不在票/しがない

  小粋な馬鹿が届いた。着払いで。

 意味が分からないだろう。僕も分からない。ただ、それが事実だった。順を追って説明しよう。

 ある日。いつも通り執筆に手がつかずくあ、と欠伸をしながら人生を浪費しているだけのくだらないある日。呼び鈴が鳴った。

 僕はわくわくしながら軽い足取りで印鑑を持ってドアを開けた。数日前に注文した業務用のハーゲンダッツ(ストロベリー味)が届いたのかと思ったのだ。

 しかし、扉を開けた途端その期待感は一気に不信感へと流転する。荷物の数が、明らかに多いのだ。

 大小様々な段ボールは計六つ。仮にそのうちのひとつがハーゲンダッツだったとしても残りの五つは紛れもない不審物である。

「あの、しがないさんですよね」

「そうですが」

「六つお届け物です」

「……はあ」

 しがない、という名前での届け物となるとどこかと間違えて配達しているという線はまずないだろう。そんな奇特な名前をつけている人間が僕以外にもこの近くにいようものなら今すぐにでも舌を入れるような熱いヴェーゼをかまして婚姻届けに印を押しているところだ。冗句。

 しかし、六つともしがない名義での届け物となるとお目当てのハーゲンダッツは結局この中にないということになる。多分、この配達員を殴ってもギリギリ許されるくらいのがっかり感。

「それで、着払いになってるんですけど」

「全部ですか?」

「全部ですね」

「……幾らです?」

 嫌な予感というのは往々にして当たるもので、配達員から告げられた代金は業務用ハーゲンダッツ(二三九〇円)が超贅沢品である貧乏作家にとっては中々に手痛い出費だった。思わず、配達員の影が見えなくなると舌打ちをしてしまうくらいには最悪な出費である。

 恐らく、心当たりがないだのなんだのごねればお引き取りいただくことも可能だったのだろうけれど、面倒というのと、何より小説のネタになれば良いという好奇心によって僕は決して安くない、というかむしろ高い着払い料金を払いそれらのものを引き取った。

 重い、とまでは言わないけれど決して軽いとも言えないそれらをひとまずリビングに移動してから段ボールを鋏で開ける。カッターナイフを買うのが億劫で、こうして物を切る時などは鋏を開いて使うのが僕の常だったのだ。

 まずは一番小さな箱(一辺が五十センチほどの立方体)のガムテープの封を鋏でつー、と解き、住所の書かれた紙を段ボールから剥がし、書かれた情報が微塵も見えなくなるほどに破いてからゴミ箱に捨て、ようやく中身と顔合わせをすることになる。

 それは、クーラーボックスだった。種も仕掛けも恐らくない、何の変哲もないクーラーボックス。

 他の五つを調べてみても出てくるのは全く同じシロモノ。メーカーまで揃えられているとなると、バラバラに送られたのではなく、やはり誰か一人が意図して僕に送ったのだろう。

 重さからするに、明らかにどれも何かが中に入っている。まさか、ハーゲンダッツが六倍になって僕の下に訪れた、というのは流石に考えられないか。

 正直、開きたくなかった。パンドラの時代から箱なんて開けて良いことがあった試しはないのだ。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。知ることは死ぬことだとニート探偵に教わった僕だ。途方もないほどに大きい開けるデメリットを理解している。

 けれど、ここまできて開けないということは僕には出来なかった。それは恰好つけて言うのであれば小説家としての抑えられない好奇心と言えるけれど、正直なことを言うのであれば着払いの金額を払った以上タダで引き下がるわけにはいかないというせせこましい意地であった。これだから僕はギャンブルをしないようにしている。

 どれから開けようかと悩み、一番小さい箱を選ぶ。なんとなく選んだつもりだったけれど、多分小さい頃に読んだ舌切り雀が頭をよぎったんだと思う。舌を切る、なんて結構えげつないことをしているせいであの童話は悪い意味で僕の記憶の中にしっかりと居座り続けている。

 取り敢えず、出来れば良い物がいいなあ、と思いつつクーラーボックスを開ける。

 小粋な馬鹿が居た。

 もっと正確で具体的に言うのであれば、小粋な馬鹿の頭部が収められていた。

「お、おお……」とよく分からない声を出してそっと閉じる。そしてもう一回開ける。再度ご対面。どうやら幻覚ではないらしい。

 人間の頭部が独立して目の前にあるという中々にグロテスクな状況にも関わらず、不思議と不快感の類を覚えることはなかったし、むしろ美しいと思った、というのが正直な感想だった。

