第3話 死にかけの人狼少女を助ける

 悲鳴の元まで森を駆け抜けると、そこには魔物に襲われている少女がいた。


 ポニーテールにした灰色の髪の上――頭頂でピンと立つ狼の耳を見る限り、彼女は人狼じんろう族のようだ。

 露出の多い毛皮の服を身にまとい、手には無骨な三日月斧バルディッシュを握っているが――サファイアのような彼女の青い瞳は、すでに戦意を失いかけているように見えた。

 彼女は木の根本ねもとに倒れこんだまま、三日月斧バルディッシュを持ち上げることもできずに、くちしげに眼前の魔物を見上げていた。


 対する魔物は、体長八メートルはあろうかという巨大な角牛かくぎゅう――ジャイアントホーンだ。

 悪魔の化身けしんかのように漆黒の体毛で覆われ、側頭部から生えた禍々まがまがしい双角そうかくは血に染まっている。


 ――見たところ、絶体絶命って感じだな。


 この魔物だらけの森で、人――それも獣人種じゅうじんしゅ――と出くわす機会なんてそうそうない。

 彼女を助ければ、命を助けた礼として住処すみかまで案内してもらえるかもしれないし、ついでに一泊させてくれるかもしれない。

 いずれにせよ、彼女をここで見殺しにしたら、俺も困るのだけは間違いなかった。


 ジャイアントホーンが地面を蹴り立て、人狼の少女に突進するための助走を始めようとする。

 やつが突進のために姿勢を低くした瞬間――俺は地面を蹴り、空中を弾丸のように飛びながらジャイアントホーンの側頭部を殴りつけた。

 殴られた衝撃でジャイアントホーンは地面に横倒しになり、更に殴られた側の角が折れて地面に転がる。


 俺はとっさにその角をひろってから、人狼の少女のもとへ駆け寄った。


「おいお前、大丈夫か?」

「…………人間が、どうしてあたしを……」

「んなことはどうでもいい。それより、ケガを見せろ」


 俺が指示すると、彼女は俺を怪しむようににらんでから、左手で押さえていた腹部の傷を見せた。

 ジャイアントホーンの角に刺されたらしく、彼女の腹部にはいびつな風穴が開いており、血がとめどなく流れていた。


 ――まずいな。このままほっといたら、一分と待たずに死んでしまう。


 俺は素材をかき集めていたポケットに手を突っ込むと、素材を握りしめた手を彼女の腹部に向けて突き出した。

 手のひらで素材を押しつぶして『調合』を開始し、出来上がった薬を傷口にらす。


「――――っ!」


 傷口に薬をらされた痛みで、人狼の少女は悲鳴を上げる。

 だが数秒後には、自分の体に起きた異変に気づき、目を丸くしていた。


 俺の薬――ユニークスキルのおかげで体の欠損すら治癒する上回復薬――を浴びた少女の傷口は、見る見る内に傷口が塞がり始めていた。

 想像だにしないほどの絶大な薬の効果に、少女は呆然としたまま傷口と俺を交互に見ることしかできないようだ。


 ま、こんだけ恩を売っておけば、一宿一飯の謝礼くらいは期待できるだろう。

 打算的に考えながら、俺は少女に問いかける。


「おいお前、このあたりに村は――」

「オォォォォォォォォォ――――ッ!」


 俺の問いかけは、背後から突進してくるジャイアントホーンの咆哮ほうこうによってさえぎられた。

 眼前の少女が、俺の肩越しにジャイアントホーンを見て、目を絶望に染める。


 俺は深々と嘆息してから、右手に握ったジャイアントホーンの角を頭上に振りかぶりながら、勢いよく背後を振り返った。


「今っ、俺がっ、話してんだろうがっ! このクソ牛があああああっ!」


 振り返ると同時に、眼前まで迫っていたジャイアントホーンの角に、俺は手に持った角を叩きつけた。

 ジャイアントホーンの角はあっけなくへし折れ、地面に突き刺さる。

 だがジャイアントホーンの突進の勢いはまだ止まらず、やつは顔面からこちらに突撃してくる。


 それを、俺は角を握った右手で裏拳を放ちながら迎え撃つ。


「暑苦しいから失せやがれっ!」


 俺の裏拳をまともにくらったジャイアントホーンは真横に吹き飛ぶと、森の木々にぶつかって息絶えたようだった。

 ようやく静かになったのを確認してから、俺は人狼族の少女に視線を戻す。


 落ち着いた状態で改めて見ると、人狼族の少女はかなりきわどい格好をしていた。

 露出が多いなとは思っていたが、彼女の装備はほとんど胸と腰に毛皮を巻いただけだった。

 手脚どころか肩もへそも丸出しで、細くなまめかしいくびれはおろか、豊満な胸の谷間までばっちりおがめる。

 たけの短い腰巻きからは健康的な脚がすらっと伸び、尻の少し上のあたりから灰色の毛並みのふさふさした尻尾が見える。


 なかなか眼福な光景だったが、俺はなんとか本題を思い出し、彼女の肢体から目線を上げた。

