第7章 ~いなくならないで~(1)
― 61歳のシェリー・メアリーの声 ―
「目覚めると、予兆夢を見なかった事に心底ほっとしていた。
でも―― そもそも夢も見ていなくて、がっかりもしてた」
「ここ数年は正夢も見なくなってる。
私が夢を、特に正夢を見なくなったのは『その時』が近づいて来ている証なのかも知れない。
そう、 考える様になっていた」
「それと、これはとても大事な事だからきちんと記しておかなければならない。
私が眠っていた、たった17年間の間に」
「シェルターがまた一つ、地球上から消滅していた」
「遠くヨーロッパ大陸の、元西側諸国の一シェルターだという。
私がこの世界に生まれ、今に至るまでの、実年数で約3000年間はシェルターの消滅は起きてはいなかったのに。
緊急救難連絡が入り、その後、突然通信が途絶えたらしい。
伝染病、食料生産崩壊、修復不可能な電源系統の不具合、建築構造物の大規模損壊、火災…… 原因は幾つも思い浮かぶ。
数十日後に、所在が秘密だったにも拘らず、近隣に在するシェルターに何百名もの人々が助けを求め辿り着いた。 何処も食糧生産事情が乏しく、助ける事が出来たのは数十名程度だったらしい。
助ける事が出来ずに残された人々は……
……これ以上語るのは、 もう、 よそうと思う… 」
また訪れてしまった悲劇は、人々に大きな衝撃と耐え難い不安を与えた。 生き残っていた他の12のシェルターも同じだ。
1万7千年もの間、幾度も繰り返され、忘れてはいないのに、 平穏に時が過ぎればいつの間にか安心してしまう。 皆、日々を必死に生き延びているのに。
音楽がシェルター人類に浸透しなかったのも、人類壊滅前の音楽が手が届かないほど素晴らしかっただけでなく、建設当時400もあったシェルターが幾度も幾度も消滅して行く度に、人々から音楽に傾倒する心の余裕が失われていったからだ。
もしプロの音楽家が居たなら、希望と勇気を与える旋律と歌声を人々に届けたはずだ。だがプロの音楽家が生まれる余裕は人類壊滅後のシェルター時代には終に訪れなかった。
今回のシェルターの消滅で、人々は、人類が確実に滅びゆく過程に在る現実を、まざまざと見せつけられていた。
朝の柔らかい疑似自然光が3つのドームを照らしている。
自宅から出た61歳のシェリー・メアリーが、普段通りに、ドーム1へと続く階段を伝い降り、研究室へ向かった。
「さあ、ウッドに会いに行くわよシェリー・メアリー」
***
「シェリー・メアリーさんから手紙を預かっています」
ウッドがカプセルから目覚めると、管理官から、文字がぎゅうぎゅうに詰め込まれた10枚ほどの配給紙を手渡された。
「起こされたばかりでこれか……」
ウッドはやれやれと、しかめっ面で、苦笑いだ。
― 61歳のシェリー・メアリーの声 ―
「ウッドには、彼が目覚める時に直接会って驚かせようと思っていたのだけど、流石に数日前に27歳だった私が61歳の姿で目の前に居ると、腰を抜かすとか、びっくりする以上に、心臓発作で倒れでもしたら大変だと思って目覚める時に会うのは
老眼鏡姿のウッドが健康診断の合い間にシェリー・メアリーからの手紙を黙って読んでいる。
「まだ30前だった私がなぜ61歳になってしまったのか、事細かに説明した手紙を認めた」
ウッドは健康診断を終え、シェリーからの手紙をそのまま手にしながら、いつもの地下の薄暗い通路から、明るいドーム1までの階段を上りきると、飛び切り感慨深くドーム1の空間を見渡した。
「また少し雰囲気が変わったな…… いや、 今回ばかりは大きく変わってしまったのかも知れないな」
「容姿は61歳でも、心は49歳になったばかりの、シェリー・メアリーが研究室のいつもの自分の席で待ってます。 そう書き添えた」
シェリー・メアリーも老眼鏡姿で、研究室のいつもの自分の席で、いつもの様にモニターに向かってキーボードを叩いている。
やがて、窓越しに見える通路に小さく現れたのは、二人の管理官に付き添われたウッドの姿だ。 いつもは一人で研究室に来る彼だが、管理官が二人も同行しているのは、シェリー・メアリーの状態を推し量りかねたウッドが多少不安に思い、一緒にと頼んだ。
ウッドが、彼女の席を気にしつつ、吹き抜けに架かる橋の様な通路を歩いている。研究室が近づいてきた。
