今日も彼女は×をつける

新田 青

揚げパンとジャムパンの謎


 初めて見た時、彼女は"猫の死体"を抱いていた。


 中学三年生の冬。寒空の下で、中学の脇の並木道で彼女を見た時、俺は非現実感に目の前が真っ白になった。


 彼女の側には別の生徒も数人いて、遠巻きに見ながらこそこそと内緒話をしていたと思う。


 俺は何を思ったか、彼女に話しかけた。俺の孤高主義は高校生になってからのもので、それまでは人並み以上に他人事に首を突っ込んでいた。


 猫の死体を抱いたままの彼女は、俺が声をかけると緩慢な動きで首をこちらに向けた。


 ロボットの様に変わらない表情から、彼女はこう言葉を発した。


『どうしてこの猫は死んでいるの?』



―――――――――――――――――――――




 論理とは整然と並べ立てられた皮肉である。


 論理的思考に長けた人間がいたとする。彼、又は彼女はきっと賢い人間で、そして客観的に見て酷い皮肉屋である筈だろう。


 賢いことは褒められるべきことだ。人間は鋭い爪も、牙も持たない。その代わりに人類としての共通の望みが知識を得ることだったのだから、その考えに準ずる賢者たちを嘲笑うことは無益で、なんとも独りよがりなことだと思っていた。


 だが、多くの人間は正解など欲していない。そんな人間から見た賢者の言葉は、酷く不快で、そして皮肉げに聞こえる事だろう。


 そんな自身は突き抜けるほど賢いわけでもなく、だからといって気になることに自分なりの答えを出すことができない人間でもなかった。


 言うなれば中途半端な立ち位置。賢者でもなければ愚者でもない。けれど、どうせ目指すなら賢者がいい、と自分には似つかわしくない皮肉を口走った事もある。


 だが、上には上がいる。過去の自分にあった全能感は薄れ、思い上がった自信はたった一人の少女に打ち砕かれてしまった。



―――――――――――――――――――――



 鷹峯たかみね高校は市内では平均より少しだけ偏差値の高い高校だ。立地は郊外の住宅地の中だが、高台に位置していて登下校には坂を上り下りする必要がある。


 季節は春。鷹峯高校に入学してから二週目の月曜日。つつがなく始まった高校生活だと思っていたが、俺は初手から一つの問題に直面していた。


 昼休みに席で昼食をとっていると、携帯電話が震えた。


 どうやらメールが届いたらしく、マナーがいいとは言えないが、箸を持ってない方の左手で携帯に届いたメールを開く。


 文面はこうだ。


『地学準備室に来てほしい』


 その文面に俺は嫌な想像が浮かんだ。そして無表情のままそのメールに返信する。もちろん返事は『すぐ行く』だ。


 地学準備室にたどり着くと、俺はそっと扉を開けた。


 中にはシンクがついた長机が所狭しと並んでいて、その中の窓際の一つに、彼女──御手洗千佳は座っていた。


 長机に座り、少し低い位置にある椅子に足を置いて、およそ道具の使い方が反転してしまった有様で、彼女は神妙な顔をして待っていた。


「来たんだ?」


「呼んだのはそっちだろ。それで、今度はなに?」


「ちょっとね。不思議な事があったの」


 彼女の言葉に俺は嫌な想像が当たっていたことを思い知った。


 その憂鬱な気分に少しだけ反抗的な性格が顔を出したとしても仕方のないことだろう。


 俺はどうにか話を逸らせないかと、考えも纏まらないまま口を開いた。


「不思議な事ね。世の中は不思議な事ばかりだ。この高校の周りはやけに坂が多いし、地学準備室に鍵がかかってない事も不思議だ。何より机は座るものじゃない」


 自らが今感じている不思議を羅列するが、彼女にはどこ吹く風である。


 御手洗が頭を動かすと、後ろで括ったポニーテールが振られる。人懐っこそうな丸い瞳は快活な様子で、つんと突き出た鼻は高く小ぶりだ。


 世間一般の感覚で言うと、彼女は顔が整っている。けれどそれが活かされるには、朗らかな性格が伴ってこそだ。彼女はどちらかというと大人しい性格で、見た目のアクティブな印象からは真反対に静謐だ。


「三國くんはさ。この高校の購買で何か買ったことはある?」


 三國穂高。なんとも古めかしいというか、その名の通り米農家の祖父がつけたのだが、それが俺の名前である。


「いや。あいにく弁当を持ってきてる。購買には用はないね」


「そう。あのね。この高校って揚げパンが凄く人気なの。それで、私も購買に足を運んだんだけど、どうも揚げパンは売り切れてしまっていて、私は仕方なくジャムパンを買ったんだけど」


