第4話 S嬢、闇夜に沈む

(時刻は23時)


「今日もお疲れ様!ナツキちゃん、やっぱりすごいねぇ。お客さんみんな大満足だったじゃない。」

仕事を終えた奈月が待合室で一息ついていると、ニコニコと上機嫌な中年男性が入ってきた。店長である。


「あぁ、はい。あざす。」

奈月は適当に返事を返し、缶コーヒーを一口すする。


「さっすがNo.1!これからも期待してるよ~ん!」

店長はそう言い残し、満足げに待合室を去っていった。


向かいのソファに座っていたミライが声を上げる。

「機嫌良さそうっすね、店長。やっぱ姐さん、すげぇっすわ。客の声、店中に響き渡ってましたよ。」


「まあね。」

奈月は気のない返事をしながら立ち上がり、出口に向かう。


「お前、これいる?」

一人目の客・ケンからの差し入れでもらったアップルパイをミライに差し出す。


「え、いいんすか?」

「これ美味いらしいよ。お腹空いてないから、やるわ。」


「姐さん、優しい!あざす!」

ミライが嬉しそうに受け取るのを見届けると、奈月は軽く手を振って待合室を後にした。


新宿三丁目駅に向かう道すがら、奈月はぼんやりと考え事をする。


(なんかな…最近、店もつまんねぇな。客もワンパターンだし。)


界隈で「KILLER BEE」といえば、東京でも有名なSMクラブ。厳しい審査を通過した者だけが嬢として働ける店だ。その中で、奈月は入店からわずか10ヶ月でNo.1の座を掴み、名実ともにトップに君臨している。


(最初は楽しかったけどな…)


ふっと溜め息をつきながら、奈月はスマホを取り出した。

画面には母からのLINE。


「今日も飲み会?あんまり遅くならないようにね。ハンバーグ置いてあるから、チンして食べてね。」


「あ、り、が、とっと。」

短く返事を打ちながら、奈月の表情が一瞬だけ緩む。


両親には、自分がSMクラブで働いていることはもちろん秘密だ。大学では普通の学生として、家では素直な娘として振る舞い、二重生活をなんとか続けてきた。

両親や友人のことを思うと、普通の暮らしに徹する方が賢明だ。

大学に通い、将来の安定を目指して卒業する――そうするのが「正しい」生き方なのだろう。


だが、自分の中で燻るものがある。それは、才能への確信と、制御不能な欲求だ。

この仕事を始めてから、自然と口調が荒くなり、態度もどこか挑発的になった。

かつての自分なら眉をひそめていたような言葉遣いも、今では当たり前のように口をついて出る。

それどころか――そんな自分を、どこか心地よく感じている自分がいるのだ。


(どうしたもんかなぁ…。)


奈月は深くため息をつき、靴の先で小石を転がしながらとぼとぼと歩き続ける。

頭の中では自分が選ぶべき道についての思考が堂々巡りをしていた。


(普通に生きていれば、誰も失望しない。それが分かってるのに…。)


胸の奥がじわりと重たくなる。だが、同時にその想いを打ち消すように、心のどこかで別の声がささやいていた。


(でも、それだけじゃつまらない。)


奈月は視線を上げ、前方に見える街の明かりをぼんやりと眺める。


人通りの少ない路地に差しかかると、突然、全身黒ずくめの男が現れた。

男の顔はマスクで隠され、その手には鋭く光るナイフが握られている。


「な、何お前。何の用だよ。」

奈月は威嚇するように声を上げるが、男は動じず、ぎこちない口調で答える。


「僕、これから死のうと思ってるんです。学校でいじめられてて…でも、そのいじめっ子があなたにそっくりなんです。金髪で。」


奈月の眉間にシワが寄る。


「だから、一緒に死んでくれませんか?」


「は?ふざけんな!勝手に死ねばいいだろ!」


奈月が吐き捨てるように言い放つと、男の目が狂気に染まり、一気に距離を詰めてきた。


「な――」


奈月が言葉を発する間もなく、ナイフが心臓を正確に貫いた。

鋭い痛みとともに、身体から力が抜けていく。


「ふ、ふざけんな…そんな急に…」


掠れる声でそう呟きながら、奈月の視界が暗転していく。

目の前で、男が自らの首元をナイフで切り裂くのが最後に見えた光景だった。

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