透明な赤/木染維月

おい、小粋な馬鹿を知らないか?」

 アザフチからそんな電話が掛かってきたのが、三日前のこと。真横で蠅よりも手を擦り足を擦る小粋な馬鹿を哀れに思って「知りません」と答えた。

 そして同じ日に「スタバチケットをやるから私をアザフチから匿い通してくれ」と頼まれ、ウンと答えたので契約成立。小粋な馬鹿によればアザフチは弁当箱の隅の油汚れよりしつこいらしいが、ちょうどスタバの新作を飲みたかったので頑張って匿おうと決めた。

 小粋な馬鹿は作家で、アザフチは小粋な馬鹿の担当編集である。なかなか原稿をしない小粋な馬鹿から、飴と鞭と鞭以外を使ってあの手この手で毎日原稿を取り立てている。その様、まさに借金取り。アザフチはどうも人を人と思っていない節があるようで、過ぎた仕打ちは法に触れているのではないかと見ていてヒヤヒヤする。


 二日前は酷かった。鬼の量の無言電話、不幸の手紙、呪いのチェーンメール、寿司の出前五十人前。嫌がらせの見本市のような仕打ちを受け、耐えかねてアザフチに電話を入れる。

「やめてくださいよアザフチさん。小粋先生なら知らないって言ってるでしょう」

「いや、小粋な馬鹿がそこにいるのは分かってンだよ。あとは燻り出すだけ」

「なんで分かったんです」

「オマエが小粋な馬鹿のインスタに映り込んでたから」

「マジか……」

 言われて小粋な馬鹿のインスタを確認すると、確かにテーブルの反射に私の影が映り込んでいる。こんなのから特定したのか。粘着質なアイドルファンよりしつこいな……などと思いつつ、小粋な馬鹿に投稿を消すように言う。出前の寿司は二人がかりで完食した。


 小粋な馬鹿が消えたのは昨日のことだ。

「アザフチさん、小粋先生を知りませんか?」

「ハァ?」

 てっきりアザフチが連れ去ったものと思って電話をしたが、どうも違うらしい。

「なんでオマエが小粋な馬鹿を探してんだよ。それともそういう作戦?」

「いや、本当にいないんですって。私はてっきりそっちにいるんだと思って聞いたんですよ」

 まぁそのうち帰ってくるだろうということでその日は電話を切った。小粋な馬鹿も幼女ではないし、どこかへ行ったのなら自力で帰ってくるだろう。道中アザフチに見つかりさえしなければ。


 そして、今日──小粋な馬鹿は見つかった。

 家の裏手で足を滑らせて、頭を打って死んでいた。余程打ち所が悪かったのだろう、己が死んだことにすら気づいていなさそうな顔をしている。鮮血でも溢れ出ていれば絵になっただろうが、一日が経過して血はすっかり茶色く乾いている。はてこういう時はどうしたら良いのだろうか、警察か? それとも一応救急も呼ぶべきか? などと思案していると、携帯電話が震えた。アザフチからだった。

「おう、どうだ。小粋な馬鹿は見つかったか?」

「あ、いえ」

 その答えが咄嗟に口を突いて出た。

「──見つからないですね」

 だって仕様がないじゃないか。私は小粋な馬鹿に「匿ってくれ」と頼まれた。私はウンと答えてスタバチケットを受け取った。だから私には小粋な馬鹿をアザフチから匿う義務がある。あるのだ。

「アザフチさんの方にも行ってないですか」

「こっちはサッパリだな」

「そうですか。どこ行っちゃったんでしょうねぇ、小粋先生」

 我ながら白々しい。

 まぁとにかく動きがあったら連絡するように、とだけ言い残して、アザフチは電話を切った。薄情なのか多忙なのか、或いはその両方なのか。どちらにせよ今は好都合だった。


 アザフチがこの家を探しに来るのは時間の問題だと思われた。私はアザフチが来る前に、小粋な馬鹿の死体を隠してしまわなければならない。なぜなら私は小粋な馬鹿を、アザフチから匿うと約束してしまったから。

 庭に埋めるか? 山に捨てるか?