スライドドアの前まで来た。
我が研究生の席に目を凝らしながら、いつもとは異なり、ドアを慎重に引き開けると、確かに
その人影が恐る恐る立ち上がった。
目を凝らせば、若い頃の我が研究生に似ていなくもない60代ほどの女性が、少し怯えたような、戸惑う様な仕草でこちらを見ている。
「シェリー … メアリーか?」
疑う様にその名を尋ねたその刹那! 女性が机の端にぶつかり!椅子の脚に
「ウッド! ウッド! 会いたかった!!」
***
「……シェリー・ ……メアリー 」
ウッドは絞り込む様な声で我が研究生の名を呼び、抱きしめた。
ドア向こうに居た二人の管理官が、抱き合う師弟の姿を見守りつつ「いいものを見させてもらった」 とでも言いたそうな、幸せそうな顔で、何となくお互いの肩をぶつけ合ったりしている。
シェリー・メアリーに抱き着かれたままのウッドが気にして、彼らの方をちらりと見やると、二人の管理官は、にこやかに軽く手を上げ、去って行った。 どうやら冷凍睡眠夢研究の二人が
「ウッド、私、おばあちゃんになっちゃってごめんなさい」
抱きついたままのシェリー・メアリーがうるうる声で詫びると、 今日は慈しみながら、いつものセリフを言うウッドだった。
「こりゃまた、 随分と成長しちまったもんだな」
さて、シェリー・メアリーがいつまでもしがみついて放さないのでウッドが多少困惑していると、不意に彼女が顔を上げ、ウッドをまじまじと見つめ始めた。 こんなに近くシェリーの顔があるのは生まれてこの方初めてで、何だか顔を赤らめるウッドだったが、唐突にシェリー・メアリーが尋ねた。
「ウッド、あなた若返った?」
二人の熱烈な
「シェリー・メアリー、そりゃ君が歳を重ねた分、オレとの年齢差が縮まったからそう見えるのじゃないのか?」
「そっか、そうかもね……」
シェリー・メアリーは自分が年を取ってしまった分、ウッドが若く見える不思議に、何故か、何故か、救われたような気がした。
「ウッドは私にとって奇跡だわ。十代の頃に出会ってから何も変わらない。変わってない。でも貴方にとって、今の私は『悪夢』その物ね。だって、27歳だったシェリー・メアリーが一晩寝て目が覚めると61歳になってるのだもの」
「誰だってそうさ。この閉ざされた冷凍睡眠の時代には、誰だって奇跡になったり悪夢になったりするのさ。それは原罪から俺達に科された終身刑の様にな。その償いはまだあと8万年ほど続くのさ」
ウッドの、解説の様な慰めにシェリー・メアリーは只、頷くだけだったが、ウッドも何か気づいた様に唐突に尋ねた。
「ありゃ? 数日前に分かれた時、君、30歳じゃなかったか?」
「27です」
(我が師匠は、相変わらず弟子の年齢覚えてないな~(笑))
20数年ぶりのウッドとの、何気ないこのやり取りをシェリー・メアリーはしみじみと懐かしんだ。
「さあ、データーをチェックするぞ。今回の1000年分は特別だ。君が体験してきた生のデーターに必ず量子脳理論に繋がる何かがある。 今はまだ手記の様な体験談しか残せないとしてもな」
「うん。分かってる」
ウッドと再び研究室へ籠り、データーを整理する間、シェリー・メアリーはずっと喋りっぱなしだった。(笑) 心霊写真量子テレポーテーション論の事、時間考妄想の事、ゴーリュディシア・ライトの事、被験実験の事、音楽に出会った事、ヒルデガルト・ランスレットの事、そして、自身が未蘇生症になってしまった事を。
ウッドと会えなかった20数年の時を埋めるかの様に。
喋らずに内緒にしていた事もある。
ヨーハンの事もそうだが、何より、ソファに何度か座ってしまった事は特に。(笑)
ウッドはまた、彼女のお喋りに耐えていたかと言えば、そうではなく、彼が聞きたがった。
お喋りも一段落し、再びウッドと共にデーターを整理する、この日常の時間を取り戻せた喜びを、シェリー・メアリーが唯々
「よく、 頑張ったな」
シェリーは最初、その言葉を聞き漏らしそうになった。だが、何とかその音を頭の中で拾い直した。
「未蘇生症になってしまった事?」
「ああ。 シェリー・メアリー、君は凄いよ。よく頑張った」
シェリー・メアリーは何だか目頭がふわふわした。
「ふふふ、ありがとうウッド」
二人とも、モニターに向かいながら会話をしていたのだが、シェリー・メアリーの、ちょっと半泣きの台詞と共にこの会話は終了し、研究室にはキーボードを叩く音が静かに聞こえるだけになった。
