第7章 ~いなくならないで~(2)


 心臓に激痛が走った 


 そう書けば9文字で説明される事でしかない だが今の今まででていたドーム1の風景やそよ風の肌触りが一瞬にして生涯を通して見た事も聞いた事もないものに変化へんげしたかと思うとそれらの正体は意識が錯乱する程の胸の痛みだ 空間が瞬時に鋭利に歪み目が潰れるかと思う程の閃光が幾重にも差し込んで来るのは瞳孔や虹彩が眼球と共に小刻みに痙攣けいれんしているからだ 全身が激しく震え出し彼女の身体の中に生きる数十兆個の細胞に生命危機の緊急事態が告げられると脂汗が噴き出し衣服にまとわり始めた 細胞たちはシェリー・メアリーから逃げ延びる術はない 心臓が血液を全身へ循環させる役目を終えればやがて全ての細胞の壊死えしが始まる シェリー・メアリーにとってこの数秒の生命危機は細胞たちの生きる時間軸では数年程の感覚なのかも知れない シェリー・メアリーと言う宇宙が消滅しようとしている事実など何処にも無いかの様に彼女の内宇宙に存在する何十兆個の細胞たちは何も気づかないまま意識を失う様にして皆居なくなるのかも知れない 激痛が精神を蝕み始めたまだ数秒しか経っていないのだろうかそれとも既に何分も経っているのだろうか時間の感覚も火花が散る様な錯乱の中に埋没して行く64歳を迎えていたシェリー・メアリーは生涯で経験した事の無い激痛に「私は今死ぬのだ」と悟ったこの激しい痛みはほんの少し力を加えただけで心臓その物が破裂してしまいそうだ死の痛みに耐えながらいや耐えきれずに痙攣けいれんを起こす身体を必死に支えシェリー・メアリーは遂にこの時が来たのだと心が少し微笑んだなぜ正夢を見続けて来たのかその答えは死後でないと分からないだろうと近頃は思い始めていた量子脳理論も死ねば何かしらの答えが見つかるのかも知れない心霊写真も意識の量子テレポーテーションなのか時間とは何なのか全ての答えは死んでからでなければ分からないのだろうと思い始めていたシェリー・メアリーにとって死は人生の最後の楽しみでもあった死ねば何もかもが解決しないまま終わるのかそれとも死後にその答えが見つかるのかだがその思いも譫妄せんもうむしばまれ切り刻まれ意識の欠片と化していた噴き出し続ける脂汗に体中がべとべとになりながらもその感覚も分からなくなったこの世のものとは思えない最後の苦渋に気が遠くなりかけながらシェリー・メアリーは倒れそうになる身体を必死に支えた激痛に薄れていく意識の中でもこのドーム1で死を迎える幸運に気づき感謝したドーム1の最後の風景を死の淵でも楽しもうとした自分も死ぬ時はヒューの様に誇り高くリュディの様に気高く死んで行きたいと常々思う様になっていたその望みがその望みだけは叶えたいと願い続けていた事が今こそ叶えられるのだと思考した自分の遺体を見つける仲間に誇りある死に様を見せるのだリュディやヒューの様に尊厳ある死に方をするのだシェリー・メアリーは歪み痙攣する自分の顔を無理やり微笑ませ己の膝を握り潰そうとする激しく震える右手をもう意志の伝達もままならなくなった神経に叱咤し離し拳を握り震えながらもその親指をピンとドーム1の天井に向けて突き上げるとあと少しで思考出来なくなる意識でウッドには会えない事に気づいたそれは一瞬にして激しい悲しみへ変化した「ウッドもう貴方に会えなくなるみたい私は貴方に大きな悲しみと苦しみと嘗て無い寂しさを与えようとしているウッドごめんなさいでも私は笑顔で旅立ちたいウッドごめんなさいウッド……」呼吸する事さえ困難になってきた「ヒッ、ヒッ」必死に息をしようとするが少し吸っては息が詰まりそれは僅かな時間であるのに永遠に繰り返される様に感じるほんの少し時が止まった感覚に陥ると破裂しそうになっていた心臓が「ギューーーーーーーン!!」と鳴り一気に収縮し全身が幾たびか小刻みに激しく痙攣を起こすと全ての動作が瞬く間に――――      