 どちらも現実的ではないように思えた。庭からはいずれ異臭が漏れるだろうし、山へ行こうにも車がない。あれこれ思案していると、ふと一つのフレーズを思い出した。

「ボディを透明にしちまえばいいんだ」

 アザフチの好きな映画の一節だった。どこを取っても人道的なシーンがなく、終始胸糞の悪い連続殺人犯の映画。その主犯が死体を隠蔽する時の台詞がそれだ。小粋な馬鹿と鑑賞会をしたことがあるが、本当に酷い映画だった。冒頭からエンドロールまで胸糞の悪くない場面がない。何よりグロい。こんなのが好きだなんてアザフチさんは本トに人の心がないんじゃないかしら、と思ったのは記憶に新しい。

 あの映画によれば、死体は分解して肉を川に流し、骨は灰になるまで燃やせば完全に隠蔽──否、「ボディを透明に」できるらしい。映画では包丁で丁寧に解体をしていたが、そんなにチンタラやっていてはアザフチに見つかってしまうので、物置にあったチェーンソーで適当に切り分けることにした。

 チェーンソーは重く、案外扱いが難しい。あまり長くかかっても騒音でご近所迷惑だ。手早く済ませようと、私は小粋な馬鹿の柔肌を容赦なく切りつけていった。白い肌の隙間からまだ赤い血が少しずつ湧き出して、最後には庭中が真っ赤に染まった。大事に育てた青い芝生が台無しである。芝生の育成は大変なのだ。隣の家と見比べると、赤と緑のコントラストが凄い。クリスマスかってくらい凄い。これが本当の「隣の芝生は青い」ってコトか……などと考え、一応ホースで水を撒いた。あまりマシにはならなかったし、アザフチが来る前に草刈り機で刈ってしまおうと思った。


 チェーンソーを持ったとき、いの一番に小粋な馬鹿の頭を切った。頭は分解しない。まだ死化粧をしていないので、透明になられては困るのだ。あとでジルスチュアートの新作アイシャドウを塗ろうと思って、私は小粋な馬鹿の首を三面鏡の前に置いておいた。乾き切らない血が化粧台の猫足を伝って垂れた。

 次に肉と骨を分離させたが、手近なところに肉を流す川がないのには困った。でも要は魚の餌になればいいのだろう。よく水洗いして、飼っているメダカの水槽に沈めておく。似たようなことだしたぶん大丈夫なはずだ。余った分は冷凍庫に入れておく。これで向こう一年はメダカの餌に困らない。

 骨はドラム缶に入れて、醤油をかけて燃やすらしい。しかしこのご時世、こんな市街地で物を燃やすわけにはいかない。ドラム缶なんて持っていないし。ふむ、と私は少し思案して、骨を火種にBBQをやることにした。BBQなら怪しさは軽減されるはずだ。

「物置にBBQセットあったよな……」

「こんな白昼堂々と人骨BBQをやる奴があるか」

「ウワッ!」

 驚いて振り返ると、紙袋片手に仁王立ちするアザフチの姿があった。思ったよりも早いお出ましだ。

「どうしてここが」

「どうしても何も、最初からここにいるって話だったしな……」

 それもそうだ。

 アザフチさんは相変わらず銀色の髪をセンターで分けており、ジャラジャラと悪趣味なピアスをしてよく分からない柄のシャツを着ていた。手首には骨が浮いており、整った顔には血色がない。この人はたぶんブルベ冬だ。

 女を殴ってそうな男はなぜ塩顔なのか、なんてことを考えていると、アザフチが「オイ」と声を発し、紙袋を持ち上げた。

「早く火着けろよ。肉が腐るだろ」


 燃え盛る人骨を眺めながら、私は肉の奉行をし、アザフチは未着火の骨に醤油をドバドバと注いでいた。紙袋の中身は松阪牛と醤油と焼肉のタレだった。「このタレはスタミナ源たれっつって、青森県民のソウルフードなんだ」とか何とか言っていたが、別にアザフチも小粋な馬鹿も私も青森県出身ではない。カルディに売っていて物珍しかったから買ったらしい。

