第2話 森の中で

帝国には建国時から聖女伝説みたいなものがありました。詳しくは覚えていませんが、違う場所から聖女は現れ、またたく間に仲間を集め、多くの大いなる力でもって帝国を救う、とかなんとか。あの子、今は聖女と言われるラウラ・ロッシュは、わたくしの良い同級生でした。


彼女は平民でしたが成績優秀な上、全属性の魔法適性を高いレベルで持っていたので特待生として学園へ入学してきました。

最初彼女は一人でした。平民出身だったせいか周りから遠巻きにされていたのです。わたくしは入学してきたときに自由に生きると決めたから、気が赴くまま彼女に話しかけたのがきっかけでした。


彼女は天真爛漫でした。そこに惹かれたんだと思いますわ。彼女は、ラウラは自由に生きている、と。わたくしと知り合ってから彼女の周りには段々と人が集まるようになってきました。わたくしきっかけで、わたくしの許嫁だったハインツ殿下もその一人だし、わたくしのお兄様もそうです。

彼女は平民としてはずいぶんいい待遇で生活していたらしく、貴族にも引けを取りませんでした。そしてその考えは貴族にはあまりない、平和的で愛に満ち溢れていたものでした。わたくしも最初はそこに魅力を感じましたわ。それが現実になればどれほど良いでしょうか、と。


現実はこれです。学園で着ていた服そのままの姿は森にはまるで似合いません。その似合わない服装のまま毛布をくくりつけた背負い袋を担ぎ、槍を杖にして歩いているんです。過去のわたくしが今のわたくしをどうして想像できましょうか?!


とりあえずサバイバルの授業で習いました、身の回りを清潔にする洗浄の魔法は一番に使用しましたわ。魔力がもったいなくてもこれは最優先ですわ。学園に通う生徒は大半が貴族で、その多くは地方領主の子弟だったりするので、サバイバル訓練や戦闘訓練、魔術訓練などがあったのです。


帝都に居を構えるノイラート家の娘であるわたくしには使う機会はないと思っていましたけど、サボること無くちゃんと覚えておいて良かったですわ。この魔法は従軍するときなど満足に着替えも出来ないときのための魔法だし、わたくしが従軍するときなんかないと思っていましたから。……従軍どころか追放されてしまいましたが。


スヴェンたちのおかげでとりあえず武器はあるので、水を探さなければなりませんね。追加で水袋はもらえたので当面はなんとかなりますけど、補充できるところを見つけなければいつか干上がってしまいます。たまには魔法でなく水浴びもしたいですしね。


食料は幸いにも森に入ってすぐに肉きのこをたくさん見つけたので、しばらくはなんとかなるみたいですし。

肉きのこは高級食材で栄養たっぷりとのことで、高値で取り引きされていると聞いていたのですが、やっぱりここは人一人いない魔物の土地ということなのでしょうね。ときどきこの世のものとも思えない鳴き声も聞こえてきますし。


一人でへへらっと笑います。貴族が人前ではやってはいけない表情です。わたくしは学園では自由にしていたからしていたけど、さすがにお兄様やお父様たちの前ではやっていません。


……お兄様、あんなに聖女にべったりだったのに、わたくしが衛兵に連れて行かれる際は抗議してくれていました。もうすっかり聖女に心を奪われてしまっていたと思っていましたから、嬉しかったですわ。


お父様は大丈夫なんでしょうか? 娘が国外追放となると父にも影響が出そうですが。ノイラート家は建国時から皇帝を支えた貴族ですから滅多なことはないと思いたいのですが、わたくしがこのザマですからね。


軍人や冒険者に役立つとされる地点把握の魔法は覚えておいて本当に良かったです。予め登録しておいた場所の方位と距離が分かる魔法です。森に入った地点を登録しておきましたので魔法を使えばいつでも森から出られるはずですし、そこからまっすぐ北に進めば、近寄るなと言われていますが、国境門へも行くことができるはずです。

なぜこんなことを考えているのかと言うと、完全に方向を見失ったからです。


森の中は薄暗いですし、木々が邪魔をして真っ直ぐに歩けませんし。なにか怪しい鳴き声が聞こえるたびに隠れていたら、まったく来た方向がわからなくなってしまいました。


今どのへんにいるのかが把握できないのは本当に怖いものです。もし地点把握の魔法を知らなかったり、登録を忘れていたらパニックになっていたかもしれません。永遠に森から出られないのかも、と。森から出ることは出来ますが、とりたてて目的地のない、分からない探索は疲れますね。


とりあえず水の確保が最優先だと思うので、池できれば川を見つけたいですわ。……水探知という魔法もあった気がしますが、わたくしは覚えてませんわ。そんな魔法が必要になる想像が出来ませんでしたもの。想像力が足りていませんでしたね。


