第3話 死神の刃
月のない夜だった。
「はあ……はあ……」
夜の森の中を、フレン・クラエルは必死に走っていた。
洒落たデザインの靴は既に泥塗れ。
上質な布で仕立て上げられた可愛らしい洋服もまた、汗と泥で汚れている。
屋敷の中で大事に育てられてきたフレンにとって、これほど長く走ったのは初めてのことだった。
息が苦しい。心臓がうるさい。足が痛い。
それでも走らなければ。
走らなければ、フレンは死ぬだけだ。
「お父様……お母様……」
愛しい家族のことを思い出して、フレンはまた泣き出しそうになった。
フレンの両親は今日、屋敷に侵入してきた賊に惨殺された。
幸せが壊れるのは一瞬だった。
屋敷を守っていた騎士たちは一瞬にして殺され、屋敷の中にいた父と母は首を刈り取られた。
治安の悪化し続ける王国ではそこまで珍しい悲劇でもなかった。
国の力は落ち続け、ならず者たちが力をつけ続ける。
最後に残った一人娘のフレンは、ただ盗賊たちのアソビの為に残されたに過ぎない。
「いつっ……!」
フレンが倒れ込む。
その足には、クロスボウの矢が刺さっていた。
「よっしゃあヒット! じゃあ一番は俺だな!」
「カーッ! いいなあ、貴族のお嬢様のハジメテ!」
複数の男が倒れ込んだフレンに近づいてくる。
先ほどまで「狩り」をしていた男たち。
彼らこそフレンの両親を殺した盗賊団だった。
男はみな一様に下卑た笑みを浮かべていた。
フレンは自分の結末を悟って静かに涙を流し始めた。
見事フレンという獲物を仕留めることに成功した男は、報酬を得るためにフレンに近づき乱暴に髪を引っ張った。
「っあ……やめて……やめてください……」
「おお、やっぱいい顔してんな。母親は化粧のケバいババアだったのに、よくこんな子ども産んだもんだ」
ニタニタ笑う男がフレンの体に触れる。
「どうして、どうしてこのようなことに……」
フレンは震える唇で嘆いた。
フレンも家族も、何も悪いことはしていない。
ただ普通に暮らしていただけだ。
それなのにどうしてこのように遊び半分に殺され、辱められなければならないのか。
半ば無意識に、彼女は呟いた。
「神様……どうあ、どうか私をお助けください」
「ハハッ! 神なんていねえよ! なんたって俺みたいなクズが好き勝手やってるんだからな!」
フレンの祈りが否定される。
ならず者が蔓延り、弱者は貪られ、魔物が闊歩するこの世界に都合の良い神など存在しない。
フレンの祈りは幼稚で、無意味で、現実に即していない愚かなものだった。
――ただ、その言葉は救いの神とは程遠い存在に届いた。
「……なんだ?」
突然、周囲に霧が垂れ込み始めた。
白い霧は視界を遮るほどに濃い。
フレンに手を伸ばしていた男があたりを見渡す。
「……まさか」
賊のひとりがポツリと言う。
彼は噂に聞いたことがあった。
白い霧と共に姿を現し、魂を刈る死神の存在を。
「『白霧の死』――」
その異名を口にした瞬間、男の首が落ちた。
「ッ!?」
賊の間に動揺が走る。
得物を手にあたりを見渡す。
しかし、死は既に彼らを捉えた後だった。
「ぐ、ああああああ!」
ひとり、またひとりと首を刈り取られた賊が断末魔を上げる。
傍からそれを眺めるフレンの目には、まるで宙に浮いた刃が盗賊の首を刈り取っているように見えた。
霧の中を自在に動く刃――あれは、鎌だろうか。
死神がどんな姿をしているのかすら分からない。
霧の中を蠢く影は姿を見せることすらせず次々と賊を狩っていた。
「おい、誰かなんとかしろよ!」
「無理に決まってんだろ! そもそも相手がどこにいるか分からねえ! ……ガッ!?」
「クソッ……とっておきを使う! お前ら伏せろ!」
ひとりの男が叫ぶと、手にした魔導書を開く。
彼が手にする魔導書こそ、盗賊たちが伯爵家の騎士を容易く皆殺しにできた理由だった。
「■■■■!」
男が解読不明な言語を叫ぶと、魔導書がそれに呼応して不気味に光り出す。
不気味な光は賊の体を包み、彼の体を異形へと変化させた。
「――■■■■!」
漆黒の肉体に、鋭い爪。山羊の顔は既に人間的な理性を失っていた。
それは、正しく悪魔と呼ばれる存在だった。
悪魔化。禁呪とされるその術は、使用者の身体能力を爆発的に増加させ、対象を殺し尽くすまで解けることはない。
血走った目をした悪魔は霧の中を見渡すとやがて真っ直ぐに駆け出した。
「ッ■■!」
鋭い爪が振るわれる。その速度は、先ほどまで賊の首を刈っていた刃にも匹敵する程のものだった。
狙いは正しく、白霧に潜む死神の場所を捉えていた。
――ただ、その爪が死神に届くことはなかった。
「が、アアアアアア!」
爪の一撃を難なく回避した死神の刃が悪魔に迫る。
一撃目が右腕を切り飛ばし、続く斬撃で首を跳ね飛ばす。
悪魔の体はその場に倒れ込み、やがてその肉体は灰となって消滅した。
「馬鹿な……アニキがヤられた……?」
「嘘だろ……王都の騎士相手でも負けなかったのに……」
「か、勝てない……逃げろ、逃げろおおお!」
盗賊たちは既に戦意を喪失していたが、死神の足が止まることはない。
刃が振るわれるたびに悲鳴が鳴り響く。
たったの数分の内に、賊は皆殺しにされ、呆然と状況を眺めることしかできなかったフレンだけが後に残された。
「――あ」
いつの間にか、死神はフレンの目の前に立っていた。
華奢な、目を離せば霞のように消えてしまいそうな少女だった。
幻想的な輝きを見せる白髪。14になるフレンよりも小さな体。
不気味なまでに整った顔は、貼り付けたような無表情だ。
折れてしまいそうなほどに細い両腕には、身の丈をも超える鎌を持っていた。
多数の盗賊を殺した大鎌は、未だ食らい足りないと言わんばかりに銀色の刃をキラリと煌めかせる。
「こ、殺さないで……」
自分もまた、盗賊と同じようにあっさりと首を刎ねられる。
そう思ったフレンは、涙を流しながら懇願する。
こんな命乞いに意味はない。
そう分かっていながらも、フレンは目の前に迫った死を前に懇願せずにはいられなかった。
けれど、フレンの言葉を聞いた死神は困ったように眉を下げた。
「……殺さない。私はあなたを助けに来た」
「…………え?」
思わぬ言葉にフレンは目を丸くする。
その様子を見た死神は、また困ったように眉を下げていた。
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