***
シェリー・メアリーの体験は実に効率よく纏められた。管理区を始め、各保守職の証言と共に、冷凍睡眠夢研究の資料として、量子脳理論の基礎研究資料として、次世代に手渡す為に。
あとは――、莫大な予算と複雑な研究装置、
ウッドはシェリー・メアリーの論文や仮説に目を通し、自らも幾通りか推考を重ねたが、絶対零度下での分子原子の熱運動に興味を示し、「原子核の陽子や中性子の様子も知るには、精巧で大型の実験装置が要るな」 と、苦笑いした。
― 61歳のシェリー・メアリーの声 ―
「ウッドは――、 自分がこの研究を終わらせる事は無いだろうと考えていたのかも」
「彼が人生の残り時間を考えた時、自分に出来る事は1000年単位のデーターを集め纏め、
「その後生とは―― 私だったのかも知れないけれど……」
***
シェリー・メアリーが、気になっていた音楽工房へ行く事が出来たのは、ウッドと共にシェリーの体験談を
― 61歳のシェリー・メアリーの声 ―
「工房に入ると何も変わっていない。
リュディと一緒に居た仲間たちは去ってしまっていたけれど、彼らの楽器が壁に掛けられていた。
『私たちが音楽を未来に伝える事で、過去何千年もの間、継承し続けて来た仲間たちが、時を超えて生き続ける事が出来る』
「私はリュディの言葉を思い出す。 量子脳理論に繋がる私とウッドのデーターも未来に手渡したい。今は、強くそう思う」
「人々が後世に何かを伝え続けるのって凄い。
音楽の
閃光、シェリー・メアリーの脳裏に、幼い頃の学校の帰り道、小さな噴水の広場で演奏する老人たちの姿が浮かび上がった。
「あの先輩たちも蘇る……」
遠い日々を想いながら、壁に掛けられてある楽器たちを見つめていると、幾つかの楽器を纏めて枠で囲む一角があった。何だろう? 枠の中央に掛かる木製プレートを見ると、手彫りで丁寧に――
〝ヒルデガルト・ランスレットの楽器たち〟 と刻まれている。
「ヒルダ!?」
囲いには4つの楽器が掛けられ、ヒルダの自作と説明がある。
3つの弦楽器と、一つはパーカッションだ。弦楽器の一つはシェリー・メアリーと一緒に拵えた物だ。
「あの時はまだ作りたてだったけど、今は使い込まれて黒光りしてる。ヒルダ、ずっと音楽を続けていたの? そのうち弦楽器だけでは物足りなくなってパーカッションまで…… だめ、ちゃんと喋れない。ふふ。研究室のヒルダの机には研究の功績も、置手紙さえなかったのに。うふふ」
時を
その冊子の一枚一枚には―― ヒルデガルト・ランスレットへの称賛と愛が綴られていた。
「これ、みんなファンからの手紙だわ! あなた音楽家として成功していたの? すごい!すごいわヒルダ! 貴女、世が世ならプロの音楽家(ミュージシャン)になっていたのかも!!」
老眼鏡姿のシェリー・メアリーは広い音楽工房で一人、声を大にしてヒルデガルト・ランスレットを祝福したが、冊子の末尾には殴り書きの文字があった。
『私ミュージカルがやりたい! くやしい!』
今は大勢で歌い、踊る事など、出来る時代ではない。
ライブラリで音楽関連の映像を貪り観て、人類壊滅前のミュージカルに出会ってしまったのだろう。
――それが好きな人、その上で才能のある人が現れる可能性は、このシェルター時代では先ず皆無と言っていい。 だがヒルデガルト・ランスレットは好きと才能の両方を持っていたに違いない。
「私が去って20年近く、貴女は悔しい思いをしながらも、子育てと音楽に生きたの?」
過ぎ去ったヒルダの悔しさの日々に想いを巡らせていると、何気なく見ていたプレート文字の下に、裸眼では気づけなかった小さな文字が書かれてあるのを見つけた。
『私の大好きなシェリー・メアリーありがとう もう一度貴女に会いたい』
シェリー・メアリーはその文字を、懐かしく慈しむ様に、いつまでも見つめていると、自然と声が漏れた。
「私もよ。ヒルダ…… 」
***
音楽工房が解放され、暫くすると、一人の老齢の女性が弦楽器を片手に、日暮れ時の養生区に姿を見せる様になった。 しかし、その女性は演奏するでもなく、ただ日々、楽器を手に一人、テーブル席に座っていたり、養生区の直ぐ脇にある円形広場の端っこに、ぽつんと立っていたりするだけだった。