  止まった……。



 その時、脳神経細胞は新星爆発でも起きたかの様に活発にその最後を迎えていた。


 激痛に耐え抜いたシェリー・メアリーの

 終の声が聞こえた――


「私は生きた

 この世界で―― 生き切った―― 」



 ゆっくりと

肺の中に残る空気が静かな音と共に口から洩れ



 シェリー・メアリーは動かなくなった。









   ***


「何してるんだい?シェリー・メアリー」

 シェリーご指名の4人の音楽仲間が到着した。 彼女がベンチに座ったまま動かないので声を掛け近づくと、膝の上で握られた右手の拳は親指をピンと上へ突き立て、苦渋の中で造ったであろう笑顔の彼女が只々、絵の様に静かにしているので、

4人は、歌姫が二度と歌わなくなった事を悟った。


 一人が

「か、管理官を呼ばなくては」 と、とても動揺している。

 でも仲間はすぐに気づいた。

 シェリー・メアリーが必死に笑顔で逝こうとしていた事に。

 握りこぶしに力強く親指を立てた意志に。

 誇り高い死に様を見せようとした姿に。


「もう少し彼女と一緒に居たい」

 別の仲間が顔を強張らせながら言うと、また誰かが声を震わせ提案した。

「演奏して彼女を送らないか?」



 小さな調べが、小さな噴水の広場に静かに流れ始めた。皆、シェリー・メアリーの奏でる旋律と歌声を思いながら演奏した。それはいつもの軽やかな演奏ではなく、音色たちも寂しそうに震えた。


 学校から終業のベルが聞こえ、帰りの子どもたちが数人、変わらず通り過ぎてゆく。

 音楽仲間の調べが続く中、たった今、64歳で逝ったシェリー・メアリーの声が聞こえてくる――


「意思そのものが時間なのかもしれない。存在を感じる事が時間なのかもしれない。思考がなくても意思があるのだとしたら? 小さな砂の一粒にさえも意思がある事に、なるのだとしたら? 電子や中性子やクォークにさえも思考ではない、意思があるのだとしたら? 素粒子たちの向こう側にも無限の意思が存続できる、果てし無い時空があるのだとしたら? 万物に『存在』と言う意思があるのだとしたら?

 それこそが重力となり、思考する為の『時間』を生み出しているのだとしたら? でも生命ではないので意思の伝達は存在せず、思考にはなり得ない。

『思考ではない意思。存在という名の意思』

 夢は生命個体を遮断して純粋な思考を試みようとしている事なのだとしたら? 命の約束から抗おうと試みているのだとしたら?」


「――だめ。私の考察は拙すぎる。全ての『何故?』が『もしも』の範疇はんちゅうから抜け出せずに、ただの妄想にしかなり得ていない。

 何の答えも…… 見つからない訳だ…… ふふ」



 演奏が終わり、4人の中では一番若い二人が老体を鞭打ってシェリー・メアリーの死を知らせるべく、急ぎ、管理区へ駆けだした。

 もう全力で走れない齢なので多少のじれったさは勘弁してほしい。

 そのうち、数名の管理官が何やら王仰な装置を転がしながらやって来た。知らせに行った二人も遠くに追い追い戻ってくる姿が見える。

「あれは、簡易冷凍睡眠カプセルじゃないのか?」

 残る音楽仲間の一人が指摘する合間に管理官たちは到着し、シェリー・メアリーの誇り高い死に様に気づきえらく心を打たれている。


 親指をピンと立てた握り拳。それは――

「私は死ぬけれど大丈夫よ」という力強い意志を示し、

 人が「自分が死ぬ」事に対し、他者に途轍とてつもないメッセージとなってあらわれていた。


「これが彼女の最後の意志なのか?」

 管理官たちが口には出さず音楽仲間に目で問いかけたのは、彼女の死に様に圧倒され、言葉にならなかったからだ。

 音楽仲間たちはしっかりと頷く。

 管理官一同、音楽仲間も改めて、ある者は直立不動の気を付けをしながら、ある者は胸に手を当てながら、またある者はひざまずきながら、シェリー・メアリーの亡骸に黙祷を捧げた。

