第4話 お持ち帰り
――嫌な夢を見た。
子供の頃の、トラウマのような夢。
『どうして歌なんか歌ったんだ! こっちは死にかけたんだぞッ!』
幼い私に浴びせられる、父の容赦ない怒声。
きっと覚えたてのアニメの歌でも口ずさんだのだと思う。
幼い頃の私はあまりに無邪気で、己の異能力にあまりに無頓着だった。
そのため、ちょうど車を運転していた父が、私の歌声に眠気をさそわれ、追突事故を起こしてしまったのだ。
『歌ってはいけない! しゃべってもいけない! 口を一切開くなと、お前に何度もそう教えただろう! どうして言いつけを守れないんだッ!』
父に叱られ、泣きながらしゅんとうなだれる私。
言いつけを守って、今度は固く口を閉ざす。
すると、そんな私の態度が父の目には反抗的に映ったのか、ますます苛立ちを募らせるのだった。
『まったく、どうしてこんな悪魔のような子が生まれてしまったんだ』
吐き捨てるように言い残し、怒って部屋を出ていく父。
申し訳なく思いつつも、嵐が過ぎ去ってようやくホッとしていると、
『ほーんと、アンタなんか生まれてこなければよかったのにね』
姉が意地悪く追い打ちをかけてきた。
『お父さんね、再婚を考えているそうよ。お母さんが亡くなってから、家がずっと暗かったでしょう? アンタのせいでね。でも、お父さん、新たにやり直す気でいるみたい。これでようやく我が家も明るくなるわ』
姉は嫌味たらしく告げ、さらに続ける。
『アンタをかばい守ってくれたお母さんは、この世にはもういないの。アンタにも分かるでしょう? 分かったら、さっさとこの家を出ていくことね』
できるはずのない無理難題を幼い私に突き付けて、姉が楽しそうに嘲り笑う。
『フフ、名前が「愛」だなんて、ほんと笑える。誰からも愛されていないのにね』
……はっとして目を覚ますと、見知らぬ暗い天井が視界に入ってきた。
どこだろう、ここ?
ゆっくりと上半身を起こし、辺りを見渡す。
どうやら保健室のベッドでしばらく眠っていたらしい。窓の外にはすでに夜空が広がっていた。
でも、いったい誰が私をここまで運んでくれたの?
「おはよう。目が覚めたかい?」
ふいに声をかけられて、ドキッとする。
優しく包みこむような、柔らかい、男の子の声。
驚いて視線を向けると、放課後に廊下で出会った美しい少年が、微笑を浮かべて私を見つめていた。
「初めまして。僕の名前は獅子戸遥希。君は?」
「羊川愛……です」
頬に微熱を感じながら、短く答える。
男の子にこんなに間近で見つめられたのは、生まれて初めてだ。
彼はベッドの横、私の枕元のすぐそばで、椅子に腰かけていた。
「あの……」
ずっとそこにいたんですか?
そう言いかけて、思いとどまる。
だって、私は悪魔の子で。
異能力を発動しようとしなくても、普段の話し声にも人を眠らせてしまう成分が微量でも含まれているのだから。
すると、獅子戸くんは口ごもる私に小首をかしげ、それからニッと口角を上げた。
「どうして僕がここにいるのか、知りたそうな顔をしているね」
獅子戸くんの問いかけに、首を縦にふって応える。
よかった。言いたいことを汲み取ってもらえて。
「それはね。君の寝顔が可愛すぎて、片時も目が離せなかったからだよ」
愛おしそうに目を細め、ニコッと笑みを深める獅子戸くん。
私は掛布団の端をそっとつまみ、うつむいた。
顔あっつ。そんなこと言われたら、ますます熱が上がっちゃう……っ。
「ところで、大丈夫? ずいぶん悪い夢を見ていたようだけど」
え、どうして分かるんですか?
「だって君、何度もうなされていたから。それに、その涙」
指摘されて、恐るおそる、自分の頬に手を当ててみる。
頬は無残なほど涙でぐしょぐしょに濡れていた。
「いったいどんな夢だったの? よかったら、僕に聞かせて」
「……家族の夢」
「家族?」
私はこくり、と小さくうなずいた。
もっとも、すでに『家族』と呼べるような代物ではないのかもしれないけれど。
忌み嫌われた私には一家団欒の時を共に過ごすことは許されず、食事でさえ、いつも暗い部屋の中で一人、スーパーの割り引き弁当で済ませている。
「もしかして、家に帰りたくない?」
いたわるような優しい声に、涙の粒がぼろぼろと溢れ出す。
そんな痛ましい私の頭を、獅子戸くんの温かい手がぽんぽん、と軽く叩く。
「ごめんね、嫌なことを思い出させてしまって。それなら、うちに来ない? 僕、君に興味があるんだ。それに、助けてもらったお礼もまだできていないしね。よかったら、君の話をうちでゆっくり聞かせてほしいな」
獅子戸くんは仏のような慈愛に満ちた笑みを浮かべ、私を家へと誘い出す。
そんな顔するの、反則……っ。
私は熱に打たれたように、うつむきながらこくん、とうなずいた。
もしかして、これが世に言う『お持ち帰り』というやつなのでは? という疑念が一瞬頭をよぎったけれど。
獅子戸くんの優しさに、いともたやすく流されてしまう私がいた。
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