第8章 ~忘れないで~


 雪空を見上げる死後のシェリー・メアリーは、64歳から、48歳の姿になった。

 あの頃の姿に戻った彼女が、再び発電装置群の屋上に目をやると、


 何かが変だ。


 人影が見えるのだ。


 雪舞う屋上には、先ほどまで発電装置以外は何もなかった。 

 だが、今は人影が確かに見えるのだ。

 それも一人二人ではない。白く積もり始めていた雪のドーム1屋上に、薄黒く浮かび上がるその人影は、何十人も、否、もう既に何百人もの数に増えている。しかも彼らは只々ただただシェリー・メアリーだけを見つめている。

 重苦しく、得体の知れない不穏が漂っていた。

 人影は増え続け、屋上は彼らで埋め尽くされてゆく。だが気がつけば、この巨大なシェルターが建つ大地にも彼らは現れ始め、シェルターを完全に取り囲んでしまった。それでもまだ彼らの出現は収まらず、大地の彼方まで人影で埋め尽くされてゆく。


 未だ嘗て経験した事のない恐怖が、シェリー・メアリーに襲い掛かっていた。お母様だってこの状況では気絶すると思いながら。

 この時、シェリー・メアリーは32歳の頃の姿になっていた。


 影の一人が実体化し、シェリーに近づいて来る事に気付いた。

 戦慄するシェリー・メアリーは20歳の頃の姿になっている。

 その人物は電気保守技師の姿をしている。が、ヒューではない。

 襲って来る感じでもなく、優しいたたずまいの男性だ。


「シェリー・メアリーさん、やっと貴女にお会いできた。

 ルッツ・シュラーマンです」


 名前に聞き覚えがある。誰?

 シェリー・メアリーは16歳の頃の姿になっている。

 戸惑う16歳のシェリーにルッツが説明を加えた。

「マリーノ・ロットとは同期で、ヒュー爺に教えを授かりました」


「あの未蘇生症の!?」

「未だ眠っている筈のあなたがなぜ、今、目の前に居るの?」



「今の、私の状態が――〝未蘇生症の実態〟なのです」


   ***


 シェリー・メアリーは、雨の草原の夢を見た、6歳の頃の姿になっていた。

 シェリーは目眩がしそうだ。もしそうであれば、

 未蘇生症とは、

『冷凍睡眠における体外離脱』という仮説が成り立ってしまう。


いまここにいるひとたちも未蘇生症みそせいしょうなの?」

6歳の容姿のシェリーは〝幼い声の大人の声で〟問う。


「彼らは1万8千年前の怨念です。

 人類壊滅の年、シェルターに逃げ隠れた富裕層を許す事の出来なかった多くの魂が、そのまま怨念となったと彼らは言っています」

「ですが、永い時が過ぎると、彼らの憎しみが悲しみに変わったのだそうです。

『簡単に滅ぶな。永遠に苦しめ』と念ずる者も居ます。

 でも多くの者たちは今は、私たちを見守っているのだそうです」


「『私たちの事を忘れるな』

 『だから滅ぶな』

 と 見守っているのだそうです」


   ***


― シェリー・メアリーの声 ―

「私をも含む、物理的に存在しない無数の意識がすぐ目の前にあった。

それは――、量子脳理論に繋がる完璧な欠片ピースに違いなかった。

 それなのに、パズルを完成させるための、理論の構築や、理論を証明する実験研究や…… 研究結果を人類に広める論文発表は、〝死んだ〟私には出来なかった……」


 6歳のシェリー・メアリーが恐る恐る尋ねた。

「では―― 未蘇生症みそせいしょうかれらののろいではないのね?」


「勿論。試しに彼らと話してみてください。怨念となっても彼らの人としての優しさがまだ残っている事が分かりますよ」

 ルッツに促され、シェリー・メアリーは近くにいた怨念に恐る恐る話しかけたのだが…


「く・る・し・い… く・る・し・い… く・る・し・い… …」


「シェリー、彼は1万8千年前に目を覆いたくなるような死に方をして、人格が破壊された怨念です。 彼のような意識もまた無数にこの世を彷徨っています」

 ルッツは別の怨念をシェリー・メアリーに会わせた。


「しんだひとは たびだちます でも あなたは とどまっている だから わたしたちは あなたを みている」


 黒くうごめく彼らの中に、よく見れば赤子を抱いた女性の怨念が何人もいる事に気がついた。

 シェリー・メアリーはヨーハンと一緒だった時代、食糧生産を手伝っていた頃の女性仲間の子どもたちや、ヒルダの可愛い赤ちゃんを抱いた時の事を思い出さずにはいられなかった。