 かと思うと「急げ」と、彼女をばたばたとカプセルに収め、装置を作動させた。

 異例な事が起きていると音楽仲間は感じた。なぜなら、普段は逝った者に冷凍睡眠カプセルは必要でないし、管理官が慌てる事もないからだ。しかし、今はその真逆の事が起きていた。


 シェリー・メアリーの亡骸を取り巻く人々を、遠目から見ていると、優しい時が静かに流れ、再びシェリー・メアリーの声が聞こえ始めた――


「死ぬ時は一人だと分かっていた。だからこそ、生きている内はいつも誰かと会っていたいのだと、常々みんなと語りあっていた。それはある程度出来ていたと思う」

「死ぬ間際は本当に死ぬほど苦しかったけれど。ふふふ」


 ドーム1の林の木影から、石畳の散歩道を覗くと、シェリー・メアリーの亡骸を入れたカプセルが、管理官と仲間たちに付き添われ、小走りに医療区へ向かっている。


「例え人類が、既に地球が必要としない存在なのだとしても、わが故郷ふるさと、わが家と呼べるこのシェルターで、一生を終える事ができた私は幸せだった。 人類は生き長らえているのではなく、地球から退けられ、ただ衰退していただけなのだとしても。 地球から廃種され、静かに滅んでゆく過程の中に居ただけなのだとしても」


「思えば人類は、どれほどの種を絶滅に追いやったろう―― 」


 医療区に、シェリー・メアリーの亡骸が運び込まれた。

 常駐の医療技師が、シェリー・メアリーの『Goodサイン』の拳を見て、管理官から説明を受け、感じ入っている。


「今は私たち一人一人が『人類の死はいつだろう?』と、怯えながら生きている。

 それは人が、自分は、いつ死ぬのだろう? どの様に死ぬのだろう? と考える事と似ている。

 シェルターの時代は人類史上初めて、全ての人々が余す事なく『人類の死』を共有した時代なのかもしれない」


「それは寂しい時代なのだろうか?」


「人類壊滅前の人々は、自分の死や家族や大切な人の死は心配しても『人類の死』を心配する事は稀だったのかも知れない。 ましてや、人類と言う同胞であっても、遠い他国の人々の死や、隣国の人々の死さえも心配する事は無かったのかも知れない。それ所か、互いに憎しみ合い、敵対し、それが戦争にまで発展してしまって、結局は自分の家族や大切な人たちを死なせてしまっていた。

 それは憎しみ合う相手の家族や大切な人たちと共に」


「戦争で沢山の人が死んでも、人類が滅ぶ事など考えもしなかった。或いは、やがて科学知識が豊かになると、逆に『どう足掻あがいても、いつか人類は滅ぶのだ』と気づき、『であれば生きたい様に生きてやる』と、刹那的な生き方をする人間が増え、益々、己と他者の存在を切り離してしまったのかも知れない。

 挙句、人類壊滅戦争の果てに、私たちは人類史上やっと、一人一人の死と人類の死がシンクロした…… 」


   ***


 次の日、医療区にて、冷凍睡眠カプセルに納められたままの状態でシェリー・メアリーの葬儀が執り行われた。


 葬儀に集った、故人に近しい人々の隙間から通路を覗くと、  

 床に項垂れ、なりふり構わず泣き崩れるウッドの姿があった。



 葬儀から数日後、目映い光に照らされたシェリー・メアリーの亡骸が、細心の注意と敬意を払われながら丁寧に切り刻まれていった。

 それは人々の立会いの下、医療技師たちの手によって。清潔感溢れる医療区の手術室で。


 シェリー・メアリーは生前、管理区に、ある一つ二つのお願いをしていた。否、お願いしていた数は本当はもう少しあって、「冷凍睡眠夢研究を他の職業欄と同じ頁に並べてほしい」も入っていたのだが、それは却下された。その理由を管理区に尋ねると、色々な文言が管理官の口から並べられたのだが、要約すれば、「人口調節に重大な支障をきたすから」 であった。

