第10話 俺でよければ

「ただいまーっ!」


 獅子戸くんが家に着くなり、元気な声を響かせる。

 すると、いつものように誠士郎さんが私たちの帰りを出迎えてくれた。


「おかえり、坊ちゃん。今日はやけに機嫌がいいな。何かいいことでもあったのか?」

「へへっ。今日は念願叶って、ようやく彼女と二人で帰って来ることができたからね」


 獅子戸くんが嬉々として声を弾ませる。


「それはよかったな。おや? でもお嬢ちゃんは何やらバツが悪そうな顔をしているな。もしかして、坊ちゃんがまた迷惑でもかけたのか?」


「『また』って何? 僕、一度も迷惑かけた覚えはないんだけど」


 ぷくっと頬をふくらませる獅子戸くん。


「……っ」


 そんな彼の拗ねたような顔が可愛らしくて、不覚にも心臓がとくんと跳ねた。


 それにしても、今日はジェットコースターみたいな一日だった。


 これからは毎日必ず一緒に登下校するよう、獅子戸くんから命じられて。

 みんなが見ている前で、いきなり手を握られて。

 何の予告もなく、私が獅子戸くんの所有物だと周囲に知らしめられて。


 朝から放課後まで、ずっと獅子戸くんにふり回されっぱなしで、少しも感情が追いつかない。

 こんなことが毎日続いたら、とてもじゃないけど心臓がいくつあっても足りません……っ。


「まあ、いいや。それより僕、着がえてくるね。誠士郎は何かおやつでも用意してて」

「やれやれ、人づかいの荒いことで」


 獅子戸くんが軽やかな足取りで自分の部屋へと去っていく。

 誠士郎さんが、獅子戸くんの姿がすっかり消えたのを確認してから、私にたずねた。


「で、結局のところ、二人の関係はどうなんだ? いよいよ付き合いはじめたか?」


 まさか。

 私は慌てて首を横にふる。


 私が獅子戸くんと付き合うだなんて、恐れ多い。

 彼にはこんな私を拾ってもらえただけでも十分感謝しているし、それ以上望むものなんて何もない。

 そう。本当に、何もないんだから……。


 すると、私がしんみりしている横で、誠士郎さんがフフッと笑い出した。

 いったい何がおかしいんです?


「いや、笑ってすまなかった。ただ、お嬢ちゃんがよっぽど坊ちゃんに気に入られているんだなと思って」


 誠士郎さんが遠い昔を懐かしむように教えてくれた。


「坊ちゃんはああ見えて警戒心が人一倍強くてな。これまで誰とも打ち解けようとしてこなかったんだ。だから、恋人はおろか友達でさえ、一人もできなかった」


 意外だった。

 私とは積極的に関わりを持とうとしてくれていたから、誰に対してもそうなのかと思っていた。

 それに、あの美しいビジュアルに加えて、人柄までいいんだもの。

 彼女の一人や二人、過去にいたってぜんぜん不思議じゃない。


 でも、そういえば以前クラスの女の子たちも話していたっけ――獅子戸くんが誰に対しても一定の距離を保っていて、どうやら『彼女は作らない主義みたい』だって。


「坊ちゃんがこれまで心を許してきた相手といえば、俺くらいなものさ。俺にとってはありがたいことだがね。ただ、それでも信頼してもらえるようになるまでには、それなりに時間を要した」


 誠士郎さんはそこまで言うと、さらに語気を強めた。


「だが、お嬢ちゃんはちがう。初めから坊ちゃんの心をがっちりつかんで、今も離さずにいる。お嬢ちゃん、いったい何者だ?」


 誠士郎さんの目にさらに鋭い光が宿る。

 誠士郎さんは今、私の秘密に迫ろうとしている。

 けっして誰にも打ち明けることのできない、私が呪われた『異能力者』であるという秘密に。


 それとも、誠士郎さんには素直に真実を告げたほうがいいのだろうか? 獅子戸くんにもそうしたように。


 でも、真実を打ち明けたところで、いったい何の得になるだろう?

 忌み嫌われた異能力を知って、それでも私を腫れ物に触るように扱うのではなく、ちゃんと受け入れてくれる人なんて、そうはいない。

 心優しい獅子戸くんを除いては――。


 私が黙っていると、やがて誠士郎さんが肩をすくめた。


「ま、言いたくないなら無理に言うこともないさ。ただ、愛想だけはもうちょっと良くしたほうがいいんじゃないか? 実際、口数も少ないし。元はいいんだし、せっかく磨けば光るタイプなんだ。たまにはおしゃれに着飾って、街に出てみたらどうだ。俺でよければデートしてやろうか?」

「い、いえっ。おかまいなく……っ」


 私はようやく口を開いた。

 愛想が悪いのも、口数が少ないのも自覚している。

 それに、私が周りの女の子たちから陰口を叩かれていることも。


 こんな私と一緒にいたら、獅子戸くんにもきっと迷惑がかかってしまう。

 やっぱり、学校では彼と距離を置いたほうがいいんだろうな。

 ……そんな暗い気持ちに沈んでいると、ようやく獅子戸くんが戻ってきた。


「おまたせ、着がえてきたよ。あれ? もしかして、僕がいない間に誠士郎に何か言われた?」


 どうしてそう思うんです?

 不思議に思って小首をかしげると、


「だって、君がなんだか悲しげな顔をしているように見えたから」


 獅子戸くんがまじまじと私の表情をのぞきながら答えてくれた。

 彼の純粋な眼差しに見つめられて、たちまち頬がカッと熱を帯びてくる。


「誠士郎。もし彼女に変なことを言って傷つけたり悲しませたりしたら、たとえ相手が誠士郎でも許さないからね」

「俺は何も言ってないよ。それより坊ちゃん。プリンを作って冷蔵庫に入れておいたんだが、食べるかい?」

「プリン!? やったー! 君も一緒に食べるでしょう?」


 こうして、私は獅子戸くんに誘われるまま、おやつのプリンを一緒にいただいた。


 カラメルにほのかな苦みのある、ホイップの乗ったプリンは、やっぱり甘くておいしくて。


 この先、こんなふうに獅子戸くんと一緒に過ごす時間が増えるのなら。

 誠士郎さんの言う通り、私もちょっとは自分磨きを頑張ってみたほうがいいのかも。

 せめて、口数だけでも、もう少しだけ増やしてみようかな。


 ……なんて、胸の内でひそかにそんなことを考えたりもするのだった。

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