 それはきっと、目が閉じられているからだろうと僕は思う。目というものは良くない。見れば見るほどに不気味さを覚える二つの虚ろ。それらが永遠に開くことのないという安心感が、この頭部を美しいとさえ思わせているんだろう。

 頬に触れてみるとひんやりとして少し硬かった。多分、腐食を遅らせるために冷やされているからなんだろう。既に目の前のそれが人間ではなくなっているということを改めて実感することが出来る。

 ここまでくれば嫌な予感、なんていう現実逃避では済まされない。これから先のロクデモナイ展開というのは作家じゃなくとも多分大体想像がつく。

 僕は大きなため息をひとつ吐いてから残りのクーラーボックスに取り掛かる。

 右腕。次。

 左腕。次。

 右脚。次。

 左脚。次。

 胴体。終わり。

 送り主は小粋な馬鹿を組み立て式の家具か何かと勘違いしているのだろうか? だとしたら毎月キッチリ分けて送ってきてほしいものだ。どこぞのディアゴスティーニじゃないんだから創刊号と言って奮発をする必要はないだろう。

 そう言えば、小粋な馬鹿とは誰かという説明をしていなかった気がする。

 小粋な馬鹿は僕の作家仲間で――、まあそれ以上は特に説明をする必要もない気がする。小説家なんていうのは所詮ただの人間に過ぎないわけで、彼女のプライヴァシーも考えれば語るのはナンセンスだ。それでも知りたいというのであれば、彼女の作品を読めばいい。僕に語らせるよりもずっと賢明な判断であり、克明に小粋な馬鹿のことを知れるだろうと思う。

 閑話休題。

 僕らは作家仲間だった。ただ、逆に言ってしまえばそれまでで、比翼の鳥でも連理の枝でもニコイチでもツーカーでもなかった。つまるところ、死体を送られるほどの関係ではなかった(そもそもそれがどんな関係か、という話ではあるが)。

 それこそ、彼女にはアザフチ? とかいう信頼のおける編集者が居たわけで、死体を送るのであれば彼の方がずっと適任であるかのように思える。いや、そもそもアザフチが僕にこれを送った可能性もあるのか。ここに届けられた以上誰か送り主はいるんだろうから。

 まあ、何を言おうがなんだろうが事実はなんら変わりがない。小粋な馬鹿は死んで六つに分けられてるし、その骸は美しいままで僕のところに到着した。

 だから考えるべきはこれからのことである。と、前向きな人間っぽく言ってみたものの、その実情はこれ以上考えると面倒なことになりそうだというものぐさの保身に過ぎなかった。どうして死んだのかとか、誰が送ったのかとか、仮にこの世界が小説の中だったとしても、そういうのは僕の考えるべき領分じゃない。

 死体は葬るべきである。一般常識。

 僕は死体愛好家(ネクロフィリア)でもなければエド・ゲインでもない。SDGsがどうのこうのとか叫ばれている世界においては申し訳ないことなのだけれど、小粋な馬鹿の死体には小粋な馬鹿の死体である以上の価値はない。キリストでもない限り、人間なんて大体そんなものなのだけれど。

 ではどのように葬るべきだろうか。

 火葬は個人では難しいだろう。都合よく近所に焼却炉でもあれば良かったのだけれど、生憎そんなものはないわけで、人ひとり燃やすなんて大仰な作業をすればバレること間違いなしだ。

 水葬も難しい。というかしたくない。僕がやるとするならば骨粉を海に還す、なんて正規の手順ではなくて海への遺棄に近くなる。水を吸った人体の醜悪さは言わずもがなであり、死体が醜くなることに嫌悪感を覚える程度には僕の倫理観は機能をしていたし、小粋な馬鹿との仲は悪くなかった。

 鳥葬なんていうものもあるが――、日本の肥えた鳥が小粋な馬鹿の死体を好き好んで食べるとは思えないので却下。

 となるとまあ、消去法的に葬法は決まってくるわけで。出掛けるの面倒くさいなあ、とか思いながら僕はグーグルマップで小粋な馬鹿を埋められそうな場所を探し始めることにした。


     *****


 適当な場所に埋めるのは憚られた。そこら辺の裏山に埋めて終わり、なんていうのはどうもしっくりこない。何事にもドラマティックな絵面を求めてしまうのは創作家としての拘りなんだろうか。

 そういうわけで僕は六つのクーラーボックスを後部座席に入れて隣県までレンタカーを走らせている。死体を運搬した車なんておどろおどろしい曰くがつきそうだなあ、と他人事に考える。まあ、所詮ただの蛋白質の塊なのだ。許して欲しい。

