第3話 2007年10月 パチモン店長、水道橋へ

 そんな新台導入開店翌々日が公休日だったので、まずは西川口の東口にあったブックオフへ行った。銀英伝購入の為である。銀英伝の何を?小説なのかマンガなのかアニメのDVDなのか。実はそのあたり何も決めてはいなかった。


 なんかその「世界観」がわかればそれでよかったのだ。そう、この「世界観」が大事なのだ!とコンサルタント畑中はしきりに言うので、こちとら休日だというのに、頭のなかでメロディーつけて、コーヒーに入れる白い広がりスジャータのCMソングっぽく「♪世界観、世界観、広い広がり世界観♪」とくりかえす有り様。悲しき宮仕えというやつだ。


 「休日返上」で仕事に関わる「資料」収集にあたっている、ってことだからな。

が、たまたまなのかその日のブックオフには手ごろな物件がなかった。小説もマンガもDVDもすべて初巻がなかったのだ。うーむ、それなら仕方ない、とかねてから休日に行こうと決めていた神保町の古書店街に久しぶりに行くかな、と。

そこまで行ったらさすがにあるだろう、と。


 大学卒業、就職そして結婚、子育て開始、のあたりまでは自分もそこそこの読書家蔵書家だったんだが、一人娘が育つにつれ、手狭な社宅内では「おとうさんの本じゃま」となるのはありがちなことであり、この銀英伝資料収集の頃は読書習慣もっとも停滞していた時期だったのだ。本そのものも言われるままに捨てたり売ったりとか何の疑問ももたずやってたし。


 なので妻には特に古書店街に行くともなんとも言わず、ちょっとそこまで、という感じで出てきた。飯は全部済ませてくる旨だけ伝え。

 

 その一時の別れ際、「あ、どうせこいつパチかスロだな」って顔してたが、スルーした。今月それまでの公休全部家族三名でどこかに行ってたし、今日はほんとマジで一人でのんびりするから、とだけは数日前から言いくるめてたので、それ以上軋轢が生まれることもナシ。


 神保町行きを思い立ったのは、銀英伝新台釘調の時に耳に飛び込んできた、クラシック音源に刺激された側面もあった。

 人生40数年にして銀英伝チェック漏れとは不覚!であったが、ド文系大卒しかもニューアカデミズム潜り抜け世代でもあるので、ビブリオマニアックだったりペダンチックだったりするようなコンテンツを身体が受け付けぬ、ということはなく、文化的生活面で「まだ本気出してないだけ」と言って言えなくもない状態でもあり、神保町古書店街に関しては、「機種配列図ほぼ把握!」くらいなお馴染み感覚は有していた。B級グルメ的な周辺の飲食店も含め。


 西川口から神保町へ首都圏鉄道網を利用して行くには様々なルートがあるのだが、40ちょい超えの年齢なりの体力があり、かつ、パチンコ、パチスロのプライベート遊技で負け過ぎないよう「散歩趣味」を身に付けてもいたので、西川口(JR京浜東北)→王子(地下鉄南北線)→と乗り継いで、後楽園(地下鉄南北線)で下車し、東京ドーム、ウィンズ(場外馬券売り場)周辺を冷やかしながらJRの水道橋駅付近を通り抜けて神保町に抜けることにした。腰痛用コルセットも装着し。


 今振り返ると驚嘆するほかないのだが、その日、南北線の後楽園駅からJR水道橋駅至近の老舗ホール「みとや」までたどりつくのに「歩き疲れた」感覚まるでなかったように記憶する。


 ちなみにPCのグーグルマップ検索にその二か所を入力すると「距離700メートル、所要時間10分」と表示されるのだが、これは歩数換算で概ね1000になるレベルである。

『罪と罰(ドストエフスキー)』におけるラスコーリニコフの下宿と高利貸しの老婆の家までの「七百三十歩」より長い距離ということだ。


 「みとや」というのはどういうわけか「業界人」(※パチンコホール業界人の意。以降この語句は全てその意味で使用※)たるもの行かねばならぬ、というしきたりがあり、それは何故と言うに、やはり東京ドームやウィンズ(場外馬券売り場)に近いからだろう。どちらも業界人が集まりがちな場所だ。野球も競馬も好む者多い。


「ドーム行くなら『みとや』寄るだろ、ウィンズ行くなら『みとや』寄るだろ。普通に考えて」というのが半ば暗黙の掟と化していた。

 休日の私事であっても、「出かけた先のホールを何故ついでに覗かない?『ホールの床のゴミは歩行のついでにそのつど手で拾え』と教育され、教育もしてきただろう、であるなら野球、競馬のついでに『みとや』の様子見るのは職業人としての義務ですらある」といったような内容の訓示を先輩から懇々と説かれたような説かれなかったような。


 まあそれに限らず業界人の先輩というものは大概の事は見てやれやってやれ、というポジ思考の訓示を垂れるのが常であった。もしかすると自分の周囲だけがそうだっただけなのかもしれないが。


 広大な球場まわりの白タイル中心のほんわかとした色調の世界から、水道橋駅前過ぎて灰色の世界へ。そして「みとや」へ。躊躇なく、パチスロ「ジャグラー(北電子)」のコーナーへ。


