陽炎1

 ――こんな時間に呼び出しだなんて。

 三人で楽しんでなどと告げて店を出てきたものの、あの楽しい空間から離れることは大変惜しい思いがした。見た目で取り繕っているよりもずっと自身は娯楽好きで、あの空間が好きで、愛しているのだ。

 だが、呼び出しをしてきた相手は無視できる人物ではなかった。

 この経済特区の急成長の裏には賄賂や談合といった、法律に触れる行為が横行していた。そういった犯罪者たちを取り締まる側の人間も例外ではない。警察内部も汚職にまみれ、しかしそんな環境下でも自身はそういった行為を拒絶し続け、清廉であり続けた。東雲祥貴は「いわゆる所轄の刑事だ」。そして自身が清廉であるがゆえに、その実績を買われることはなく、それ以上の昇進は見込めなかった。だが、上層部も東雲祥貴を無碍に扱うことはできなかった。

 僕はその地位を奪われないために、様々な汚職を監視していた。その告発のための種を仕込み、僕は――。

 副署長・片桐洋一の声で呼び出された場所は『ユートピア』のすぐ傍の路地裏だ。そこを指定されたことにより、ゲームに興じていたこちらの行動は監視されているということが理解させられた。自身の告発に関係のない三人を巻き込むわけにもいかず、慌てて店を出てきた。

 右大腿に装備している拳銃に手を掛けながら、すっかり暗闇に閉ざされたそこへ足を差し込む。

 今夜はこんなに生温い空気をしていただろうか。何故だか思考が散漫で、そんなことを考えながら歩を進めていく。

 僕の大体の予想通り、指定場所に片桐は立っていなかった。

 いかにも、とでも言いたげな半グレ風情のだらしない格好をした、体格としてはそこまで大きくもない――というよりも僕より大きな体をした人間を探す方が難しい――男がひとり、暗がりの中に立っている。 

 ――やはり刺客か……?

 銃器等での不用意な威嚇は法令違反だが、そうも言っていられない。いつもの手順通りにホルスターから拳銃を引き抜くと目の前に両手で構える。その動作には数秒も必要ない。それくらいに訓練を重ねてきた。

「手を挙げろ!」

 路地裏に自身の声が反響する。ひとつ通りを逸れると夜も眠らぬ街の喧騒など嘘のように、自分の声だけが響き渡る。

 こちらの「命令」にもかかわらず、男は微動だにしない。暗闇に目をよく慣らした後とはいえ、それでも男の詳細な様子を確認することは難しい。体勢からして大きな「獲物」を抱えているようには見えないが、どこから何が飛んでくるかまだ予測がつかない。

「……何者だ」

 相手の武器が確認できるまでこちらも動くことはできない。片桐に騙し討ちの形で呼び出されていたが、それでも未だ自分自身に正当な理由がない状態で銃を構えている。今の状況では、何か起これば逮捕されるのは僕だ。時間を稼いで相手を観察する以外にできることは、ない。

 ――何かないか。突出して異様な部分はないか。

 男を凝視するうちに自身の目が飛び出ていくのでは。それほどまでに僕は数メートル先に立ち尽くす男に集中していて、背後から迫る足音に気づくのが遅れた。

「――祥ちゃん! 大丈夫か!」

 背中から聞こえてきたのは意外な人物の声だった。鍛えて筋肉まみれの体躯のわりには軽快な足音が近づき、僕の隣に並ぶ。隣を見るまでもなく、その人物の正体はわかった。柔らかな西のイントネーションを持つ、僕が背中を預けられる男。思わぬ援軍に少しだけ安心感を覚えるものの、それでも疑問が先立つ。

「千葉くん、どうしてここへ……?」

 男から視線を外さないまま問いかける。千葉恵吾も僕と同じように銃を取り出すと、男に向かって構える。

「どうしてって、祥ちゃんの様子がどう考えても……」

 彼は何か言葉を続けようとしたがそうもいかなくなった。

 閃光と爆発音と爆風が同時に巻き起こり、地面が揺れた。発生地点は僕の立っている場所ではない。『ユートピア』だ。

 まだ店にはマスターや有奇くん、綿奈部くんを始めとした客が何人も残されているはずだ。彼らの安否確認へすぐさま行きたかった。しかし、目の前の男はそれを許してはくれなかった。

 爆発に気を取られている一瞬の間に男は懐から銃を取り出し、そして一発、二発、三発。容赦なく弾丸が放たれる。爆発音に耳を潰されて発砲音はもはや聞こえなかったが、銃口が何度も発光するのを確認できた。もしこの銃弾が、己を狙っていたのなら一発くらいは命中していたかもしれない。

 だが、その銃弾は東雲祥貴に向かって放たれたのではなく、隣に立っている千葉恵吾に向けられたものだった。

 幸いというべきだろう。千葉恵吾はこういった荒事には慣れており、いつの間にかナノマシンデバイスを発動させて、銃弾を「避ける」ことに成功していた。彼のナノマシンデバイスが身体能力強化というシンプルな機能に振り切れているからこそ為し得ることのできる離れ業だった。

 男の銃口が完全に千葉恵吾を狙っている今、反撃に打って出る。だが、相手はそれを予見していたかのようにふらふらと体をわざとよろめかせながら、こちらの狙いを逸らし、暗闇の中へ姿を消していった。

「クソッ……!」

 爆発音で誰も聞こえていないだろううちに、悪態を吐く。

 男を追いかけて、問い詰めてやりたいことは沢山あった。しかしそれは相手の狙いが東雲祥貴ひとりであるなら、という条件下でのみ可能だ。

 ――なぜ、アイツは千葉くんを狙った……?

 刺客の目の前にターゲットをみすみす差し出すわけにもいかず、ひとりにするのはもってのほか。千葉恵吾と共に相手を追い詰めることも可能ではあるが、追いかけたところで何が飛び出してくるか、それこそ予想もつかない。そして彼自身も延々と弾避けをし続けることはできない。

 相手を追いかけようと走り出しそうになっている千葉くんの腕を引き、ハンドサインで「撤退」を伝える。

 整った彫りの深い顔立ちは悔しそうに暗闇を一瞥すると、ややあってこちらの意見に賛同を示す。


 行動を起こすにしても現状の把握が重要だ。だが、店に戻るわけにもいかない。

 これだけの爆破騒動であれば既に「警察」が出動しているはずだ。

 副所長に欺かれた僕と、副所長が仕向けただろう刺客に狙われている男。そんなふたりが『ユートピア』に戻ることは、まさしく飛んで火に入る夏の虫とでも言えるだろう。

 それは千葉くんも承知しているようで、しかし後ろ髪引かれる思いは同じだった。それでも僕たちは路地裏を辿って愛車を停めている駐車場を目指した。

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