第3話 帰省01
婚約破棄という衝撃の展開を経て王宮を去り、一時間ほどで王都にあるバンズウッド公爵邸に到着する。
着くや否や私は、
「急いで帰省の準備をしてちょうだい」
と、みんなに指示を出して長兄ゼクト兄様の執務室へと向かった。
ゼクト兄様は二年ほど前から父に代わって王都での政務を担っている。
私は今回、半年ほど前から、その政務の補佐役として同行させてもらっていた。
ゼクト兄様の部屋の前に着くと、軽く扉を叩き、
「ゼクト兄様。いらっしゃいまして?」
と声を掛ける。
すると中から、
「どうぞ」
と声が掛かって、ゼクト兄様付きのメイドが扉を開けてくれた。
「失礼いたします」
と軽く礼を取って室内に入ると、
「やけに早かったね……ていうか、どうしたの?乗馬でもしてきたのかい?」
とゼクト兄様が執務の手を止めて不思議そうに私を見てくる。
そんなゼクト兄様に、
「落ち着いて聞いてください」
と言うと、私は、
「こちらでよろしくて?」
とゼクト兄様に視線を向けながら、応接用のソファへと誘った。
「ん?ああ……」
とゼクト兄様がやや怪訝な顔で席を立つ。
私はそばにいたメイドに、
「お茶をお願いできるかしら?」
と声を掛けると、やや無遠慮ながらゼクト兄様よりも先にソファに腰掛けた。
「いったいどうしたっていうんだい?」
と少し慌てたような表情でゼクト兄様が私の対面に座る。
そんなゼクト兄様に向かって私は、
「先ほど、エリシオン殿下から婚約破棄の申し出を受けましたので、謹んでお受けしてまいりました」
と、いきなり本題をぶっちゃけた。
「え?ええっ!?」
とゼクト兄様が驚きに声を上げ、ローテーブルに両手をついて立ち上がる。
私はそんなゼクト兄様を手と目で制し、
「これから詳細をきちんと説明いたしますので、お座りになって?」
と軽く微笑みを浮かべながらゼクト兄様に落ち着くよう促した。
そこへメイドが持ってきてくれたお茶をひと口飲んで、口を少し潤してからゆっくりと事情を説明し始める。
私が説明をする間のゼクト兄様の顔は終始険しく、いつものあの優しい笑顔はまったく見られなかった。
(まぁ、そりゃそうよね……)
と思いつつ、
「……と、いう次第です」
と言って説明を終える。
話を聞き終えたゼクト兄様は、
「……ふむ……」
と言って考え込むような仕草を見せた。
「あの。私そこまで気にしておりませんので、是非穏便にお済ませくださいね?ああ、もちろんそれなりの措置は取っていただいてけっこうですが……」
と少し心配しながらそうゼクト兄様に声を掛ける。
するとゼクト兄様は真剣な顔で、
「……ミーナがそう言うなら仕方ない。宣戦布告は止めておくか」
と、かなり恐ろしい言葉を発した。
私は、一瞬ゼクト兄様なりの冗談かと思ったが、すぐに、
(いや。重度のシスコンを患っているゼクト兄様ならやりかねないわね……)
と思って、
「ぜ、ゼクト兄様。こういう時は……、そう、あれですわ。こちらに最大の利益が出るよう取り計らうのがよろしいんじゃなくて?」
と、やや慌てて進言する。
そんな私の言葉を聞いて、ゼクト兄様は、少し感心したような顔をしながら、
「……ミーナも大人になったねぇ」
と言っていつもの甘い笑顔を見せてくれた。
「……あはは」
と少し困ったような感じで乾いた笑いを浮かべる。
そんな私にゼクト兄様はにっこりと微笑んで、
「賠償金は当然として、手始めは財務卿の入れ替えだね。さっそく今の財務卿をクビにしろと言ってうちの息がかかった人間を推薦しよう。王家にしろキリシアにしろ財布の紐を握られてしまえば好き勝手はできないだろうからね。あとは、食料品の卸値……は、上げない方がいいか。庶民の暮らしに影響してもいけないからね。……ああ、そうだ! 貴族向けの高級品をうんと値上げしてやろう。そうすれば、キリシア公爵への反発も大きくなるし、こちらの勢力に与するなら値段を下げてもいいって交渉もしやすいしね。とりあえず十年物以上のワインは十倍くらいにしてもいいね。うん、そうしよう。キリシア公爵はワイン好きだし、手っ取り早く嫌味が言えて好都合だ」
と矢継ぎ早に対抗措置を打ち出していった。
その他にも、宝石類や鉱石の輸出規制、キリシア公国産製品の関税引き上げや王家に支払ういわゆる「上納金」の削減交渉などなど、次から次に施策を打ち出すゼクト兄様を少し引きつった笑顔で見つめる。
それでも私は、
(……でも、この程度で収まっているからいい方なのかしら?)
