第6章 ~泣かないで~
「目が覚めるとまた『あっと言う間』だった」
シェリー・メアリーが、まだ蓋が開けられていないカプセルの小窓から辺りを窺っている。 だが視界は二重にブレながら揺らいでいて、どうも焦点がはっきりしない。 たった今まで居たヒルダたちの姿はもう見えない。
「おかしいな… 今迄はスッキリと目覚めたのに、何だか寝ぼけている感じ。 それに、管理官は普段は2名なのに、他に多くの人が居て医療技師も見える… 」
「そう言えば、小窓の形が寝る前と違う―― この小窓は…… 」
今、何が起きているのか、はっきりしない頭で必死に思考する。
「そうか、私は……」
「私は 未蘇生症になったんだ」
自分が入っているカプセルは冷凍睡眠カプセルではなく、医療区の睡眠治療カプセルだ。
身に纏うスーツも冷凍睡眠用ではなく、睡眠治療用スーツだ。
シェリー・メアリーは少しずつ意識がはっきりしてきた。
カプセルの蓋が管理官によって開けられた。
「シェリー・メアリーさん、聞こえますか!?」
管理官の、意識した大きな声が響く。
シェリー・メアリーが上下にゆっくりと頷くと、その場に居る人々からは「おお」と、安堵する声が漏れ、皆、何とも言えない笑顔でシェリー・メアリーの様子を、恐る恐る、観察する様に見ている。
身体を起こそうとして上手く起き上がれずにいると、二人の管理官が支え起こしてくれた。
(力が入らないのは、筋力が落ちただけではない???)
「・た・、わた しは、……(はあ……)」
自分の声とは思えない程に
「わたし は なんねん、 すいみん ちりょう カプ セルに(はあ、ふう ) はいって いま したか?」
やっとの思いで言葉にするが、自分の声がとても怖い。
一人の管理官が答えた。
「シェリー・メアリーさん、貴女は〝12年間〟この睡眠治療カプセルに入っていました」
シェリー・メアリーはまだ自分の姿が確認できない。代わりに我が両手を掲げ、まじまじと見る。すると、48歳の若くツヤのある手ではない、無数のシワが刻まれた老いた手が目の前にあった。
その手が震えはじめ、それを見詰め、彼女の息がまた荒くなった。
「わたしの ねんれい は……」
自分は48歳だ。今でも。 と、頑なに思う。だが……
「60 さい…… 」
自分を見つめる人々を見渡すと、ガラス戸に写る我が姿を見つけた。
彼女は、すっかり――
歳を取り、痩せ細衰えていた。
***
― 60歳のシェリー・メアリーの声 ―〈声の調子は48歳の時のままだ〉
「私の身体は60歳になってしまったけれど、私の心は、精神は、 まだ48歳のままだった」
「どういう事か説明するわね。
私がウッドに再び会う為に旅立つ時、やっぱり、どうしても未蘇生症が怖かった。とても怖かった。
でも、未蘇生症に罹った時は、その身体でも、いえその身体だからこそ、何かこの病の解明に役立つ事が出来るのではと考えた。
もし罹った時は『冷凍睡眠保留にせず、睡眠治療で再蘇生出来るのか、その経過観察実験を』と願い出たの」
「プランはこう。
先ず、冷凍睡眠から目覚める時間は、ウッドが起きる30年前にした。
30日前 じゃなくて、30年前よ?」
「その時、未蘇生症にはならず、予兆夢も無ければ再び眠り、ウッドに会いに行く。
もし未蘇生症になっていたなら、私を睡眠治療に移し、経過観察処置とし、再蘇生するのか覚醒操作を定期的に行う。再蘇生できなければ経過観察を続け、その継続時間は私が老衰で死ぬまでとした」
「そして、私は目覚めた。未蘇生症となり、睡眠治療に移され、12年後に―― 再蘇生者として」
***
シェリー・メアリー再蘇生の朗報は未蘇生症の新たな局面を迎えるに至ったが、目覚めれば10年歳を取っているという、耐え難い副作用の恐怖も生まれる結果となってしまった。 それでも保守技師たちを「未蘇生症は完治する可能性がある」と安堵させた。
と言うのも、シェリー・メアリーが眠っていた652年の間に、今度は5例の被予兆夢者が現れていたからだ。
