第5話 2007年10月 歌舞伎町スナック「知床」にて 1R

 ああ、ミワちゃん、初めてよねえ、お二人とも。はいはい、こちら大崎さんに嘉数さんね。で、こちらミワちゃん。先々週からかしらね、はいよろしくね。と、

カウンターの中から身振り手振りで互いを指しながらの道産子ママによる大雑把な紹介タイムが十数秒で終了。


 ぱっと見たところ他にまだ客ナシの状況だったので「ミワ」とおなじみのホステス由紀恵と和美3人とがカラオケ大画面の見えやすい中央のボックス席へと我々2名を手招きするのでそれにしたがって着席した。


 さてこのスナック「知床」であるが、特にシステム構築されてるような側面は何もない、いかにもインディーズなスナックであり、ホステスの指名制度やら指名料金やらがあるわけでもなく、時間制を敷いているわけでもなく、終電に間に合わせて帰ろうが、明け方頃までいようが、いついかなる場合でも請求されるのは1万6~7千円なのであり、まあ大体店長会議終了後に街中華で腹ごしらえして大挙しておしかけて大騒ぎしていつのまにやらお開きってパターンがほとんどなので改めて考えてみると食べ物飲み物なにがいくらで量がどれくらいでとか何も知らないしそれでも特に支障はない、というか食べ物の記憶に関しちゃほぼ乾きものオンリーだ。というか、たまにホステスたちが店屋物食べてたの見たっけかな。まあそんな感じだ。


 道産子ママ、だってことで時折、北海道空輸の魚介類、乳製品、肉類などの絶品料理を食す機会があったが、あれはメニューに載ってる「商品」じゃなく、

「ママの気まぐれ」なのであって、それで対価を支払うとかそういう類のものではなかったのであり、そんなところのノリも実に大雑把である。


 考えてみれば既に退職した「先輩」の代から脈々と社内飲酒派の集合場所になっている店のわりに、ホステスたちとの色恋沙汰うんぬんかんぬんの話とかほとんど聞いたことが無く、それはホステスたちの容色のレベルがどうこうはあまり関係なく自分らの集団属性として既婚者多め、というのと、未婚者は大概「若手」で、この店のホステスとの年齢比較でいうとほとんど皆「坊や」扱いでマッチングしない側面も。

 ともあれ、そこに店がある、集う、飲む、騒ぐ、以上終了!!といったような流れか。


 まあしかしホステスも客も全員が泥酔した状況で「知床」自体閉店したあとに他所でさらに飲みなおす、というようなこともしばしばあったが、そこではなかなかの狂乱ぶりが発揮された記憶もかなりある。あるのだが、端からそれが目的というわけでもなく、なにしろほんとうに意義や意味など誰も求めていないのであり、それが長続きの秘訣なのであろう。


 とにかく自分らのような、のんでさわいでストレス発散だ!!!みたいな者どもがメインの客筋であることが「安定経営」に繋がったか、歌舞伎町で十年二十年と生き残っているわけだ。


 さて、自分も大崎も特に何も言ってないんだが焼酎のボトルと氷とデカンターのウーロン茶がサッとテーブルにセットされ、「ミワ」が人数分ウーロン割りorウーロン茶のみが入ったグラスを振り分け、初めましてミワですよろしくおねがいします、と名刺を差し出し、そこの表記は「美和」だったので以降それにならうとして、

大崎が、はいはいはい、美和さんね、ほうほう、で、どちらから?

といったような軽い調子で初対面トークを始め、自分は二人をゆっくり交互に見ながら嬉しくも悲しくもない素の表情でふん、ふん、ふん、としばらくうなずいていたんだが、そのうち、なんだかこの顔は以前にみたような、みなかったような、となる。


 「知床」、システマティックな面ほぼ無しとは言ったが、名刺だけは姓名の名だけをシンプルに記す、っていう、そこは徹底してるようで、なので「由紀恵」とか「和美」とか、わかっているのだが考えてみれば姓に関しちゃ誰が何であるか何もしらないし、ただそれを聞いちゃいけないルールがあるとも聞いてないし、客のなかにはホステスのことをフルネームで知っている者もいるのだろうし、そのあたりいつも一緒に来る店長連中各自はどうなんだろう?と急に疑問に思ったりもしたが、まあそれはそれとして、いまこの目の前にいる「美和」はどうも知ってる「美和」だな。

で、ママだけは姓のほうの「塩見」だけが時々通り名的に「塩見さん」と人々の口をついて出てくることがあるのだった。何故かは知らぬが。


「嘉数さん、ってあの嘉数さんですよね?」

きたきた。

「ええ、まあこの嘉数なんだけど……」

しかしいろいろ考えてこの見覚えのある「美和」は誰なのか、

思い出せそうでなかなか思い出せない。


「臼井ですよ。15年前まで西川口にいましたよ。」

ああ、臼井さんね、はいはいはい、と。


 パチンコホール業界、人事異動多く、2~3年であちこち移るのが通例であり、この知床来訪時は西川口店の店長だった自分だが、そもそも業界入りたての20代半ばの頃、多角的不動産経営業の株式会社秀光に入社してすぐ配属されたのが西川口だった。

 その頃「景品場担当」でバイトしてたんだ。臼井美和。思い出した。

自分が「新入社員」の頃の話だ。こりゃまあすぐには思い出せないはずだ。

いまはなにしろ「パチモン」自認だが、当時はそりゃもう血気さかんだったし。


 大崎、由紀恵、和美のあいだに、え?なになになに二人、顔見知り!??のささやきやら、なにやらの会話の波紋が広がりはじめても、なお、自分の方はその当時の細かいあれやこれやをすぐには思い出せずに多少まごついていたところへ美和が、

「嘉数さん、ほら、秋津の乱、覚えてません?」と言う。

「秋津の乱?秋津、秋津、秋津、ああ、あれか野球か!?」

「そうそう河川敷で野球やったでしょ、あれは楽しかったですよねえ」

「はいはいはいはい、そうそうそう、そうだそうだ悪い奴やっつけたよねえ」


 秋津の乱、あったあった、なかなかに強烈な出来事だったんだ。

草野球やったんだな。1989年の夏だったな。パチンコ、パチスロは出てこない「仕事」と無関係の話なので記憶が閉じ込められた状態になってたんだが、考えてみると「会社の中の出来事」としてはあれがもっともインパクトある事件だったかもしれない。あまりのインパクトだったので「小説」として書き残したんだ。そうだった。


 次話以降、この流れで「1989年の西川口店」題材の小説に飛ぶ。











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