 6歳の姿のシェリー・メアリーは涙で溢れる顔を手で覆い、お尻を地べたにペタンと着け、しゃがみ込んでしまった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん… な… さい……」


 子を抱く母親らしき怨念が、泣くシェリーに返した。

「かがいしゃの こころからの しょくざいが わたしたちを ほんのすこし いやします ながいながい しょくざいは わたしたちを ほんのすこし いやし つづけます ありがとう… 」


 ルッツがシェリーの肩に手を添え慰めた。

「ありがとう、シェリー・メアリー。 あの人たちがまた、救われました」


― シェリー・メアリーの声 ―

「初期の怨念たちが、シェルターを崩壊させていたのかも知れない事は、想像に難くないけれど…… 」

「もし、生き延び続けた私たちに罪の苦悩が芽生えなければ、私たちは遥か昔に、彼らに滅ぼされていたのかも知れない……。

 私たちを呪い続けてきた彼らは、永い永い恨みの末に、人類の滅亡に気付いて…… だとすれば、彼らはもう怨念なんかじゃない。

 彼らは昇華し、人類を守る精霊に…… 」


「ルッツ、あなたはいつもこのひとたちと一緒いっしょるの?」

 ルッツは笑顔を見せ否定した。

「いつもではありません。普段は静かにしている彼らが急に活発になったので、急ぎ来てみたのです。 すると貴女がいたのです。

 貴女には、なかなかお会いできなかったから、彼らが貴女の存在を私に教えてくれたような気がしています」


 気恥ずかしそうなルッツは話を続ける。

「と言うのも――、 未蘇生症体となった当時の私は、この状態に気付いてほしいと、シェルター中、誰彼かまわず話しかけたのですが、誰も気づいてはくれなかったのです。 そこに未蘇生症を追及している女性が、集中治療中の私の前に現われた。

 その女性はヒュー爺がただ一人愛した人… マリーノと私の憧れの女神だった女性ひとでした…… 」


 今度は、6歳の容姿のシェリーが気恥ずかしそうに、はにかんだ。

「マリーノにははなしかけなかったの?」

「彼も気づかなかったのです」

「そう…(あせ)…… 」


「でも貴女も気付いて下さらなかった。思案して、貴女の精神が穏やかな時、つまり就寝中に話しかけようと思い立ったのです」

「ルッツ、あなた、わたし寝込ねこみを……」

「そんな事しません!!」

「マリーノの就寝中しゅうしんちゅうためさなかったの?」

「したくありません…」

「そう…(あせ)…… 」


「しかし、貴女に話しかけていると、私の意識が貴女の幼い頃の時空に迷い込んでしまうのです。その上、上手く同期できずに常に風が吹き続けている様な現象を伴って意識がズレるのです」


おさなころのあの悪夢あくむは! 貴方あなただったの!? ルッツ!!」


「ああ、やはり、私は貴女の幼い頃の時間軸に迷い込んでいたのですね? ごめんなさいシェリー・メアリー、貴女はいつもうなされていましたね。そのうち私が呼びかける夢から逃れる術を身につけてしまった。強く息を吸い込んで…」

「一度だけ、私に触れる事がありましたね。あの時、私の意識が渦巻いてしまって上手く行きませんでした。

 落胆した私は貴女に話し掛ける事を止めてしまった」


「ルッツ、あなたは体外たいがい離脱体りだつたいとして過去かこ跳躍ちょうやくしたというの?

 なぜそんなことができるの?」

「私は逆に、貴女ならその答えを教えて下さると思っていたのですが… 」


 ルッツとシェリー・メアリーはまだ、黒い影たちに囲まれていた。

 どうやら二人の会話を聞き入っていたようで一人の精霊が話しかけてきた。

「わたしたちの じかんは ずっと とまっています ですが あなたたちには まだある まだある まだある まだ…ある…… 」


 ルッツがそっとシェリーに提案した。

「彼らと長く居ると結構疲れます。気分を変えるために、世界を旅してみませんか?」


「世界を旅する」の意味を図りかねる、まだ6歳の容姿のシェリーの手を取り、ルッツはジャンプした。途端に二人は高く舞い、雪雲を貫き空に出た。二人はさらに高空に昇り、青空が夜空になると、丸い地球を眺めた。

