白線の上にいた白猫

@offonline

実在したはず

 夏の出来事だったと思います。

 正確な時期はわかりません。学生時代であったと思います。なので、帰省した際の出来事でしょうか。まとわりつく熱気や体のべたつきを覚えていますので、次期は夏であるという体で話をしたいと思います。


 思い出す光景といえば茜色に染まる曇り空です。どんよりと垂れこめる分厚い雲が、そのときばかりは茜色だったのです。鉛色の背後に茜色を重ねてありました。不思議な景色でした。赤色の紙の上に白い雲を描いて、そこからさらに灰色を塗り重ねたと言えばいいのでしょうか。空が妙に低く感じました。それでいて柔らかく発光しているようで、外にいるという感覚が狂ってしまうかのような、どこか広い室内にある気がしたものです。

 その景色から霧雨が降っていました。随分とアルファルトが湿っていたので降り始めではなかったと思います。音もなく、衣服を湿らせていました。

 どうして外に出たのか、今となってはわかりません。きっと空の様子を外に出て見上げようという気分になっていたのではないでしょうか。

 桃色のゴムサンダルに藍色の作務衣を着ていました。財布や携帯電話を携帯していなかったので、外出する目的ではなかったのだろうと推察できます。

 玄関先から車庫を通り抜けると道路にでます。車両が対面通行できて、両側に歩道がある。ありふれた道路です。歩道には白線が伸びています。

 私は空を見上げながら、歩道に立っていたと思います。

 そうですね、霧雨が妙に生暖かった気がしてきます。やはり夏だったのだと思います。

 現象について知識がありません。当時も不快に思うこともなく、むしろ高揚感を得ていたように思います。普段と違う日常を楽しんでいたのでしょう。

 私は車庫の目の前を横切る歩道に立ち、左側を向いていました。左側のほうが高層建築物がないため、空を見るなら自然と視界の広い側に意識を向けたのだと思います。

 思い出せば何でもかんでも不思議に思えてきます。

 当時、交通の一切がありませんでした。歩行者もいません。

 喧噪も遠くで響く、というわけでもなく静まり返っていました。

 幹線道路や高速道路が近くにありました。商業施設もありますので騒音には慣れていました。ですが、今になって思い返すと随分静かだったなと思います。

 長期休暇の時期、おそらくはお盆だったと思います。時刻はどうでしょうか。やはり空の具合からして夕暮れだったのではないでしょうか。逢魔が時といういかにもな時間帯ではなかったとは思います。明るい印象がありました。とはいえ、夏は18時でもまだ明るいので断言はできません。

 夕方である、という印象が強い。なので15から18時くらいだと仮定します。

 自動車がまったく走らないというのは考えにくいのではないでしょうか。当時の私はどう感じたのかは覚えていません。

 私はたった一人、家の前の道路に出て、歩道の上です。そうそう、白線の上に立っていました。それも何故そうしたのか。

 きっかけは何でしょうか。思い出すことはできません。ただ、私はおもむろに視線を下げた。その時、私は白線の上に横たわる物体——白猫を見つけました。

 視点が移動しています。いくら思い出そうとしたところで、私はどうしてその白猫を見つけるに至ったのかわからない。

 私は左側を向いていました。それから突然、右側に身体を向けるのです。そこに何かしらの事象があったのだと思います。本当になんともなしに振り向いた可能性もありますが、何か注意を引くことが起こったとしたならば、覚えているものではないでしょうか。

 右回転をして振り向きました。道路の先を眺めることもせず、道路面を、もっといえば白線を見たのです。

 私はどういうわけか、視線の先に何かがあるのだと、もしかすると分かったうえで振り向いたのかもしれません。とはいえ、何を考えていたのかまったく覚えてはいません。ですが、恐ろしいだとか焦りとか、何かしら感情の起伏を伴って行動したわけではないような気もします。