 俺が購買を利用するのかに興味があったわけではないらしい。とんだ早とちりである。


 それよりも鷹峯高校の揚げパンが人気、という話は初耳である。確かに言われてみれば白い紙の袋に入ったコッペパンを手にしている生徒をたまに見かけるが。


 だが、それはどうでもいい。彼女も同じ様に思っていたんだろう。話を続ける。


「けどね。袋を開けたら、そこにはジャムパンじゃなくて揚げパンが入っていたの」


「……間違えただけじゃないのか?」


「ううん。確かに揚げパンの入っていたトレイには売り切れって書いてあった。だから私はまだ残っていたジャムパンのトレイに手を伸ばしたの」


 それまで定まらなかった視線がこちらを向いた。彼女の目はあまりに真っ直ぐだ。その視線に射られると、小心者な俺は思わず口数が増えてしまう。


「多分、揚げパンを買おうとした購入者が途中で辞めたんだ。それで揚げパンのトレイに戻すのが面倒で、ジャムパンのトレイに戻しただけだろ?」


「けど、ジャムパンのトレイは揚げパンのトレイの真横にあるの。10センチにも満たないその距離を面倒がるかな?」


「だったらこうだ。購買のおばちゃんが揚げパンをジャムパンのトレイに間違えて入れた。ジャムパンも揚げパンも元は同じサイズのコッペパンなら、袋に入ったそれを間違えても不思議じゃない」


「ううん。なんか違う気がする」


 御手洗は釈然としない表情を浮かべたが、俺自身も苦しい説明だとは思った。


 そう、彼女こそが俺にとって自信を打ち砕いた張本人。謎を謎のまま放置できない。謎が解かれるのを望む司会者である。


 なせ御手洗を司会者と呼んだのかについては理由がある。それは凡そ信じる事ができない不可解な能力が彼女にはあるからだ。


「つまり、それは不正解だと?」


「うん」


 御手洗は謎の答えを知らない。答えに辿り着く術も持たない。だが、それが答えであるかどうかは、なぜか超常的な天性の勘によってわかるのだ。


 いうなれば彼女はクイズ番組の司会者だ。それが正当な答えで無ければばつ印を出し、当たっていれば丸印をくれる。


 そして、俺はそんな彼女から、過去に盛大なばつ印を貰い受けた落伍者である。


「わかった……もう少し考えてみる」


「うん。ありがとう三國君」


 さて話を戻そう。揚げパンとジャムパンは外から触って判断がつくものじゃない。けれど、外側から判別がつかないのでは、購買のおばちゃん店員はさぞ困るだろう。事実トレイは別れていて、買ってからのお楽しみ、なんてくじ引き方式でもないのだから、区別はつくようにできているのが当然だ。


 揚げパンとジャムパン。二つの商品が並べられるトレイの距離は近く、混雑する購買であってもわざわざジャムパンのトレイに揚げパンを戻す合理的理由はない。そして御手洗がジャムパンのトレイからパンを取った時、揚げパンは既に売り切れだった。


「一つ聞きたい。ジャムパンの袋と、揚げパンの袋に本当に違いはないのか?」


「見た限りじゃ、違いはないと思う」


 それを聞いて思ったのは、随分と不親切だという事。


「本当に? 袋の口をとめるテープが違ったりとか」


「ないと思う。だってそうじゃなかったら、ジャムパンのトレイから揚げパンを取るときに私が気がつくはずだから。私は確かにジャムパンだと思って手に取ったの」


 見た目では違いはない。けれどそれはおかしい。購買のおばちゃんは間違わない。それは先ほど答え合わせもしている。


 彼女は違うと言った。


 なら、購買のおばちゃんにだけわかるジャムパンと揚げパンの違いがあるはずだ。それがわからない事には、購買のおばちゃんは犯人像から外れない。


 揚げパンとジャムパンの違い。それは──。


「ああ。そういうことか」


「何かわかったの?」


「いや、そういうわけじゃないんだが。一つ聞きたい。揚げパンは美味かったか?」


 俺の質問に御手洗は目を丸くした。


「うん。美味しかった」


「それはどうしてだ?」


「どうしてって……パンはふわふわだったし、砂糖も沢山かかってて、それに作りたてだったから」


「そこだ」


「え?」


「揚げパンはその名の通り揚げたパンだ。対してジャムパンはただのコッペパンに、ジャムが入っているパンだ。油で揚げているんだ。作りたての揚げパンは袋の外から触っても温度がわかるくらいには熱いはずだ」