 向かっている先は小山。大したものがあるわけでもなく、登り甲斐があるわけでもないのでひと気はないはずの場所。そして、椿の咲く場所。

 彼女の作品のひとつに椿の話がある。だから、椿の下に葬ってやろうという安直な理由。でも僕に出来る弔いはこんなものが精一杯なのでこれで許して欲しい。

 閑散とした小山の周りにはコンビニも月極駐車場もありはしないので仕方なく邪魔にならないであろう場所を探して車を止めさせてもらう。レンタカーなので見咎められないことを願うばかりだ。

 車を出て台車を出し、六つのクーラーボックスとスコップを乗せて山の奥へと踏み入ることにする。死体なんていうものは見つからないほうが都合がいいわけで、出来る限り奥で埋めるほうが望ましい。

 椿が咲いているとはいえ、見渡す限りの紅というほど絢爛ではなく、どちらかというと枯れ木が多い。どうやらこの山に生えている樹の多くは落葉樹らしい。くすんだ色の多い山は閑散としていながらも、ところどころに咲く椿の紅は寂しさを感じさせるには些か強かだった。

 人ひとり運ぶとなると、いくら台車とはいえ楽ではない。ましてや整備されていない山の中だ。歩き始めて五分もするとどうして僕は小粋な馬鹿のためにここまでしているんだろうと思い始める。今更のことだけれど、見つかれば捕まるだろうし、なんでこんなことをしているんだよと過去の自分を詰ってみる。

 まあでも、僕は小粋な馬鹿の小説が好きだ。彼女の描く世界が、キャラクターが、文章が、憧憬と嫉妬をないまぜにするように堪らなく好きなのだ。多分、理由なんてそんなもので、それで十分なんだと思う。大義なんて大層なモノ、背負えば潰されてしまうんだろうから。

 地獄の小粋さんは僕を見ていたりするのだろうか。見ているとするならば、願わくば、今の告解は聞かなかったフリをしていただきたいものである。

 閑話休題。

 どれくらい歩いたかは分からないけれど、恐らく短くない時間歩いたところで、足を止める。なだらかに平坦な地面。立派とまではいかないけれどほどほどの大きさの椿の樹。冬にも関わらずじとりと背中が汗ばんできたところで、僕はようやく小粋な馬鹿を埋めるにはなかなかに良い場所を見つけた。

 台車を止めて、スコップを持つ。思えば、人生において穴を掘るなんてなんだかんだいって初めての経験かもしれなかった。仮にあったとしても、人ひとり埋まるほどの穴を掘るのは間違いなく初めてだけれど。

 地面にスコップを思い切り刺す。しかし結果は数センチ入れ込まれただけで、自然の偉大さを知る。

 そして、身体が完全に埋まるだけの広さと深さを掘らなければいけないわけで。

「……これは、先が長いぞう」

 思わずぼやくように呟いてから、僕は地面と向き合い直す。墓掘りを再開する。

 この手の作業は無心で続けた方が良い。何も考えずにただ機械のように、時計の針のように、飽きもせずに同じ動きを続けるのが良い。けれど、無心になることを拒むようにどうでも良いような思考が頭がよぎる。

 例えば、どこかの刑罰で穴を掘って、その穴を再び埋めさせて、また掘らせるというものがあったなあ、とか。

 例えば、椿って何か花に意味があったっけ。出来れば足下に埋めるのだから不吉な意味でないと良いのだけれど、とか。

 例えば、折角死体を埋めたんだから次の小説では死体を埋めに行く話でも書くか。いや、元から僕が書いてるのなんてそんなものばっかだな、とか。

 例えば、今のこの状況が誰かに見つかりお縄にかけられたとしたらどうなるんだろうか。警察官の父親は悲しむんだろうか、悲しむというよりも厄介と思うんだろうか、とか。

 例えば、結局アザフチってなんだったんだろう、とか。

 益体のない思考をゆっくりとした速度でアンダーカレントに垂れ流して穴を掘り続ける。小粋な馬鹿を投棄する虚(うろ)を世界に空け続ける。

 おこるな、しゃべるな、むさぼるな、ゆっくりあるけ、しっかりあるけ。

 誰の言葉だったか、そんな言葉を思い出す。

 至言だな、と思う。これほど単純作業に似合った言葉がこの世の中にあるのだろうかと思う。多分、発言者の意図は全然違うんだけど。

 大体、良いだろうというほどの広さと深さの穴が空いた頃にはもう随分と時間が経っていて、身体の節々が痛くなり始めていた。小説家に肉体労働をさせるなクソが。

 虚を覗く。深淵さんも僕の方を見ていたりするのだろうかと思いつつ、クーラーボックスの方に振り返る。

 流石にクーラーボックスも一緒に投棄っていうのは駄目な気がすると僕の気高き自然愛護の精神が唸っている。的な。そういうことにしておこう。本音は絵面の犯罪臭が強かったからやめたという事情だったり。いや、結局犯罪なんだけど、雰囲気って大事よ。

 クーラーボックスから頭部を取り出し、それから胴体、右腕、左腕、右脚、左脚と置いていく。「エクゾディア」と小さく呟いてしまったのは内緒。

 小粋な馬鹿がかんせいした!

