第2話「夢でもいいや」
***
17歳の冬、彼は交通事故で私のことだけ忘れてしまった。
お医者さんが言うには、強く考えていたことが飛んでしまうことはあるらしく、すぐに思い出すだろうと楽観視していた。
事故とはいっても幸い軽傷で、一ヶ月ほど様子見で入院することになった。
お見舞いに行き、彼が苛立ちを隠す気もないむき出しの嫌悪で手をなぎ払った。
抱えていた花束が落ちたので拾おうとした時、彼は「出ていけ!」と乱暴に叫んで困惑に震えていた。
事故のショックだろうとその日は帰ったが、それから何度顔を合わせようとも彼が私を受け入れることはなかった。
恋人だと語れば「キモチワルイ」、心配だと訴えれば「近づくな」、辛いと口にすれば「腹立つから消えろ」と、それはもう愛情の欠片も残らない現実を突きつけられた。
18歳を前に二人で引くはずだったおみくじ。
一人で神社に行き、ずいぶんと遅れての新年のご挨拶をしてからおみくじを引いた。
【待ち人来ず 音信(おとずれ)あり】
「音信ありって……未練タラタラじゃん」
その場にしゃがみこみ、おみくじは濡れてしわくちゃになった。
唇を噛んで、嗚咽をあげて、喉は焼けて死んでしまいそうだ。
大好きな待ち人はもういないのに、忘れた頃に連絡があるとは神様もイタズラがすぎる。
いつまでも私を離さない、忘れられない初めての人だった。
***
「なんでいるのー? 東京に行ったんじゃなかった?」
「気がはぇーよ。来年の話じゃん」
望くんは東京の大学に進学することが決まっており、私も追いかけて受験勉強に励んでいた。
高校に入学して、同じクラスになって、ある日突然告白されて付き合うようになった。
最初は手を繋ぐことも出来ず、指先だけ触れさせて真っ赤になりながら河川敷の横を歩いた。
ファミリーレストランではわざと並んで座って、店員さんにおかしな目で見られたことも懐かしい。
くっつきあうのも照れ笑いするくらいに好きだったが、時々ケンカして猛ダッシュで逃げる。
陸上部の望くんにスピードで敵うはずもなく、あっさり捕まっては謝られて私もごめんと言って仲直りをした。
一度だけ本気で逃げていたら、手首を捕まれてその勢いでファーストキスを奪われたことも懐かしい。
私のはじめてを全て奪ったくせに、事故を機に突き放して私の存在を全力で否定した。
胸にぽっかり空いた穴は塞がらず、さめざめとした世界に泣き叫んで、やけくそに志望校を変更し、難なく合格して地元に残った。
何事もなかったかのように望くんだけがいなくなって、そのまま私たちは知らぬところで大人になった。
「なに言ってんの。何年前の話してるの?」
「今の話だけど。来年入ったらすぐ受験だろー? 絶対合格してくれよ? 一人で東京行くとかマジ怖ぇもん」
もうサヨナラしたのは何年も前の話で、私は大学を卒業しており大人として世の中に出ている。
それは彼も同じはずなのに、大人の見た目のくせに中身は『事故にあう前』となんら変わりなかった。
恋に溺れていたあの頃の私と、大人として冷静な私が入り交じり、アイコンタクトも取れないでいると、彼はムッと唇を丸めて立ち上がる。
手首を掴まれると、ファーストキスの時と同じ意地をはった重なり方をした。
「初詣。年越しはいっしょだって約束しただろ。……ほら、行くぞ」
ぶっきらぼうに手を差し出して、今度は私から掴めと言わんばかりにふてくされている。
このアーモンドアイの瞳には高校生の私が映っている。
強烈に私を否定する目もなくて、かわりに燃えるような恋をともす高校生で大人の彼。
(夢でもいいや……)
今は夢に溺れたい。
年を越して、一番に見る笑顔が彼だった。
私に最初に「おめでとう」と言って、無邪気に歯を見せてはにかむ姿が好きだった。
ケンカしても許せてしまったのは、彼をかわいいと思うほどに、嫌なところも愛情に変わるくらいに想っていたから。
だから私を全否定する嫌悪のまなざしに耐えられなかった。
愛してる人におぞましいと突き飛ばされてでも、何度も愛を乞うほど私は強くなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます