革命が奏でるブルレスケ
彼理
この物語の主人公、その名を覚えたまえ
芸術棟で音楽が奏でられている。今は朝。部活動を行う時間ではない。だからこれは、熱心な吹奏楽部員たちが自主練をしているのである。この羽場市立羽場高校に通う生徒の幾人かは、登校するときにその音色に聞き惚れている。羽場高の吹奏楽部は全国トップクラスの実力を誇っており、地元民からは期待の星、ライバル校からは最大の敵と認識されている強豪部活である。
この物語の主人公は、その中にはいない。
教育棟、普通の教室や生徒会室、職員室などがある棟。その中でも生徒会室で、カリスマ性あふれる生徒会長と副会長が談義を行っている。進学校の部類に入る羽場高の中でもトップクラスの成績優秀者、いわばエリートである。彼らは性格もよく、これからの羽場高のことなどについて真面目に思案している。生徒からの人気も高く、学年の幅を超えて愛され、尊敬されている人物達である。
彼らもまた、この物語の主人公ではない。
職員室では職員たちが仕事や生徒たちの話題で話している。その中でもスーツを着崩しているだらしない印象を与える国語教師が、学生時代からの付き合いの技術教師にだる絡みを仕掛けている。その国語教師はただの国語教師ではなく、色々と暗い過去を持っていたり、怪しげな言動をしていたりする謎の人物であり、生徒たちの問題を解決してくれると、多くの人から信頼されている人物である。
彼もまた、この物語の主人公ではない。
そんな羽場高の一年一組の教室。二人の女子生徒が会話をしていた。二人とも男衆の目を引くような美貌を持ち合わせており、彼女たちに恋焦がれる男子生徒も少なくはない。彼女らはこの学校に存在する特異な部活の一つ、無風部に所属している。無風部とは羽場高であった奇妙な出来事や困りごとを解決する、相談所のような部活である。そんな変な活動内容でも二十年近く昔から存在している歴史ある部活なのである。
「ねえ、
「終わってるよー?あ、
「いろいろ事情があったの!後で見せてー」
そんな一般的な学生のような会話をしている二人、彼女らもこの物語の主人公ではない。
そしてこの教室で、ある人物の登校を待ち構えている女子生徒。彼女もまた、この物語の主人公ではない。
別のクラスにいる、少し危うい思弁を持つミステリ好きの少女もこの物語の主人公ではない。
また、漢字好きという特異な趣味を持ち、この羽場高に漢字ゲーム部という怪しげな部活を創設した少年もこの物語の主人公ではない。
いじめられている少女もこの物語の主人公ではない。いじめている少女もこの物語の主人公ではない。
紗香と呼ばれた少女がふと窓の外を見た。誰かの声が聞こえたのだ。そして彼女は、その声がこの教室にいる少女が待ちわびている男のものだと分かったので、その少女に向かって言う。
「
有紀と呼ばれた少女が立ち上がり、窓の外を見る。するとやはり、その男はいた。全力疾走して、たったいま用務員が閉めた校門に近づいていく。自分が未だ校内に入っていないのに校門が閉められてしまったことで男は顔を愕然とさせるが、
「セーーーーーフ!!!!!」
そのまま校門のすぐ近くでジャンプして、校門に手を置き側転のような動きをして登校を完了させる。完了と言っても、遅刻ではあるのだが。
言っておくが勿論、その用務員も主人公ではない。
「長嶋さん、セーフだよな!?これ!」
「残念だけど、アウトだよ」
「いやいや、セーフですって!ギリギリ遅刻じゃない!」
男は必死に身振り手振りで自身の正当性を主張するが、ルールの下では皆が平等。男の遅刻は確定したようだった。ならば少しでも叱責が少なくなるようにと、一目散に彼は駆け出して、教室に向かい始めた。教室の中でも何人かがそれを呆れたように苦笑しながら、それを見ている。そして廊下を走る足音が聞こえてくる。有紀と呼ばれた少女が教室の扉の方をキッと睨みつける。
そして男が滑り込むように教室に入ってくる。彼は教室を見渡し、
「お、先生いない。セーフだ。怒られるとはいえ、ダメージを最小限に抑えられるぞ?」
と調子よく言う。そんな彼に向かって、有紀は近づいていく。彼女は男の胸ぐらをつかんだ。
「あんた、今日こそ持ってきたわよね。私の教科書」
「あー、忘れた。悪い、また今度返すわ」
「なぁっ」
有紀は驚愕したような表情になり、そんな最低な発言をした男を再び真正面から睨みつける。男はヘラヘラと笑う。
「いつになったら返すのよ。あんた、返す気ないでしょ」
「悪い悪い。明日こそ持ってくるから。それでチャラにしようぜ。朝からそんなイライラしてたら禿げるぞ」
「誰のせいよ!」
この二人のいつもの漫才のような会話をクラスは呆れたような、面白がるような様子で見ている。この、遅刻しながらも言い訳を叫び、人から借りたものを借りっぱなしにして忘れてしまう、そんなだらしない印象しか今のところ与えていないこの男。
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