野島紗香という女

と、このまま三人称で語り続けると、真田琢磨という存在を迂遠に、また客観的にしか表現できなくなってしまう。この物語はあくまで真田琢磨の物語であり、彼の内面や外面の成長を記す物語である。時に彼以外の視点を映し出す場合もあるが、基本は彼が語ることになるだろう。

故にここからは、語り手は彼に移る。





結局、はやしには忘れ物の件は後ですぐに決めておこうと保留にはさせてもらえなかったし、担任の叶原羽翼かなえばらうよくには怒られた。実に悲観すべき事案であるが、寛大な俺はそれを受け入れてやることにしよう。なんてことを考えながら、俺は一時間目を終えて、椅子に座ったまま、机にうつ伏せになっていた。俺の遅刻は不覚にも寝坊のせいなので、ここでも寝る気はない。眠気など一切存在していない。ならばなぜ俺がこんなことをしているのかというと、顔を上げると面倒ごとに巻き込まれる予感がしているからだ。俺の前の席の奴、好奇心旺盛という言葉が似合うような女子生徒が俺のことをじっと見ているのを感じる。林有紀とはまた別ベクトルで面倒くさいタイプの女子だ。このまま俺の休み時間を無為に消費して、こいつの休み時間も無為に帰してやってもいいのだが、それは流石に忍びないような気がした。なので、この膠着状態は三分ほど経過したぐらいで、俺の方から自発的に破った。

顔を上げて、その女子と目が合う。好奇心を目に宿しているという形容が似合う、くりくりとした目。端正な顔立ち、すまし顔に浮かべる微笑。解語の花という言葉がよく似合う人だと初対面の時には思った。確かに好きになる人がいるのは分かるが、俺からしたらこいつは悪友の一人だ。それぐらい、こいつは人のことを振り回してくる。その女、野島紗香は何が面白いのか、未だ微笑んでいる。


「琢磨ー、また遅刻したねー。これで何連続?」


「昨日はガチでギリギリセーフだから連続じゃねえよ」


「ああ、そうだったかもね。いつもいつも遅刻してるから忘れてた」


紗香はそう言って俺をからかう。俺はこいつを紗香と呼んでいる。元々、女子を名前で呼ぶ性質ではないのだが、紗香が自分の苗字は嫌いだから名前で呼んでほしいと言うので、名前で呼んでいる。


「ま、俺の遅刻についてはいいんだよ。目覚ましを買い直すから改善されることが期待されてるしな。それはともかくとして、お前が霧遙とかと話をしないで、俺が顔を上げるのを待ってたってことは、また面倒事でも持ち込む気か?」


数ヶ月の付き合いともなれば、紗香がどんな奴なのかぐらいは分かってくる。そして、こういう顔をしていて、こういう話しかけ方をするときの紗香の話題に、碌なものはない。どこか諦念が入り混じったような俺の質問に反して、ウキウキとしながら紗香は話した。


「ねぇ、琢磨。羽場七不思議って知ってる?」


俺の予感は的中していたらしい。俺は苦笑しながら、「知らねえよ」と答えた。どうやら、ここしばらくは退屈しなさそうだ。紗香の持ち込む話題に碌なものはない。でもそれは、大抵この変わり映えのしない日常をカラフルに色づける、興味深い話題であることが多いのだ。


勿論、面倒事であることには変わりないのだが。

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