シェリー・メアリーは、再び学校近くで演奏を再開するにしても、先ずは音楽仲間を募らなければと、養生区での弾き語りを思いついたのだが、どうしても弦を弾けなかった。
「私、 何をしてるのだろう……」
― シェリー・メアリーの声 ―
「怖かったの。 演奏する事が」
「一つのシェルターが消滅してまだ数年、人々の心は深く沈んでいる様だった。
『人類は衰退している』
シェルターがまた一つ滅んだ。その事が、たった17年前の人々とは何かが違う『静かな陰り』の様なものを
私の知る今までのシェルターの人々には無かった、怯え・怖れ・不安・悲観・そして諦め。それらを隠そう隠そうとする姿が、その醸し出されている物の正体だった」
『人類は既に地球の生態系には含まれていないのだ』
『人間は生き延びているのではなく、只、滅び続けていたのだ』
『私たちは静かに滅亡してゆく時間の中に居ただけなのだ』
『人類は―― 衰退しているのだ』
「忘れていたい、でも忘れてはならないと必死に生き延びてはいても、決して忘れさせはしないその大罪に、呪いに、宿命に、
「人類を裏切った者共の末裔である私たちは、
だからこそ「こんな時にこそ音楽を」と、挑んだシェリー・メアリーだったが、シェルター時代の人類に決して定着しなかった音楽を、今この状況下で奏でても「誰も振り向きはしないのでは」との怖れが―― 延いては、音楽への否定を決定付けるかも知れない恐怖が交差し、音を奏でる事が出来ないでいた。 更には、楽器を持ち、ただウロウロしていると、周りの人たちとは存在の異なる、避けられる者の様な負い目にも苛まれ始めていた。
何も出来ないまま、ただ養生区に居ただけの日が6日ほども続いた頃だろうか、不意に聞きなれた声がシェリー・メアリーの耳に静かに飛び込んできた。
「シェリー・メアリー、君の音楽を聞かせてくれよ」
「ウッド!?」
(なぜウッドがここに居るの? なぜ私に声を掛けたの?)
シェリー・メアリーは瞬時に思考する。
↓
変な木の加工物を持ったおばあさんが毎日、何をする事もなく養生区に居る。不気味だ。
↓
管理区に報告が入る
↓
「はは~ん」と管理官がシェリー・メアリーである事に気付く
↓
ウッドに報告される
↓
ウッドが「やれやれ」とやって来た。
「オレに君の音色を。誰に
シェリー・メアリーは、ほんのちょっぴりの笑顔をウッドに見せたが、それでも弾き始めようとはしない。
「ほら、そこの土手の芝の上に二人で腰を下ろして、んでオレのリクエストに応えてくれりゃいいんだ。他の奴の事は気にするな」
二人は養生区すぐ横の、樹木が何本か植えてある芝生の土手に腰を下ろした。
夜のとばりの疑似自然光が薄らとドーム1の天井を映し出している。 漆黒の闇は安全上問題があるからと建設当時から灯りが天井を照らしていたが、それこそ初期のドームは、夜でも派手に明るく眩しかった。それがいつの頃からか自然に沿った夜をと、ぼんやりと天井が映る程度に光量が落とされた。 シェリー・メアリーが、天井に点在する小さな非常灯が、変てこな星に見え始めたのは、卒業イベントの夜空を見て以降の事だ。
二人が腰を下ろした芝生は、街灯が樹木の影を照らし出し、見上げれば闇の中に浮かび上がる枝葉の緑が鮮やかだ。
『ウッド、ありがとう。今なら私、弾ける』
心で会話したシェリー・メアリーが遂に音を奏で始めると、静かな養生区に、静かな調べが優しく響き渡り始めた。 すると、其処此処に居た人々が「ああ、あの人やっと演奏し始めた」と、好意的にシェリー・メアリーの居る方へ顔を向けたり、静かに耳を傾けたりし始めた。
皆ずっと待っていたのだ。彼女が楽器を弾き始めるのを。
だからウッドがここに来た理由も、実は
おばさんが夜ごとに、楽器を手に養生区に居るのだけど、なかなか弾かない。
↓
演奏する気がないのかな? じれったい。
↓
管理区に相談。
↓
管理官が「シェリー・メアリーだ」と直ぐウッドに相談。
↓
ウッドがやって来た。
のだった♪
― 61歳で再び楽器を奏でたシェリー・メアリーの声 ―
「もしウッドが居なくて、一人だけで弾き始めていたら、人々の反応がすごく気になって、『歓迎』を『迷惑』と勘違いしてしまって演奏を止めていたかもしれない。
でも誰かが『弾いてよ』『聴いていたいよ』『もっと続けて』と声を掛けてくれていた様な気もした」