「ああ……確かに。私が食べたときも、ほんのり暖かかった」


 これでわかる事は一つ。揚げパンをジャムパンのトレイに入れたのは、購買のおばちゃんではなく、生徒の誰か。


「次いで質問なんだが、揚げパンって値段はいくらだ?」


「百円だよ」


「ジャムパンは?」


「百五十円」


 俺はそれを聞いてふうと息を吐いた。


「じゃあそういうことだ」


 俺の言葉に御手洗は首を傾げた。


「ちゃんと説明してよ」


「ジャムパンのトレイに揚げパンを入れたのは、購買でジャムパンを買おうとしていた生徒だと思う」


 こちらを見てくる御手洗の目は、少し訝しげだった。


「どうして? なんで生徒が揚げパンをジャムパンのトレイに入れるの?」


「ジャムパンの方が値段が高いからだよ」


「?」


 未だ御手洗は納得できない様子だ。俺は仕方なく口を開く。


「お前が不思議に思っていた問題の答えはこうだ。ある生徒の一人が購買にパンを買いに行った。その生徒はジャムパンが欲しかったが、あいにく持ち合わせが百円しかなかった。もしくは単に五十円を惜しんだ。そこで揚げパンを百円で買って、外から見ただけじゃ見分けがつかないジャムパンとすり替えたんだ」


「……」


「その生徒は流石に買ったばかりの揚げパンを、元あったトレイに戻して、ジャムパンを取るのは気が引けたのかもしれない。それこそ、最後の一つだったらかなり目立つからな。もしくは、もしも看破されたとしても、似ている袋だったから、間違えてしまったと言い訳の弁も立つ。あとは」


「あとは?」


「──五十円安くパンを買ったんだ。その分の売り上げの差ができるのは、犯人からしたら少し後味が悪い。疑われる理由にもなるしな。それでジャムパンのトレイに揚げパンを入れておけば、きっと間違えて買うやつが出てくると踏んだんだ」


 一息に説明すると御手洗は考え込む素振りを見せる。


「そっか。じゃあ私は、知らないうちに悪事に加担していたってこと?」


「お前は余計に五十円払っただけだろ。知らないジャムパンの生徒のせいで出来た五十円の損失は、お前が補填したって事になる」


 得をしたのはジャムパンを持って行った生徒で、損をしたのは御手洗ただ一人だ。


「なるほど……」


 けれど御手洗は揚げパンを五十円高く買ったのにも関わらず、特に気にした素振りは見せなかった。


 俺は不安感を抱きながら、御手洗の目をみる。こちらを真っ直ぐ見てくる目が、小さく瞬きをした。


「うん。納得した。ありがとう三國君」


「どういたしまして。それで? 用事はそれだけか?」


「いや、実は私、部活に入ろうと思っているんだけど、一人じゃ心細いの。一緒に見て回ってくれる?」


 御手洗は申し訳なさそうに言った。その頼み事こそが本題だったのだろう。


 正直なところを言うとかなり面倒臭い。何が面倒くさいかと言うと、俺は孤高主義なのだ。間違っても誰かと一緒に、入る訳でもない部活動を見学にいくような性質じゃない。


 それは御手洗もわかっているようだが、わかっていて、頼んできているのだ。いい性格をしていると言わざるをえない。


「……わかった。多分、放課後だよな?」


「うん。新入生歓迎週間なんだって。今週はいろんな部活が勧誘に勤しんでいるみたい」


 けれど俺は断らない。何故なら彼女に対して負い目があるから。


「じゃあ俺は教室に戻るから」


「うん。私ももう少ししたら戻るよ」


 そこで会話は終わった。ただ、地学準備室を去る前に、もう一度御手洗の姿を見た。窓の外を見ながら一人で佇む彼女は、まあ絵になっていた。


 平凡な自分がなぜ御手洗千佳と一緒にいるのかは究極、成り行きであると言える。


 きっと、今日の放課後、付き添いで行った先でも彼女は幾度となく謎を発見するだろう。


 そしてその度にあの視線に晒され、仕方なくボタンを押して回答を話すのだ。


 さて、今日はあと何個、彼女から×をつけられるのだろうか。


 



 

 


 


 

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