「どうしてBBQしてるって分かったんですか。あとその肉どうしたんですか」

「何となく。肉はコヨリさんに貰った。オマエこそなんでこんなことしたんだ」

「だって、小粋先生に『アザフチさんから匿って』って頼まれてたから」

「……あっそ」

 答えて、アザフチは私の焼いた肉を勝手に取って食った。それは私が食べようと思って大事に育ててた肉なのに。許せない。

「確認するけど、オマエが殺したわけじゃないんだよな?」

「当たり前でしょ。小粋先生とは一緒に『冷たい熱帯魚』鑑賞会をした仲ですよ」

「フーン」

 聞いた割には興味がなさそうな返事をするアザフチ。

「そういうアザフチさんは、何しに来たんですか。最初から肉とタレ持って、まるで小粋先生が死んでるって分かってたみたいじゃないですか」

「そりゃ、住宅街でチェーンソー振り回して庭を真っ赤にしてる奴がいたら察するだろ」

 思ったよりも早い段階でバレていたらしい。スタバチケットは返した方が良さそうだ。

 私とアザフチは、しばらく無言で肉を焼いたり、食べたりした。暮れかけの住宅街に人骨の燃えるパチパチという音だけが響いて、夏休みの終わりみたいな寂寥感が宙ぶらりんに漂った。このまま線香花火でもやれば絵日記が書けそうだ。

「でもさぁ」

 藪から棒にアザフチが言った。

「小粋な馬鹿に透明は似合わないだろ。透明ってほど慎ましい奴でもないし」

「じゃ、何色だと思うんです」

 尋ねると、

「赤」

 と、迷いなくそう返ってくる。

「つーか、この『君と夏の終わり 将来終わり 全部終わり 死』みたいな雰囲気、何? 俺の知ってる小粋な馬鹿はこんな慎ましやかに死ぬ奴じゃないんだけど」

「『全部終わり 死』のところは合ってるんじゃないですか。実際死んでますし」

「うるせぇー!」

 言って、アザフチは消火用のバケツをひっくり返した。ジュウといい音がして火が消える。焦げの匂いが鼻に残る。

「何するんですか! 冷蔵庫にある野菜セット焼こうと思ってたのに!」

「人の担当作家の死体で健康的になるな!」

「もしかして怒ってるんですか?」

「怒ってるに決まってるだろ! 勝手に失踪されて、見つけたと思ったらBBQの炭になってたんだから! まだ原稿受け取ってねぇんだぞ!」

 私に言っているのか、小粋な馬鹿に言っているのか、アザフチはガミガミと怒鳴っている。きっと生前の小粋な馬鹿とはこんなかんじだったのだろう、と私は想像する。

「オマエは小粋な馬鹿に頼まれてそうしたのかもしれないけど、俺にも人の心があるもんで、死に顔くらい見たかったと思ったりもするんだよ」

「顔なら取ってますよ。化粧台の上に……アッ、今はスッピンなのでダメです。小粋先生に怒られます。後でお化粧しときますから、その後存分にご覧になってください」

「あぁ、そう……」

 げんなりしたようにアザフチは返事する。

 アザフチが黙ってしまったので、私はぼんやりと庭を眺めた。真っ赤になった芝生の上で、怪しげな風貌の男女が昼間から異臭のするBBQをしているその様を、もう一人の自分が上空から見下ろしているような気になった。ご近所さんが細く窓を開けてチラチラとこちらを窺っている。暮れの涼風に乗って、遠くサイレンの音が聞こえる。徐々に野次馬が集まり始めている。程なくして怒号のようなものすら響き出す。アザフチはBBQセットにいつの間にやらまた火を着けて、悠々と野菜を焼いている。銀髪が傾いた陽に透けて綺麗だ。あぁ、小粋先生のお化粧をしなきゃ。私は思い立って、腰を上げる。

 この庭だけが透明であるかのように、ただ暮れ方の静かな時が流れていた。

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