第3章 ~ひとりにしないで~ 


 プシュ、と、軽くエアが抜ける音と共に、シェリー・メアリーは怖い顔付きで、蓋の開いた冷凍睡眠カプセルから起き上がった。

 二人の新たな管理官に付き添われ、ドーム2を望む階段まで来た。

 石畳の小道に先ほどまで居たヒューはもう居ない。 ドーム2の風景も、先程の

1000年前とはまた少し雰囲気が違う。

 シェリー・メアリーはイーブンソング家と研究室の空気化が行われる間、管理官にこの時代の状況を尋ねた。 結果、


〝氷期はまだ訪れてはいない〟事が分かった。


 その事に驚いたシェリー・メアリーだったが、人類壊滅前の時代、今では信じられないほどレベルの高い観測体制と、数多あまた活躍していた気象学者や天文学者でさえ、地球の長期気候の完全な解明は出来てはいなかった。 シェルターで細々と人類が生き延びる現代の、僅かばかりの気象研究者が予想した、氷期到来の時間がずれていたとしても、何も咎められるものではない。

 それよりも、外界の居住可能地の探索が進み、遂に希望の地が発見されたのではと心躍らせたシェリー・メアリーだったが、それは大きな落胆に終わってしまった。

 探索はシェリー・メアリーが眠りに着いてのち、350年ほど経つと成果なくその役割を終えていた。


 何処にも無かったのだ。

 外で人類が暮らせる地など――。


 今、生き残っているシェルターは14。

 シェリー・メアリーが外界へ探索活動に参加した1000年前は、外界で生存できるかも知れない希望を抱いていたシェルターの人々だったが、今は何か重たい空気に包まれていた。

 シェルターの見た目やドーム内の風景が1000年前と違う以上に、人々の活気が随分と落ち着いていたというか、物静かだった。


 数チームで構成されていた探索隊も解散されて久しい。

 当時の仲間たち、メキ、アラリ、そしてヤエル、彼らも最終冷凍睡眠に就き、あるいは長期冷凍睡眠待機となっていたが、リーダーのシンと、サブリーダーだったファニタは最終冷凍睡眠は選ばず、シンは管理官として、ファニタは管理官補佐として生涯を終えていた。

「――やっぱり。あの二人らしい」

 シェリー・メアリーは二人のその後の人生を祝福し、二度とシンとファニタに会えない事を寂しがった。


― 26歳のシェリー・メアリーの声 ―

「私の生体時間で1年と数ヶ月前まで耳にしていたリーダーの、『そこは我慢だ』の口癖は、もう聞けない。

 隊員たちを気遣い、それでも辛い任務になる時に、彼自身も私たちと苦楽を共にする時に出る台詞だった。

 決して  彼の決め台詞が私は大好きだった」


「私は彼らと共に居た。確かに居た」


 次に目覚めた時に寂しくなるからと、知り合いを作らない様に努めていたシェリー・メアリーだったが、探索チームの一員になった時からその努力は無効化されてしまい、今こうして皆の顔を、外界の探索に出かけていた日々と共にしみじみと思い出す。

 そして、とても寂しがった。 とても寂しがったのだが、彼らと過ごした時間が、自分の人生にとって、どれほど大切な時間になったのか、唯々、皆との出会いに感謝した。

 とても寂しいと言う事は、それが掛け替えのない、最も大切な物の一つである事に、シェリー・メアリーは気づいたからだ。


 そして、ヒューは

60歳を境に現役を引退。若い技師たちの指導技師として、その経験と技術を惜しみなく後生へ伝え、64歳でその命を終えていた。

 壊滅前先進国の平均寿命と比べれば若過ぎる死だが、シェルター人はかなり短命で、ヒューの死亡年齢もこの時代の平均値だった。


― シェリー・メアリーの声 ―

「ほんの数十分前、階段下の石畳に立ち、私を見上げていた彼が、数年後、64歳で亡くなり1000年の時が過ぎた。 私はヒューのその後を確認しなければ、前に進めなかった」


 管理区で、調査隊の皆の事や、ヒューの確認を終えたシェリー・メアリーが物静かに立ち去るところを、対応した管理官が「待ってください」と、慌てて呼び止めた。


「ヒュー技師から貴女へ手紙を預かっているのです」



 それは―― 千年を跨いだ手紙だった。

 管理官から受け取る時、シェリー・メアリーの手が震えていた。

 家に帰り一人で読むか、研究室で読むか迷う。

 それとも養生区で…… ああ、それがいい。お酒の力を借りよう。 

 そう思い、管理官へお礼をと顔を上げると、ヒューの事を問い合わせに来た時は3名だった管理官が、いつの間にか7名に増えている。

「遂にこの手紙を宛名の人物に渡す時が来たなんて凄いな」

 管理官たちは感激している。

 ああ気づき、そうか、彼らは代が変わろうとも、この手紙を千年も守り続けてくれたのだ。 その事に気付けたシェリー・メアリーは、

「今、皆さんの前でこの手紙を読んでも良いですか?」

 自然と、この言葉が出ていた。

 管理官たちはたいそう驚いたが、「勿論黙読で」と付け足されると、全員満面の笑みで「差しつかえなければ是非にでも」となった。


― シェリー・メアリーの声 ―

「ヒューの事だから、とても恥ずかしい事が書いてあったらどうしようと思ったけど、声に出さなければ良いし、皆さんにはお話しできる範囲で何が書いてあるか、口頭でお伝えすれば良いと思ったの」

「老いた彼の思いが詰まっているのだろうと緊張した。 お爺ちゃんになったヒューを想像しながら読み始めると……」


 真剣に手紙を読み始めたシェリー・メアリーだったが、いきなり眉間にしわを寄せたかと思うと「何それ?」「バカじゃないの?」「子どもかっ(汗)」「え~? っっっっとにバカじゃないの!」と反応している。 管理官たちが多少困惑しながら見守っていると、そのうち涙をぽろぽろ落とし始め、泣き笑顔で「大ウソって何よ?」と指先で涙をぬぐいながら手紙を読み終えた。

 管理官が「大丈夫ですか?」と声を掛けるとシェリー・メアリーは涙を拭きとり拭きとり、小さく幾度か頷き「もし良ければ皆さんでお読みください」と、手紙を管理官に手渡してしまった!

 受け取った管理官は流石にびっくりして「良いのですか?」と確認するとシェリー・メアリーは

「勿論。但し声は出さずにお願いします」と念を押した。

 周りの管理官たちも「ほんとに?ほんとにいいの?」といった風で手紙を受け取った管理官の後ろにぞろぞろと集まって来た。

 手紙を持つ管理官は「では」と黙読し始めると、後ろにいた管理官たちは彼が一枚一枚を読み終える前に読み終えようとして、文字を追う彼らの目と首がタイプライターの様に小刻みに動く姿は一寸面白おかしい。 手紙を持つ手が一枚めくると「ああしまった、まだ読み終えてないのに」という表情をする管理官も居れば、その管理官をチラ見し「俺もう読み終えたもんね」とドヤ顔をする管理官も居て微笑ましかった。


 では時を少し戻し、管理官が読み始める所から「シェリー・メアリーへの手紙」に何が書かれていたのかを一緒に覗いてみよう。



―  一枚目  ― 

 シェリー・メアリー・イーブンソングへ

 今日、君が冷凍睡眠カプセルに入ったよ。まだまだ寂しさの覚悟が出来てなかった事に気づいたので、君へ手紙を書く事にしたよ。 あ~、お腹空いた。俺の部屋さあ、またオヤジ臭くなるのかな? 何か君が忘れたものないかな。君の残り香が着いてるやつ。後で探してみよう。

 もう「雨の中のキスごっこ」出来なくなっちゃったね。誰かほかの女の人、探してみようかな(笑)

 あ、君まさか、1000年後に「雨の中のキスごっこ」のお相手探すつもりなのかな?