 私は白猫だとすぐに判断しました。四つの足が車道側に伸びていました。前足から頭にかけての白線が赤くなっていました。

 その死骸は5メートルもないほどの近い距離にありました。

 目を瞑っている。顔を観察したのでしょう。右耳側が黒いので、正式に白猫と言っていいのかわかりません。ただ、右耳側だけが黒でほかは白でした。

 思えばおかしい話だと思います。当時の私は気にしていませんでした。今にして思うと奇妙ではないでしょうか。

 車道と歩道を仕切る白線の上に白猫が横たわり、白線が血で染まっている。自動車に轢かれたのではないか。私はそこまでしか考えませんでした。

 今の私があらためて振り返ると、まず真っ先におかしいと思うところがあります。それは猫が血を流して死んでいるのに、その死骸が綺麗だったこと。霧雨が降っていることを考慮しても、身体があまりにも綺麗だったのです。手入れがなされているとかそういうものではなく、白線に血が流れているのだから、しかも血だまりのように楕円状だったと思います。アスファルトにまで染みていました。黒く変色しているものですから大量に血が流れたのだと思います。

 嫌な話になりますが、2024年に私は轢かれた猫に遭遇していますから余計に対比ができます。轢かれた猫は車道の隅で死に絶えていましたが、身体が損壊していたので、言ってしまえばとても気持ちの悪い状態になっていました。その出来事があったからこそ、白猫の出来事を強烈に思い出したようなものです。

 白線の上に横たわる白猫。目と口が閉まっていた。顔はやや斜め上を向いている。四つの足が車道側に出ている。右が下側になっている状態。

 自動車に轢かれたにしては、きれいすぎる。

 死んでいると判断しました。ですが、血だまりがあるからそう判断したにすぎません。これで白猫が血で染まっているなら不思議にも思わないでしょう。

 いや、当時の私は一切疑問に思っていません。

 嗚呼、自動車に轢かれたのか。と決めてつけていたように思います。

 死骸の寝ている向きも不自然に思います。私から見て、猫の足がこちらにある状態です。車道としては左車線になります。自動車は私に向かって走行するはずなのです。もし、本当に轢かれているのなら、死骸の向きは左足が下側になり、顔が私に最も近い側になるのではないでしょうか。

 今となっては調べることはできませんので憶測でしかありません。ただ、当時の私は疑問を浮かべなかった。

 真っ先に抱いた感想は一つです。

 私は白猫の死骸を見て、嫌だな。という感想を抱きました。

 舌打ちすらしました。嫌悪をむき出しにしました。

 そうした方がいいと判断したのです。

 私はオカルトというか、迷信もとりあえず実行できるなら行う人間です。なので猫の死骸を見た際は、負の感情を抱くようにしています。

 いつのころの話かは覚えていませんが、祖父から猫の話を聞いていました。猫の死骸を見ても同情してはいけない。という謎の助言を受けていたのです。迷信に近いものではないでしょうか。私は詳しく調べていませんが、猫の死骸を見て同情するなという話は聞いたことがありません。ただ、祖父の話は信じるに値するので私は素直に従ったのでしょう。

 祖父は心霊現象を信じない人でした。現象を相談したところで頑なに否定する人でした。にもかかわらず妙にオカルトを知っていた人でもあります。

 私はそんな祖父の言葉を妙に信用していました。今よりも強く。


 死骸を見つけた時、私は祖父の言葉を思い出して同情とか悲しい気持ちというよりも不愉快だとか、面倒という気持ちを強く意識しました。

 死骸を認識してからの私は妙に善人でした。なにせ、その死骸を回収してもらえないか模索したのです。

 嗚呼、思い出しました。平日の話です。しかも16時くらいの出来事です。

 私は家に戻ったのです。

 死骸を見つけて、特に見分しようと近寄ることもなく一切の干渉を断るように家に戻った。それで終わりだったのならば何も起こらなかった、のかは不安が残ります。

 私は家から自分の携帯電話を持ち出したのです。電話を掛けました。行政に電話したのです。家の前に猫の死骸があるので回収してほしい。内容はそんなところです。

 だからこそ、思い出しました。行政は断ったのです!