 彼女が呆気あっけにとられて目を丸くしているのも構わず、俺は先ほど投げかけた問いをぶつけ直す。


「おいお前、このあたりに村はあるのか?」

「う、うん……それよりキミ、とんでもなく強いのね……村で一番強いあたしでも、あいつの角に傷一つつけられなかったのに……」

「そうなのか? 亜人種はもっと強いと思ってたが」


 なんの気なしに言うと、シュリはむっとした顔でにらんできた。


「亜人じゃなくて、人狼じんろう族だよ。大体キミ、人間のくせにどうしてあたしなんかを助けたの?」


 人狼族の少女は疑問をぶつけると、値踏みするような目で俺を見てくる。


 こいつが疑問に思うのも当然だろう。

『ロスト・エルドラド』の世界では、人間以外の人種――エルフや獣人、魚人、鬼人、龍人といった亜人種は、人間からも魔族からも長年しいたげられている存在だからだ。

 それというのも、亜人種は「人間と魔族のハーフが源流げんりゅう」と伝承されているのが原因だ。

 この千年、人間と魔族は断続的に戦争を続けているが、人間にとって魔族はむべき敵であり、魔族にとって人間は唾棄だきすべき下等生物に過ぎない。

 人間も魔族も、人魔じんまのハーフなどという中途半端な存在を、対等な存在として受け入れるような度量を持ち合わせていないらしい。

 確か原作アニメの人間社会では、当たり前のように亜人種が奴隷としていたはずだ。


 そういう背景があればこそ、眼の前の少女は俺に対して露骨に警戒心を向けてくるのだろう。

 ――まぁ、今の俺にはこの世界の常識なんざどうでもいいんだけどな。


 俺は少女の視線を真っ向から受け止めながら、答えを口にする。


「俺はこのへんで、まともな寝床ねどこを探していたんだ。この森で唯一見かけた人間がお前だったから、見殺しにするより助けて村の場所を聞き出したほうがいいと思っただけだ」

「……それは、あたしの命を助けた代わりに、村まで案内しろってこと?」

「どう解釈しようがお前の勝手だが、村には案内してもらうぞ」


 薬によるドーピングで無双できるとはいえ、さすがにこんな森で寝たら魔物に殺される。

 睡眠耐性の薬を飲んでずっと起きてるって手もあるが……そんな無茶、いつか限界が来る。

 どうせいつか拠点が必要になるのなら、仮でもいいからさっさと拠点を決めてしまったほうが都合がいい。


 少女は俺の目をじっとのぞき込んでから、逃げ道はないと悟ったらしい。

 諦めたように目を伏せてから、青い瞳でまっすぐに俺を見据えてくる。


「……わかった。村に案内するよ。人狼族の戦士として、命を救ってもらった恩にはむくいないとね」


 彼女の返答に、俺は内心でほっと安堵の息を吐いた。


「あたしの名はシュリ。見ての通り、人狼族の戦士だよ。これから案内する場所は人狼族の村だけど、構わないよね?」

「ああ。俺の名はナザロ……ただのナザロだ。それで、体の具合はどうだ?」


 俺が問うと、シュリは数分前まで風穴が開いていたはずの腹部をのぞき込んだ。

 確実に致命傷だった傷は跡形もなく消え去っており、やや筋肉質だがすべすべで健康的な肌に完全回復している。

 シュリはおそるおそる木の根本から立ち上がると、その場で足踏みしたり、軽くジャンプをしてから、目を丸くして俺を見つめてきた。


「……あたしの体、本当に治ってるのね。一体どういう魔法なの?」

「魔法じゃねえ。俺が調合した薬の効果だよ」

「薬って……あんな致命傷を治せる薬なんて、あたし聞いたことないよ?」

「聞いたことなくても、今見ただろ」


 あまりスキルの内容を説明したくないので、強引に押し切ろうとする。

 と、シュリはあごに手を当てると、なにやら考え込むようにうつむいた。


「…………もしかしたら、この人の薬ならみんなを……」

「おい、なに一人でぶつぶつ言ってんだ? 日が暮れちまうぞ」

「あっ! ごめんごめん。すぐに村まで案内するからっ」


 言って、シュリはなにかを隠すように露骨に明るい笑顔を作ってみせた。


 ……こいつ、めちゃくちゃ嘘が下手だな。

 まぁこいつにどんな思惑があろうが、もともと俺は重犯罪者の身だ。

 魔物の森で一夜を明かすか、死刑覚悟で人間の村にまぎれ込むか――それとも、利用される前提で人狼族の村に行くかなら、俺は迷わず人狼族の村を選ぶ。

 ――当然、ただで利用されてやるつもりもないがな。


「それじゃナザロ、あたしの後ろについてきてね!」


 三日月斧バルディッシュを片手に、シュリが軽やかな足取りで森の中を走り出す。

 俺は薬によるドーピング効果を付与し直しながら、その背中を追って地面を蹴った。

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