 ああ、でもいいよ。 探しても。 俺は探さないけど(笑)


―  二枚目  ―

 シェリー・メアリー・イーブンソングへ

 君が去って1日が経ったよ。 今朝が一番寂しかったのかもしれない。日に日に楽になってゆきたいからそう願うよ。でも君の事を忘れたいと言う事じゃないよ?

 そろそろ僕も冷凍睡眠待機に戻らなきゃね。

 あ、君の忘れもの見つけたよ。すごく○○○なヤツ。これ窒素パックすれば匂いも保存できるのかな? 早速やってみよう。


―  三枚目  ―

 おはよう、シェリー・メアリー。

 実はこの三枚目の手紙は二枚目から随分と時間が経ってる。

 と言うのも、あれから数日を経て冷凍睡眠待機に戻ったんだ。

 電源喪失危機で目覚め、体調調整日にまたこの手紙を書いてる。

 今回の電源喪失は5000人単位の人命危機だった。緊急解凍された保守技師たちも人数が膨れ上がって、一般の最終冷凍睡眠者の緊急解凍も実際には数百人に及んだよ。

 もし、その中に君が居たらまた会えたのにと思ったけど、それほどの大規模な電源喪失の危機を望んでいる訳じゃない。

 駄目だね僕は。手紙で寂しさを忘れようとしてるのに返って未練が募ってるよ。手紙はもう書かない方がいいかな?(笑)


―  四枚目  ―

 やあ、シェリー・メアリー・イーブンソング お久しぶり。

 3枚目の手紙を書いて以来だ。あれから何年経ったのかな。

 身辺整理をしていると、この手紙が出てきたよ。ああ、そうだった。この手紙をまだほんの少し若い頃に書いていたと。

 君はまだまだあの時のままなのだね。

 手紙は結局三日坊主に終わってしまったよ。でもその完璧な言い訳ができる。何故なら、君はいつも僕の居るこの世界で眠り続けていただけなのだもの。僕は一人になってしまったのではない。いつも君と同じ時間を生きている事に気がついたんだ。

 この安堵感は34年間君に会いたいと思い続けていた若い頃とはまた違う感覚だった。その事に気付くと、自然と手紙を書く手が止まったよ。

―  五枚目(四枚目から続く)  ―

 その分、君は僕の居ない時間を生きなければならないのだね。

 残酷な言い方かも知れないが、それは君が選んだ君の人生の大儀と共に有るものだ。君の夢を応援しているよ。

 もう一度、君を抱きしめたいけれど、祖父と孫ほども年が離れてしまっては、『雨の中のキスごっこ』はもう無理かな?(笑)。

 現役は数年前に引退したよ。もう体も動かなくなってしまった。 お爺ちゃんらしい体型にもなったよ。今の僕を君に見せたくない(笑)。でも、もう一度、あの時のままの君に見惚れたいよ。

 さようならシェリー・メアリー・イーブンソング。私は私の人生の時間を思う存分生き切ったと思う。君も、君の人生の時間を思う存分生き抜け。


―  六枚目  ―

 ああ、そうだ、この手紙を管理官に委ねてみようと、たった今思い立ったよ。

 彼らに頼めば君に届くまで、何千年でもその責務を請け負ってくれるだろう。彼らが居るからこそ、私たち保守技師は命を張る事が出来た。緊急解凍の作業が終わる度に食事とお酒を振舞ってくれたのはシェリフが最初だったよ。

 君も雨に濡れた時、管理官が助けてくれたと言っていたね。

 管理官たちは全力で私たちを守ってくれる。 管理官を目指す人たちには厳しい審査が待っているが、まず第一に仁徳だという。人を愛してやまない人物がその第一条件なんだ。君が今まで出会った管理官たちも皆イイ奴らばかりだったろう? 彼らは私たちシェルター人の良心と誇りそのものだよ。

 さて、シェリー・メアリー、この手紙が君にとって残酷な物になるのか、安堵の手紙になるのかは分からないけれど、兎に角、君に渡したいと思ったのだ。 若い頃に書き始めた、どうしようもない駄文もそのままにしておくよ。

 あ、僕は君と別れた後、新たに恋人は作らなかったよ(大うそ)


 じゃあ、いつかまた会おう。

                              ヒュー



 管理官たちもこの手紙を急ぎ読み終えた。

 最後の六枚目では自分たちへのリスペクトに心がうるうるだ。

「雨の中のキスごっこ」のくだりは皆で顔を見合わせドギマギしていた。 彼らが手紙を読み終えるとシェリー・メアリーは速攻 「皆さんにお願いがあります。『雨の中のキスごっこ』については一切不問でお願いします」 と睨みを効かせ一歩も譲らない態度で先手を打った。 管理官たちは「もちろん、もちろん、もちろん」と激しく頷きながら同意してくれたので、この手紙を彼らに公開する最大の難関は無事乗り越えた(笑)。


 だがその後、管理官たちから「雨の中のキスごっこ」が、このシェルター中へ広まった事は言うに及ばない。(汗)


   ***


「また一段と大人になったなあ」

 シェリー・メアリーと再開したウッドは彼女の見た目の成長っぷりに驚いた。

 3年間たっぷりと外界で遊んできたのだ。命を懸けて。

(ヒューとの+1年間は何となくウッドには言ってない)

「外界はどうだった?」

 ウッドが何気に尋ねると

「もっと先に言う事はないのウッド? お帰りとか、よく無事で戻って来たとか」

 と、近頃はすっかりウッドに物申せるシェリー・メアリーだ。

 が、その日は彼女の連射トークが炸裂した。見た目は成長した大人の女性に見えたシェリー・メアリーにウッドがつい油断した。

「しまった。また長ったらしいお喋りが始まるのか」

 ウッドはしかめっ面をしたが、彼女の外界報告は理路整然として聞きやすく、彼が耐え得るものだった。 シェリー・メアリーの大人への成長を実感したウッドからは自然と笑みが零れた。


 再会初日の就業を終え、シェリー・メアリーは研究室の灯を落とした。ウッドはいつも通り、先に帰った。

 ドーム1の、石畳の小道に照らされる橙色の疑似自然光が、家路につくシェリー・メアリーに鮮やかに反射する。

 だが、夕日を模した光が、外界での生存を断念したシェルター人の、未来を物語る様でもあった。


   ***


 その事態は、調査隊の仲間たちのその後を知り、ヒューの手紙を受け取った数か月後、シェリー・メアリーとウッドがいつもの様にライブラリでデーター整理を淡々と熟している時に訪れた。


 最初はいつもの電源喪失危機だった。

 規模も小さく、電気保守技師の緊急解凍も数人で済むものだ。


 だが――


〝蘇生を終えた一人の電気保守技師が目覚めなかった〟



「ちょっと見て来るわね」

 いつもの電源危機とは違う管理区の慌ただしさにシェリー・メアリーがライブラリでの作業を中断し、様子を覗きに行くと、如何やらそう言う事らしかった。ウッドに伝えると彼の顔色が一変した。

「シェリー、君も一緒に来てくれ」

 ウッドがいて席を離れ、混乱する管理官たちに掛け合った。

「管理官、状況を端的に説明してくれ」

「やあウッド、仲間の技師一人が蘇生後、目覚めない。息をしてなかったんだ。外傷は無い。医療区に緊急搬送し、今は集中治療室で安定している。だが意識不明の重体だ。冷凍睡眠装置の故障かも知れない。医療技師と電気設計技師たちを緊急解凍している所だ」