幾本かの樹木の
人々が羨むほどに、素敵な恋人同士に見えていたに違いない。
***
やがて後世に残すデーターの整理も終わり、ウッドが1000年の眠りに着く時が来た。
「今回の1000年は5名の予兆夢者が現れて、そのデーターを纏めたけれど、ウッドの関心は私の未蘇生症帰還に集中した。それでも量子脳理論を構築するものとしては全く不完全だった。
『やっと俺達が捜しているデーターの基礎が見つかったのかもしれないぞ』
ウッドはそうは言っていたけれど、喜んではいなかった。
『人々を苦しめる物からのデーターに、研究者が歓喜してはいけないのだよ』って。
ウッドのこの言葉、私大好き」
師匠が去った後に、シェリー・メアリーはまた少しばかりこの時代に留まる。
音楽を再び蘇らせるために。
ウッドが眠る日、今回ばかりはちゃんと彼を見送ろうと、師匠が煙たがるのをよそに、シェリーは冷凍睡眠区まで来ていた。
22年振りに会えたのだ。名残り惜しかったのだ。
(この
「シェリー・メアリー、また1000年後に会おう。もう無理せずにさっさと寝るんだぞ? あの夜の養生区の音楽会は素敵だった」
ウッドが、お世辞の様な、誉め言葉の様な事を言ったので、シェリー・メアリーはびっくりして、
「ウッドがそんな事言うとは思わなかった!」と、笑顔で茶化した。
「じゃあな、シェリー・メアリー、また明日な」
片目をギョロリとさせながらウッドはカプセルに入って行った。
「さあ、音楽に集中しよう」
シェリー・メアリーはその後、養生区で新たな音楽仲間を募る為に一人演奏を続けた。
***
ウッドが去って1年と6カ月ほどが過ぎた頃、金曜日の養生区の円形広場に、楽器を手にした数名の音楽家たちが集まっていた。
いつもはシェリー・メアリー一人で演奏しているのに、今日は何事? とパラパラと人が集まり始めている。
63歳になっていたシェリー・メアリーが、リーダーたる口上を述べ始めた。
「1万年以上も前に『このシェルターにも音楽を』と有志が集まり、私たちの世界に再び音楽が蘇りました。でも、このシェルターの時代、幾度も潰えました。それでも、音楽はその度に復活したのです。
それが音楽の力なのかも知れないと、今は思っています。
今日、またこうして
円形広場でシェリー・メアリーたちが音楽を奏で始めた。人々がその周りを囲んで聞き入っている。 それは多くの技師でお祭り騒ぎの様になる、体調調整日前夜の様な賑やかしさではなく、例えるならば――
〝静かな神事の様な
― シェリー・メアリーの声 ―
「ウッドの居ない日々に寂しくならない様にと、私はデーター整理の業務の合間、ほぼ毎週養生区で、新たな仲間を募るために演奏を続けていた。甲斐あって仲間は少しずつ集まり、ウッドが去ったその後、皆で幾つかの楽曲を1年ほど練習した。
そして、今日が新たな音楽仲間とのデビューの日となった」
数曲を一通り披露すると、今度は人々の中に紛れていた数人の仲間も加わり、皆で合唱が始まった。
その曲はリュディの歌だ。
するとどうだろう、合唱中に、自然と歌う仕草をする人たちが、かなりいたのだ。
その後、私も歌いたいと言う人が幾人も仲間になった。
『そうか、歌だ。歌から入れば良かったんだ』
それは多くの人に、音楽が身近になるとても喜ばしい発見だった。
「でも本当は、ちゃんと楽器作りをして演奏できるようになって欲しいのだけど。これは合唱団になっちゃうかな(笑)」
微笑むシェリー・メアリーは、リュディやお別れして行った仲間たち、先人たちに思いを馳せる。
「彼らの命がまた蘇った。彼らは永遠に生き続ける」
シェリー・メアリーは気づいていただろうか? 皆で合唱しているこの情景が、何処かミュージカルの舞台の様に見えていた事に。
***
音楽の復活を見届けたシェリー・メアリーは、そろそろウッドの後を追わなければと考えていたのだが、出会った仲間たちと別れ難く、なかなか冷凍睡眠に入る事ができないでいた。
金曜夜の演奏は定番となり、近頃は今まで以上に人々で賑わい、やっと、シェルター消滅の重い気配が抜けた様だった。
今週の金曜日も賑わいの内に演奏が終了しようとする間際、年の頃は30代手前だろうか? 一人の青年技師が難しい表情をしながらシェリー・メアリーの前に歩み出た。
何事だろう?
