第13話 試しに俺と付き合ってみるか
獅子戸くんが学校に行ってしまうと、リビングには私と誠士郎さんの二人が残された。
「それじゃ、俺もそろそろ帰るとしますかね」
食器を片付け終えた誠士郎さんが、一仕事終えたとばかりにうーん、と背伸びをする。
「え、行ってしまうんですか?」
「前にも言っただろう、この国には労働基準法ってのがあるってね。働き過ぎはよくないのさ。俺は坊ちゃんが学校に行っている間にゆっくり休ませてもらうよ」
誠士郎さんがフッと笑う。
まだあどけない少年の獅子戸くんとはちがう、大人の余裕を感じさせる微笑だ。
「……帰ってから、何をされるんですか?」
ふと興味を引かれ、たずねてみる。
誠士郎さんは冗談めかして答えてくれた。
「そうだな。特に決めてはいないが、たまには街にくり出して、一緒に遊んでくれそうな可愛い女の子でも探すかな」
「ああ……」
つられて私は苦笑した。
大人の魅力に溢れた誠士郎さんなら、ナンパも簡単に成功しそう。それがいいことなのかどうかは分からないけど。
「なんだ、不満か?」
「い、いえっ」
私は慌てて首を横にふる。
普段はずっと獅子戸くんに尽くしているんだもの。
誠士郎さんにだって、息抜きの時間くらい、必要だろう。
「それとも――」
誠士郎さんは、急に何を思ったのか、人差し指で私の顎のラインをひと撫ですると、丸い眼鏡の奥にある私の目を見つめて言った。
「お嬢ちゃんが一緒に遊んでくれるかい? この俺と」
……え?
「自覚がないのかもしれないが、お嬢ちゃんは自分で思っているよりも、ずっと可愛い女の子なんだぜ。磨けば将来きっと美人になるだろうし、自慢の彼女にだってなれるだろうさ。なんなら、試しに俺と付き合ってみるか? 俺ならお嬢ちゃんを今よりずっといい女にしてみせるよ」
思いがけない提案に、頭の中でボンッ! と花火が弾けた。
「ご、ごめんなさい……っ。私、そういうつもりは……っ」
「ハハハ。そうだよな。お嬢ちゃんには坊ちゃんがいるもんな」
顔を真っ赤にしてうろたえる私を見て、誠士郎さんが満足げに笑い飛ばす。
「~~~~っ!」
私は火照った顔を両手でおおってうなだれた。
うぅ……っ、私、誠士郎さんにもてあそばれている。
それに、私がずっと胸の奥に抱えてきた獅子戸くんへの秘めた想いも、誠士郎さんにはすっかりバレてる……。
やっぱり大人の男の人には敵わないみたい。
「おや、まさか気づいていないとでも思っていたのか? まったく、可愛らしいお嬢ちゃんだ」
「あの……っ、このことは、獅子戸くんには……っ」
「ああ、黙っておくよ。むしろ、お嬢ちゃんは坊ちゃんのお気に入りなんだ。さっさと付き合えばいいじゃないか」
「……彼には迷惑かけたくないので……」
私は沈んだ声で本音を告げた。
つい昨日、父や姉にも忠告されたばかりじゃない――私は誰も幸せにしない。私が口を開けばみんな不幸になるって。
残念だけど、きっとその通りなんだと思う。
姉の予言通り、やがて獅子戸くんから捨てられる未来だって否定できない。
だから、私はこれ以上高望みはしない。
現状維持が今の目標。
それでも十分幸せだもの。
これ以上を望んだら、きっと罰が当たってしまう。
「健気なことで。でも、いつまでもそんな調子なら、俺が先にお嬢ちゃんをもらっちまうぞ。どうだ? 自分で言うのもなんだが、こんなにいい男、なかなかいないと思うんだが」
誠士郎さんは不敵に口角を上げ、壁に手をつき、私を追いつめる。
「た、たしかにそうかもしれませんけど……っ」
「けど?」
「ま、まだ心の準備が……っ」
誠士郎さんに距離をつめられて、熱い眼差しをじっと向けられて。
ドキドキと鼓動が速まり、焦るばかりでどう答えればいいのか分からない。
そんな私の様子を目にして気が済んだのか、やがて誠士郎さんがフッと笑った。
「まあ、いいさ。二人が結ばれる運命ならやがてそうなるだろうし、結ばれなければそれまでの運命だったってことだ。ただ――」
誠士郎さんはそこまで言うと、急にキリッと真剣な顔になった。
「坊ちゃんにはあまり深入りすると、いずれ激しい痛みを伴うことになる。それだけは覚悟しておけ」
「誠士郎さん? それって、どういう……」
誠士郎さんが私に何を伝えようとしているのかは分からない。
けれども、深刻な声の響きからは、誠士郎さんがけっして冗談を言っているわけではないということだけは理解できた。
それから、誠士郎さんは緊張を和らげるような、おどけた調子で言った。
「ま、俺と遊びたくなったらいつでも呼んでくれ。いつだって俺はお嬢ちゃんの味方だ。そして、お嬢ちゃんとなら本気で付き合ってやってもいいと思っている。坊ちゃんに付き合う気がないなら、俺のほうから交際を申しこむよ」
「ど、どうしてです? 私と付き合ったって、いいことなんか……」
「もっと自分に自信を持てよ。さっきも言った通り、お嬢ちゃんは磨けば光るダイヤの原石なんだ。それに、お嬢ちゃんがずっとそばにいてくれたほうが、俺にとってもいろいろと都合がいいのさ。相手が坊ちゃんでなきゃ、是が非でも手に入れていたところだ」
爽やかな笑みをこぼし、軽く手をふって去っていく誠士郎さん。
私はのぼせたようになりながら、彼の大きな背中を見送った。
そして、一人取り残されると、ぽつりとつぶやいた。
「……都合がいいって、何?」
やっぱり私、まだ誠士郎さんにもてあそばれている?
けれども彼の言葉には不思議な引力があって、一人になってからもしばらくその言葉が耳から離れることはなかった。
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