始まりの合図



 朝食を済ませた後、ようやくマオルヴォル子爵邸まで納品しに行くことに。

 商品届けに来ただけなのに、えらく濃い道中だったなぁ……。



「俺はどうすんだ?」


「一緒に入りな。アンタだけ別行動させるとまだどっかのバカがちょっかい出してきかねないからね」


「同感。それじゃあ失礼させてもらいますか」


「それと、もしも例のが居たらを送りな。子爵に例の情報も渡しておくから」


「りょ」



 事前に話し合ったことを念のため再確認。

 アイツが居なけりゃなにも問題ないが、もしも居たのなら……。


 面白くなりそうだ。




 子爵邸に着いたが、レオポルドの屋敷に比べて素朴な印象なうえに一回り小さい。

 ただ、豪奢を尽くしたあの屋敷よりこっちのほうが落ち着いた雰囲気で好みだ。

 さすがに屋敷と外を隔てる門は大きく頑丈そうだが、よく磨かれていて手入れが行き届いているのが分かる。



「いらっしゃいませ、ゼリアーヌ様。本日は納品の御用ですかな」



 門番の衛兵が正門越しにえらくフレンドリーに店長へ挨拶してきた。

 この様子だと、子爵家は店長と懇意にしているみたいだな。



「ああ、新人メイドのカチューシャを頼まれてね」


「そうでしたか、お疲れ様です。……おや、そちらのお子様は?」


「ウチの新しい従業員だ。上客のところへ挨拶がてら連れて来たんだよ」


「初めまして、ラインと申します。未だ若輩者の身ではありますが、何卒よろしくお願いいたします」



 にこやかに営業スマイルしながら挨拶したのちに、背筋を伸ばして腰から45度で一礼。

 貴族式の一礼をしてもよかったが、元公爵家の人間とバレると余計なトラブルの元になるかもしれんからあえて前世のリーマン式で挨拶しておいた。



「おお、これはご丁寧にどうも。いやはや、さすがはゼリアーヌ様の付き人と言うべきでしょうか、お若いのに随分と礼儀正しいですなぁ」


「あ、ああ……」


「では、子爵様にお伝えに行ってまいりますのでしばらくお待ちを」



 衛兵が屋敷のほうへ向かうのを見て

 サラリーマン時代の挨拶だが、この世界でも一応通用するようだ。よかった。

 単にガキだから細かい不作法を見逃してもらってるだけかもしれんが。……ん?



「どうした店長? そんな微妙な顔して」


「いや、アンタにも敬語と礼儀作法の概念があったんだなぁって……」


「ふふん、どうだった?」


「不気味だね。ぶっちゃけキモい」


「ひどくね?」



 人がやりたくもないリーマン時代の作法を披露してやってるってのになんだその言い草は。キレそう。

 普段との温度差が酷いのは自分でも分かるが。



「今の作法はレオポルド仕込みかい? 貴族の礼とはまた違った作法だったが」


「いや、街で商人がやってるのを見て覚えた(大嘘)」


「見よう見まねにしちゃ堂に入ってたねぇ。ベテランのオッサンみたいな雰囲気すら感じたよ」


「うぐっ……」



 図星を言われて地味にダメージ受けたところで、門番が帰ってきた。

 おっと、いかんいかん。表情を取り繕わなければ。



「面会の許可が下りました、案内は使用人が引き継ぎますのでどうぞこちらへ」


「ああ、ご苦労」


「ありがとうございます」



 再び営業スマイルにて対応。にっこり。……さりげなくこっちを冷ややかな目で見るのやめて店長。


 屋敷の中に入ると床から壁までしっかり掃除がしてありチリ一つない。清潔感がある。

 レオポルド公爵家ほど豪華な美術品を飾ってあるわけじゃないが、なんというか逆にそれが渋い。

 むしろこの雰囲気の中にゴテゴテギラギラしたもんを下手に置く方が下品だろう。



「見惚れんのはいいが、ちゃんと着いてこいよ」


「おっと、はいはい」


「ははは、そうして見て楽しんでいただけるのは冥利に尽きますなぁ」



 案内してくれる使用人さんが生暖かい目で俺たちを眺めている。

 うーん、使用人も公爵家の連中と違って雰囲気が柔らかいな。この人たちは聖人の集まりかなにかか?


 ……いや、公爵家連中の態度が異常だっただけか。

 いくら親兄弟からぞんざいに扱われたとはいえ、雇われの身で雇い主の次男に対してあんな態度をとるのはどう考えても不自然だったと思うが……あのクソ親父がそれを促していたとか?