人々が見守る。
「あなたはシェリー・メアリーなのか?」
シェリーは、彼が一歩前に歩み出た時、誰だか分っていた。
「ヨーハン…… ヴィーヨルテ」
シェリーは優しい眼差しだ。
ヨーハンは、自分の名を言い当てた目の前の老いた女性は、シェリー・メアリー・イーブンソングなのだと確信し、動揺した。
ヨーハンは若いままだ。シェリー・メアリーが未来へ旅立った時、彼は24歳。その頃は氷期に備えるため、建築構造の改善作業を寝起きしながら繰り返していた。 ヨーハンが27歳になった頃にそれは概ね終了し、彼は短期集中保守作業時間とのバランス調整で、長期冷凍睡眠待機となっていた。
だからヨーハンはまだ27歳だ。
彼からすれば、30歳のシェリー・メアリーと別れて、3年しか経ってはいなかった。
ここ1カ月ほどは、土木建築保守の常日待機技師が、一寸した懸念を定期点検で発見し、拡張安全点検の為に50名ほどが解凍蘇生され、ヨーハンもその一人だった。
もし、二人の再会が、お互いに齢を重ねながら生きてゆく時代の再会であったなら、それは二人で居た時間を懐かしむ、とても素敵な時間になっただろう。
だが、共に生きてゆく事の出来ない者たちの再会は、多くの場合、悲劇を生み続けていた。
ヨーハンは、老いたシェリー・メアリーを前に酷く狼狽していたが、視線を彼女から逸らすと、足取り重く、その場からフラフラと立ち去ってしまった。
だが二人の再会を見守る人々の眼差しは優しい。多かれ少なかれ、遅かれ早かれ、皆々、大切な人と時が過ぎゆく事の出来ない時代を生きていた。
ヨーハンの去り際「みんなそうさ」との意で彼の肩に優しく手を添える人々が幾人も居た。
***
その夜、イーブンソング家に現れたのはヨーハンだ。ドアは開け放たれ、シェリー・メアリーと彼は、その内と外で対峙している。
彼は、 とても怖い
「あなたは 本当に シェリー・メアリーなのか?」
シェリー・メアリーは、彼の思い詰めた様な問い掛けに、静かに問いで返す。
「あなたは私が本当のシェリー・メアリーであってほしいの? それとも シェリー・メアリーではない方が良いの?」
ヨーハンは答えない。彼はシェリーの問いに戸惑っている様だ。
シェリー・メアリーは問いを続ける。
「今あなたを苦しめているものは何?
私? あなた自身? それとも―― 私たちシェルター人の運命?」
彼の口は開かない。
ヨーハンはまだ若く、シェリー・メアリーは大人の女性として熟達していた。
シェリー・メアリーは語り続ける。
「私も若い頃、同じ思いをした。
夢の研究の為に超長期冷凍睡眠を選んだ。目覚めると同い年だった恋人は老いていたわ。
私はとても動揺した。老いた彼が、生涯私を愛し続けていた事を知って、私は私の人生の選択が正しかったのか、分からなくなった。
でも、私は、老いた彼に救われた」
「私が再び長期冷凍睡眠に入る日、彼とは言葉を交わさずに見つめ合ったのが最後だった。その後も冷凍睡眠夢の研究を続けていた時、まだ私が20代だった頃に あなたと出会った」
シェリー・メアリーが言葉を終えて暫く経つと、やっとヨーハンが口を開いた。
「…僕の事は 今はもう 思ってくれてはいないの?」
「今でもあなたの事を思っていてもイイの?」
ヨーハンはまた答えなくなった。
「女と男は違うわボーイ」
「あなたは、今のあなたに相応しい
週明けにまた保守作業に戻るんでしょ? 名誉と誇りある仕事を疎かにはできないわ。さあ、今日はもう身体を休めなさい」
ヨーハンは何も言わず、俯いたまま静かに立ち去った。
― 63歳のシェリー・メアリーの声 ―
「私は毅然とした態度をとれたけれど、若いままのヨーハンと再会した時、二人で居た頃の記憶が蘇って、唯々、麗しかった。
そして 苦しかった。
こんなにも懐かしむ想いが苦しいだなんて…。
50代のヒューが、まだ20代だった私に、どんな想いだったのか、
やっと、やっと、気付く事が出来た。
そして―― とても―― …… 」
***
次の金曜日、演奏会のさ中に再びヨーハンが訪れた。
