生き人形たちの苦悩
道化美言-dokebigen
生き人形たちの苦悩
レンガ造りのきらめく街が夜闇に沈んだ頃。街の外れ、狭い道を歩く男の影が一つ。
「夜でも雪ってきらきらして綺麗だなあ。みんな、ちゃんとあったかくして寝てるかな」
カチカチと微かな金属音が混じる声。少年から青年に移り変わる地点、若さの象徴を切り抜いたような風貌の男は黒いシャツに灰色のジレ。真冬、それも真夜中にそぐわない薄着で雪がちらつく夜をずんずん進んでいく。
「にしても連続殺人とか、許せないよなぁ。街のみんなが怯えて笑顔じゃないのは嫌だ! なあ? ふっふっふ、みんなの安全はこの俺、なんでも屋のルカさんが守ってやるぞー! 犯人出てこーい! なんちって」
誰もいない中で大袈裟な身振り手振りが繰り返される。雪が溶け水分を含んだ金髪とエメラルドの勝気な双眸が月に照らされた。にかりと笑ったルカは最後に一歩、大股で瓦礫と雪の小さな山を乗り越え、顔を上げる。
「うへー、五年前となんも変わってないなぁ」
敬礼に似たポーズで目の前の大きな門を見上げ、眉をひそめる。
弱々しい人工の明かりと、月明かりが照らす先。ルカが見上げるのは火災により閉園した遊園地だった。
最近街に恐怖を撒いているのは、雪の魔法を使う連続殺人犯。彼を捕まえるのがルカの目的だ。
ルカはそっと、首から下げた空のロケットペンダントに触れる。
「話せばきっと、分かってくれるよ。うん! 錆なし、壊れた部分もなし、オイルも充分。超健康体! オッケー。みんなのために、今日もちょっくら頑張りますか!」
拳を夜空に突き上げたルカの、反対の手。左手はシルバーのロケットを握り、ふるふると震えていた。
口を閉じ、遊園地を見据え。足を止めたルカの震えは大きくなる。
「っ……。ふう、大丈夫! まだ、犯人が、兄さんって決まったわけじゃないし。今なら、魔法もちゃんと、扱えるようになったし!」
両手でロケットを握ったルカは深呼吸をして、ようやく入園門の内側へ一歩踏み出した。
その途端。
「ルカ、来てくれたんだ」
「うわあっ⁈」
突然、どこからかルカに似た声が響く。
それと同時に入園口で立ち止まったルカを取り巻く空気が冷え、揺れた。ぶわりと、体内から凍ってしまいそうな雪が混ざる冷風に包まれてルカは思わず両目を瞑る。飛ばされないように身を縮めながら。
「さっぶ、いた、痛い! 何これ! ちょ、痛いってば!」
ルカを中心として白い暴風が竜巻のごとく巻き上がる。両腕で目元を庇いながら薄らと目を開けば、ルカの青い血でまばらに彩られた雪が渦巻いていた。
真っ白く視界を埋め尽くされる中、無数の雪片がルカの皮膚を傷つけていく。
「いっ……!」
割れたガラスが床に散らばるような音が聴覚を支配した。無垢な純白に触れ、ルカの傷ついた表皮から次々に青色の血が溢れる。
「ああ〜! もう!」
痺れを切らしてルカは叫んだ。心臓部の歯車が回り続けている感覚を確認して、もう数度冷たくなれば潤滑油を凍らせる冷風を深く吸い込む。
「急になんなのさ! 話聞いてっ、てば!」
刃物じみた雪を含む風の渦に両手を突っ込み、固いドアをこじ開けるように魔法で薄く火を纏わせた手で風雪の勢いを乱す。
途端、ルカが抵抗するのを待っていた。そう言わんばかりにそれまでルカを閉じ込めていた白い暴風が消え去った。
バランスを崩したルカは転けそうになりながら今夜、仕事の舞台となる壊れた遊園地へ躍り出る。
「っとと! って……エルマー、兄さん」
雪が消えれば夜の闇からルカの双子の兄が現れた。
白のハイネックに黒のロングコート。ルカと同じ背丈。同じ金糸の髪を持ち、しかし長い一つ結びの髪は傷み、どこか燻んだ色をしている。エメラルドの柔和な双眸も、凍てついた氷のごとく冷たい。
