難な造りの牢獄だ。

 中にとらわれた奴隷たちは鉄の手枷てかせをはめられており、硬そうな寝台の上に毛布もなく寝かされている。

 奴隷といってもまだ奴隷もんがないので、全員隷属れいぞく魔法をかけられる前――正式に奴隷契約する前の奴隷のようだ。


 ひとまず、囚われている奴隷が全員亜人種であることを確認して、俺はほっと胸をなでおろした。


 ――もし人間が混じっていたら、殺すしかないと思っていたからな。

 俺たちがパブロ殺害犯だと知る人間をこの街に解き放つのは、リスクでしかない。

 かといって、俺には「人間が俺を売らない」などという確信も持てない。

 亜人なら人狼族の村に連れ帰っても文句は言わないだろうし、あの村に連れ帰った上で奴隷がまた人間に捕まるのなら、俺の責任なので納得できる。


「シュリ、こいつらを解放してやれ」

「了解!」


 俺はシュリに鍵を渡し、地下牢の鍵をすべて開けさせた。

 奴隷たちは突然解放されて困惑しているようだったが、状況を把握するまで騒ぎ立てない程度には機転が利くようだった。

 奴隷のほとんどは人狼族の子どもか女だったが、一人だけ一目で違う種族とわかる女の奴隷が混じっていた。


 金色の髪を腰まで伸ばし、エメラルドのような碧眼へきがんは吸い込まれそうなほど透き通っている。

 やせ細った華奢きゃしゃな体はモデルようにすらっとしており、ただ立っているだけで芸術品を見ているような気分にさせられる。

 ズタ袋のような汚れたワンピースを着せられているが、それでも俺には彼女が宝石よりも輝いて見えた。

 そして――長く尖った耳を見て、俺は彼女がエルフ族だと確信していた。


 俺は無言で歩くように指示を出し、シュリに先導させて奴隷を階上へ移動させる。

 守衛が起きないのを監視しつつしんがりを務めてから、俺は階上に上がった奴隷たちに状況を説明することにした。


「わけあってお前たちを助けることになった。理由は聞くな。ひとまず人狼族の村まで逃げるが、文句はないな?」


 全員が黙ってうなずくのを見て、俺は一番警備の手薄な裏口に移動する。

 ドア越しに裏口の衛兵を魔法で眠らせてから、シュリを先頭にして奴隷に裏手の壁をよじ登らせ、裏通りに逃げ込ませる。

 幸い、ほとんどの奴隷は人狼族だけあって身体能力に優れ、壁をよじ登るのに苦労はしなかった。


 が――最後に残されたエルフの女だけは、高い壁を前にしてどうすべきか困っているようだった。

 途方に暮れている様子の彼女に対して、俺は声をかける。


「俺が抱えてやるから、こっちに来い」

「…………はい」


 エルフの女は感情のとぼしい声で答えると、俺の隣まで歩み寄ってきた。

 俺は彼女を横抱きに抱えると、地面を蹴って壁を飛び越えた。

 裏路地の地面に着地してエルフの女を地面に下ろすと、彼女はきょとんとした顔で俺の顔をまじまじと見てきた。


「胸やお尻くらい触られると思っていましたが、人間なのに意外と紳士なんですね」

「……んなしょーもないこと、やってる場合じゃないからな」

「ふむ。つまり、時間があれば触っていたと」


 ――いったいなにを詰められてるんだ、俺は?

 てかこの女、奴隷から解放されても表情ひとつ変えずに、真っ先に言うことが下ネタかよ。

 どういう図太い神経してやがるのか問いただしたい気分だったが、今はそんな時間がない。


 なぜこっちをジト目でにらんでくるシュリに、俺は小声で次の指示を出した。


「こいつら全員連れて、ペドロの店に逃げ込む。お前の鼻で、人に見つからないルートを案内してくれ」

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