 ウッドと管理官の、緊迫したやり取りを見ていたシェリー・メアリーは自分の動悸が尋常ではない事に気づき、かつて経験した事のない息苦しさを感じていた。

 間を置かず管理官が説明を加えた。


「今回の〝目覚めない〟事例はこれで3例目なんだ――」


 不穏な状況と戦慄する心理状態を象徴するかの様に汗ばみ緊張するウッドと、シェリー・メアリーの粗い動悸と息遣いが、今はこの時間軸を支配していた。


   ***


 が集中治療室で眠っている。 治療室は医療区内の通路に面し、ウッドが通路沿いの窓から、険しい眼差しを眠る彼に向けたまま、ウッドの隣に立つシェリー・メアリーに話しかけた。

「想像だにしていなかった、まったく違う未来が始まってしまった様な気がしているよ」


― シェリー・メアリーの声 ―

「白く透き通る清潔感溢れる病棟内は、子どもの頃、母に連れられ何度も訪れた。ヒューとの受精卵摘出の時は不安もあったけれど、今日の緊張感はあの時とは比べ物にならなかった。普段は聞こえない鼓動が今は、はっきりと聞こえ、何故か少し汗ばんでた」


「ウッド、あなたがこの状態の彼に強い興味を示すのは、量子脳理論に繋がると考えたから?」

「シェリー・メアリー、君はどうなんだ?」

「あなたほど直感的には感じられなかった。でも、あなたが集中治療中の彼に強い関心を示しているのを見ていたら、恐ろしい未来を想像してしまった」

 今まで窓ガラスに隔たれた、意識のない技師を凝視して目を離さなかったウッドが、ゆっくりとシェリー・メアリーの方を向いた。

「今、このシェルターで眠る全ての人々に、この事故が起こりうる可能性が生じてしまった。

 そう 思ったか?」


 シェリー・メアリーの顔が一瞬にして強張った。彼女が口には出せず、自分の気の迷いだと治めたかったその考えを、ウッドは言葉として発し、未来の恐ろしい可能性を肯定してしまったからだ。


 二人の背後から複数の足音が近づいて来た。電源喪失の復旧作業を終え駆け付けた、眠る彼の仲間たちだ。 ウッドとシェリー・メアリーが気を利かせ、その場から去ろうとすると、一人の技師が、年の頃は40歳前後だろうか、恐い顔つきで声を掛けてきた。

「あんたら、冷凍睡眠夢の研究者か?」

 ウッドとシェリーが立ち止まると

「君、シェリー・メアリーか?」

 その技師は不躾な態度でシェリーを名指しした。


(なぜ私の名を?)シェリー・メアリーが睨みつけるような顔で頷き、彼を見ると、いや、実際は緊張している顔なのだが、その技師は明らかに狼狽え、それを隠す様にシェリーへ話し始めた。

「俺も今あそこに眠るヤツもから大切な事をたくさん学んだよ。電気保守技師の技量と誇りを。あんたの事も良く話してた。未来で会う事があったら宜しくと言ってた」


 シェリー・メアリーが電撃を食らったように硬直して動かなくなった。『ヒュー爺』のキーワードがあまりにも強烈だったからだ。


「俺たちみんな、冷凍睡眠中によく夢を見てるよ。ヒュー爺が『俺の彼女がその研究をしてる』と、いつも自慢してた。『目覚めない』この現象はこれで3人目だ。みんな、内心恐れおののいてる。医学でも今のところ解明できてないらしいよ。もし冷凍睡眠夢研究が、何か手掛かりの様なものでも見つけてくれたらと、みんな、思ってる」


「あ、ありがとう……」 返す言葉で精一杯だったシェリー・メアリーは、ウッドに促され、その場を離れた。

 途中、シェリーが振り返ると、彼はずっと見送っていて、「また」と手を上げた。

「ヒュー……」 シェリーの口から想い人の名がこぼれた。



 ウッドはシェリー・メアリーを供だって、何かに怒りながら管理区へ向かっていた。

「データーから拾えなかったのは極秘扱いだったからか。くそ、なぜ起こしてくれなかった? 2度も発生していながら! ……いや、オレ達を起こしても何も解決できないからさ……」

 シェリー・メアリーは今まで見せた事のないウッドの憤りに緊張が増していった。

 医療区からドーム2へと出た二人は急ぎ中央管理棟にあるライブラリへ向かった。


 ドーム2は別名「水辺」と呼ばれる程、多種多様な人工湖が集まる空間だ。建設当時は自然を模した大きな湖があり、水鳥や魚類、水生生物も居たが、いつの間にか居なくなってしまったのは人類壊滅直後の混乱の時代、食料として捕獲されなどしたからだ。

 今のドーム2は大量の地下水を貯める水瓶的な役割を担っていたが、子どもたちの水遊び場や、プールも併設され、シェリー・メアリーの幼い頃はドーム1よりも何処よりも大好きな所だった。水辺の散歩は心地よく、ヒューと最後に別れた場所でもあったが、今は兎に角、ウッドの後に付いて管理区へ向かって歩いた。


   ***


 ライブラリでのデーター収集を急ぐべく管理区へ着くと、管理官から明日、緊急招集会議を開くので冷凍睡眠夢研究の二人も是非出席してほしいとの要請があった。

「今のオレ達に何の力があるんだ?」

 ウッドは出席を承諾したが、分析すべきデーターさえ無い冷凍睡眠夢研究者の、この会議の参加には懐疑的だった。


 その明日が来てしまった。

 会議室は中央管理棟の上階にあり、ウッドに連れられ訪れたシェリー・メアリーには初めての場所だ。いつかヒューが参加した「雨に濡れたいと思う権利」の会議室だろうかと恐々こわごわと入室した。

 議場は円卓席だ。いにしえの物語から受け継いだ形式らしい。


 約20名の関係者が揃い会議が始まった。

 昨日、集中治療室でシェリー・メアリーに声を掛けた電気保守技師も居る。普段は1万5千年間眠っている上層部の人間も3名が同席していた。

「上層部の人を見るの、私初めて」

 シェリー・メアリーに小声で話しかけられたウッドは、じろりと彼女を見て小さく頷いた。


 まず、過去2例と今回の「蘇生失敗」の経緯が報告された。

 1例目は312年前。被症例者は電気保守技師だった。今回と同じく蘇生後に意識不明が確認され、医療区に緊急搬送された。初めての特異症例であったため人工呼吸などの処置が間に合わず手遅れになった。その技師は死亡が確認され、カタコンベに納葬された。


 2例目の被症例者は土木建築保守技師で今から108年前だ。初回の症例から約200年経っていた。今回の3例目と同じく人工呼吸器で生体は保たれたが、意識不明が続き、人工呼吸器が外される判断となったが、急きょ事故機とは別の冷凍睡眠カプセルに戻される処置がとられた。未来に見つかるかも知れない解決方法に希望を託し、意識不明のまま再び冷凍睡眠に戻されたのだ。2例目の被症例者は今も眠り続けている。


 今回3例目の被症例者も回復の見込みがなければ、冷凍睡眠カプセルに戻されるだろうとの事だ。

 冷凍睡眠装置は過去2例とも故障は検出されなかった。今回も装置の検査が行われているが、今の所、不具合は見つかっていない。


 それは―― 完璧だった冷凍睡眠システムその物が、1万5千年の長期使用を境に生体保存を維持できなくなるシステムであったのか。それとも、 生き残った人々の、人類の生命としての進化的生体変化が、冷凍睡眠システムに合わなくなってきているのか――