「久しぶりだね、ルカ。元気そうで良かった」
ルカは犯人の声にごくりと嚥下する。
とても大勢の人を殺したとは思えない、信じたくない柔らかな笑み。無機質ながら穏やかな声。
記憶の中の天才と謳われた兄。彼と変わらない姿を見れば、ルカの機械仕掛けの胸が痛んだ。心臓はないというのに、熱を持つ臓器がおびただしい数の棘を隠し持つ鉄の処女に押し込められ、じわじわと潰されていくような。目を逸らして逃げ出したくなる不快感にルカはロケットに触れ、握る力を強めた。
「兄さん」
「どうしたの、ルカ」
「本当に、街のみんなを殺してるのは兄さんなの?」
思っていたより硬い声が出てルカはハッと顔を上げた。視線の先、エルマーはこてんと首を傾げる。
「うん? そうだよ」
穏やかで無垢な声色にルカの胸、心臓部の歯車が凍てつきそうになる。つい先ほど、雪に視界を白く染め上げられたときより、頭が真っ白になった。
月明かりを吸い込む濁ったエメラルドにルカはくしゃりと顔を顰め、拳、そして、昔兄と互いの心臓部から部品を溶かして作ったロケットを握りしめ、エルマーを睨みつける。
「なんで人間を殺すの! みんな悲しんで、怖がってる!」
「え? なんでって、どうして? ルカ、褒めてくれないの?」
きょとんと見つめてくるエルマーにルカの脳裏に恐怖に怯えて泣く子供たちや、大切な家族を失い無気力になってしまった人たちがよぎる。
五年前。この遊園地の火災で身体が壊れ、ぼろぼろになったルカを助けてくれた温かく優しい人たちの、傷つく顔。
「褒めるわけないだろっ! 兄さん、目を覚ましてよ!」
「……んふふ。そっか。ルカも、僕を裏切るんだ」
ルカが叫んだ瞬間、エルマーの貼り付けられた笑みが崩れ、表情が抜け落ちていく。
「いい? 僕たちは人間じゃない。僕ら生き人形を利用するだけ利用して、少しでも自我を出せばゴミ、不良品扱いしてくるのが人間でしょう?」
エルマーがそれまで合わせていた目をルカから逸らした瞬間、蝶さながらに宙を舞っていた雪たちが、時が止まったかのようにその場で動きを止めた。現実離れした、不可思議な光景。月光を浴びる雪がきらめく。音一つなく、静寂に包まれた空間でエルマーが白い唇を開いた。
「可哀想。ルカはまだそんな奴らと共存したいと言っているの? 僕たちは所詮、身体も、自我も、全部偽物なのに」
凍ったエメラルド。突き出された手。宙で震え始めた魔法の雪。
ぞわりと背筋に寒気が走ったルカは弾かれたように両手を打ち合わせた。身体を覆い隠すように、渦を巻く炎を生み出して身を守る。
「ふうん、僕の真似? 上手だね」
「くっ……。俺も、兄さんに守られてばかりだった頃とは違うからね」
あちこちから降り注ぐ雪片。ワンテンポ遅れた防御に少し青い傷を増やしつつ、勝気な笑みを浮かべるルカ。
「そんなに頑張らなくても、また僕が守ってあげるのに」
「っ、俺はもう、みんなを守れるくらい強くなった!」
「やっぱり人間は嫌いだなあ。僕の大事な主人も、ルカまでも奪っていくんだもの。僕から大事なもの、全部奪っていく人間なんて壊したほうがいいよ。どうして分からないのかな」
すかさずエルマーに向けて小さな火球を投げつける。しかし、軽い爆発を起こしたそれは傷の一つを与えることもなかった。
ルカなど足元にも及ばない、そう言わんばかりの無防備さ。両手を広げながら仄暗い笑みを浮かべるエルマーにルカは奥歯を噛み締める。
五年前、遊園地が火に包まれ門を閉ざすまで。遊園地の顔、キャストとして、ルカたち双子の生き人形は宣伝道具に使われていた。お客へのサービスから、パレードまで。エルマーは何をやらせても完璧で、反対にルカは不器用で何をしても失敗ばかり。
エルマーと離れて魔法の練習をした今も、それは変わらなかった。