森の中はとても緊張しますし、足元は悪いしで疲れますわ。少し暗くなってきましたし、少しだけ開けた場所に出たのでそこで休憩することにしましょう。朝ご飯は出してくれなかったし、お昼も食べる気しませんでしたのでお腹すきましたわ。


先程収穫した肉きのこをいただきましょう。……きのこってそのままでは食べれませんよね? 火を起こさないと。確か落ちている枝を拾って集めないといけませんわね。幸いそれなりに落ちていましたわ。それらを集めて火口箱の中に入っているものを使って着火しないといけないのですよね。背負い袋から火口箱を出して、箱を開けてみましたが、使い方が分かりません。サバイバル授業では従者に使わせて火を付けるとしか聞いておりませんもの。


幸いわたくしは火属性に強い適正を持っていますので火の魔法が使えます。火の魔法の基本ということで着火の魔法も覚えています。魔力はできるだけ節約するべきと教わっていますが、この訳のわからない道具で悪戦苦闘するより着火の魔法で手軽に火を付けたほうがいいと思いますわ。ええ、そのはずです、そうしましょう。

手早く準備をして焚き火を作りました。きれいな枝を短剣でさらに鋭くしてきのこを刺して、焚き火で焼きます。


どれぐらい焼けばいいのでしょうか? 火との距離を変えて三つ並べてみましたが、一番近いのは火がついてしまいました。慌てて枝を持って振り回して火を消しました。少し焦げてしまいましたが食べれるのでしょうか? 見ていると二番目に火に近かったものも焼きすぎている気がします。それもいったん火から離してから、適切だったと思える三番目と同じ距離にしました。


いい匂いがしてきました。もういけるのかしら? 全てが初めてで分からないことだらけですわ。料理は今まで待っていたり側の者に頼めば出てくるものでしたから、こんなに大変だとは思いませんでしたわ。知ってはいましたが体験しないと分かりませんね、これは。


とりあえずちゃんと焼けてそうなのを一口。……確かにお肉みたいな感じですが、味があまりありませんね。ああ、だから塩や香辛料の小袋が背負い袋の中に入ってたのですね、これで味をつけろ、と。小袋で量はありませんから慎重に使わないといけませんね。味気ない食事などしたくありませんわ。


さっそく塩を少しだけかけました。……すごく美味しくなりましたわ! 塩をかけるだけでこんなにも違うのですね。やっと食べたことのある味になってくれましたわ。この少し焦げたものもいけるかしら? ううっ、やっぱり焦げた味もしますわ。けど食べれないこともないですし、今は贅沢できません。


きのこを焼いている間にすっかり暗くなってきました。焚き火を早めにやっておいて正解でしたわね。偶然ですけど。森の夜は冷えると聞いていますから焚き火を絶やさないようにしないといけませんね。そう簡単に燃え尽きない程度に枝は集めましたけど。まだ森に入ったばかりだからかまだ何の動物も、魔物とも出会っていませんけど警戒すべきでしょうね。


何をどうやって警戒すればいいのか分かりませんので、魔法に頼ります。警戒という風属性の魔法があります。これも授業で教わったものです。風の結界を作り、その中に何かが入ってきたら術者に知らせるという魔法です。接近を知れたから何が出来るってわけでもありませんが不意をつかれるよりはずいぶんとましなはずです。


本当なら木に登って木の上で寝たいですが、そんなことをしたらたぶん寝ているうちに木から落ちてしまうでしょうし、そもそもわたくしは木を登ったこともありません。

授業で教わった以上の三重に警戒魔法をかけて、毛布に包まります。……毛布に包まっていいのかしら? 何かあった時動けませんよね、これ。と思い直して包まずに寝ようと思いましたが、地面が冷たいです。 


そういえば背負い袋の中に野営キットなるものが入っていると言っていましたわね。今まさに野営ですわ、何か無いかしら?

これは……ハンモックかしら? 子供の頃に読んだ冒険譚に出てきてハンモックで寝てみたいとわがままをいって自室に付けてもらったものと同じ感じですわ。でもこう真っ暗な中ちょうどいい間隔の木々を見つけるのは困難ですわね。他にも小さなマグカップやナイフ、スプーンや鍋なども入っていましたわ。ああ、最初に持ち物を検査しておくべきでした。ポーション類は割れにくいように皮袋に入っていました、すぐに取り出せるよう背負い袋の外に付けておきましょう。


今日のところはこのハンモックを地面にひいて毛布を被りましょう。伸縮自在な魔法の槍は掌に収まる程度に小さくして持っておきます。短剣もいつでも抜けるように腰につけていましたが、少し寝にくいですが仕方ないですね。

携帯ランタンも入っていましたが油がもったいないので今日は使わずにおきましょう。半日は燃え続けられるようにたくさん枝を焚き火に入れておきます。

ああ、ダメですわ。眠いです。夜ふかしなんかしたことないですし、こんな状況ですが眠くて仕方ありません。警戒の魔法を信じて寝ることにしましょう……。

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