 シェリー・メアリーと言う逸材が現れた結果、冷凍睡眠夢研究者増加から、食料生産のバランスが課題になるとの事で、冷凍睡眠夢研究の文字を目立つ頁へは載せ難いのだと。

 シェリー・メアリーとしては研究者が少しでも増えれば、自分が居なくなった将来に冷凍睡眠夢のみならず、夢の不思議への、人類の科学的認知と解明が期待できると考えていたのだが。

 それから自分も年だし、ウッドを安心させる為にも人員増加は望んでいたのにと、シェリー・メアリーは酷く落胆した。

 だが、最も大切なお願い、未蘇生症解明に関する強い意志を示したお願いは許可されていた。


「私の死後、未蘇生症に陥り再蘇生した私の亡骸を、学術的病理解剖される事を切に望みます」


 だからシェリーの訃報に対し簡易冷凍睡眠カプセルが速やかに使用されたのだ。

「特に脳は詳しく調べていただければ」

 シェリー・メアリーは念を押していた。


   ***


「これは何だろう?」

 施術していた医療技師が同僚に意見を求めている。真新しいモニターにシェリー・メアリーの開頭された脳の一部が拡大され映し出されていた。その異変を、病理解剖の様子をモニターで見守る多くの人々が確認している。多くの人々と言うのは、最終冷凍睡眠から起こされた人々を含む、数十名の医療技師と管理官たちだ。


「硬膜でも、くも膜でもない。軟膜でもない。きわめて適切に説明するならば、軟膜の上にもう一枚、薄い膜の様な組織が形成されつつある。初めは軟膜の剥離、或いは肥大か膨張の様なものと感じられたが、明らかに軟膜と不明膜の間に層が確認できる」

 周囲が騒めき始めた。

 何が今、起きているのか誰にも理解できないでいた。



― シェリー・メアリーの声 ―

「幼い頃に永遠だったものが、大人になると永遠ではなかった事に気づく。ただ、永遠だったものの記憶だけが、いつまでも留まる…」


「永遠では無かったものが私たちを観察すれば、私たちなんて、存在が確認できないほど一瞬の何かでしかないのかも知れない…… 」



 老いて逝った、一人の婦人の脳に新たな層膜が形成されつつある事が確認された。

 今はまだ薄い皮膜以前の状態であったが、詳しく調べると脳神経細胞さえも確認された。

 これは驚くべき事であったし、生命科学的には否定されるべき事でもあったろう。だが、例えそれが一個体の特異症例だったとしても、『我々人類に、何か新しい変化が訪れているのではないのか』 との憶測が飛び交うには十分過ぎる未知の現象だった。 まだ、他個体の同現象は確認されてはいない。だが、腫瘍や他の疾患と言った類の物では決してなかった。

 もし、 もしも、

 脳神経細胞層、つまり皮質の新たな誕生なのであれば―― もし本当にそうなのであれば、我々人類は今もなお生物として、または知的生命体として、進化し続けている証しに足る、十二分な現象なのかも知れないと、そう思考しても良いのではないかと――

 

 この想いを正当化したかったのは、

 人類の新たな希望に成り得るからだ。


 人類壊滅後、文化は潰え、地球の生態系から外れ、唯、生き延びる事のみの存在となり、知的生命体としては、もはや進化する事は無く、退化するだけの存在となった『種の滅亡』の恐怖。

 何時いつからか、何処かしら人々の内に潜んでいた『人類存在否定』。

 その何とも息苦しい概念を、一気に取り払う事の出来うる希望に成り得たからだった。


   ***


 シェリー・メアリーが15歳の実習で風に飛ばされた、発電装置群犇めくドーム1の外郭屋上には、空を見上げる、老いた姿の彼女が一人ぽつんと立っていた。


 空は灰色に薄明るく染まり、ダーク色の粉の様な、塵の様な粒がこの世界いっぱいに舞い、漂っている。

 シェリーは両手で粒をすくうが、粒たちは手を擦り抜けてゆく。


「夢で、見た……

 これ、夢で見たわ…… 」

 シェリー・メアリーはそう思考した。


 辺りを見渡すと、粒たちは発電装置の金属部分に触れ、一瞬にして溶けてしまう。それでも遥か赤茶色の大地に目をやると、吹き溜まりでは溶けずに白く積もり始めていた。

 人類壊滅前の人間が見れば、これは一目で雪だと分かる。だが雪を見たシェルター人は、この1万8千年の間、一人も居なかった。





   ***


 途切れ途切れの雲間の空を漂っていた。

 遥か下は新緑が混ざる赤茶けた大地が顔を覗かせている。

 上空から降り注ぐ眩い太陽の日差しが、雲の影と共に地表に届いている。 遠く水平線を望むと〝雲の木漏れ日〟の中に、我が身を委ねているかの様な、光溢れる心地良い眺めの中にいる。

