第2話 公女ミリスティアーナ
王城の中庭を出てずかずかと廊下を進んで行く。
そのただならぬ雰囲気にすれ違うメイドや執事が驚きの目を向けてきているのがビシバシと伝わってきた。
私はその視線を無視して勢いよくバンズウッド侯爵家専用の客間の扉を開ける。
そして唐突に、
「帰りますわよ!」
と大きな声でそう宣言すると、さっさと衣裳部屋へと入っていって自分でドレスを脱ぎ始めた。
小さい頃からついてくれているメイドのユリアが慌てて衣裳部屋に入ってくる。
「いかがされました!?」
と聞いてくるユリアに、
「とりあえず乗馬服を出してちょうだい」
と言って、さっさとドレスを脱ぎ捨てる。
そして、窮屈なコルセットの紐を緩め楽な姿になると、
「ふぅ…」
と息を吐いて、椅子に腰かけユリアが乗馬服を持ってきてくれるのを待った。
しばらくするとユリアが慌てた様子で乗馬服を持ってきてくれる。
そして、
「あの……。これから乗馬ですか?」
と少し的外れなことを聞いてきた。
「いいえ。さっきも言った通り帰るわよ。帰りは私も馬に乗っていきたい気分になっただけだから心配しないで」
と優しく微笑みかけてからさっさと乗馬服を着始める。
そんな私を見たユリアは慌てて手伝ってくれようとしたが、私はそれを手で制して、
「ああ。自分で着るからいいわ。それよりも帰りの支度をお願いね」
と指示を出した。
長年の付き合いで私の性格をよくわかってくれているユリアが、
「かしこまりました」
と礼をとって衣裳部屋を出ていく。
私はさっさと乗馬服に着替えると、軽く髪をほぐして衣裳部屋を出た。
「お茶はまだいいわ」
と別のメイドがお茶を淹れてくれようとするのを止めて文机に向かう。
そこでタリスカン国王宛ての書状を書き始めた。
内容は至極簡単で、
本日のエリシオン殿下の発言を受けて非常に傷ついたこと。それについてはメイドのシェリーが証人であること。バンズウッド公爵家からは後日改めて抗議させていただくことなどを貴族ならではの美しい文体で書き連ねていった。
書き上げて、一度内容を見返し、手近にいた執事のユリウスにそれを渡す。
するとユリウスは黙って一礼し、その書状を持って部屋を出て行った。
(相変わらず物分かりがいい人ね……)
とそのベテラン執事の仕事ぶりに感心しつつ、さらに書状を書く。
そして、その書状を書き終えると、手近にいたメイドに、
「今日の件をまとめてあります。急いで国元に届けてちょうだい」
と言って渡した。
こちらは少し動揺しつつも、
「かしこまりました」
と言って部屋を出ていく。
そんな書き物が終わると、ユリアがそばにやって来て、
「ご準備が整いました」
と言ってきてくれた。
「わかったわ。ユリウスたちが戻ってきたら出発しましょう」
と言って今度はお茶を淹れてもらう。
そして、そのお茶を飲み終わるころ、ユリウスと先ほどのメイドが戻って来た。
「ありがとう。では出発しましょうか」
と声を掛けて席を立つ。
そして、私はユリウスから愛用の剣と剣帯を受け取るとそれを腰につけて客室を出ていった。
メイドと執事が荷物を持って先に部屋を出ていく。
それに続いて私とユリアも部屋を出ると、ゆっくり王宮の玄関へ向かった。
広い王宮を歩きながら、ふと考える。
(やっぱり、短慮が過ぎたかしら……)
と一瞬、反省の言葉も出てきたが、それでも、
(私のこれまでの努力をなんだと思ってるのよ、あのロリコンがっ!)
という怒りの方が強く湧いてきた。
そんなことを思いながら、これまでの人生を簡単に振り返る。
私がこの世界、ゲーム「アリステリア・サーガ~雷の勇者と純白の大聖女~」の世界に転生したのではないか?と疑い始めたのはおそらく物心ついたころ。
一歳になるかならないかの時だった。
やたらと早熟だった私はある日熱を出し、おそらく前世でプレーしていたゲームの内容を思い出す。
そして、熱が冷めた後、自分がバンズウッド公国の姫として生まれたことを再認識すると、
(あれ。それってゲームの中に出てくる聖女とその姉の王妃の実家じゃなかったかしら?ついでに勇者もこの国出身だったわよね?)
ということに気が付いた。
そこから私の血と汗と涙の日々が始まる。
今にして思えば、なんでそんなに思い詰めてしまったのだろうか? と不思議にも思うが、その当時から今までの私は、
(未来の王妃。この連邦全体の国母。……きっと生半可な覚悟じゃ務まらないわよね。ゲームの中で王妃は聖女と母親違いの姉っていうだけのモブキャラだったけど、ここはゲームの世界に似ていても現実の世界なんだし、きっとゲームには描かれていないだけで大変なこともたくさんあるはずよ。だったら、自分の持てる全てを掛けて全力でこの運命を受け入れなければ!)
と思ってしまっていた。
(はぁ……。なんで私ったらそんなに真面目に考えちゃったのかしら?)