 答えの見つからない問いが生き残り続ける人々に絡み付き、襲い始めていた。

 この症例はまだこのシェルターだけの現象だが、他のシェルターにも生じれば、大きな不穏となって我々人類を蝕んでゆくだろうと締めくくった。


 議題は各出席者の報告と主観を述べる時間に移った。

 医療関係者は1例目から原因解明を急いでいる。あらゆる医学資料をライブラリで貪るように調べたが、冷凍睡眠以前の医学には該当する症例は発見されなかった。

 人類壊滅前の脳科学資料の検索も過去に事例なし。脳神経外科学での外傷による症例も類似例なし。自ら精神の遮断を行った訳でも、記憶喪失の類でも無い事から精神医学の分野でもなかった。麻酔科学では全身麻酔状態に症状の類似性が認められた。だが今回の症例では蘇生当初は神経系は生きており、刺激に反応はするのだが、それは徐々に反応しなくなり、最終的に全身麻酔に似た状態になった。

 全身麻酔と言えばどこかしら安心感があるが、要は昏睡状態がより深刻な「深昏睡状態」つまり植物状態の表現が適切だ。

 2例目で、生体維持には人工呼吸と経管栄養による集中治療が必要と分かり、解決策の発見まで冷凍睡眠での現状維持判断となった。

 脳波測定では昏睡状態特有の平坦脳波しか測定されず、今回の症例の原因解明には繋がらなかった。

 3例目も2例目の状態経過と寸分の狂いもないほど酷似しており、早めの冷凍睡眠処置が望ましいとの事だった。

 以上をもって医療技師らの見解が終了した。


 次に、電気設計技師から、過去2例の症例機体の調査でも何ら故障個所など無い完全な機体だった事が改めて報告された。今回の症例機体も今のところ不具合は発見されず、過去2例と同じく症例機体の故障は無いだろうとの見解だ。

「なぜ3機の事故機体においてその報告が出来るのか?」

 誰かが問うた。

 電子設計技師たちは、過去2例の該当機体を徹底的に調べた。

 先ず食用植物の数種類を実験用生体にしたが、人と生体組織が異なる植物では不具合など見つかるはずもない。如何ともし難く、遂に一名の電気設計技師が自ら被験者として2機の症例機体で冷凍睡眠実験を繰り返していた事を明らかにした。

 彼らの報告に一同は驚愕した。

 被験技師は1年毎の冷凍を10回繰り返し、10年を3回、30年を3回、何れも無事に蘇生・生還し、症例機体の故障の可能性は完全に否定された。なぜなら、装置には5重の安全装置があり、些細ささいな不具合でも検知し、直ちに蘇生されるからだ。この1万5000年の間に起きた数百件の不具合でも、何れも安全に蘇生されていた。

 次に、開発当時の実験段階で同症例が無いか過去の記録を探した。


 人類がシェルターへ逃げ潜んで2000年後、この冷凍睡眠システムは1500年の開発期間を終え完成された。開発当時はそれこそ目を覆いたくなる様な壮絶な失敗が繰り返されていた。

 ある被験者はドロドロに溶け、別の被験者は燃えて炭となり、また別の被験者は細胞単位で粉々に弾け散った。

 装置が完成に近づいた段階での継続実験では嘔吐、頭痛、目眩、手足の痺れ、運動機能不全、臓器機能不全など、様々な症状に見舞われた。 記憶障害も報告されており、今回の症例に近いかと思われたが、他の症状との複合的な症例であり、それらの症状が報告されなくなると記憶障害も見られなくなった。 その後、完成した複数の個体での長期睡眠実験では何れの症例も無くなり、事実上の開発終了と共に運用開始となった。

 当時はまだ100を超えるシェルターが生き残っており、開発や実験も協力体制で行われ、多くの課題に挑戦出来ていたが、僅か14にまで減ってしまった現代の検証は、専門家が身をもって行わなければ原因究明の進展はないと、無許可での人体実験を心から詫びた電気技師たちだった。

 しかしこの無謀には、各出席者は敬意をもって称賛した。

 シェリー・メアリーも、命知らずの男達の、いや、実際はとても怖い事だっただろう、彼らの決死の勇気に深い感銘を覚えた。

 その命を懸けた装置不具合探求の結果を踏まえ、この未蘇生症が稀に起こる現象であっても、現在の発生頻度から換算して、今後8万3千年後の「人類解放の日」までに16名から800名の犠牲が予想された。 さらに問題なのは、その犠牲が現時点では冷凍睡眠待機の技師たちである事だった。

 今後、保守技師の犠牲が数百人ともなれば氷期突入後の保守業務に予測不能な負荷がかかる。これはシェルターの存続さえも困難な状況に陥るかも知れない大きな不安となり得た。


 次は電気保守技師の、現状での意見を述べる時間となった。

 席から立ったのは、シェリーを呼び止めた、あの技師だ。


「今回の被症例者の同僚です。奴とは十代の頃よりヒュー技師と言う電気保守技師の長老から、共に知識と経験を教わってきたともがらです。 これはお話しする事では無いかも知れませんが……」

 彼は少し緊張している様で、シェリー・メアリーをちらりと見ると、躊躇しながら続けた。

「あいつが、幾度か前の蘇生の時から『変な夢を見る様になった』と言っていた事を思い出したのですが、不要な意見であれば――」

 彼の発言にウッドとシェリー・メアリーは俊敏に反応し、二人は顔を見合わせた。議場の人々も二人の反応に気づく程で、当の発言者も言葉を途中で止めてしまった。

「彼の夢見が悪くなったのは、今回の未蘇生みそせいから遡って数えると、幾度ほど前からか、回数はお分かりになりますかな?」

 ウッドが話の切れ間に促される様に質問した。

「5回ほど前からでしょうか……」

「夢の内容はお話しされていましたか?」

 シェリー・メアリーが間髪入れず問う。

「何となく聞いた事があります。何処かに閉じ込められていたり、身動き出来なかったり、誰かに話し掛けているのに気付いてくれなかったり…、出口のない空間を彷徨っていた、…とも言っていました」


「その夢が今回の件と関係があるのかね?」

 今まで黙し、円卓に座していた3名の上層部の一人がおもむろにウッドに投げかけた。だがその態度は懐疑的でもあった。

「現時点ではいずれの答えも持ち合わせてはおりません、しかしながら、とても興味深い現象だと申せましょう。 私どもは冷凍睡眠夢の研究を行う過程で保守技師たちから提供されて来た様々な夢のパターンを分析してきました。その多くは常日生活の夢と大差ありませんが、もし、意識の目覚めない未蘇生に対して、3例目の技師の夢見の悪さに関連性があれば、根本原因が解明出来ないにしても、今後、同事故を防ぐ可能性はあり得ます」

 ウッドの明確な答えに対し、上層部の人間は続けて質問する。

「具体的には、夢見の悪くなった技師には、何かしらの注意喚起や、予防策が必要だと言う事かね?」

「正に、その様に考えております」

「分かった。引き続き今回の件に協力してくれたまえ」


   ***


 議事が一気に進展した様に思えたのは、応急処置的な対策が方向性として見つかったからだ。

 会議は纏めの時間を迎えた。以後、冷凍睡眠待機中の各技師に対し、夢の報告が義務付けられる。

 夢の異変に気付いた者は冷凍睡眠待機を中止。じょうじつ保守業務が強制的に適用される。この判断は未蘇生の不安が広がり始めていた技師たちに大いに歓迎された。

 今後は1・2例目の被症例者2名の、直前の夢を収集する必要性が生じた。夢の内容が3例目の被症例者と酷似していれば「直前の夢による症例回避」の可能性がなお明確になるからだ。それは管理区の全面協力の下、ウッドとシェリー・メアリー二人の冷凍睡眠夢研究者に託される事となった。