その5名の時はシェリー・メアリーもウッドも緊急解凍で起こされずに済んでいた。二人の協力の下でマニュアル化されていた対処方法が上手く行き、5名は睡眠治療を経て一時的な未蘇生症克服を成し遂げていた。
ただ、4例目だったゴーリュディシア・ライトから、症例者は9名にまで増えていた。明らかに未蘇生症の進行は、この得体の知れない恐怖は、深く静かに侵攻していた。
シェリー・メアリーは1年間のリハビリに専念した。
「気持ちは全く48歳のままだったけど、筋力低下とカスレた声も手伝って、10000歳かと思うほどに老い
この未蘇生症克服の決定的なデメリットは、人として生きる経験値が全く得られないまま老いてゆく事だった。しかも瞬く間にだ。
「覚悟していた筈なのに…… 覚悟、 していたのに……」
身体だけが老いてしまったシェリー・メアリーは、消灯中の病棟のベッドの中で、一人静かに、そのか細い体を震わせて泣いた。
「私は私の大切な、多くの人たちから去る人生を歩んで来たけれど、今度は自分自身からも去ってしまった様な気がしてならなかった」
「私は『人間を愛していれば大丈夫』『人々が大好きだったら大丈夫』『この世界に恋していれば大丈夫』 そう思い込む事にした」
リハビリに集中するシェリー・メアリーは、日を追う毎に筋力が付き、ふくよかになり、声も出せる様になっていった。だが彼女は鏡を見ようとはしない。ガラスに映る自分の姿にも神経質になっていて、いつもうつ向いて歩いていた。
数か月後、シェリー・メアリーは付き添いの女性医療技師と共にドーム1の緑地に立っていた。
やっと歩けるまでに体力が回復し、外出許可が下りたのだ。
「また少し雰囲気が変わってしまった… 」
シェリー・メアリーは
その足で管理区へ出向き、管理官たちに、長年に亘る経過観察実験取りまとめのお礼を述べると 「シェリー・メアリーさん、随分と若返りましたね」と、ニコニコ顔で言ってくれたので、帰り際、恐る恐るガラスに映る我が姿を見ると、48歳とまではいかないにしても、10000歳の様だった容姿は消え、60代半ばまでには回復していた様で、随分とホッとしたシェリー・メアリーだった。
そして――
懐かしい道。
わが家への道。
何とか階段をのぼり、 上り終えた踊り場でドーム1を眺める。
眺め終えるとシェリー・メアリーは僅かばかりの時間、イーブンソング家へ里帰りした。
― シェリー・メアリーの声 ―
「いつまでも変わらない故郷にまた出会え、変わらぬ我が家へ帰れる事は、とても幸せな事なのかも知れない。 生まれ育った家が朽ちる事なく何千年も存在しているなんて、人類史上初めての事なのかも。 懐かしくて、暖かくて、切なくて、永遠に落ち着く事ができるこの場所を、いつまでも失いたくない」
「
流石、いつの時代も管理官たちの人を見つめ続ける思いは変わらない。シェリー・メアリーは深く感謝する。
「もうひとつ、寄ってみたい処があるの」
医療区までの帰り際、シェリー・メアリーが乞うた。
その華やかな通りを歩いてゆくと
今はもう他の人の住む 懐かしい邸宅の前まで来た。
りんごん と鳴らせば 憧れのあの人が
今でも笑顔で出迎えてくれそうな気がする。
「ここらは人気物件だものね……」
嘗て自由に出入り出来た、大切な人との大切な思い出の場所は、 今は部外者となって立ち入る事さえ出来ない。
シェリー・メアリーはその寂しさを胸に治め、3軒先の音楽工房に足を進めた。
「だめだわ。低温窒素保存されてる」
付き添いの女性医療技師が確かめてくれた。
音楽は
使用予定のない研究室も空気化はされていなかった。
「ヒルダ、あなたはその後どう生きたの? 研究成果を少しは残しているの?」
シェリーはビリオネラ区でしばし思いに
1年のリハビリを終えたシェリー・メアリーは、晴れて退院すると、再蘇生の我が身を数々の医療検査に提供したのち、17年後に目覚めるウッドに会いに行った。
たった17年だけれども、またこの時代にお別れをした。
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