 シェリー・メアリーは若い頃にウッドが見せた『3本目の試練の映像」を思い出した。

「あの映像えいぞうによくている。でもこの実体験じったいけん映像えいぞうじゃない」

 6歳のシェリー・メアリーが現実の宇宙空間に包まれていると、眼下の地球では両極地が白くなり、雪に閉ざされ始めていた。

「ルッツ、わたしたち、いまどうなっているの?」

「私たちは所謂いわゆる精神体です。物理法則に干渉されない存在ですから好きな所へ瞬時に移動できるのです。 でも なぜ―― それが出来るのだと思いますか? 貴女なら答える事が出来るはずです」


「…量子りょうし…テレポーテーション?」

「やはり貴女もそう考えますか? と言う事は、我々、未蘇生症精神体が存在している領域は何処だと思います?」


 ルッツの続けざまの問いにシェリー・メアリーは、突然、時間が止まったようになった!


「 ……量子的りょうしてき 存在そんざい…… 」


― シェリー・メアリーの声 ―

「なぜルッツが、過去の私の意識へ干渉できたのか―― その答えがおぼろげながら見えてきた」

「霊魂にしろ、未蘇生症体となった精神体にしろ、意識が量子領域の存在なのであれば、量子テレポーテーションの同時存在性は距離だけでなく、『時間にも干渉する』との仮説が成り立つ―― 」

「私の幼い頃の悪夢がルッツの干渉だった事は間違いない事。 

 この事実こそが『量子テレポーテーション時間干渉』の証左ではないだろうか―― ああ、量子脳理論の欠片が増えてゆく… 」



 シェリー・メアリーの答えに満足したルッツは彼女に促した。

「さあ、量子テレポーテーションで旅をしてみましょうシェリー。

 地球を眺めて、どこか行きたい場所はありませんか?」

 シェリーはずっと探していた地が頭に浮かび、思わず口にした。

人類じんるいそとらせる低汚染地ていおせんちいの?」

 ルッツは申し訳なさそうな顔になった。

「私たちは汚染測定器を持ってはいませんし、手元にあっても触れる事さえできないのです。 我々の存在が物理的に干渉されないと言う事は、私たちも物理的な存在に干渉できないのです」

 ガッカリしてしまいそうなシェリー・メアリーだったが、生涯を通して最高に行ってみたい場所をたった今、思い出した。


「USA一般いっぱん階級かいきゅう経営者用けいえいしゃようシェルター『チャールトン・ホソノ』にれてって!」


「お安い御用です」

 二人は瞬く間に地球に降下し、アメリカ大陸のどこかにあるくだんのシェルターの上空へ移動した。


   ***


 そこはシェリー・メアリーのシェルターと比べれば、如何にも簡易的な、量産型建築物であり、頑丈ではあるが、甲虫の殻のような単純なつくりのシェルターだった。


なかはいっても?」

「勿論」

 ルッツと共に屋内に侵入すると、小振りのドームが一つあるだけで、人々が2万年近くも生き延びたとは、とても思えない中規模型のシェルターだった。

 見渡しても人の姿はない。 たぶん、殆どの人が冷凍睡眠中なのだろう。

だが、シェリー・メアリーは満足そうだ。

「ユーラーひとさがさなくていい。こうして、初代しょだいジョンのシェルターが、いまだ健在けんざいであることかっただけでも―― 」

 勿論、目には涙をいっぱい溜めて。


― シェリー・メアリーの声 ―

「『もっと他に行ってみたい所は?』 ルッツがそう尋ねると、私は低汚染地探索時代の湖の森や、夢の草原の今が気になったけれど、ユーラー家のシェルターに居るだけで胸が張り裂けそうで、これ以上はもう、何も望まなかった」


「では、宇宙の果てに行ってみましょう」

 ルッツの発言にシェリーが戸惑っていると、瞬時に未蘇生症精神体の仲間が50人ほども集まった。

 見れば容姿はまちまちで、普段着姿の人、作業用スーツを着込んでいる人、気密防護服姿の人、中には、冷凍睡眠用スーツのままの人もいる。

「どうこと? 未蘇生症みそせいしょうはもうこれだけのかずになっているの?」


「未蘇生症はあなたが思っているよりも拡大しています。

 上層部はパニックを恐れ、一部の管理官が知るのみですが、未蘇生症は、世界に散らばる各シェルターにも及んでいます。

 今ここに居る仲間たちは、私と同様、精神体として目覚めてしまった者たちです。

 でも未蘇生症と確認されないまま、冷凍睡眠待機中のカプセルで、自分がそうだとは気づかないまま寝ている者も、結構な数に及んでいるようです。

 普段着のシェルター人の姿を見ても分かる通り、それは既にの人々にも、及んでいます」


「もう、すでに 人類じんるい滅亡めつぼうまでのときは あまりのこされては――」

 6歳の声が震えていた。



「さあ、行きましょう。宇宙の果てへ」

 シェリー・メアリーが思考にふける中、ルッツは彼女の手を取り、また一気にジャンプした!