と思いながらゼクト兄様の方を見ていると、最後にゼクト兄様は、
「問題は父上だね」
と、ぼそっとしかし真剣な顔でそうつぶやいた。
「ええ。さっそく事情を説明してことの対応にはゼクト兄様が当たられるので最大限自制するようお願いする手紙は出しました。しかし、それがどこまで効力を発揮するか……」
と言って私のやや暗い顔になる。
そんな私の言葉にゼクト兄様もうなずいて、
「あの人なら宣戦布告もなしに奇襲をしかけて砦の一つも落としかねない……」
と真面目な顔でそう言った。
「ええ。ですから、私、急いで国元に戻ろうかと思っておりますの。ゼクト兄様にはご迷惑をおかけしてしまいますが、よろしいでしょうか?」
と、当然許してもらえることがわかっていながらもあえてそう訊ねる。
その問いにゼクト兄様は、
「ミーナと会えなくなるのは寂しいけど、今回は致し方ないね。こちらのことは万事引き受けるから、ミーナは父上の手綱を頼んだよ」
と、困ったような笑みを浮かべてそう言ってきた。
「ありがとう存じます」
と言って軽く頭を下げ、その後の話に移る。
話し合いの結果、私はあまりのショックのため倒れてしまい国元で長期間療養することになってしまった。ということにすることになった。
ゼクト兄様曰く、その方が交渉がやりやすいらしい。
私はその提案にうなずき、ゼクト兄様の執務室を辞する。
そしてそのまま自室に向かうと、急いでメイドのユリアと共に旅支度を始めた。
翌朝。
朝食のあと、本当に泣きながら見送ってくれるゼクト兄様に別れを告げて故郷バンズウッド公国を目指す。
ここ、王都から公国の公都エレンまでは通常2週間ほどかかるが、今回は急ぎの旅だから十日ほどで着くだろう。
私は公女でありながら馬車にも乗らずジローの背に揺られながら、真っ直ぐに続く故郷への道を護衛の騎士たちに混じって、やや急ぎ足に進んでいった。
やがて旅は順調に進み、8日ほどで国境の門を通過する。
時刻はまだ昼を少し過ぎたくらいだったが、その日は公爵家御用達の宿に入り、とりあえず旅装を解いた。
部屋に入るとさっそくお茶を淹れてくれたユリアに軽く礼を言い、いつもの紅茶で喉を潤す。
そうやって、しばらくくつろいでいると、案の定そこへ父の使いがやってきた。
「申し上げます。マクスウェル様からの書状を預かっております。お検めください」
と言って渡された書状を開いて中身を確認する。
そこには当然のように私を心配する言葉が延々とつづられていたが、最後に、
「ミーナの顔を見るまで戦争は控えておくから早く帰ってきておくれ」
という予想通りの物騒な言葉が書かれていた。
「少し待っていて、すぐに返事を書くわ」
と言って文机に向かう。
そして、
「お父様。戦争は誰の特にもなりません。厳にお控えください」
というようなことと、
「私は元気ですからなんの心配もありません。すぐに帰りますから楽しみに待っていてくださいね」
というようなことをやや略式に書き連ねると、使いの騎士にその手紙を渡して、
「急ぎでお願いね」
と至急届けてくれるよう指示を出した。
使いの騎士が去り、また紅茶に手を伸ばす。
ユリアは慌てて、
「あ。淹れなおしを……」
と言ったが、私はそれを、
「いいのよ」
と言って制すと、ぐいっと一気に飲み干して、
「ふぅ……」
と息を吐いた。
その公女らしからぬ振舞いに、自分でも苦笑いを浮かべる。
そして、こちらも少し驚いているユリアに向かって、
「私、決めたの。これからはもっと奔放に、自分の好きなように生きてやるって。だからユリアもこれまでみたいに気を遣わないでいいわよ」
と言って微笑んで見せた後、少しだけお茶目な笑顔を見せ、
「……といっても最初は難しいかもしれないから、そのうちお互いに慣れていきましょう?」
と少し砕けた感じでそう言ってみせた。
そんな私にユリアは一瞬驚きの表情を浮かべる。
しかしすぐにいつものようににっこり微笑むと、
「かしこまりました」
と言ってくれた。
その後、お風呂を使い、夕食を済ませて部屋の窓から町を見下ろす。
久しぶりに見る国境の町は夜でも活気に溢れているように見えた。
職人の仲間だろうか? 何人かの男性が肩を組んで通りの真ん中を陽気に歩いているのが見える。
私はそれを微笑ましく見ながらも、
(あら。そう言えば私、お酒を飲める歳になったんだったわね……。帰ったら父上と一緒にうちの国自慢の高級ワインを飲もうかしら? うふふ。楽しみだわ)
と思い目を細めた。
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