第14話 お仕置き

 リビングから望む広い空が夕暮れ色を帯びはじめた頃。


「ただいまー」


 ようやく獅子戸くんが学校から帰ってきた。


「お、おかえりなさい」


 私はあせあせと玄関で彼を出迎え、彼が持っていた鞄を受け取った。


 ……って、これじゃまるで新婚さんみたいじゃないっ!


 なんて、そんな妄想が浮かんでしまうと、たちまち全身がカアァッと熱くなってきた。


「ふふっ、いい子にしてたかい? って、あれ? 君、まだ顔が赤いよ。もしかして、熱が下がっていないんじゃない?」

「い、いえっ。お気になさらず……っ」


 私のバカっ。

 獅子戸くんに心配かけちゃったじゃない。


「それにしても、今日の学校はつまらなかったな。だって、君がいないんだもの。まったく張り合いがなくて、授業中もずっと君のことを考えていたよ。どうしてくれるの?」


 そ、そんなこと言われても……っ。

 私が黙ったまま顔を赤くしてうろたえていると、


「ねえ、こっちに来て」


 獅子戸くんにいきなり手首をつかまれ、あれよあれよという間に彼の部屋の中へと連れこまれてしまった。


 彼のベッドの上に座らされる私。

 そして、当然のような顔をして私の隣に腰を下ろす獅子戸くん。


 あうぅ……っ。

 初めて入った彼の部屋で、二人きり、至近距離で並んで座ったりして。

 獅子戸くんの美しい顔がすぐ近くにあって、まともになんて見られるはずがない。


「やっと二人きりになれたね。僕といっぱいお話ししよう」

「で、でも、私がしゃべりすぎると獅子戸くんが眠くなって……」

「だから、こうしてベッドに腰かけているんじゃない。ここならいつ眠くなっても安心だよね?」


 獅子戸くんがニッと得意げな笑みを浮かべる。

 あ、そうか。さすが獅子戸くん、頭いい!


 ……って、そうじゃない!

 こんな状況に置かれたら、ドキドキしすぎて私の心臓が持たないでしょっ。


「ほら、顔を上げて。僕と話をする時は、ちゃんと目を見るって約束でしょう?」


 またしても顎をクイッと上げられてしまう私。

 どうやら私には、目をそらすことも、うつむくことも許されていないみたい。


「昼間は一人でどうしていたの?」

「し、静かに本を読んでいました」

「ふうん、そうなんだ。僕のことは、いったいどのくらい考えてくれた?」


 たずねられて、答えにつまる。

 私だって、獅子戸くんがいない間、彼は今頃どうしているだろう? なんて考えなかったわけじゃない。


 けれども一方で。

 誠士郎さんから告げられた、「試しに俺と付き合ってみるか?」という、冗談とも本気とも取れるようなお誘いの言葉がぐるぐると私の頭の中をめぐっていて、ずっと翻弄され続けてもいたのだった。


「ねえ、教えて。どのくらい?」

「ごめんなさい……少しだけ」

「ちぇー。僕のこと、いっぱい考えていてほしかったのにな。ところで、誠士郎には何か言われた?」


 獅子戸くんにいきなり核心に踏みこまれ、ギクッ、と体がわずかに硬直する。


「い、いえっ。特に何も……」

「嘘。目が泳いでる」


 獅子戸くんが私の表情を間近でのぞき、きっぱりと言い切る。

 うぅ……っ。こんなに近くで見つめてくるの、反則っ!

 この至近距離で見つめられたら、どんな隠し事だって見透かされてしまうに決まっている。


「僕には本当のことを話してよ。いったい誠士郎に何を言われたの? ちゃんと言わないとお仕置きだよ」

「お仕置き……? いったい、どんな?」

「うーん、そうだなあ。例えばこんなのはどう?」


 獅子戸くんの目が怪しく光る。

 かと思うと、獅子戸くんはいきなり人差し指で私の背筋をツー、となぞってきた。


「ひゃんっ!」


 体がビクッと反応する。自分でも聞いたことないような声がもれた。


「ご、ごめん。ちょっとやり過ぎたかな? 君がそんなに可愛い反応するとは思っていなくて」

「い、いえ。おかまいなく。お仕置きですから……っ」

「そ、そうだよね。お仕置きならこれくらいされても仕方ないよね」


 二人で顔を見合わせ、気恥ずかしそうに苦笑しあう。

 お仕置き、やば……っ。

 ドキドキが止まらなくて、もう心臓が破裂しそう……っ。


「そんな反応、ほかの誰かに見せたこと、ある?」

「いえ、初めてです……」

「そういう反応、僕以外のほかの誰かに見せちゃダメだよ。僕だけが知っていればいいことだからね」


 獅子戸くんが強く念を押してくる。


「は、はい……っ」


 私は顔を真っ赤にして、素直に首を縦にふる。

 恥ずかしすぎて死にそう……っ。


「でも、誠士郎ばっかりずるい。僕だって今日一日、ずっと君のことを考えていたのに。それなのに二人は僕をのけ者にして、秘密の会話なんかしちゃってさ。嫉妬しちゃうな。ねえ、二人でいったいどんな話をしていたの? 僕にも分かるようにちゃんと説明して」


 獅子戸くんが探るような目をじっと私に向けてくる。


 けれども、どんなに求められても、こればかりは打ち明けられない。

 誠士郎さんに交際を迫られたことも。

 私がいったい誰が好きなのか、誠士郎さんにはすっかりお見通しだったことも。


「どうしても言えない?」

「ごめんなさい……」

「それなら、また君にお仕置きしちゃうよ。それでもいいの?」


 今日の獅子戸くんは意地悪だ。

 でも、今の私は何をされても文句は言えない。

 だって、彼は私のご主人様で、居候の身の私は、彼の下僕しもべに過ぎないのだから。


「はい……よろしくお願いします……」


 私は覚悟を決め、固く目をつむった。

 獅子戸くん、いったい私に何をする気なんだろう?


 そうして恐々と獅子戸くんからのお仕置きを待っていると。

 やがて、ぽんぽん、と軽く頭を叩かれた。


 優しく撫でるようなその仕草に驚き、思わず目を開いて獅子戸くんの表情をのぞき見る。


「し、獅子戸くん?」

「ごめんね。君の反応を見ていたら、なんだかイケナイことをしているような気分になってきちゃって……」


 獅子戸くんが頬を赤く染めて、うろたえる。


「…………っ」


 彼がどんな妄想を膨らませたのかは気になったけど、それこそ聞いてはいけない気がして、私も黙りこくってしまった。


 それから、彼は真剣な目で私に訴えかけてきた。


「ねえ。君に一つだけお願いしてもいい?」

「な、なんでしょう?」

「もし僕が理性を保てなくなって、君に襲いかかりそうになったら――僕のこと、遠慮なく眠らせてくれないかな。君のこと、傷つけたくないから」

「はあ……」


 獅子戸くんからの不思議なお願いを、私は素直に受け入れた。


 でも、はたして本当にそんな日が訪れることは、あるのだろうか?

 獅子戸くんが理性を手放して、私に襲いかかってくるなんて日が――。


「君がいけないんだよ。君が可愛すぎるから」


 獅子戸くんが私から目を背け、恥ずかしそうにぼそっとつぶやく。

 うぅ……そんな態度を見せられたら、こっちまで恥ずかしくなっちゃう……っ。


「ご、ごめんなさい……っ」


 私は妙なおわびを口にすると、もじもじと下を向いた。

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