 瞬く間に宇宙空間に50人ほどの仲間と移動した。先ほどより地球が小さく見えた。更にジャンプすると、白い粒の集まりにしか見えない小惑星たちが、球体状に集まっている空間に移動した。

「これが太陽系ハローです。更に飛びますよ?」

 三度飛ぶと天の川銀河とアンドロメダ銀河が望める空間に移動した。

 地球から見れば、天空一杯に広がる天の川銀河が、今は掌に収まるほど小さい。

「怖いですか?シェリー」

「ええ…」

 更にジャンプすると、天の川銀河の属する小規模銀河団が望める空間に移動した。更に移動した空間では、小規模銀河団同士が連なる大規模銀河団が、まるで脳神経細胞の網の目のように無数に絡み交差し、一つの巨大なスポンジ状の構造の光景が広がっていた。

「別名、宇宙の泡構造と呼ばれている空間です」

 気がつくと仲間たちが少しずつ居なくなっている。

「流石にここまで来ると、私たちの銀河さえ、どこにあるのか全く分からなくなります。このままでは宇宙の迷子だ。なので、ポイントごとに3名の仲間を待機させ、無事地球に戻れるようにしているのです」

 更に何度かジャンプして宇宙の泡構造から離れると――



 シェリーの目の前に白く広大な球体が浮かんでいた。   


   ***


「シェリー・メアリー、この白い球体が、我々の宇宙です。

 仮に『人類宇宙』と名付けています。直径は… よくは分からないのですが、

5000億光年はありそうです。

 今、眺めているこの白い球体の外殻が、つまり宇宙の果てです」


― シェリー・メアリーの声 ―

「ルッツが何を言っているのか、最初は理解できなかった。 でも、地球から何度もジャンプして人類が物理的には決して到達できない宇宙の深淵まで来てしまった事だけは分かってた。でも、私たちが今居るのは宇宙の深層部ではなく、宇宙の果てなのだと言う。

 この白い大きな球体は只の星の様でもあるし、高密度の太陽系ハローの様でもあった。しかも辺りを見渡せば漆黒の空間が永遠に広がり、遠くにはたくさんの星々も見えて、ここが宇宙の果てだとは到底思えなかった」


「あれは星々ではなく別の宇宙です。 老いた宇宙もあります。生まれたばかりの宇宙も。あそこに見える、二つの宇宙が今まさに衝突し合体している様は、逆にまるで細胞分裂しているかの様でしょう?」

「この無数むすうしろほしようひとひとつが宇宙うちゅう?」


「人類にとって途方もないこの空間もまた、一つの宇宙構造体でしかないのかも知れません。その遥か先には宇宙構造体が無数に存在しているのかも知れません」


とおくなるってこうことね… 人類じんるいにとって、いまはまだ、太陽たいようけいでさえ、見果みはてぬおおきさなのに…… 

 でも、わたしたちがいまにしているこの光景こうけいは『ひかり』ではないのね?」


「その通りですシェリー。光が人類宇宙から隣の宇宙に届くまで何百兆光年も掛かると考えています」

「もっととおくなるわルッツ。 いまわたしたちがているこの光景こうけいは、ているのではなく、かんじているのね?」

ええ肯定、おそらく量子感知です」


量子感知、 光さえ留まっている様にしか感じられない広大な空間で、物質の存在を知るための、量子ゆらぎを応用した視覚感知方法。精神体であるシェリー・メアリーたちに光を感知する器官、つまり眼球は物理的には存在しない。しかし量子的精神粒子を眼球の様に構成させ、精神粒子の量子テレポーテーションをナノ秒間隔で繰り返し、物質を感知させ、それを視覚化する方法だ。

人類壊滅前の3Dレーダースキャンの構造に似ている。


 物理的生命体のままであったなら、決して見る事など出来なかったであろう、宇宙構造体の光景を、シェリー・メアリーが記憶に刻みながら見入っていると、遠方の一角で――、いきなり眩しくほとばしる物質の放出が始まった!