― シェリー・メアリーの声 ―


「まさかの展開だった。自分たちに何の力があるのかと、ウッドでさえ、今回の件に私たちが加わる事に戸惑いがあったのに、夢の分析で被症例者を出さずに済むかも知れないなんて……」

「でもあの電気設計技師たちが装置の故障ではない事を突き止めていなければ、私たちの判断はなかった。

 何よりもこれは応急処置。真の原因究明はやはり医学の分野。そのサポートに繋がるデーターを、ウッドと私が見つける事ができれば良いのだけれど……」


 会議が終了し、参加者らは固い握手を交わす。命を懸け冷凍睡眠装置の検証を行った電気設計技師らには皆、力強く握手を求めた。


 シェリー・メアリーは、参加者の中からヒュー爺に教わったという電気保守技師を探していると、彼の方から声を掛けてきた。

「シェリー・メアリーさん、あの…… 

 マリーノ・ロットだ。 宜しく」

「ゆっくりでいいが終業時間までには研究室に戻れよ?」

 ウッドは、気を利かせ、いつもの様に先に行ってしまった。


「ここじゃなんだから、ラウンジのカウンターで水分補給でも」

 マリーノ・ロットがシェリー・メアリーを誘い、中央制御室まで一緒に下りた。

 湾曲した長テーブルの席に着くと、彼は必要以上に緊張している。

 何故だろう?


「今、集中治療室で眠ってる同僚はルッツ・シュラーマンと言います。生真面目だけど良い奴です。

 自分ら二人が若い頃に、ヒュー爺の亡骸を見つけたんです」


― 26歳のシェリー・メアリーの声 ―

「その言葉は、私を身体の内側から破裂させようとした。

――私は、彼の言葉を一言も聞き漏らすまいと踏ん張った」



 晩年のヒューは60歳の時に足を痛め、完治が遅れた。その事で引退を決めた。同じ頃、卒業したての16歳のマリーノとルッツがよく訪ねて来る様になった。

 マリーノもルッツも、自分たちの職業の頂点を極めたヒューを尊敬し慕うと、ヒューも二人を可愛がる様になった。


「ふふ、晩年のヒューがどんなお爺ちゃんになったのか、全然想像できなかった」

「私の事も良く話していたのだそう。 ヒューが私との事を、どの様に若い二人に話していたのかマリーノから聞いたけれど、それを今ここで述べるのは嫌だ(笑)」


 二十歳を過ぎた頃の二人が、ヒューの亡骸を発見した時の話になると、シェリーは 胸が張り裂けそうになった。


 ヒューは自分のベッドの上に座して、壁を背に、背筋をピンと張って上半身を支え、目を閉じ、苦しむ顔付きながら笑みさえ浮かべて亡くなっていた。

 急性の心臓疾患との診断だった。

 キッチンから寝室へ繋がる通路の半ばでティーカップが落ちており、染みが残っていた。 お茶を入れて寝室に行く途中で発作に襲われたのだろうと。 だが普通はその場で倒れ息を引き取るそうだから、ベッドの上まで行き、その様な死に方が出来るのか、医療技師はとても不思議がった。

 今まで経験した事のない胸の激しい痛みに死を悟ったヒューが、若い二人に無様ぶざまな死を見せまいと、最後の意思を振り絞ったのだろうと言われた。

 彼の死に深い悲しみを憶えながらも、その死に様に感銘を受けたとマリーノはシェリー・メアリーに熱く語った。


「マリーノはそうは言ってくれたけれど、でも… どうせヒューの事だから、ヒューの事だから…… 〝カッコ良く死んでやる〟と頑張ったのかも。若い二人が私に出会って、自分の死を伝える可能性を考えて… いえ、それは私の思い上がりでしかないけれど……

 あの人の事だから、多分そんな事じゃないかなと……」



 マリーノは定期冷凍睡眠待機を申請し、仲間たちの夢を報告するからと、シェリー・メアリーに毎回会う約束をした。

 それは少し強引だったが。

 シェリー・メアリーは自分よりも1000年以上も後に生まれた若い技師二人が、老いたヒューと出会い、彼の死に様を伝えてくれた事に感謝していた。

 その若かった二人の技師も、今は彼女よりも歳上なのだ。



 シェリー・メアリーとウッドは会議の翌日から休む間もなく、被症例者の技師仲間を追跡調査した。存命であれば管理区の権限のもとに解凍蘇生させてもらい、被症例者の夢の内容を尋ねた。

 これには時間が掛かったが、数名の仕事仲間や友人と接触でき、その結果、〝前二人の被症例者は共に発症前の夢見の悪さを漏らしていた〟事がわかった。

 シェリー・メアリーが27歳を迎えていた頃の事だ。



 再び円卓会議が開かれたのは、冷凍睡眠夢研究の二人が「被症例者の夢の異変の一致」を管理区に報告できた翌日だった。

 今回は上層部の出席こそなかったが、代わりに全ての保守技師の代表たちが参加する、大きな会議となった。

 議題は冷凍睡眠夢報告の徹底であった。

 3名の被症例者に漏れなく症例前の夢の異変が確認された。

 その異変は回数の余裕があり、発症を未然に防ぐ可能性がある事が報告されると議場には安堵が広がった。 だが蘇生昏睡の根本原因は未だ不明だ。保守人員数予測難の不安も解消されない。

 後者の問題は厄介だ。人員が不足すれば氷期対策の不備が懸念され、人員に余剰を持たせれば食料生産が厳しくなる。 全体の人口調整にも関わってくる。


 会議は各技師たちへの強力な冷凍睡眠夢チェックが、技師保護法に正式に義務化される事が承認され終了した。


 ウッドとシェリー・メアリーの量子脳理論のデーター発掘は、引き続き暫く休まなければならない。

 被症例者の冷凍睡眠待機における時間的差異の類似性を調査する為だ。つまり、3名の未蘇生症者の冷凍睡眠時間と寝起きの回数を統計・比較し、3者異なる部分が類似の範囲内なのかを可視化する事だった。類似性が立証・確定されれば、発症防護の方向性がより堅固になる。


― 27歳になっていたシェリー・メアリーの声 ―

「私とウッドは一連の作業に忙殺されたけど、私は喜びを感じてた。

 それはこの研究職が、今までは単に冷凍睡眠夢を見続けてきた保守技師たちの、夢への疑問を受け止めるだけの物でしかなかったのではと、日に日に気付いてしまっていたこの研究職が、 あるいは、自分が見続けて来た不思議な夢の答えを得られるかも知れないと、自己追求だけで飛び付いていたこの研究職が、今は私たちを襲う得体の知れない現象に立ち向かえる力が少なりともある事に、その使命感を抱ける職業だったと気付けた事に、満足していた」


「ただ懸念もあった。

 ウッドの年齢だ。 彼はまだ元気だけど、今回の件が起きてからは、休みを取る事も出来てなかった。

 私はウッドが夢の研究をやり遂げる事を願ってる。彼が冷凍睡眠夢の明確な答えを得た時にこそ、私の夢の不思議も解明される。

 だからウッドには自分の健康も気遣って欲しかった」



 ウッドとシェリー・メアリーの数十日に及ぶ追加調査で、予兆夢は症例者3名の長短期睡眠関係なく、4~6回の範囲で現れていた事が分かった。結果、時間的差異の類似性が認められ、症例発症の応急対策がより確かな物として承認された。