「兄さんは、間違ってる! 誰もそんなこと望んでないし、俺は兄さんの物じゃない!」
思考は火がついたように浅いことしか考えられなくなり、反対に心臓部はどんどん冷えきっていく。
「酷いなあ、ルカ。でも、ほら。震えてるよ? まだ火が怖いんでしょ。可哀想に。あの日の火災は……煙草の火がポリコットンのテントに移ったことが問題だった。それなのにルカのせいにされてね。そのうえ僕からルカを奪って。人間が悪い。ルカは悪くないよ。今度こそ僕が守ってあげる、ねえ、ルカ——」
言い終わる前にエルマーは器用に雪で鎖を作り、振りかぶる。一粒一粒が割れたガラスのような雪の鎖が迫り、ルカはキッと目を眇めた。
「う、りゃあ!」
綿あめや雲を彷彿とさせる、柔らかな炎。
炎を真っ二つにしようと迫る鎖は、炎に絡まり勢いをなくす。僅か数秒後、熱を含んだ鋭利な雪が小爆発を起こした。破片は星々のようにきらめきながら遊園地の瓦礫に降り積もっていく。
「……へえ。ルカ、本当に僕のこと嫌いになったの?」
「だからっ! 好き嫌いじゃなくて——」
エルマーへ噛み付くように反論した瞬間、ルカの目の前に巨大な物体が迫る。
「うぎゃっ⁈」
避け切れずまともに食らった攻撃。その威力にルカの体は軽々と吹っ飛ばされる。空気を切り裂く速さで宙に投げ出されたルカは瞬きの後、小さな建物の壁を突き破り、五枚目の鏡に叩きつけられたところで勢いは止んだ。
「がっ……!」
座り込み、激しく咳き込むルカの目の前。ぶつかってきた物体が床に叩きつけられて大きな音を上げた。
それは、すでに半分に割れていたティーカップの乗り物で。落下と同時にミルククラウンのように四方八方へ砕け散り、ルカは背筋を凍らせた。
ふらふらと立ち上がって咳き込めば、体内で壊れた部品が次々に床へと散らばる。
「いっだ〜! はー、ぶっ壊れるかと思った」
頭を振り、ルカは周囲を見回してその目を見開いた。
「うげ、ミラーハウスじゃん……」
屋根は壊れ、建物自体も半壊の状態。ぶつかり割れ、散乱した鏡。室内と屋外との境界がなくなり、月明かりだけが平等に降り注ぐ。ひび割れた鏡により、輪郭の朧げな月とルカの姿がいくつも映し出されていた。
平衡感覚も狂ってしまいそうな空間で、背に刺さった鏡の破片を抜きながらルカは細く長く息を吐いた。ぼろぼろと歯車やねじを落としながら。
かつ、こつ、と靴の音が響く。
「ルカ」
「まだ負けてない!」
「……そんなに人間と一緒にいたいの?」
エルマーから差し出された手を取ることなく、ルカは指先に炎を纏わせようと魔力を込めた。
「はっ……?」
僅かに外へと漏れ出した魔力は小さな火へと姿を変える。それだけでたった少しの明かりが鏡たちに反射し、ルカが見たのは大きな炎の錯覚。
指先程度、それにも満たない少量の火が、燃料を蓄え燃え広がる……かつてルカの希望を焼き焦がした記憶の再演を思わせる光景に、ルカは動きを止め、おもむろに震える手でロケットを握った。
「ルカ、人間がルカに何を与えたの? 僕以上のものを与えてくれた? 違うでしょ。人間が僕らに与えたのは恐怖心だけ。まあ、それも偽物なのかもしれないけど」
火の明かりもエルマーの声も消えた闇の中、パキパキと不穏な音が響く。
「ルカの傷も、戸惑いも、全部僕が包んであげる」
立ちすくんだ状態でエルマーの白く冷たい両手がルカの頬に触れた。
「大丈夫、雪解けには全て忘れているよ」
ルカの視線の先、月が照らすのは光を宿さないエルマーの瞳。
「全部忘れて、僕たちだけの楽園にずっといようよ」
遊園地のレンガ造りの床を、壊れたミラーハウスの鏡が散乱した床を、雪の絨毯が薄く覆う。その上に雪が編まれていき、やがて真っ白な鳥籠を象った。
「……兄さん、俺は行けない。大事なみんなが、待ってるから」