二人は我が身が破壊されそうなほどの眩しさに恐れ戦いた。

シェリー・メアリーは、初めての晴れの日に見た太陽を感じた。

だが、太陽よりも遥かに小さな白い点は、宇宙構造体を包み込むほどの輝きだ!


「ルッツ!これはなに?」

「シェリー・メアリー! 宇宙構造体での、この爆発的物質の放出は!…… 」



「ビッグバンかも知れません!」



   ***


 しばらく、物質放出の眩しさに照らされ放心していた二人だったが、輝きが収まると、ルッツがシェリー・メアリーに問うた。

「シェリー・メアリー、私たちは未蘇生症精神体とならなければここまで来る事はなかった。宇宙誕生の瞬間の光景を見届ける事もなかった。貴女はこの事をどう思いますか?」

「どうこと?ルッツ」

「人類にとって、未蘇生症とは何か? と言う事です。単なる突然変異の疾患だと思いますか?」


 シェリー・メアリーはほんの暫く、その問いに思考していたが、ルッツに問いで返した。

「ルッツ、あなたには仮定かていこたえがあるのね? あなたは未蘇生症みそせいしょうとはなんだとおもうの?」


 ルッツは、少し緊張したような笑顔になった。

「私は… 未蘇生症とは… 」



「〝人類の新たな進化〟 なのではないのか、と考えているのです」



   ***


― シェリー・メアリーの声 ―

「霊魂となってこの世から旅立つ事もなく、精神体として現世に残った私たちは今、人類宇宙の外殻まで到達する事ができていた。

 それは、人類進化を肯定するに足る現実と捉えても、良いのかも知れなかった」


「ですがこの進化には決定的な欠点があるのです」

 ルッツが続けた。


「子が生まれないという事です」


「物理的生命体としての人類の総人口は、推測ですが、残り13のシェルターに5千人から2万人が眠っていると仮定して、6万5千人から26万人

 この全てが精神体に進化しても、天の川銀河の尺度でさえも、存在しないに等しい数なのです。人類宇宙でさえも無限と言っても良い大銀河団が連なっています。更に宇宙外殻の彼方には数多の宇宙が広がっています。たった20万程度の人口では、他の宇宙に挑戦できる精神体に進化しても、それは為されないのです」

 ルッツの息が、いや精神状態が荒くなっていた。

「だから、何としても、必死に生き延びているシェルターの人々に私たちの事を伝えたいのです。 物理生命体として繁栄する基盤があってこその、人類の精神体進化なのです」


「シェリー・メアリー、量子脳理論を追い続け、未蘇生症に果敢に挑戦し、死しても霊魂にはならず、精神体となった貴女なら、この難題を克服できるのではと思っているのです」


― シェリー・メアリーの声 ―

「ルッツの、人類への想いが伝わる言葉だった。

 未蘇生症体となって、気が遠くなるような時間を過ごす間、ルッツは人々にこの事を伝えるため、あらゆる英知を養ってきたに違いない。それはどれほどの困難を伴っただろう。

 その彼が私を必要としているのであれば…… 」


 6歳のシェリーが人類宇宙の外殻で思考にふけっていた。

かならずあるはず。シェルターの人々ひとびと人類じんるい進化しんからせる方法ほうほうが―― 」

 暫く思考したシェリー・メアリーは、急に目ん玉が真ん丸になって顔を上げ、ルッツに提案した。


「ねえルッツ、悪夢あくむから目覚めざめる奥義おうぎためしてみない?」


 シェリーの謎圧に押され、ルッツは思わず耳を貸したが、二人で何やら重要な会議が始まった。

 やがて話も纏まったらしく、二人は顔を上げ、改めて目の前にあるこのバカでかい人類宇宙を眺めた。

「帰りましょう、シェリー・メアリー。彼らを目覚めさせるために」

「ええ、わたしたちの地球ちきゅうへ」


 二人は人類宇宙の中にジャンプした。途中、何度もジャンプしながら、待機してくれていた仲間たちと共に、地球への帰路についた。


― シェリー・メアリーの声 ―

「天の川銀河とアンドロメダ銀河の中継地点まで戻った時、行くときは宇宙の果てまで来てしまった様な孤独感と不安感に満ちていたのに、今は自分の知る宇宙へ帰ってこられたような安心感に溢れていた。それは、人が、人類が、何かを経験して成長した、と言う事なのかも知れなかった」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る