「いらっしゃい」
曲を終えたシェリー・メアリーが優しく迎え入れると、ヨーハンは何も言わず、静かにハグを求めた。シェリー・メアリーは息子を抱き留めるかの様に優しくハグをする。
シェリーに包まれた彼の口が開いた。
「明日、また長期の眠りに着くんだ……」
「そう……」
シェリー・メアリーが静かに微笑むと、彼女の瞳は、ヨーハンを見つめていた。
「でも……」
ヨーハンが続けた。
「でも、僕に相応しい女性は――、
シェリー・メアリー、 君だったよ」
ヨーハンを見つめる瞳が小刻みに揺れ始め、彼を凝視する。
「今度は僕が『私に相応しい人は、ヨーハンあなたよ』って、言ってくれる人を探さなきゃね」
彼がそう言い終える前に、ヨーハンを見つめる瞳が滲み始めた。
「泣かないで。シェリー」
「うん…… ふふ」
二人の短いやり取りが終わると、ヨーハンは自分の唇を、老いたシェリー・メアリーの唇に重ねた。
演奏会に集う人々が、静かに優しく二人を見守っている。
40歳ほども離れていたであろうこの二人が、嘗て同世代の恋人同士であった事に、シェルター人が何を疑う事があろうか。
ヨーハンはシェリー・メアリーの温もりから離れ、別れを告げる。
恋人だった二人が、今は、遠い母と息子の様に見える。
「さよなら。シェリー・メアリー・イーブンソング」
「さよなら ヨーハン・ヴィーヨルテ……」
― 63歳のシェリー・メアリーの声 ―
「この時代、多くの悲劇が人々の間で繰り返されていたわ。
それはまるで罪を償わせる呪いであるかの様に」
「その一つ一つを、 今ここで語ろうとは思わないけれど……」
――誰かが何百年も歳を取っていなかったり、誰かはあっと言う間に歳を取っていたり、自分もあっと言う間に歳をとったと思われたり、いつまでも若いままだと思われたり。
折角知り合えたのに、気がつけば何百年も前に亡くなっていたり。
それがシェリー・メアリーたち、シェルター人の宿命だ。
冷凍睡眠装置が発明される以前の人類は、皆一緒に齢を取った。
自分が忘れていたり、もう覚えていない記憶を、共に生きた誰かが憶えていて、「ああそうだった」と、懐かしく思い出す。
その体験が格段に少ない彼らは、寂しい時代に生きていたのかも知れない。
多くの人々と一緒に成長し、一緒に大人になり、一緒に老いてゆく事が出来れば、それはどんなに素敵な事だったろう。
人類壊滅前はそれが当たり前だった。
共に時を刻む当たり前が、シェルターに生きる人々から見れば、
どんなに尊く、羨ましい事だったろう――
***
― 63歳のシェリー・メアリーの声 ―
「ヨーハンが去ったその夜、久しぶりに母の夢を見た。
『たまには会いに来て』と、夢に出てきてくれたのよ。きっと」
次の日、シェリーが母の眠る冷凍睡眠区に入ると、ウッドの事も思い出していた。 「もう会いに行かなきゃ」と思いながら、母の眠るカプセルの小窓を覗き込むと――
「 私の娘? ―― 」 と思うほどに、 母は若かった。
「とても不思議な感覚。でも母は母だ。例え歳が20歳以上逆転したとしても、今、ここに眠る女性は、私よりも二回りも年上の、私の大切なお母様だ!
私は、強く、強く、 そう思った 」
「お母様、私、ヨーハンの人生をとても辛いものにしてしまったわ」
――何も語らない母の顔を暫く眺めていたシェリーだったが、久しぶりの母との別れ際、もう誰も「可愛い」と言ってくれなくなったであろう、母の大好きな〝ぷくぷくほっぺ〟を思わず、
また来るね の代わりにしていた。
***
「私は選択した人生を正しく生きる事が出来ただろうか?
日々、正しい未来を選べただろうか?
志高く、生きただろうか? 潔く生きただろうか?
『どちらを選択すれば正しいのか、ではなく、どちらを選択してもそれはあなたの人生において正しい―― 』
私を導いてくれたリュディの言葉を思い出す。
私はヒルデガルト・ランスレットの様に悔しく思う程の情熱を、たった一つの人生に懸ける生き方が出来ただろうか?