力なく笑みをこぼせば、その顔を見てエルマーが手を振り上げる。頭上で吹雪が起こり、雪はエルマーの手吸い寄せられて一つの歯車を作った。ルカとエルマーの心臓部に嵌め込まれた雫型のそれを大きくしたような、棘のある雪の塊。
雪にひびが入るほど握りしめ、エルマーはルカへ向けて歯車を振り下ろす。
「おかしいよ。なんでルカが人間たちの味方をするのか、僕にはさっぱり分からない! 僕じゃだめなの? 昔は違ったでしょう? 僕はルカがいればそれでいい。ルカも、僕がいればいいはずで」
「兄さんは、一人になるのが怖いんだろ!」
「っ……」
それまで笑うか表情を消すことしかなかったエルマーの顔が歪む。
歯車を素手で受け止めたルカの腕に青い血が伝っていった。今度は揺れる瞳としっかり目を合わせて言葉を紡ぐ。
ぼう、と炎が二人を隔てる鋭利な雪を溶かす。血を流す手のひらにルカが炎を纏わせ、闇の中で道を示すような明かりを掲げた。
「エルマー兄さん。俺、怖がってばかりいちゃダメだって思う。俺も、昔は兄さんの背中に隠れてばかりだったから」
心臓部を象った雪が完全に溶け、逃げようとしたエルマーの腕をルカが優しく握る。
「でも、歩み寄れば優しい人だってたくさんいた。俺はもう、逃げないよ。ちゃんと、人間が好きだよ」
炎は宙に残っていたものまで徐々に消えていき、再び世界を照らすのは月明かりだけになる。
「ちゃんと謝って、帰ろう」
俯き、動きを止めたエルマーにルカが手を差し出す。エルマーは目を細め、不器用に口元が弧を描いた。そして、ゆるりと首を振る。
「ルカは、変わったんだね。えらいね。でも、僕は謝らないよ」
エルマーが月のスポットライトを浴び、胸に手を添えうやうやしく腰を折る。同時にバキ、と嫌な音が響いた。
「え?」
突然足から力が抜け、崩れ落ちる。
「なん、で」
いつの間にか振るわれた雪の鎖が刺さり、折られた両足。
「僕はルカ以外に興味ない。一人なんてもうごめんだよ。人間は邪魔だから殺す。僕はルカのことを愛しているから、ルカのこと、時間をかけて丁寧に殺してあげられるよ」
歪に笑ったエルマーの殺気はそれまでの比ではなかった。
「ルカ、僕は人間なんか嫌いだよ。んふふ、何人殺したかなあ。ルカの記憶には酷い片割れとして居座れそう?」
「っ——! 人の命をなんだと思ってるんだ!」
半壊したミラーハウスを飲み込むほど燃え盛る炎。
「ぐっ……」
「人を殺すって言ってるひとを野放しにできるほど、俺は無知でも優しくもない!」
ボロボロ瓦礫が焼け崩れる中、炎が足に纏わりつき、劣化した体のエルマーはルカ同様に地へ倒れ込む。這って近づいたルカはその胸元へ束ねた炎を突き刺し、雫型の歯車を破壊した。
「だ、ぁ……? ふ、ふ。強く、なったねぇ、ル……」
エルマーはルカの手に左手を重ね、焦点の合わない目で笑えばすぐに体から力が抜けていく。鏡や瓦礫が散乱する中、雪の鳥籠は溶け、静かに水へと変わっていった。
「終わ、た……?」
最後にエルマーの翠玉の目元に触れ、起こしていた満身創痍の体を倒す。寝転んだルカは雲に隠された月を見上げ、疲労の訴えるまま静かに目を閉じた。
○
穏やかな日光が差し込む小部屋に来客を知らせるベルが鳴った。
「ようこそ『なんでも屋ルカ』の事務所へ! お悩み相談から隣町への警護まで、なんでもお手伝いするよ!」
今日もレンガ造りのきらめく街で、ルカは人間の手を取る。
シルバーのロケットペンダントは思い出と翠玉を包み、七グラム分の重さを増してルカの胸元で気まぐれに輝いていた。
生き人形たちの苦悩 道化美言-dokebigen @FutON__go
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