 だが大役を成し遂げた喜びも束の間、ウッドが過労で入院してしまった。


   ***


「シェリー、君は、ここでデーターと格闘するつもりか?」

 治療入院中のウッドが病室のベッドでなげくと、傍に座り、配線だらけのドデカい携帯端末に集中しているシェリー・メアリーが強気の言葉で返した。

「一人でぼ~っとしてると、体は元気になってもボケるわよ?ウッド。 私がここに居てあげるから早く元気になってね! あなたが冷凍睡眠夢研究のかなめなんだから!」

「ん~」と、しかめっ面をして唸るウッドにとって、シェリー・メアリーの行動は嬉しかったのだろうか? それとも迷惑だったのだろうか? でも、多分、その両方だ。


 だがウッドの容態はなかなか快方に向かわなかった。医療技師によると、高齢による機能回復の遅れであり、病気疾患ではないとの事で二人は安堵したが、念の為、長期が提案された。


〝睡眠治療〟とは、人類壊滅直後における医療技術の喪失や医療設備再構築の困難、特に医薬品が全く手に入らなくなった時代に、試行錯誤の末、苦肉の策として完成された医療行為だ。

 この睡眠治療がその後、人工冬眠を経て冷凍睡眠へと進化した。

 睡眠治療の根源は東洋医学の鍼灸しんきゅう、つまり針治療だ。

 医薬品の生成方法は手に入っても、その原材料の調達が絶望的であった人類壊滅初期の人々は、針治療に医術の活路を見出し、地獄の様な医療崩壊の時代が過ぎる中、研究発展に尽力し、遂に長期睡眠による自然治癒技術を編み出していった。

 尤も、ただ寝ているだけの体勢が長引くと、じょくそう所謂いわゆるうっ血症状となるが生じるため、柔らかい素材で身体に掛かる圧を軽減させ、低速回転(寝返り効果)させる睡眠治療用カプセルが考案された。それが冷凍睡眠の個体カプセルへと発展していった。


 さて、ウッドが長期睡眠治療となった間、何処かぽつんと一人ぽっちになってしまったシェリー・メアリーだったが、マリーノ・ロットが仲間の夢の報告と称して何度か研究室に来てくれていた。

 彼はシェリー・メアリーの前ではいつも緊張している風で、何か言いた気であったが、マリーノが個人的な思いを伝えるのは、彼が再び長期冷凍睡眠待機になり、シェリーから去る日だった。


「自分とルッツ二人で、どちらが女神のハートを射止めるか、その機会が訪れたなら、正々堂々と競争しようと言い合ってました」

「ヒュー爺から貴女の事を聞きながら二人は成長しました。ヒュー爺曰く『俺の女神』は俺たち…私たちにとっても女神でした」

「ずっと女神と会える日を夢見てきました。それが叶った。でも、 女神に会えたのは俺…私だけでした。私はルッツを出し抜く事は出来なかった」

「ありがとうシェリー・メアリー。君に会えて嬉しかった。只々、嬉しかった。ルッツが目覚めた時、是非彼にも会って下さい」


 慣れない敬語をぎこちなく使いながら、マリーノ・ロットはシェリー・メアリーの元から去っていった。


― 27歳のシェリー・メアリーの声 ―

「もっと押してくるマリーノと思ったけれど、決して言い訳ではなかった彼の想いの言葉が、私の胸に深く刻まれてしまった」

「男の人って女性を神格化したいものなの? そんな事さえ分からない私は、ヒューやマリーノや、それから、お母様に比べるとまだまだ子どもだった……」


 その後、マリーノ・ロットは何度か緊急解凍で保守作業に従事したが、シェリー・メアリーの前には姿を現さなかった。それが彼の男の、人としてのけじめだった。


   ***


 マリーノが尋ねて来てくれていたこと以外は、一人ぽっちで寂しかったシェリー・メアリーだったが、ウッドが1か月の長期睡眠治療を終え帰ってきた。


「ウッド、お帰りなさい。気分はどう?」

 睡眠治療カプセルからしたウッドを、医療区の小さな待合室で待っていたシェリー・メアリーが笑顔で出迎えた。

「ただいまシェリー・メアリー。お陰様で気分すっきりだ。ぐっすり寝て起きるとすこぶる調子がいい感じだよ。だが流石に筋力は落ちてしまった。リハビリが大変だよこりゃ」

 ウッドが答えながら彼女を見ると、笑顔に〝うるうる〟がくっ付いている。(はは~ん、この、また寂しくしてたな)

「夢を見たよ」

「そう、どんな夢?」

 ウッドがほんの少し気を利かせ話題を振るとシェリー・メアリーの瞳が一気に輝いた。

「何もかも解放されるんだ。大空の様な空間で、自分の体から自分自身が四方八方に勢い良く飛び出して行く感じさ。今まで見た事もない素晴らしい夢だった」

「そうなの? 私も睡眠治療、受けたくなっちゃったな」


 ウッドのリハビリが始まると、病室に配線だらけのドデカい端末が、持ち込まれた。


 気になったのだ。ウッドの見た〝解き放たれる夢〟が。

 3名の未蘇生症患者が見た夢と全く真逆の夢だったと二人が考えたのは当然だ。

 何かしらの進展がこの睡眠治療の夢に隠されているのだとしたら? 二人は過去の睡眠治療での夢の記録を徹底的に調べ始めた。

 調べ始めはしたが…… 

 全く、以って、睡眠治療夢の具体的な記述は皆無だった。

「すっきりする夢を見た」「気持ちの良い夢を見た」「覚えてない」「忘れた」との添え書きの様な記述が殆どで、夢の内容については当時の誰もが無関心だった様だ。

 是非もない。睡眠治療時の夢は常日生活夢と全く同じ扱いで、冷凍睡眠夢研究からは完全に切り離されていた。


「さて、どうするのウッド?」

「君もオレと同じ事を考えてるんじゃないか?シェリー・メアリー」

 二人はニヤリと見合う。彼らの処方箋はこうだ。

『症例前の、予兆夢を見た技師が新たに現れた場合、本人の承諾の下、1か月の睡眠治療を行う。その後、冷凍睡眠待機で夢見の悪さの改善が望めるか』――。

 直ちにこの処方を管理区に申請すると、「常日生活技師人数の肥大を抑える事が出来れば」と歓迎された。


 やがてウッドのリハビリも終了し、保留していた1000年データーの整理も終えた二人は、再び眠りにつく。 第4の準症例者、つまり予兆夢を見た技師が現れるのはまた百年ほど先の事だろう。

 準症例者が現われた時はもちろん二人も緊急解凍される。

 今回の1000年は、未来の不安を暗示させる大きな出来事に対応せざるを得なかった事や、それに伴うウッドの休養が重なり、2年近くを費やしていた。

 ウッドが老いてゆく事を心配し始めていたシェリー・メアリーは、次の1000年の間に、また数名の被症例者が現れ、その対応に追われ、ウッドがこの研究を成し遂げる前に去る事を恐れた。

 それは彼女自身にとっても未来の大きな不安となった。


「ねえウッド、ちょっと相談があるんだけど」

 研究室でシェリー・メアリーが想いを伝え始めた。

「何だい?ネエちゃん」

「!? ネエちゃんって何よ???」

「いや、なんだか怖い顔してるから」

「え~?」

「うはは、何だい? シェリー・メアリー」

「 ……(汗) あのね、次の1000年の間に未蘇生者が現れてもウッドは寝てて良いからね」

 ウッドが少し怖い顔になって彼女をガン見する。

「そりゃ一体どう言うこった?」

 シェリー・メアリーはちょっと焦りながら話を続ける。

「次の1000年の間に未蘇生者が何名か現れると、また時間が取られてしまうと思うの。私、ウッドには純粋に研究に没頭してほしい。症例者が現れた時は毎回私が対応するから。勿論、私で対処出来ない時は起きてもらうけれど。それまでウッドにはもう疲労による体調不良になってほしくないの。お願い」

 シェリー・メアリーは、この一寸長ったらしい台詞を流れる様にウッドに浴びせた。

 ウッドはこの申し出は、たぶん、とても、嬉しかった筈だが、彼が何か答える前にシェリー・メアリーは新たな話題を振った。

「それに、独自に調べたい分野があるの」

「調べたい分野って何だ?」

「オカルトと心霊の分野よ」

「ん~?」

 ウッドは腕を組み組み、妙な顔付きになって唸ると、そのまま目を閉じて押し黙ってしまった。


 言いたい事を言って次の話題をすぐに振り、ウッドに答えさせない形で黙認させようとしたシェリー・メアリーと、それを承知の上で次の話題に乗っかり、自分の答えを伝えなかったウッドと、どちらが上手うわてだったのだろうか? 