と今までの自分が、なにがなんでも与えられた役とその責任を全うしなければならないと考えて生きてきたことを思ってため息を吐く。
そんな私の脳裏に、
(社畜……)
というものすごく嫌な言葉が浮かんできた。
(前世の記憶は曖昧で、私がどんな人生を歩んできたのかわからないけど、『社畜』って嫌な言葉ね……。なんだか思い起こしただけで虫唾が走るわ……)
と考えているとまた魔力が暴走してしまいそうな気配を感じ、ふと立ち止まって静かに呼吸を整える。
そんな私にユリアが、
「いかがなさいました!?」
と慌てた様子で声を掛けて来た。
「?ああ、大丈夫よ。少し考え事をしていただけだから」
と答えて心配そうなユリアに微笑んでみせる。
するとユリアは一応安心してくれたようだが、まだ心配そうな表情を残したまま、
「ご無理なさらないでくださいね」
と、いつものように優しく声を掛けてくれた。
「ええ。ありがとう」
と言ってまた王宮の廊下を歩き始める。
そして、やたらと広い王宮の表玄関にまでたどり着くと、そこにはすでに馬車と護衛の騎士たち、そして愛馬のジローが待っていてくれた。
「お待たせ」
と、みんなに軽く声を掛けてからジローに近づき、
「よろしくね」
と挨拶をする。
ジローは少しお茶目なところはあるが、優しくて賢いこの国でも屈指の名馬だ。
ちなみに、次男だからジローと名付けた。
長男は5つ上の兄エクス兄様がもらい受け、バンハルト号と名付けている。
そんなジローの首筋を軽く撫で、
「ぶるる!」
と機嫌良さそうに鳴いてくれたのを確認し、いつものように颯爽と跨らせてもらった。
ちらりと後方を確認し、
「じゃぁ、行くわよ」
と声を掛けジローに前進の合図を出す。
そして、私たち一行はこれまたやたらと広い王宮の庭を進み、無駄に豪華で壮麗な門をくぐった。
門を出て城下町の石畳の道を行く。
ジローにとってみればちょっとした散歩気分なんだろう。
時折、
「ぶるる」
と機嫌良さそうに鳴き石畳の道を「カポカポ」と軽快に叩きながらゆっくりとした歩調で進んでくれた。
そんなジローの背に揺られ再び物思いにふける。
思えば私の人生は努力の連続だった。
例の立派な国母にならなければならないという強い思い込みから、学業、武術、魔法、礼法、果ては家事全般に至るまでありとあらゆることを必死で習得する毎日。
優しさの塊で出来ているような父や兄が毎日心配そうな目を私に向けてきてくれていたことを今でもはっきりと覚えている。
特に父は各種稽古にばかり打ち込む私をどうにかして普通の令嬢らしくしようと思ったようで、小さい頃は事あるごとに、ドレスやぬいぐるみをプレゼントしてきてくれた。
それでも私にはあまり効果がないと覚ると、今度はやたらと豪華な宝石の類まで贈ってくるようになったので、私は当時七歳くらいだったにもかかわらず、
「お父様。小さい子にそんなものを買い与えてはいけません!」
と説教してしまったのは今でもいい思い出だ。
あの時の父の驚きとしょげたのを足して二で割ったような顔は今でもよく覚えている。
そんな微笑ましい思い出にふと微笑みつつも、
(そのおかげで強くなり過ぎちゃったのよねぇ……)
と心の中でため息交じりに反省の弁を述べた。
私が10歳のころ。
王都への留学が決まる。
それはおそらく未来の夫であるエリシオン殿下との交流の場を設けるという意味があったのだろう。
王立学院初等部の途中から転入して、中等部を卒業するまで私は王都で暮らすことになった。
当時の私は恋愛感情なんてものはまだ持ち合わせていなかったので、当然そこでも努力に努力を重ねた。
学業、武術、魔法、礼法、その他諸々、全ての教科でずば抜けた成績を収めた私は飛び級で王立学院、前世で言う所の東大みたいなところに入らないか? と誘いを受けることになる。
しかし、それでは意味がない。
将来の国母には学術よりも地政学や経営の実地が必要だと思って私はその話を断り、実家へ帰ることにした。
そこで、今度は父や兄について領地経営を学び始める。
朝は騎士団に混じって剣と魔法の稽古に打ち込み、昼は書類仕事の手伝い、夜は勉学に励む毎日。
時には父について地方視察にも行ったし、なんなら騎士団と一緒に魔獣討伐の様子を遠目から見学させてもらったこともあった。
そんな私を父や兄たちはいつも優しく見守りやりたいようにやらせてくれたのだから、そのことには感謝しかない。
しかしそれがいけなかったのだろう。
結果、十八歳になったばかりの私は、こうしてエリシオン殿下にまさかの婚約破棄を突きつけられるという事態に陥っている。
(はぁ……。こんなことなら、もっとちゃんと普通の令嬢らしく青春しておくべきだったのかしら? でも、仕方ないわよね? だって、責任があるし、それになにより剣も魔法も領地経営も楽しすぎるんですもの……)
と、自分に自分で言い訳をしつつ、ため息を吐く。
すると、そんな私の浮かない気分を察したのか、ジローが心配そうに、
「ぶるる…」
と鳴いて私にちらりと視線を送ってきた。
「あら。ごめんなさい。大丈夫よ」
と声を掛け、軽く深呼吸をして前を向く。
そして、
(そうよ。きっかけはどうあれ、私は好きなことに一生懸命打ち込んできただけじゃない。なにも悪くないわ。ええ、そうよ)
と自分に言い聞かせると、
(うん。そうね。私はあんなロリコンのために頑張ってきたんじゃない。自分のために頑張ってきたのよ。だから、この件はもう考えない。私は私。これまでもそうだったように、これからも前を向いて突き進んでいくのみよ! そう。これからは好き勝手にやらせてもらうわ!)
と心の中で強くそう思って、麗らかな春の空にキッと睨みを利かせた。
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