第9章 ~おねがい目覚めて~
中央管理棟ラウンジから、デッキテラスへ続く出入口の梁には、イーブンソング家の2冊の絵本が、窒素パックに包まれて、飾られている。
初代メアリーの原本は不透明パックに。シェリー・メアリーが模写した真新しい『10万年の恋の物語』は透明パックに。
管理区が彼女の遺品の中からイーブンソング家の物語を知り、シェリー・メアリーとヒューの、受精卵保存の貴重品に収められていた絵本を発見した。
管理区は彼女を忘れまじと、シェリーがよく使用していたデッキテラスの出入り口に飾った。
ラウンジの窓越しに、シェリーがランチを楽しみ、ヒューから結婚を申し込まれたテーブルが見えている。
先程から、微かな非常用アラームがラウンジ内に鳴り響き、電源喪失を知らせていた。
普段は冷静な管理官たちが、今は大慌てで緊急解凍の処理を進めている。蘇生した電気保守技師たちも人数が膨れ上がっている。
大規模な電源喪失危機だった。
***
冷凍睡眠区の複数の睡眠室では、人類解放の日まで、永い眠りに就いていた最終冷凍睡眠の人々が、何十人、何百人も、次々と緊急解凍で目覚めている。
あちらこちらのカプセルから、蘇生の機械音声が何重にも響き合い、生命危機の緊急性を増幅させていた。
緊急蘇生時は、管理官は個別に対応できない。目覚めた人々はカプセルの内側から自らロックを解除し、蓋を開け起き上がる。
『只今…緊急蘇生中です…室内を…常温に…調整中…そのまま…待機して…ください……只今…緊急蘇生中です… … 』
機械音声が状況を繰り返し説明している。
だが――、
蘇生を終えても、蓋の開かないカプセルが幾つもある事に、冷凍睡眠室で作業する管理官たちが気づき始めた。
「未蘇生症か!?」
まだ蓋が閉じている複数のカプセルを前に緊張が走る!
「数に追い付けない!」
管理官たちは未蘇生症の確認はせず、即、再冷凍に追われた。
室内の操作パネルに並ぶ確認モニターには、目覚めない人々の顔が次々と映されている。
――時間がゆっくりになった。
ゾーンや、タキサイキア現象の様に……
すると 目覚めなかった彼等が次々と
強く 息を 吸い 喝ッと 眼を 見開いた!!
未蘇生症と思われた人々の幾人かが次々と目覚め始め、自らカプセルの蓋を開け、上半身を起こす姿を、確認モニターが順を追って映し出していた…。
――ゾーンや、タキサイキア現象のような時間が元に戻ると、目覚めた人々の幾人かが息遣いが荒かったり、我が身を確かめる様に両手でガツガツと身体に触れたり、辺りを見渡して安堵したりしている。
その内の誰かが半泣き声で叫んだ!
「わーっ!! 戻れた…… 戻れた! 戻れたア!!」
その泣き虫は、管理官を確認すると半泣きのまま訴えた。
「長い間、未蘇生症で体外離脱状態だった! シェリー・メアリーという女性の導きで生還できた! 全てを報告するから至急会議を開いてくれ!!」
再冷凍に追われていた管理官たちは、何の話なのかさっぱり分からない様子だ。
泣き虫に援軍が加わった。
未蘇生症から目覚めた人々が、次々と管理官に訴え始めたのだ。
「私もシェリー・メアリーから!」「オレもシェリー・メアリーと言う女性から!」「彼女のお陰で戻れたんだ!」「シェリー・メアリーだ!」「シェリー・メアリー!」
援護された泣き虫が続けた。
「我々人類は未蘇生症を経て精神体に進化したらしいんだ!
これは人類進化の発見の報告だ!!」
***
緊急解凍が滞りなく終了した。
目覚めた人々が管理官を促し、管理区へ向かう彼らの姿を、ルッツとシェリー・メアリーが見届けていた。
ルッツは呆れたような、それでいて嬉しそうな表情で彼らを見送りつつシェリー・メアリーに話しかけた。
「貴女の『悪夢から目覚める』作戦がこんなにも上手く行くなんて…… 」
64歳の姿に戻っていたシェリー・メアリーはルッツをチラリと見て答えた。
「まさか本当に成功するなんてね」
「ええっ? 成功するとは思っていなかったのですかっっ??」
「うふふ。ルッツも私の幼い頃の悪夢の当事者でなければ、この提案は却下してたでしょ?」
「 … まあ…… そうですね…… 」
― シェリー・メアリーの声 ―
「宇宙外殻で思い悩んでいた時、幼い頃の『悪夢から目覚める奥義』を思い出した。と言うか、それ以外思い付かなかった(汗)」
「ルッツに相談すると、ドン引きしてた(笑)」
「『あらルッツ、ヒュー爺の女神である私のお願いが聞けないの?』と、彼を脅し いえいえ、説得した」
「地球に帰ると、未蘇生症精神体の人々に、もう一度、自分の体内に戻り、眠ってもらって〝悪夢から覚醒する奥義〟を試すよう説得した」
「勿論、この無謀な試みは何度も何度も失敗して、350年ほどの永い試練が続いたのだけど―― 」
「でも、なぜ、精神体になり、更には再び目覚める事が出来るのか――、 その科学的解明はこれからね。
それは 明日の人類に委ねる事しか出来ないけれど…… 」
***
目覚めた人々が管理官を従えて、
「マリーノがね」
「え?」
「マリーノが、 貴方を出し抜けなかったって… 」
「?」
「彼とは20代の頃に出会ったのだけれど―― 丁度あなたが未蘇生症になってしまった時ね。 マリーノが、私を誘いたかったと告白したのは、彼が私から去る時だった。
シェリー・メアリーは悪戯っぽくルッツを見た。
「マリーノの奴……」
ルッツはシェリーから視線は外したが、幸せそうな顔を返した。
続けてシェリー・メアリーは、ルッツにあるお願いをした。
「あのねルッツ、あなたの身体も冷凍睡眠待機で保存されてるから、そのうち目覚める事が出来ると思うの。それでね……」
「何ですか?」
「ウッドに、先に逝ってしまってごめんなさいって、伝えてほしいの。私は大丈夫だからって」
「それから――
いつかまた会えたら―― ソファの秘密も教えてねって」
「??? ソファの……秘密、ですか?」
「 そう。 ソファの秘密♪」
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