失踪をするならば/小粋な馬鹿

「失踪するなら、雨の日がいい」

かつて自分の担当作家であった小粋な馬鹿とそんな話をしていたな。なんて記憶が、アザフチの脳内をフと掠めた。

壁一面に設けられた透明な窓の先は心地よい秋晴れであり、その先には緑と一緒に艶やかな赤___彼岸花がその姿を風で揺らめかせている。

アザフチの視界の先には小粋な馬鹿が持つ黒ペンと一文字も進んでいない原稿用紙であった。

此奴は何の為に俺を呼び出して、何の為に失踪の話をしているんだ。俺だって今から失踪してやりたいわ。お前の今やってる原稿用紙今日が締切なんだぞ。俺がコヨリちゃんに失踪させられる。

「どんな雨の日が、お前の失踪に向いているんだろうな。ザァザァ降りの雨の日か? それとも霧雨か?」

そんな事を考えながらアザフチは熱いコーヒーを啜り、小粋にそう尋ねた。

「そうだな……天気雨の日がいいな」

「天気雨の日ィ?」

「そう、天気雨の日よ」

小粋はアザフチの言葉を肯定した。

「雨の日が良いって言ったけどね、あたし別に晴れの日が嫌いってわけじゃないの。でも、あんまりにも晴れた日だと、何だか消えたらいけない気がする。でも天気雨ならどっち付かずの天気でしょ? 一番しっくりくるのよ」

確かにそれは一理あると、アザフチは感心した。

此奴が消えるのは晴れも曇りも雨でもどれも良いが、そのどれもが中途半端で曖昧でどっち付かずな天気が一番しっくりくる。

「でもなんかそれズルいよな」

「ズルいって何が?」

「晴れも好きだし雨も好きだしの欲張りセットみたいなもんだろ。お前死に際でも自分の利を求めすぎてンじゃねーぞ」

アザフチのその言葉に小粋は思わず笑い出した。

「あはは!確かにそうかも。死に際くらい欲張らなくていいよね」

小粋のその笑みは、何だか泣き出してしまいそうで。アザフチは何も言わなかった。

「じゃ俺は晴れの日に死んじゃおっかな」

「アザフチさんが晴れの日に死ぬの似合わないよ。自分の死に納得しなくて現世を彷徨いそう」

「あんまふざけんなよ」

そう呟くと小粋は再び原稿用紙に向き合った。少し間を空けてから、小粋が口を開いた。

「まだ、死ぬ気は更々無いけどね。アザフチもまだ死ぬなよ」

「お前が死んだら、俺はコヨリちゃんに殺されちまうよ」

アザフチの言葉は小粋に届いたのかどうなのか。小粋は何も発さぬまま原稿用紙に向かい続けていた。_______




次の日、耳を塞ぎたくなるような雨音が街に響き渡った。

小粋な馬鹿は、その日失踪したのである。

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小粋な馬鹿の失踪 QT @QT_Flash

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