 それとも、このやり取りは二人の以心伝心なのだろうか?


 シェリー・メアリーはウッドが何か言えば言い返そうと身構えていたが一向に言葉が帰ってこない。

「ん~…… す~」

「??? え?、何? ウッド寝てるの??? 人が真剣に話してるのに…… ぷぷぷ♪」

 ウッドのいびきに呆れておこり始めたシェリー・メアリーだったが最後には吹き出してしまった。

 ウッドの居眠り姿が、なんだか可愛く思えたのだ。

「しょうがないな~もう~(笑)」


― 27歳のシェリー・メアリーの声 ―

「ウッドが転寝うたたねから目覚めると、『おっと、もうこんな時間か。じゃ後は任せたぞ』と、私を見る事もなく、何時もの様に、そして何も聞かなかったかの様に、また一人先に帰ってしまった」

「何か判断したくなかった様だった。『後は任された』ので、私は思う通りにやってみる事にした」


   ***


冷凍睡眠夢をオカルトと心霊の分野から研究する方向性は、初期研究時代に、技師から研究者になった数人のせんだつが挑戦していたが、何れも早い段階で研究意義なしとして終了していた。

 人類壊滅前では、オカルトも心霊も余りにも『ホラー』や『怪奇』の分類に追いやられてしまい、真面目な研究資料としての取り扱いは皆無だった。 シェリーもライブラリの許可を貰った頃に少し覗いていたが、只々怖がっていた。

それでも、シェリーがもう一度オカルトと心霊に目を向けたのは、ライブラリを貪り観ていた頃、心霊写真と呼ばれる分類の画像資料の一枚に、

『この生霊いきりょうの写真は、量子テレポーテーションを証明した世界最初の証拠物になるのかもしれない』

 と言う記述を見つけたからだ。


 その画像は人類壊滅前の、ライブハウスという屋内の小さな音楽興行を撮った写真だった。

 男女二人のボーカルのうち、男性ボーカルの顔が女性ボーカルの顔に憑依ひょういしていた。(男性の顔は本人の顔と憑依の顔の二つが同時に映っている)

 男性の二つの顔をよく見ると、表情も、顔が向く方向も全く同じなのに、微妙に顔の角度が違っていた。更には顔の影の付き方まで異なっていたのは、二つの顔を照らす光源は一つだと推測された。

それはつまり――、

『全く同じ物が同時に存在する』事を、明確に物語っていた。


 もし、この心霊写真が量子テレポーテーションを証明しているのであれば、『それは意思で成される』と、考察できる。

 意思や意識と言った形而上の存在が光に反応する物質であるとも。

 何故なら、照明の光子が反射してカメラに収まるからだ。

 シェリー・メアリーは、この現象は、

(1)人が感知する光の波長の範囲外でその存在が確認できる。

(2)人間の目も動画撮影と同じく、光を連続写真の様に感知し(あるいは脳処理で)、全ての光を処理しているのではなく、写真で捉えられる心霊現象も人の目で処理されない範囲である。

 と考えてみた。

 それとも、意思その物が光に反応する何かしらの物質に転換させるのかも知れないとも。


「〝心霊写真量子テレポーテーション仮説〟の組み立てを、私は真面目に行いたかった。けれど、科学的に証明する手段が、私にも、このシェルターにも、そしてこの時代の私たちの科学力にも、ある筈も無かった」


「もし1万7千年前に人類が壊滅していなければ、人類の科学的知見は幾度も新たな段階を迎えて、量子力学よりもさらに高次元の英知に達し、そしてそして、量子脳理論も古典科学の分野に位置していて、私の沢山の夢の謎も解明されていたのかも知れない」

「そう思うと、とても悔しかったけれど、尤も、人類が壊滅を逃れていたら、私は、その未来には存在していなかっただろう」


「私がこの世界に存在する為には、人類壊滅が起きて、初代メアリーがここに逃れて来なければならなかった……。

 どちらが良かった? シェリー・メアリー・イーブンソング」



 この心霊写真とその記述に、量子脳理論を説明できる何かが隠されている気がしてならなかったシェリー・メアリーは、常日作業の許可を取り、暫くこの課題に集中する事にした。 次の1000年後はまたデーターの整理に忙殺されるだろうからだ。

 ウッドは「自分で納得するまでとことんやると良いよ」と言い、1000年間の冷凍睡眠に戻っていった。


「今に見てろよ師匠♪ うふふ♪」


 と、意気込んだシェリー・メアリーだったが、彼女の周りに親しい人が居ない寂しさは如何ともしがたく、以前は週末に通うだけであった養生区に、毎日足を向わせる様になっていた。貴重なお酒は配給制だったので、飲めない日は手弁当の夕食を養生区で楽しんだ。

 人々の姿を見ながら過ごす時間が彼女をほんの少し癒していた。


 今日もシェリー・メアリーはいつもの席。家から持ち出した母のティーカップで、食後のティータイムを楽しむその席は、55歳のヒューと再会した席だ。シェリー・メアリーにとって、この席は大切な思い出の場所の一つになっていた。


「あのう、この席、空いてますか?」

 顔を上げると、シェリー・メアリーよりも若そうな、男性技師が彼女の目の前に居た。


   ***


― まだまだ、ほんの少し27歳のシェリー・メアリーの声 ―

「彼の名はヨーハン・ヴィーヨルテ。

 彼は私の返事を待たずに席に着いた。でもその席は斜め向いの席、つまりヒューが座ってた席じゃなかった。私はその事で、うかつにも彼を受け入れてしまってた。

 それが彼の作為だったのか、あれから数か月が過ぎた今、その事に思い至っても、それは既に無意味な事ね」


「彼は土木建築技師で、18歳の時に結婚の承認が下りず婚約者と別れると、彼女の方は新たなお相手を見つけ半年後に無事結婚できたのだそう。なんて幸運な女性なんだろうと思った私は、彼の軽い自己紹介の後の、軽くはない身の上話に聞き入ってしまった」


「ヨーハンはその後、お相手には巡り合えず、20歳を迎え、短期冷凍睡眠を繰り返し、保守業務に没頭しているのだそう。

『彼女は今30歳を超え可愛い娘もいる』 と、初対面でそんな話を打ち明けた彼と私は、気がつけば付き合ってしまってた」


「私とヨーハンが惹かれ合ったのはお互いが運命の人だったからでもなければ、ソウルメイトだった訳でもなく、ただ、彼と私の寂しさがそうさせただけだった。

 それでも、ううん否定、それだからこそ、二人は沸騰し、溶け合い、一つに融合していった。勿論『雨の中のキスごっこ』も熱く沸き立つ湯気の様に蒸せ合った」



「なぜマリーノではなくて彼なの? 私はヒューの事を忘れたの? 