 ……ディアゴスティーニという表現はあながち間違いじゃなかったのかもしれなかった。小粋な馬鹿一分の一死体。お値段は送料分のみ。それでもお得には思えない不思議。

 今更ながらの話だけれど、小粋な馬鹿の各部位は服を着ている。女性の裸体を見たことがない僕が描写をしやすくするためだろう。随分と親切な送り主様だった。

 さて、いざ並べてみると、案外違和感がない。部位と部位の間に存在する空白を無視すれば、眠っているようという小説家にあるまじき凡庸な表現が悲しきかな適していた。

 それでも、死体というのは面白いもので、幾ら眠っているようでも『よう』の範囲は出ない。どうしてか、既に死んでいるということが分かるものだ。

 改めて言おう。小粋な馬鹿は死んでいる。

 後は、スコップを使って掘り返した土を戻すだけだ。なのに、僕は今までにないほどの罪悪感を覚える。死体を通報せずに所持していることよりも、遺棄することよりも、胸やけしそうな罪悪感がトーストに塗りたくったジャムのようにべったりと心につく。

 埋めてしまえば死体は不可逆に陥る。小粋な馬鹿の死体は僕以外の誰にも知られないかたちで消えていく。概念や記憶は別として、物質的な小粋な馬鹿は今度こそ死ぬ。この美しい死体をどうしようもなく穢してしまう。

 僕は土の上に広がる白い肌を見下ろす。自分の親しい人が死んだということも、あれだけ尊敬していた作家が目の前の肉塊に変わり果てたことも、今一つ実感が湧かないままで。

 罪悪感を抱えながら僕はぼんやりと土を穴に落とした。小粋な馬鹿の脚に土が触れた。

 何を決めていたわけでもないけれど、脚から段々と上にいくようなかたちで土を被せていく。布団をかけるように、土の衣を着せていく。

     脚を覆い、

    手を隠し、

   腰に纏い、

  胸に被り、

 肩にかかる。

 そうして、ぽっかりと、棺に入れられたように、顔だけが見えるかたちになる。

 眠るように目を瞑った小粋な馬鹿の顔。改めて見ると、何度も会ったことがあるはずなのになんだか初めて見たような新鮮な感じがした。あれ、小粋な馬鹿ってこんな顔をしていたっけか。実は今まで気づいていなかっただけで小粋な馬鹿の死体じゃなかった、なんて三流ミステリじみた叙述トリックは勘弁してくれよ。

 とはいえ、今更試す術もない。多分、小粋な馬鹿で間違いはないんだし、間違いじゃなければいいなあ、なんてことを思いながら僕は、最後の土をスコップに乗せて、それを、穴に落とす。

 小粋な馬鹿が死んだ。

 小粋な馬鹿を殺した。

 レトリック的に言うなればそんな感じ。

 ただ、現実的に言うなれば、僕はただ単に死体を埋め終えただけの犯罪者だった。それ以上でも以下でもなく、ただそれだけ。

「椿の樹の下には屍体が埋まってゐる!」

 威勢よく梶井基次郎ごっこをしてみる。このせいで埋めたはずの死体が檸檬よろしく爆破してしまえばいいのにと少しだけ思った。結局爆破はしなかった。

 手元に残るはスコップと空のクーラーボックスと台車と疲労感。もう何度目か、どうしてこんなことをしているんだろうと素面に戻る。

「帰るか」

 当然のことを口にする。けれど、口にしないとやっていけそうにないくらいにともかく疲れていた。

 そうして僕は、何がなんだかわからないままで小粋な馬鹿を埋めたのだった。

     *****

 家に帰ると郵便ポストに不在票が入っていた。多分、ハーゲンダッツの。

 ため息を吐くのも面倒で、僕はそれを机のうえに適当に放り投げてソファに身体を沈めた。

「死ね、小粋な馬鹿」と呟く。

 そう言えば死んでいたのだったと思い出したのは、目が覚めてからのことだった。

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