第3話 迷える子羊

 どうして私が獅子戸くんと同居するようになったのか。

 その理由について話しはじめると、だいぶ長くなるのだけれど……。


 その前に、まずは私について知っておいてほしいことが、一つある。

 それは、私はある特殊な能力を持つ【異能力者】だってこと。

 この特異な能力のために、私は悩み、しぜんと黙りがちになり、他人との交流を避け、教室でも一人読書をして時間をやり過ごすようになっていったのだった。


 え、どんな能力なのかって?

 それは、口に出すのもはばかられるような、どうしようもない、もはや災厄とさえ言えるような、はた迷惑な能力で――。




 さかのぼること、数日前。

 退屈な授業からようやく解放された放課後。

 空が夕暮れ色に染まる頃、図書室で借りたハードカバーの本を抱えて歩いていると、


「ちょっとくらい顔がいいからって、いい気になるなよな!」


 とげのある荒々しい声が、ふいに私の耳を打った。

 なんだろう?

 気になって、声がしたほうへと慎重に歩を重ね、物陰からそっと様子をうかがってみる。

 すると、人通りの少ない廊下で、不良っぽい先輩たち数名が、一人の男子生徒につめ寄っていた。

 たしかに顔がいい。アイドルだと言われても信じてしまいそうな、超イケメンの男の子。私と同じ一年生だろうか?


「別に、いい気になんてなっていませんけど」

「あん? 先輩に口ごたえするのか? 一年が調子に乗るんじゃねえッ!」

「僕、調子にも乗っていません」

「うるせえッ! お前のそういう生意気な態度が気に食わねえんだよッ!」


 ついに不良の一人が彼の胸倉を乱暴につかみ、怒りにまかせて手をふり上げた。

 どうしよう……。

 これまでハラハラしながら状況を見守ってきたけれど、さすがにこれ以上は放っておけない。

 私は胸に手を当て一度大きく深呼吸し、意を決すると、勇気を出して不良たちの元へと進み出た。


「あ、あの……っ」


 そういうの、よくないと思います――そう言いかけて、口ごもる。

 私の唇が小さく震えている。

 声に出そうとして言葉にできないのはいつものこと。


「ああん? 誰だ、お前?」


 すごまれて、本を抱きかかえる腕がわずかに強張る。

 けれども、ここで彼を見捨てたら、たとえ私は無事でも、きっと今夜夢見が悪くなる。

 深い後悔と罪悪感に責め立てられて眠れない夜を過ごすなんて、まっぴらごめんだ。


「……彼を……離してください」


 自分でも呆れるくらいの、消え入りそうな、か細い声。


「ハハッ、『彼』だって? もしかしてお前、こいつの彼女なわけ?」


 不良たちが笑い出す。

 意地の悪い、癇にさわる嫌な笑い。


 私は囲まれている美少年をちらりと見て、それから慌てて首を横にふった。

 残念ながら、私はこれまで男子と付き合ったことはないし、この先も彼氏ができる未来はやって来ないだろう。


 だって、私はどうしようもなく【異能力者】で。

 もし、将来私に彼氏ができたら、この不遇な運命のいたずらをその彼にも背負わせることになってしまうのだから。

 だとしたら、一人でいるほうがずっといい。

 好きな人に迷惑をかけ続ける人生なんて、今は想像したくもない。


「お前みたいなブス、誰が相手するかっての。分かったら、痛い目見る前にさっさと消えな!」


 調子に乗った不良の手が、私の細い肩を強く突いた。


「――ッ!?」


 激痛が走り、思わず苦痛に顔がゆがむ。

 私はだんだんムカついてきた。

 先に手を出してきたのはそちらですよね?

 ということは、こちらから反撃しても、正当防衛は成立しますよね?

 そんな思いがひとたび胸の中に渦巻くと、もう止められなかった。


「……最悪」


 私は低い声でぼそっとつぶやき、覚悟を決めた。

 仕方ない。異能力を使おう。

 できることなら封印しておきたかった、あの呪われた、悪魔のような能力を――。

 私は言葉にぐっと念をこめ、小さな声でささやき出した。


「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」


「あん? お前、いったい何をぶつぶつと数え始めて……あ、あれ? ふわぁ……おかしいな……なんだか急に眠く……まぶたが重くなって……ぐえっ……」


 ばたっ、ばたっ。一人、また一人と不良たちが廊下に崩れ落ちていく。


 これが私の異能力【迷える子羊】だ(私がそう命名した)。

 どうやら私の声には、生来、人を深い眠りの世界へと誘う力が備わっているみたいで。

 だから、私がその気になれば、不良たちを眠らせることくらい造作もないのだ。


「おやすみなさい。いい夢見てくださいね、先輩」


 床に転がる先輩たちに、そんなセリフを言い捨ててみたりもする。

 アニメの主人公にでもなった気がして、ようやく胸のすく思いがした。


 けれども、私自身がまだこの異能力を使いこなせていないせいか、大きな反動もあって――。


 突然、私の体が大きく揺らめき出す。


「ううっ……また来た……っ」


 この異能力を発動すると、私もまた不良たちと同様に、立っていられないほどの激しい睡魔に襲われてしまうのだ。


 相手を眠らせる一方で、自分までもが眠くなってしまう、諸刃の剣。

 それが私の呪われた異能力なのだった。


「早く……教室に戻らないと……っ」


 強烈な睡魔にあらがい、広大な砂漠でオアシスを探し求めるように、よろよろと歩き出す。

 教室にたどり着きさえすれば、後は自分の席で寝ればいい。

 けれども、今の私には、その教室までの道のりが果てしなく遠く感じられて。


「ダメ……もう……無……理……っ」


 必死な抵抗も空しく、ついに私は意識を手放し、膝をつくとそのまま廊下に倒れこんだ。


「き、君っ! 大丈夫!?」


 薄れゆく意識の中で、心配そうに私に呼びかける声を聞いた気がした。


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