第3話 なにも異世界は初めてじゃない
「やりましたよ、師匠。何とか……なるもんですね」
少女が安堵の笑みを浮かべながら、かつて裂け目があった場所へと近づいていく。
ジンも肩で息をしながらどうにか呼吸を整える。けれど、フッと一息ついたそのとき――
「――!? おい、待て!」
ジンの声が少女の耳に届いた瞬間、彼女の足元が突然強い風に煽られた。
「――え?」
その声が途切れる間もなく、閉じたはずの裂け目が一瞬にして、さらに巨大な口を開いた。歪んだ空間の向こう側から放たれる眩い光と轟音。
突如として吹き荒れる突風が少女の小柄な体を容赦なく宙に舞い上げた。
「キャアアア!」
悲鳴が風にかき消され、少女の体は裂け目へと吸い込まれていく。その先にはどこまでも続く漆黒の淵――
「っつ、だからお前は、爪が甘いってあれほど教えただろ!」
ジンの声が、その絶望的な空間からかろうじて少女を引き戻す。
宙に展開した魔法陣に片手でしがみつきながら、もう片方の手で少女の腕を掴んで何とか引き止める。
「――し、師匠! ごめんなさい!」
涙を浮かべた少女が必死にジンの手を握り返す。けれど、裂け目から溢れる暴風と魔力の波動が、二人を引き裂こうとまるで狂った怪物のように暴れ回る。
ジンの掴んでいた魔法陣が、バチバチと嫌な音を立ててヒビを入れていく。
「――! ダメです、師匠! 手を放してください。このままじゃ二人とも……!」
木の葉のように宙を舞う自らの体のその先、足元に広がる漆黒の淵を見て少女が震える声で叫ぶ。
「バカなことを言うな!」
ジンの一喝が、突風の中に響いた。
その目は、さっき世界を救うと決めた時と同様、何が何でも手を放すまいと決意に満ち溢れている。
「師匠、聞いてください! 私……感謝してるんです。身寄りもなくて、ずっと独りぼっちだった私を拾ってくれて、楽しい思い出だってたくさん――」
「ダァーーッ! 俺はそんな話をしてるんじゃない!」
ジンの怒声が少女の言葉を遮る。
「お前じゃ、無理だって、言ってんだ!」
「……え?」
少女の目に戸惑いが浮かぶ。
「こうなったら、裂け目に入って内側から閉じるしかない! お前じゃそんな芸当、とてもじゃないができないだろ!」
「で、でも……そんなことしたら戻ってこれる保証は……」
ジンは小さく笑った。その顔にはなんの躊躇も、一片の恐怖すらないようだ。
「大丈夫だ。何も――異世界に行くのは初めてじゃないからな」
その言葉に、少女の目から涙が溢れ出した。
「い、いやです! 師匠と離れ離れなんて私――私を、置いていかないで……!」
その懇願を振り切るように、ジンは少女の身体を強く引き寄せ、その腕で強く抱きしめる。そして自らの胸元からネックレスを引きちぎると、少女の手に強引に握らせた。
「大丈夫だ。もうお前はタダの泣き虫なガキじゃない」
その手に握られたネックレスは、魔法の象徴である世界樹を模した細工が施されたもので、かつてジンがその名を轟かせた「英雄の証」だった。
「世界を、頼んだぞ――シエラ」
「――師匠ーー!」
少女の叫びが響く中、ジンは風の魔力を炸裂させた。衝撃波が突風を巻き起こし、少女の体を裂け目の外へと弾き飛ばす。
その瞬間、ジンの姿は裂け目の奥底へと沈み込んでいった。
シエラは弾き飛ばされた勢いで大木に激突し、その場に崩れ落ちる。
「――うっ!」
痛みに顔を歪めながらも、シエラは目を開ける。目の前には、次第に閉じていく裂け目の光が見える。
「……嫌だ! 待って――!」
懸命に立ち上がり、裂け目に向かって走り出す。けれど、彼女がたどり着く前に、裂け目は静かに音もなく閉じてしまった。
辺りは再び静寂に包まれ、ただ夜の風が木々を揺らしていた。
「――師匠……」
膝をつき、力なく地面に伏せるシエラ。手の中のネックレスが、月明かりを受けて微かに輝いている。その光を見つめる瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「師匠。絶対……絶対に、私、師匠を見つけてみせますから……! 待っててください!」
シエラの決意を象徴するように、ネックレスの光が一層強く瞬いた。
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