 死骸の回収を、もう仕事は終わりだから、という理由で断ったのです。明日の午前中に回収しますね。という気の抜けた話し声だったと思います。

 私はいらだって抗議した気がします。そうです、少なくとも17時が差し迫っている時間ではありませんでした。

 なんという体たらく、羨ましい。という気持ちを当時の私が抱いていたかは知りませんが、とにかく私は文句を言った気がします。けれども受け入れられず、電話を切られました。

 私は携帯電話を右手で握りしめていました。そのまま手のひらで掴んだまま下げました。

 思えば、携帯電話をもって外に出てわざわざ電話するというも妙な行動でしょうか。本当に死骸があるのかを確認しつつ電話をするというのならば、一応は筋が通っているのかもしれません。

 視線が動きます。

 私は、携帯電話で通話している間中、一回も白猫の方を見ていませんでした。

 車庫から歩道に出て、左側の空を見ながら通話をしていました。

 何故でしょうか。今でもわかりません。とくに怖がっていたわけでもありません。平常、いや、苛立ってはいましたけれど、何か違和を覚えるような感覚を思い出すことはできません。

 今になって思い出すと、どうしてそこまで見ようとしなかったのかという疑問が出てきただけです。

 私は通話を終えた後、右回りをして白猫を見ました。

 明日までずっと白線の上にあるのか。特に感情を出さないように考えた気がします。

 視線が白線をたどることはありませんでした。

 ただ、また私の視線は動いたのです。

 今度は白線よりもずっと上、と表現しておきます。家から遠ざかっています。私の立ち位置から目線を上げたのです。

 死骸のあった場所から数メートル離れています。いえ、2メートルもない位置に電柱があります。そこを区切りとして住宅の敷地をわける生垣があるのです。電柱周りには雑草が生えていて、とりわけ葉の細長く稲穂のように垂れ下がるような草が生い茂っていました。背丈は10cmもないほどです。

 その雑草の上に、白猫が横たわっていました。

 眠っているように。綺麗な身体で。

 白線には血だまりがあります。ですが、血の跡が続いているわけではありません。同じ格好をしていました。白線の上にあったときとまったく同じ姿勢です。別猫ではありません。少なくとも私はそう判断しています。右側だけ黒い、後は全部白い猫。

 私は近づきました。今度こそ近づいたのです。

 血だまりを迂回するように車道に出ながらも、電柱まで近寄りました。足元を見た気がします。おそらく、生きていたのなら汚れているのだと思ったのです。

 嗚呼、そうですね。肉球を見た記憶がありません。ただ、随分と綺麗だな。という感想を抱いただけです。なんというか本当に何も考えていなかったのだろうなと自嘲してします。

 私は視線を這わせるように白猫をのぞき込みました。生きている様子はありません。よく見ると口元から血が垂れたのか、赤く筋道を作るように染まっていました。これも不思議なことですが、なぜか左口の端っこからでした。

 どれほど観察していたのでしょうか。何かしらの区切りを自分なりに見つけたのか、私は立ち去りました。

 恐怖などはありませんでした。そういうこともあるのかもしれないという思いでした。死骸がひとりでに動いたと断定することはありません。

 ただ、猫ならそういうことが起こっても不思議ではないのではないか。という思いだけがありました。それは祖父の言もありましたが、猫の多い地域ということもあってか、不可思議には大抵のところ、猫が絡んでいることがあったのです。

 だからこそ、私は努めて平常心であり続けましたのだと思います。


 次の日には、猫の死骸はなくなっていました。私は出待ちして行政が仕事するのを見てやろうとかは特に考えもせず、お昼ぐらいでしょうか。ふと思い出したかのように外に出て白猫を確認すると、消えていました。

 近寄ると雑草は血で染まっていました。そういえば、白線の血だまりはありませんでした。今にして思えば、これは行政が仕事をした証拠なのかもしれません。

 当時の私は特に不審がることをしませんでした。

 電話をして確認をとれば良かったですね。

 別段、その後、猫に付きまとわれるとか、夢に出てくるとか。そういったことはありませんでした。

 ただ、その白猫がとても綺麗であったな、と思い出すことがあるというくらいです。良い顔をしていました。野良猫にしては目ヤニとか、そういう汚れのない猫でした。そうです。白猫ならなおのこと汚れるものではないでしょうか。

 では飼い猫だったのか。首輪はしていなかった。ただ、それだけで判断もつかないものでしょう。少なくともご近所付き合いはしておりますので、猫が居なくなったとか、轢かれて死んだ、あたりは情報が出回って知る機会があるという自負があります。なので近所でそのような話が出てこなかったことを思うに、あの白猫は野良猫であったと思っていたほうが健全な気がします。

 とにかく、綺麗な白猫でした。

 路上を歩いて移動しているはずなのです。けれども毛先はおろか、足裏ですら綺麗なままだったのですからね。

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