 ヨーハンと出会った事で、ううん言い直し、彼を選んだ事で、寂しさは霧が晴れた様に姿を消したけれど、それとは引き換えに、大切な人たちを裏切ってしまった苦悩が芽生えてた」

「しかもヨーハンは永遠の人ではない。彼にとって私がどんな存在なのか知るよしもないけれど、少なくとも私にとって彼は……」


「精神が崩壊しかけてた。

 このままじゃ、例え今の時代から去っても、別れの寂しさ以上に、思い出したくない過去の苦悩がまさってしまいそうで怖かった」


別のコミュニティでの、人との繋がりの中で暮らす必要性を感じたシェリーは、業務補佐を申請し、食料生産区に3年の義務保守を条件に受け入れられた。 週に3日の勤務と2日の研究日、そして2日の休息日となった。ただし、ウッドがそうだった様に土曜日も研究室に出かけて行った。一人身にとって2日の休みは長過ぎたからだ。


 ……とスケジューリングしていたシェリー・メアリーだったが、食料生産に従事する人々は割と女性が多く、土曜日はあそこに出かけましょう、日曜日はあそこに行きましょうと、結構な付き合いが始まってしまった(汗)。

 子ども連れの女性も少なからず居て、シェリーにとっては羨ましい存在だったが、その子どもたちが彼女を救った。


「兎に角、彼奴きゃつらは元気で、突拍子もない行動に大人は笑顔が絶えなかった。私はたくさんたくさん、彼らから元気を分けて貰った。

 この子たちもやがて卒業の日を迎え、結婚に奔走し、卒業の日に生まれて初めて晴れの外界を経験するのだと思うと、もう、彼らの全ての時間が愛おしかった」


「私もお母様に連れられて、たくさんお出掛けしたなあ。

 幼かった頃の私も、母や大人たちを元気にしてたのかな…… 」


   ***


― 充実した3年間を過ごし、30歳になっていたシェリー・メアリーの声 ―

「私が30歳になった頃、ウッドが目覚めるまでには、まだたっぷり997年もあったから、40歳で冷凍睡眠装置に入るまでの10年をどう過ごそうかと考え始めていた。 食料生産手伝いの3年も終えて、精神が安定した私はまた研究に専念した」

「その頃は管理官たちとも仲良しになっていて 『雨に濡れる権利を獲得し、雨の中のキスごっこの先駆者』だった事もすっかりバレバレで、私は彼らから、何か名物キャラクター的な立ち位置である事をそれとなく感じてた」


「ヨーハンは私というパートナーを大切にしてくれてた。

 この時代の苦悩が全て解決した訳ではなかったけど、今の私にはヨーハンが必要だった。 その事だけは確かだった」


「相変わらず電源危機は続いていたのだけど、黄色い大気の暴風が猛威を振るっていた時代から比べると、遥かに不具合の頻度は減っていたし、気候が安定していたこの数百年の間に、人類が外へ戻る事が出来なかった憂いも、日々安定した生活の中にかき消されてた」

「勿論、氷期突入後の人類存続の不安は無くなってはいない。でも、1000年を超える時間の間にその準備は徹底して行われ『氷期よ、さあ来い、来てみろ』と、意気込みみなぎる雰囲気でもあった」


「本職の方では、量子脳理論の探求は頓挫し続けていたけど、挑戦していたオカルトと心霊の分野の研究は結構面白くて、何か新しい境地を自分の中に感じてた」

「臨死体験、死後の世界、体外離脱などの、オカルトの中に埋もれていたこれらの記述から、ホラーや恐怖を煽るものを取り除いてゆくと、死や死者に対する人々の真摯しんしな想いが鮮やかに存在してた。

 これらの体験談は再現性を拠り所とする科学分野からは永く戯言ざれごと扱いにされていたけれど、私には量子脳理論に繋がる貴重な資料の山の様に思えた」

「だって、その人は死んだのに意識は消滅せずに存在している記述が本当に多くて、心霊を科学的に解明する為の挑戦が、人類科学が成熟期を迎えていなかった為に成されなかっただけなのだと、私は思ったから」

「勿論勿論、霊的体験として記録されている中には精神疾患や脳機能障害からの幻覚であったり、勘違いや思い込み、それに、利益のためのフェイクも数多く散見された。でも〝そうでないもの〟も確実に存在してた」


「私はそれらの分類を行い、霊的体験=量子脳理論の範囲内と仮定し、推考を重ね、理論の組み立てを試みた。『意思や思考は極めて量子領域的な時空に位置する』という初期の研究者たちの仮説を発展させ、霊性の意思は、異なる時間軸の中で縦横に存在でき、光子などの素粒子空間では物理干渉の性質も持ち合わせている、という推論に至った」


「霊体という存在こそが意思であり思考の主体なのだとしたら、それは量子脳理論によって証明される――  …… …… …… でも、まあ、自分の仮説論文を読み直しても上手く説明できていない処だらけで(汗)」


 納得のいかない仮設論文の、心霊分野の資料を、シェリーが量子脳理論の参考資料として纏めていると、彼女はある思いに囚われてしまった……


「もし、私とウッドが求める冷凍睡眠夢の核心が量子脳理論域の霊魂だとすれば、あの時の、人類が壊滅してしまったあの時の80億もの人々もまた霊となり、生き残った私たちの先祖、即ち搾取によって利益を得、命を奪われてゆく人々を見捨て、シェルターで生き延びた私たちの先祖を、激しく憎み恨んだのではないだろうか。

 その憎悪は量子力学的に時空を超え、人類壊滅直後から永遠に私たちを呪い続けているのかも。

 でもなかなか滅ばずに、しつこく生き延び続ける私たちに業を煮やし、未蘇生症という手段で復習し始めたのだとしたら?

 忍び生きて来た私たちは、決して救われないのだとしたら?」


「――濃くなったイーブンソング家の血もまた、 罪なき人々を無慈悲な死へと追いやった、呪われた者達の血が、ただ、凝縮されてしまっただけなのだとしたら…… 」


 その事に思い至ったシェリー・メアリーは、急に動悸と震えを発症し(初めてライブラリで観たあの3本の映像の時の様に)息苦しさから再び譫妄せんもうに支配され、狼狽え彷徨い 気が付けば―― 


 ウッドのソファで朝を迎えていた。


 シェリーは身を委ねていた師匠のソファから、ゆるりと身を起こし、通路の向こうに見える、朝の疑似自然光をと眺めた。


「……イーブンソング家の血は、 呪われた血で濃くなってしまっただけなの? それとも、 懸命に生き続けた血たちで満たされてるの? 未蘇生症は―― 呪いなの?」


 シェリー・メアリーはほんの少し、ソファに目をやると、救われたように微かな笑顔を見せた。

「またここで寝ちゃった……」


「ウッドが誰にも座らせないこのソファには、どんな記憶が刻まれてるの? 奥さま? 家族の? それとも、他の大切な人?」

 シェリー・メアリーは優しくソファに触れ、我が心を救う存在に感謝した。



「このシェルターに生まれ、生き、死んでいった人たちもまた霊体になったのだとすれば、彼らの魂は何処に行ったの?」


 シェリー・メアリーは自分の仮説にウッドが何を言うのか聞きたいと、次の時代へ旅立つ決心をした。するとまた、今の時代と別れなければならない寂しさが彼女を包み込んでいた。


「私はこの時代でお世話になった全ての人々にお別れをして旅立つ事にした。

 ヨーハンは私の事をぎゅっと抱きしめてくれた。

 彼の寂しそうな顔が、私のヨーハンへの最後の記憶になった」







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