第4話 【神の子】

「足らない……足らない……足らない足らない足らない足らない足らない足らない足らない」


 ジャジャ洞窟の奥地、三メートルほどの肥満体型の赤鬼が生きた人間の頭部を噛みちぎった。

 赤鬼の周りには赤い液体が飛び散っており、生臭い匂いがする。

 ここにいては、鼻が死ぬことだろう。


「す、すみません……で、ですが、最近は俺たちも警戒されるようになってしまい、ここに来る者が減ってですね……」


 焦り出す一人の盗賊。


「知らん、お前たちでなんとかしろ」

「む、無茶ですよ!! さすがにそれは……」

「そうか、ならば……」


 次の瞬間、一人の盗賊の真上には黒い影が──


 真上を見ると、そこには鉄棒があった。


「え、え……」

「死ね」


 金棒により押しつぶされる一人の盗賊。

 一人の盗賊から溢れ出した赤い体液が飛び散った。


 ただその様子を唾を飲み見る四人の盗賊たち。


「何か勘違いしていないか? お前たちをこうして生かしているのは俺のご飯を集めるため……こうはなりたくないだろう? なら、早く人間をよこせ、俺は腹が減って死にそうなんだ」

「ほ、本当に体力が回復すれば、俺たちをここから解放してくれるんですよね!?」


 一人の盗賊が口を開けた。


「ああ、約束しよう。だから、早く……早くしろッ!!!!」

「ははは、はーい──ッ!!!!」


 と、その時、彼らの背後から足音がするのであった。



『エル、まずいぞ……』


 奥地へと進んでいくエルナンにザグラが言う。


「何がだよ?」


『多分だが、ただの魔獣ではない』


「は? なんだよそれ、どういうことだ?」


『【神の子】だ』


 突如口にしたザグラの言葉に疑問を浮かべるエルナン。


「なんだよそれ……」


『【神の子】は【神の子】だ。神から生まれた魔獣だ』


(神から生まれた魔獣……ッ!!)


 エルナンの頭の中によぎるかつての親友──白髪の少年、ルシブァ=ファーン。

 神となり、里を滅ぼした男。


「それはつええのか?」


『強い。なんて言葉で表せねえぞ……戦うもんじゃねえ』


「いいや、神の子供なんだろ? なら、戦うしかねえじゃねえか。んで、神の居場所を聞き出すッ」


『死ぬかもしれないぞ?』


「関係ねえ、人はいつか死ぬ。それが早いだけだろ? けどな、俺が生きてそいつが死ねば俺にはメリットしかねえんだ」


 エルナンの鼻を一瞬にして吐き気にしてしまうほどの激臭が襲う。


 あまりの匂い、エルナンは嘔吐する。


「……なんだよ、この匂い……ッ!?」


『【神の子】だ』


 エルナンの目の前に立ちはだかるのは、三メートルほどの赤鬼。

 赤鬼の周りには四人の盗賊が立っていた。

 地面や壁には血が飛び散っていた。


 ゴクリ、と唾を飲み込んだのち、すぐさまエルナンは手袋を両手外した。


(なんだ、こいつ……魔力量がわかんねえけど、忌々しい!!)


『魔力探知が本当に下手だな、こいつこそが【神の子】だ。多分、盗賊がうろついていたのは、こいつの命令だ』


 エルナンの鋭い黒い爪を見て、赤鬼の赤い瞳がさらに輝きを増した。


「その手……なるほど、ただの人間ではないようだな。お前、なかなか面白そうじゃないか」


 赤鬼は歯をむき出しにして笑い、鋭い牙が血液で赤黒く染まっているのがはっきりと見える。

 エルナンは手袋を地面に投げ捨て、無言で赤鬼と向き合った。


 盗賊たちはその場から一歩も動けず、ただ震えるばかりだった。

 一人が恐る恐る呟く。


「おい……あの黒い翼の男、何者なんだ? 魔力がまるで感じられないのに……」


 しかし、その声は赤鬼に聞こえたのか、金棒を軽く振り回しながら一瞥を向ける。


「貴様らは下がっていろ。お前たちの出る幕じゃない……この男は、俺が料理する」


 赤鬼の一言で、盗賊たちは我先にと洞窟の隅へと走り去る。

 赤鬼とエルナンだけが、血塗れの空間に残された。


「料理だって? 俺はお前の餌になる気はねえよ」


 エルナンは軽く肩を回しながら挑発するように笑みを浮かべた。

 その表情の裏には冷静さと緊張が入り混じる。


『エル、気を抜くな。こいつはそこらの魔獣じゃない。魔力の質が俺たちの常識とは違う……気を付けろ』

「分かってるよ、ザグラ」


 エルナンの背中から黒い翼が一気に生える。

 その動きに合わせて、洞窟内の風が一瞬揺らめき、赤鬼の目がさらに興味深そうに細まる。


「ほう……翼か。魔力が一気に上がったな……それで空を飛ぶつもりか?」


 赤鬼は金棒を肩に担ぎながらエルナンに向かってゆっくりと歩み寄る。

 その巨体が一歩踏み出すたびに、地面が振動し、洞窟の壁から小石が落ちる。


 エルナンは翼を広げ、少しだけ浮かび上がった。


「飛ぶだけじゃねえよ。これでお前を切り刻むんだ」


 その言葉とともに、エルナンは一気に赤鬼へと飛び込む。

 スピードは盗賊たちの目にはまるで残像のように見えるほどだった。


 しかし──


「遅い」


 赤鬼はその巨体からは想像もつかない速さで金棒を振り上げ、エルナンの攻撃を受け止めた。

 激しい衝撃音が洞窟内に響き渡る。


「ぐっ……!?」


 エルナンはその衝撃で一瞬体勢を崩したが、すぐに翼でバランスを取り直す。


『エル、力の差がありすぎる!! 単純な力勝負じゃ勝てねえぞ!!』


「分かってるっての!」


 エルナンは空中で身体を翻し、赤鬼の側面を狙って突進する。

 しかし、赤鬼はそれを読んでいるかのように金棒を横に薙ぎ払った。


「ほら、どうした!! その程度か!!」


 エルナンはギリギリで攻撃をかわすが、赤鬼の圧倒的な力を目の当たりにし、息を呑む。


(こいつ……ただの力自慢じゃねえ。なんでそんな肥満体型で動けんだよッ!?)


 赤鬼は口元に笑みを浮かべ、エルナンを挑発するように言った。


「お前もなかなか面白いな。その翼、そしてその手……どれだけ俺を楽しませてくれる?」

「楽しませる? 残念だが、遊びじゃねえんだよ。俺は……お前を倒して情報を引き出す。それだけだ!!」


 再び距離を詰めるエルナン。

 その目には、覚悟と鋭い殺気が宿っていた。

 赤鬼もそれを察したのか、金棒を構え直し、低い声で呟く。


「なら、来い。俺を倒せるものなら、やってみろ──」


 洞窟内の緊張感はさらに高まり、二人の戦いが本格的に幕を開けた。

 血と鉄が交錯する激闘が、今まさに始まろうとしている。

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