 それをここで考えていても仕方がないか。一旦頭を切り替えよう。


 ……それに、あのクソメイドは素でラインハルトをいじめていたみたいだしな。

 性悪が。死ね。





「こちらです、お入りください」


「どうも」



 案内された先は、子爵邸の応接室だった。

 にしても、たかがメイド用の魔道具を納品する程度で、わざわざ子爵本人に目通りするする必要があるのかねぇ。



「ライン」


「? どうした、店長」


「今から子爵と対面するが、気をしっかり持ちな。なにがあってもだ」


「は?」



 え、なにその死地に向かう兵士への激励みたいな言い分は。

 店長がここまで言うって、子爵ってのはいったいどんなバケモンなんだ……!?



「失礼するよ」



 内心戦々恐々としてるうちに、応接室への扉を店長がノックして、開いた。





「やあ、いらっしゃいゼリア。今日は珍しく付き人を連れてるんだって?」


「……!?」




 応接室の上座に座っていたのは、二十歳くらいの若い女だった。

 青い長髪を三つ編みにして左サイドにまとめていて、その金色の瞳を宿した眼は優し気で聖母を思わせる。


 しかし紛れもなく子爵の装いを着込んでいて、白く滑らかな布地に金の差し色が煌めいている。

 それの意味するところはただ一つ。


 ……子爵って、まさかこの美人がか?

 え、子爵令嬢とか夫人じゃなくて、子爵そのものなの? マジで? えー。

 っていかんいかん、見惚れてないで挨拶しないと。



「初めまして、マオルヴォル子爵様。私はラインと申します、今後ともよろしくお願いいたします」


「おや、やけに小さい……って、え?」



 俺の挨拶の後を聞いてちょっと困惑したような様子だ。

 まあこんな小さなガキが付き人とか言われたらそりゃ可笑しいと思うわな。


 ……ん? 気付かなかったが、子爵の傍に誰かが立って―――



「か、か、かわいいいぃぃいい!!? なにこの子超かっわぃいいい!!」


「っ!?」



 さっきまで和やかに座っていた子爵が、急に吠えながら俺に跳びついてきた。

 ……なるほど、店長が気をしっかりと持てといった理由がコレか。



「ゼリア! この子どうしたの!? あなたの子!? それとも拾ってきたとか!? どこで採れるの!?」


「……やっぱこうなったか。どこで採れるとか果物みたいに言ってんじゃねぇ。見境なしの子供好きは相変わらずかよ」


「もうなにこの子可愛すぎでしょ! 男の子? 女の子? どっちでもいいけど超かわいいわぁ……!!」



 暴走する美人子爵の胸に抱き寄せられて、普段なら嬉しいやら怖いやらで頭がパンクしそうになっていたことだろう。

 ヤバい、この女子爵ヤバい、助けて、ってな。

 だがそんなことすらどうでもいいと感じるほど、今の俺はあるものに意識が釘付けになっていた。



「……なんで、ここに……!?」



 子爵の傍に立っていた、黒髪黒目の若い侍女。

 こちらを見下し呟きながら驚いているその顔に、俺は見覚えがあった。

 思わず笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえつつ、さりげなく床を軽くコツコツと蹴って店長へを送った。



「おい、いつまで引っ付いてんだ。さっさと離れな」


「んー、もうちょっとだけ……」


「魔道具の説明をする時間が無くなるだろうが。いいからさっさと離れろ」


「むー。あ、ごめんなさいね。えーと、ラインちゃんだったかな? 初めまして、私はユーリタニア・マオルヴォル。この街の子爵だよ、よろしくね」


「はい、よろしくお願いします」



 ちゃん付けはやめてほしいが、訂正を希望するのも面倒だ。

 それに、今はそれどころじゃない。



「それで、そっちが新しく入ったメイドか?」


「うん。ほら、挨拶して」


「っ……」



 声をかけられたメイドは少し眉を顰めたが、すぐに表情を繕い頭を伏せながら挨拶をしてきた。



「先週よりこちらでお世話になっております、メディアと申します。……よろしくお願いします」



 ……顔を上げる時に一瞬だけこっちを睨んできやがったな。

 屋敷に残しておいた黄金色の餞別はお気に召したようだ。

 あの玉虫はキラキラしてて綺麗だったか? カラスのように光りものを貯めこんでたお前には、目と頭が眩むようなプレゼントだっただろう。


 まさかとは思ったが、やはりここに流れ着いていたようだな。着服がバレてクビにでもなったか?

 また会えて嬉しいぜ、クソメイド。 

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