 レンブラントの光とも、天使の梯子とも言われる薄明光線の光の筋たちが、大気に霞む地平線まで続く。それはまるで、浅瀬の底まで日の光が届く海中に漂う様な、気持ちの良いひと時だ。

 だが、雲はいつの間にか厚みを増し、空を覆ってしまった。

 先程まで光溢れていた大地は灰色に染まり、薄白く霞み始め、世界はダークグレーの大気に支配され始めた。


   ***


「私が、私の大好きな故郷ふるさとに看取られたのは、

 西暦1万8千年代の、

 地球に再び止む事のない雪が降り始めた頃だった」


「私を看取ってくれたシェルターふるさと

 たくさんの思い出で溢れる、人生で一番大切な場所」


「私が生まれる遥か過去から補修が重ねられ、私の幼い頃からも少しずつ色や形が変化し続けているけれど、大きな天井の空間や、各区画を繋ぐ連絡路や、階段の位置は、今も何も変わらない。

 変わらないからこそ、折々の思い出が蘇る。

 楽しかった事も、苦しかった事も、切なかった事も、思い出したくない事も、鮮やかに蘇る。人生の記憶を忘れない様に守る。それはとても切なくて、とても苦しくて、時に精神が破壊されそうなほど残酷に。それでもなお、愛おしくて、離れ難くて 」


「 ……それが故郷ふるさと


「遥か未来には時間ときの忘却と共に、人類の遺骸の一つとして荒地に朽ち果て、憐れむ者もなく、静かに分子に還るのだろうけれど…… 


 !


 小さな泉の

白い秘密のガゼボの様に?



 あゝ、

 そうか

 そうかもしれない。

 このシェルターふるさとこそ、私にとって

〝小さな泉の白い秘密のガゼボ〟だったのかもしれない。


 切なくて、苦しくて、愛おしい…… 


 そうか!

 何てこと――


 今なら、

 今なら分かる。

 初代ジョンがなぜ、

 初代メアリーと家族を置いてまで、帰りたかったのか。

 なぜガゼボで逝きたかったのか――


 今なら分かる…… 」




   ***


 地球の生態系を破壊しつくし、99%の同胞に、この世のありとあらゆる苦しみを強いて奪い去り踏みにじり見捨て、シェルターと言う監獄に逃げ込んだ1%の富裕層の人々。

 その子孫はここで生き延びて来た。

 彼らがこの独房を故郷ふるさとや我が家と慕うのは、生れながらにして刑罰を受け続ける定めの者たちへの、神のせめてもの慰めなのか――


 シェリー・メアリー・イーブンソングの亡骸なきがらは冷凍睡眠装置で保存される事となった。

 彼女の脳組織の特異な症例は、人類の希望と未来予想の為にも是非とも残しておきたいと誰もが願ったからだ。

 死して冷凍睡眠装置で眠るとは何と言う皮肉だろうか。

 だが彼女ならばその運命を快く受け入れるだろう。

 すると、イーブンソング家にとっては、喜ばしい、小さな奇跡も起きた。

 シェリー・メアリーが若い頃に残した、ヒューとの冷凍受精卵を、今までのルールを覆し、優先的に子が授かれない夫婦や、子を希望する女性に提供する特例案が出されたのだ。

 シェリー・メアリーの脳組織に確認された、未知の被膜生成が遺伝的に受け継がれているのか、あるいはそうではないのか、確かめなければならないからだ。


 シェリー・メアリーとその先祖の〝10万年の恋の物語〟の主人公たちは、その血を絶やさず、再び生を授かる事になる。

 それはシェリー・メアリーはもとより、歴代のイーブンソング家やユーラー家の人々にとっても、素敵な贈り物だったに違いない。








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