第8話 ふつつか者ですが

 翌朝。

 リビングに差しこむ朝日がまぶしくて、ようやく目を覚ます。


 ん? なんだろう。なんとなく、となりに人肌の温もりを感じるような……。

 まだ眠たいまぶたをこすりながら、不思議に思って横を向くと、


「キャッ!?」


 なんと、獅子戸くんの心地よさそうな寝顔がすぐそばにっ!

 びっくりして、思わずソファから飛び跳ねる。

 心臓がバクバクして、朝から動悸が収まらない……っ。


「おや、お目覚めかい?」


 声をかけてきたのは誠士郎さんだ。

 ワイシャツにエプロン姿で、どうやらお弁当を作っていたらしい。

 誠士郎さんがニヤニヤしながら寝起きの私に問いかける。


「驚いたよ。朝になって来てみれば、二人がソファで寄り添いながら、手をつないで寝ているんだからさ。夕べはすっかりお楽しみだったみたいだな」


 そうだった。

 昨日の夜は、私がしゃべりすぎたせいで獅子戸くんが眠ってしまい、その後私もまた異能力の反動でものすごい睡魔に襲われ、そのまま獅子戸くんに寄りかかってソファで寝てしまったんだっけ。


 でも、『手をつないで』って、何?

 眠る直前に、とっさに獅子戸くんの手を握ってしまったのだろうか。

 恥ず……っ。

 いくら警戒が解けたからとはいえ、いくらなんでも気を許しすぎだ。


「で、結局二人はどこまで行ったんだ?」


 どういうことです?

 私はきょとんとした顔で小首をかしげる。


「またまた、とぼけちゃって。キスくらいはしたんだろう?」


 ボッ! とたちまち顔から火がふき出した。

 私は顔を真っ赤に染め上げて、ぶんぶんっ、と首を横にふる。

 そんなこと、するはずないじゃないですかっ!


「おや、その様子だとまだみたいだな。坊ちゃんも意気地がないな。せっかく二人きり、邪魔者もいないってのに、こんなに可憐なお嬢ちゃんに少しも手も出さないなんて。俺だったら一晩中可愛がってやっていたところだ」


 誠士郎さんの目が怪しく光る。

 かと思うと、手を伸ばし、指先で私の顎のラインをすくうように撫でてきた。


「――ッ!?」


 私はびっくりして、火照った顔で誠士郎さんの手を払う。


「ハハ、冗談だよ。いや、わりと本気かもな。坊ちゃんにはもったいない。こんなに素敵なお嬢ちゃんなら、俺が欲しいくらいだよ」


 ニコニコと、満足そうに不敵な笑みを浮かべる誠士郎さん。


 うぅ……、この人は危険かも。

 女の子に目がないって獅子戸くんも言っていたし、大人だし、いろいろ手慣れているのかも。


 それに比べ、獅子戸くんの紳士ぶりといったら――。


 こんな私にも興味を持ってくれて、いろいろと気づかってくれて、励ましてくれて、私を守るとさえ言ってくれて。

 彼の温かい笑顔を思い浮かべるだけで、包みこまれるような安心感を覚えてしまう。


 だから、むしろ危ないのは私のほう。

 やましいことを考えもしたし、衝動にかられて告白までしたりして……っ。


 呪われた異能力を持つ私に、恋愛なんてできるはずないのに。

 私という存在が人にどれほど迷惑をかけるのか、十分すぎるほど思い知っていたはずなのに。


 それなのに、獅子戸くんの優しさに甘えようだなんて、いくらなんでも都合がよすぎる。

 そんな自分がつくづく嫌になる。


「……学校に……行ってきます」


 私は誠士郎さんに寂しげに告げ、ふとソファで眠り続ける獅子戸くんを見下ろした。


 美しくて汚れのない、可愛らしい無垢な寝顔。

 いったいどんな夢を見ているのだろう? 

 獅子戸くんの寝顔を眺めていると、いつまでも目が離せなくなって、しぜんと胸が熱くなってくる。


 けれども、これからは獅子戸くんとは距離を置こう。

 彼への想いは秘めたまま、心の奥底にそっとしまいこんでおこう。

 大丈夫。私は孤独に慣れている。

 これからも、きっと一人でやっていける。


「なんだ、もう行くのか。まだ朝も早いんだし、せめて坊ちゃんが起きてから一緒に学校に行けばいいじゃないか」

「いえ……彼に迷惑かけたくないので」


 私は丁重にお断りし、客室で制服に着がえると、鞄を持って玄関へと向かった。

 そして、見送りに来てくれた誠士郎さんに、深々と頭を下げた。


「このたびはたいへんお世話になりました」


 夢のようなひと時だった。

 生きていて、こんなに心が安らいだのはいつぶりだろう?

 このままずっとこの家で獅子戸くんと暮らしていたい――そんな身勝手な欲望が、心の奥でむくむくと頭をもたげてきたりもする。


 けれども、夢はいつか覚めるもの。

 そろそろ私も現実に戻らなければならない。

 誰からも愛されない、冷たい世界で生きていくという現実に――。


「で、今日は何時に帰って来るんだ?」


 ……え? 


「だから、お嬢ちゃんが何時に帰って来るのか聞いているんだ。こっちにも夕飯の支度とか、風呂の準備とか、いろいろ都合があるんだから」


 あの、誠士郎さん? いったい何を言って……。


「ああ、まだ話していなかったっけ。昨日、あれからお嬢ちゃんの家に連絡してな。これからは、お嬢ちゃんをうちで預かることになったんだ。すぐに荷物をこっちに送ってくれるそうだ」


 嘘……。

 そんな話、聞いてない。


 でも、あの人たちならあり得る話だ。

 きっと私を捨てたんだ。

 厄介者の私がいなくなって、今頃大喜びしているだろう。


 けれども、私にとっても、この先も獅子戸くんや誠士郎さんと共に暮らしていけるのなら、まさに願ってもいない幸運なわけで――。


「ふわぁ……おはよう。あれ? 君、もう着がえたの? 早いね」


 玄関で誠士郎さんと話していると、獅子戸くんがようやく目を覚ましてやって来た。


「おはよう、坊ちゃん。例の件、話をつけておいたよ。坊ちゃんの望み通り、お嬢ちゃんにはこれからうちで暮らしてもらう。これで満足かい、坊ちゃん」

「えっ、本当!? さすがは誠士郎」


 獅子戸くんは嬉しそうに声を弾ませ、そして私にニコッと微笑みかける。


「言ったでしょう。僕が君を守るって。これからは、きっと毎日が楽しいね!」


 ……だから、その笑顔はずるいって。

 私はにわかに体温が上がっていくのを感じながら、ふたたびお辞儀をした。


「ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします……っ」


 こうして、私と獅子戸くんとの同居生活がはじまったのだった。

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