 パチンコ、パチスロユーザー「打ち手」としての「自分史」を振り返ると、最も輝いていたのは1990年代序盤であった。


 パチンコもパチスロもオール現金対応のみの時代。プリペイドカードも会員カードもない時代。パチンコ店員として「業界入り」したのもこの時代。

 伊丹十三監督作『マルサの女』に出てくる伊東四朗オーナーの店のような、設置規模200台前後のこじんまりした店が数多くあった頃だ。  


 プライベート遊技ではその頃が最も勝てていたので、その後もこの時代のテイストに近いものを好んで選択するのは当然の帰結なのだった。


 で「ジャグラー」なのだが、この機種は実に単純でわかりやすく、最新式のパチスロ機種に比べると技術介入要素も少なく、初心者でもとっつきやすい。なので打つ。

 この時業界歴15年超えるキャリアで「初心者」であるはずもなかったのだが、あえてこういうものを打つ。

 

 これぞ江戸の粋ってもんだろっといわんばかりに打つ。

いやまあ単に最新式のものはパチンコ、パチスロともにめんどくさいので打つ。


 先に述べたように時の流れによって「好みの機種」はほぼ無くなった状態のなか、敢えて選ぶのならもうこれしかない、と。


 「倦んだ年長者」として、なんとか業界にしがみついていた、って有り様だったし休日に細かい「技術」使ってパチスロ打つ気力ナシ、と。

そういう時に実に丁度いいのがジャグラーシリーズなわけだ。


 この状況をパチンコ、パチスロに無縁な部外者に説明するとなると非常にややこしいのだが、自分が考える最善の「例え」は、ジャグラーはドッジボール、最新式の諸機種はアメリカンフットボール、といった感じか。


「遊技開始前に覚えておかねばならない事柄の数」の多寡でいうとこの説明がもっともしっくりくるような気がする。ルールが単純なのか複雑なのか?みたいな。


 パチンコの方で云えば「海物語」がジャグラーに相当すると言えよう。

でまた海とジャグラーは「版権モノ」じゃなくメーカー独自デザインの意匠。

清々しいではないか。

 

 そういうこともあってかジャグラーと海物語のコーナーは面倒くささ回避の中高年齢層であふれがち、と。


 で、自分が海ではなくジャグラーの方を選ぶのは「リーチ演出」がほぼないっていう反時代的潔さを買ってのことだ。


 「みとや」に着いたのは付近の「立ち食い」ちくわ天そばで昼食済ませた後の13時頃。当時も今も一貫して「グルメ」趣味はない。

 というかパチンコ、パチスロ遊技に骨の髄までハマるとそうなる傾向強いのかもしれない。

 野球観戦も、音楽活動も、パチンコパチスロで時間を使い過ぎる→金も使い過ぎる、の流れ防止で意識的に行っている側面大きく、やはりふと単独行動とれる余裕出来るとどうしたってホールに向かわざるを得ない。


 その日の目論見はジャグラーで軽く5千円以内に当たりを引いて大連荘(間を置かずに当たりを連続してひくこと)はせずとも押し引きくりかえしつつ、結果1500枚ほど獲得し、収支プラス2万5千円ほどでサクッと15時台までには遊技を終え、ブラブラ古書店街を歩く、というものであった。


 が、そうは問屋が卸さない。財布の中に3万5千円ほどあったものが15時には1万9千円ほどになっていた。まったく当たらなかったのではないが、当たっても増えることなく追加投資がかさんでこうなった。


 この「財布の中3万5千円」というのは一般的な「店長」に比べると、特に独身の店長などに比べると、破格の少なさなのだが、何しろパチンコ、パチスロやり過ぎ!使い過ぎ!ってことで妻に家計の主導権を握られているタイプの店長なので、これはこれでもうどうしようもない。妻に言わせれば「それでも多い」って話でもある。さてどうするか。


 一昔前なら帰りの交通費だけ残して使い切るとか平気でやってたがもうそんな突破力ない。銀河英雄伝説資料探索の旅に行こうっていう機運も急速にしぼんでしまった。ため息つきながら、まったく空の状態でメダル一枚たりともない台の下皿と、財布を交互に見ていたら、「お、嘉数さんじゃないっすか」と声をかけてきた者が。


 声をかけてきたのは、そこそこ付き合いの長いデザイン会社の大橋という男で、店内装飾関連の品物を納入する取引業者だ。

 

 当時大橋のその会社は時流に乗って「インターネット活用時のコンサルティングも承ります」といったあんばいで取り扱い業務を拡げようとしていたのだが、その件で商談に来るときは大橋プラスもう一名若手社員も付いてくるのであり、つまり大橋はどちらかといえばデジタルデバイド側の者であって、昭和の職人的な豪快な「社長」なのだった。

 年齢は自分より5つばかり上だったような。ま、つまり「みとや」にいるとこのような業界内の邂逅場面がよくあるのだ。


 その大橋と適当に立ち話をしていたら、互いにパチンコパチスロ遊技は切り上げ時だというのと、自分が神保町古本巡りやら銀英伝やらの話題を出したら、「あ、神保町いいですね。そうそう、それなら芳賀書店行って、それからどこかパッと飲みに行きましょうよ」と軽快なノリで話を進め、「みとや」の位置からはやや遠い「芳賀書店」まで、お代は出しますから、とタクシー拾って、近くてわるいんだけど、といいつつ結局「釣りはいらないよ」と5千円札を運転手に渡し、「エロコンテンツの殿堂」芳賀書店前にものの数分で着いた。15時15分ごろだったか。

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