毒チョコを渡してくるおれの後輩が可愛い。
絹鍵杖
あーもーヒロインかわいいなーもー。
身近に感じられる年に一度のイベントと言われたなら、何が思い浮かぶだろうか。
メジャーなもので言えば七夕、ハロウィン、クリスマス……。
(年越し蕎麦、初詣、お年玉……はもらったことないな)
……考えてみれば、思い浮かぶものはあっても身に染みるものが何一つなかった。
言うまでもなく灰色の人生。その寂しさと肌寒さが残る、2月中旬の朝。
しかしこの日、彼の運命は、ついに転換点を迎えた。
自分でも信じられなかったこと。あり得ないと最初に断じた、可能性としては空想の域にある奇蹟よりも遥か遠くの――もはや、異常。
数えきれないほど妄想はしてきた。でも、それはあくまで自分には関係のないイベントだから妄想できたこと。こんなの、いざ目の前にしてしまったら、どんな言葉も頭の中から逃げていく。
「先輩っ! 先輩のことを考えながら作ったんだ! ……う、受け取ってください!」
春だ。現実との違いを認識した時から少年の心を空気の中に閉じこめていた氷河期が、やっと終わる。
「えっ、……はいっ? ほんとにチョコレート――」
敗色の青春を過ごしてきた少年に、ついに春が訪れ――
「アバタシオン系の毒体を7mg配合した!これで確実に先輩はあの世へ行けると思う……!」
……気のせい、だったかもしれない。
「……うん」
元気よく、元気な声で手渡された超毒殺物。
後輩少女からもたらされる奇蹟と共に始まった少年の青春活動は、早くも終わりが見えてきた。
「…………」
(……なぜ、おれは転校してきたばかりの後輩女子に毒殺されようとしているのか。しかも、この晴れやかなバレンタインデーに限って)
ぴし、と踵を揃えて微動だにしないまま差し出される魔の箱。長い空白の時間を終えた少年は、プレゼントであるチョコレートを食べるべきなのかを考えながら、ひとまずは受け取ることに。
「その、ばれんたいん?という風習は初めてで、よくわからなかった」
「うん」
ぽしょり、と後輩の少女が口を開く。それからしずしずと少年の顔を見上げ、彼が自分をを見つめていることに気づくと「ぴゃ、」と小さく驚きつつも、話の続きを待つ少年に促されて、再びゆっくりと口を開いた。
「……一言で風習といっても、地域によって作法に違いがある。それならできるだけ先輩に身近なばれんたいんにしようと思って、普段から先輩と仲がいい先輩のクラスメイトの方々に聞いてみたんだ。……そうしたら、好きな人に本気で渡すチョコ、つまり本命とその代用として義理チョコというのがあるということを聞いた」
「うん……うん?」
「ただ、太古の昔から想いびとに渡す本命のチョコには毒を入れて渡さなければならないとも言っていたんだ。……本命の相手には『己の覚悟』を示すために毒を贈らなければならないが、時代が変化し、好きな人、愛しい人を殺したくないという思いが強くなった結果、あくまで本命ではない「義理チョコ」を生んだものの、義理を送ってしまった相手とは永遠に結ばれることはなくなる、と……」
「…………」
「私の想いは本気だから、先輩とは是非結ばれたい」
(……おれの後輩、可愛すぎる……)
「だから本命を渡したいと思ったんだが、それでは先輩を殺してしまう。半端な効果の毒では渡す意味が無いことも知っている。……だから、せめて苦しまずに逝けるように、と……」
(……とりあえず)
純真無垢な後輩に嘘毒妄悪を吹き込んだ輩はあとで「めっ!」しておく必要があるとか、色々考えていた。
毒チョコを渡してくるおれの後輩が可愛い。 絹鍵杖 @kinukagitue
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