大切な人たちとの大切な時間を蔑ろにして来た様な人生だった。
遠くに行こう行こうとし過ぎてしまったのかも知れない。でも、私の夢はその向こうにあった。ここまで何とか来たけれど、来てしまったけれど、希望の場所はまだ遥か彼方。なのに、私の時間はもう、そんなには残されてはいないのだと何処かで気づいてしまった。何処で気がついたのだろう? 残酷な気づきだった」
「最初は『私の見る不思議な夢は何なのだろう』だった。冷凍睡眠夢研究に携わると、今度は『時間とは何だろう』となって『温度も重力も時間なのでは』になった。心が成長するには『思考する時間』が必要なのだと身をもって知った。思考とは何だろう?精神とは何だろう? 私の身体は60歳に成長しても心は48歳のままだった」
「私の人生の伏線は何も回収されてはいない。
不思議な夢の答えも、冷凍睡眠夢の答えも、量子脳理論の答えも、未蘇生症の答えも、意思や時間の答えも、そして、私自身の人生の答えさえも!」
「私はみんなと一緒に生きた方が良かったの?
その方が幸せだった?
なぜ不思議な夢を見せたの?
そんな夢たちは無視すれば良かった?」
「時が随分と過ぎてしまって、振り返れば、何かとても大切だったものを忘れたまま生きていた様な気がする。忘れてはいけない記憶の欠片だけを、何かの拍子で思い出してしまって、なぜ自分は忘れていたのだろうと自身を責める。それは、殆どのピースを失って永遠に完成できなくなった、大好きだったパズルの、その完成していた時の絵を必死で思い出そうとするかの様に。
朝目覚めた時、ほんの僅かな記憶だけを残して忘れ去る夢と同じ事なのかも知れないと思いながら」
「人生の終盤になって、それでもなお解決できずに留まり続けるもの達の、この悔しさは何?
「ヒュー! ヒュー! 貴方に会いたい!
なぜ貴方と生きなかったんだろう!
私が選択した人生は無意味だったの?
私は何の答えも見つけられなかった。
ヒュー! 貴方と一緒に生きればよかった!
ヒュー!!」
幼い頃のシェリー・メアリーがまた現れて、今の彼女にに問いかける。
『未来の私、今のあなたはどんななの?』
「私は精一杯生きて来たと思う。でも幼い頃の私に誇らしく言える様な人生だったかどうかは分からない。今の私が幼い私に会う事はとても恥ずかしくて、出来れば会いたくない。
後悔だけはしたくないと思いながら生きて来たけれど、その生き方こそ、後悔ばかりが募る人生だったのかも知れない。
いつか見た占いの夢の様に、探し物は何も見つからなかった。人生の望みも叶わなかった。冷凍受精卵は残す事が出来たとは言え、イーブンソングの血を再び絶やしてしまった……
晩年になって何も手にする事が出来なかった悔いに気付いてしまった。でもそんな事、幼い頃の自分に打ち明けたくないと思った」
「私の大好きな過去の私、あなたは今の私をどう思うの?」
シェリーが幼い彼女に恐る恐る問うと、少女の頃のシェリー・メアリー・イーブンソングは何も答えずに消えてしまった……
***
出来る範囲で
シェリー・メアリーは下校時間にリュディ達と過ごした、小さな噴水の広場で演奏する事にしていた。
時には一人で。時には仲間たちと。
ふらりとやって来て、その日の人数で出来る曲を。
でも今日は4人の仲間を誘っていた。
「私、リュディの歌を〝フル〟で歌いたいからお願い」
またウッドに会いに行く決心が着いたシェリーだった。
言い出しっぺで張り切り過ぎたのか、彼女が一番に噴水の公園に着いた。
まだ少し時間がある。いつものベンチに腰かけ仲間を待った。
「筋トレや
一人、目を閉じ、外界探索の頃を、あの時の仲間と共に懐かしく思い出す。
「あの草原の台地は立派な森に育ったかな」
目を開けると、今度は何気なくドーム1の風景を、一人静かにしみじみと眺める。
「 ……それが
今、シェリー・メアリーは何かに想いを馳せながら、自分と共に居てくれた、シェルターと言う名の故郷を愛おしんで呼んだ。
僅かな風が木々の葉を揺らし、シェリー・メアリーの身体を微かに通りぎてゆく。
各ドームでは、複数の巨大な送風機が、強制的に、ドーム全体に風を行き渡らせているのだが、それでも「そよ風」が精いっぱいだ。
シェリー・メアリーは、木々が少し騒めくほどの風を想像する。
木々はこんなにも風に揺れるのだと、外界探索の時に知った。
「私、本当はまだ52歳なんだけどな…… ふふ」
想いを巡らせていると、 悔しさの欠片が 小さく 漏れた。
何故か、 少し、 汗ばんでいた。
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