第5話 地獄じゃないけど「マルキ・ド・サド」

「うぅ…」

奈月がゆっくりと目を開けると、そこは一面の暗闇だった。

しかし、奇妙なことに視界だけは不思議と良好だ。辺りを見渡すと、空には赤くもやがかった雲が幾重にも浮かび、微かに光を放っている。地面は見えず、足元に広がるのは漆黒の虚無――まるで世界そのものが終わりを迎えたかのような光景だった。


「どこだよ、ここ。」

むくっと起き上がる奈月。冷たく静かな空気が肌に触れる。


「あたし、刺されたんだっけ。」

胸のあたりに手を当てるが、傷の感触はない。痛みも消えている。

「…死んだのかな。」

ぼそりと呟いたその言葉が、暗闇に吸い込まれるように消える。奈月の胸の奥に、じわりと不安と諦めが広がった。


「え…地獄?もしかして。」


「違う。」

突然、低く響く声が空間を震わせた。

赤い雲が渦を巻くように集まり、そこから光り輝く人影がゆっくりと降り立つ。その姿は白い衣をまとい、まるで古代の神話から抜け出してきたようだった。


「は?誰…?」


「私の名前はマルキ・ド・サド、知っているか?」


「あ、知ってる。フランスで有名な作家さんだよね。ドSが由来の人だ。でも…200年前くらいに亡くなった人だよね…?」


男は関心したような口調で、続ける。

「よく知っているね。左様、私はサディズムの象徴として語り継がれている。そして訳あってね。ここで転生者の案内役をしている。」


「転生者…?」


「切原奈月、貴様は現実世界で死んだ。」


奈月はその言葉を受け、自分の運命と状況を受け入れざるを得なかった。


「そう…やっぱり死んだんだね。私。」


「冷静だな。」


「だって、死んでしまったものはしょうがなくない?けど、まあ、うん。さすがにあんな死に方は悔しいけど…。で、ドSの神様が死んだ私に何の用?」


サドは奈月の元に歩み寄る。


「一度しか言わない。」


「…?」


「桃太郎と西遊記だ。選べ。」


「は?」


奈月の眉がピクリと動く。だが、サドは無表情のままカウントダウンを始めた。


「10、9、8…」


「ちょ、ちょっと待って!いきなりそんな――」


「…7、6…」


「えええ!じゃあ、桃太郎!桃太郎でいい!」


奈月が慌てて答えると、サドの唇に初めて微かな笑みが浮かんだ。


「承知した。貴様の物語、楽しみにしているぞ。」


サドの足元から風が巻き起こり、奈月もろとも包み込む。


「何だよこれぇ!!」


吹き荒れる風の中で、奈月の意識は薄れていき、再び奈月の目の前は真っ暗になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る