第五章 ヤドロギの町

 瑠璃と玖郎は目的の町「ヤドロギ」に到着した。道中の疲れを忘れさせるかのように町は賑わいに満ちている。行き交う人々の話し声、店主たちの呼び込みの声、通りを彩る商品や屋台の数々。


「こんなにたくさんの人がいるなんて…」

 瑠璃は驚きの表情で周囲を見渡す。村から一歩も出たことのない彼女にとって、ヤドロギの町は異世界のようだった。


「今日はこの町で宿をとりましょう」と玖郎が言う。

「そうですね」と瑠璃も頷き、町を歩き出した二人は目についた宿に入ったが、あいにく満室のようだった。その後も二軒の宿を訪れたが同じ結果に終わり、途方に暮れる。


「宿が埋まるほど賑わっている町なのですね…」瑠璃が疲れた様子で呟いた。



 ▫️行商人の少年


 次の宿を探して通りを歩いていたとき、瑠璃の目に一人の少年が映った。彼は小柄な体で大きな荷車を押し、行き交う人々に声を張り上げて商品を売り込んでいた。


「いらっしゃい! 安くするよ! 何でも揃ってるからね!」


 人懐っこい笑顔で懸命に声を上げる少年。微笑ましく思っていると、その近くに大柄な男がいるのに気づく。肩で風を切るように少年の方に近づきながら、何かに苛ついているようで舌打ちをしている。


 男はさらに少年に近づく。すると突然、商品として積まれていた茶碗を蹴り上げた。


「あ!」と瑠璃は思わず声を上げたが、茶碗はぱりん、と音を立て割れた。


「何するんだよ!」


「ああ、餓鬼が何か言ったか?」


「今、わざと俺の商品を壊しただろ!」


「なんだと」男は少年に詰め寄り、勢いよく胸ぐらを掴んだ。


「証拠はあんのか?」


 瑠璃は思わず駆け出していた。少年と男の元へ近づき「手を離してください!」と毅然とした声で言った。周囲の人々が何事かとざわめきだす。

 男は少年の胸ぐらから手を離し、瑠璃を睨みつける。しかし、瑠璃も一歩も引かずに続けた。


「あなたが茶碗を蹴るのを見ていました。この方に謝るべきです」


「やだねえあの男、子ども相手にみっともない」そんな声が周囲から聞こえてきた。男は怒りを露わに拳を振り上げ、瑠璃に向かおうとするが──その動きが途中で止まった。

 不思議に思った少年は男の視線の先を見てぎょっとする。



 ▫️無言の圧力


 男と少年が見たのは、瑠璃の後ろから無言で男を睨みつける老人だった。老人──玖郎の圧倒的な威圧感に気圧された男は、舌打ちを一つすると足早に立ち去る。


 少年は玖郎の存在感に戦々恐々としつつも、礼を言った。


「ありがとう、助かったよ」


「怪我はありませんか?」


「大丈夫さ、こういうのは慣れっこだよ。子どもだからよく絡まれるんだ」

 

 少年は屈託なく笑い、続ける。「助けてもらったお礼に、ここにあるものなら何でも持って行ってよ。何か欲しいものはある?」


 瑠璃は丁重に断り、「実は宿を探しているのですが…」と相談する。すると少年は「それなら行商人御用達の宿があるから教えるよ。でも…それだけでいいの?」と言う少年に瑠璃は頷いた。

 少年は紙に何かを書き付けて渡し「これを見せれば安く泊まれるはずさ」と笑う。


「助かりました」と頭を下げる瑠璃。少年は人懐っこい笑顔で「それじゃあ」と手を振った。



 歩き出す瑠璃に玖郎が口を開く。

「瑠璃殿、女子供相手に強く出る卑劣な輩もいます。あまり無茶をしないでいただきたい」


 瑠璃は少し反論したそうな顔をしたが「はい、気をつけます」と素直に応じる。そのやり取りを見ていた少年は「変わった二人組だなあ」と呟いた。



 少年に教えてもらった宿に辿り着いた瑠璃と玖郎。入口の帳場で紙を見せると、宿の主人は快く二人を迎え入れてくれた。


「宿帳にお名前をお願いします」と促され、まず玖郎が筆を取る。


 瑠璃はそれとなく横目で覗き込んだ。宿帳には流れるような筆跡で「吉良きら 玖郎衛門くろうえもん」と記される。


 瑠璃は目を丸くした。


 玖郎──玖郎衛門が筆を置いたのを見計らい「あの、玖郎……衛門殿…。貴方のお名前、ずっと略して呼んでしまっていました。申し訳ありません」と慌てて謝る。


「お気になさらず」と玖郎衛門は落ち着いた声で答えた。その言葉にほっとしつつも、瑠璃は内心で「やはり少し失礼だったのでは」と反省した。



 ▫️買い出しの依頼


 宿に部屋を確保し、一息ついた二人。玖郎衛門が懐から金を取り出し、瑠璃に手渡した。


「申し訳ありませんが、買い出しをお願いできますか。余った分は好きに使って構いません」


「玖郎、衛門殿は?」と瑠璃が尋ねると、玖郎衛門は宿の向かいにある武器商店を指し「私はあちらへ」と答えた。


「わかりました。では、また後程…玖郎衛門殿」


 そう言った瑠璃だったが、玖郎衛門は動かずに彼女を見ている。


「あの…」


「玖郎で構いません」


 その言葉に瑠璃は一瞬戸惑い、「でも」と遠慮がちに返す。


「お嫌ですか」


「い、嫌というより…」言いかけて瑠璃は、以前にも似たやり取りがあったことを思い出した。

 そしてくすりと笑い「では、玖郎殿。また後程」と言い直す。


 玖郎衛門は小さく頷き、二人はそれぞれ目的の店へ歩き出した。



 ▫️絵売りの話


 瑠璃は通りを歩きながらずらりと並ぶ店を眺めながら歩いていくが、ある露店が目に入る。

 店主の周りには様々な絵が飾られていた。ヤドロギの町並みを描いた絵、青い空を描いた絵、どこかの川沿いにある美しい花々を描いた絵…思わず目を奪われていると、店主がにっこりと笑う。


「お嬢ちゃん、絵に興味があるかい?見ていくだけでもいいよ」


「ありがとうございます。…すごく綺麗。こんなにたくさんの景色、私見たことがありません」


「嬉しいこと言ってくれるねえ。俺はそこそこ旅をしてるからね、いい景色を見たら描くことにしてるんだ」


 それならば、と瑠璃はカガミ村のことを聞いてみる。しかし村のことは知らないようだった。「役に立てなくて悪いね」と謝る店主に瑠璃は気を取り直して尋ねる。


「気になさらないでください。他にはどんなところへ?」


「そうだねえ…月流湖って知ってるかい?人が寄り付かないところだけどなかなかいい場所だよ」


 月流湖…玖郎衛門と出会った場所だ。



 ▫️瑠璃の買い物


 瑠璃は店主に絵を見せてくれたことへの礼を言い買い出しに戻る。携行食や薬など、旅に必要なものを次々と買い揃えた。充分な量を購入したが、少し金が余ったようだ。


「どうしよう…」


 余った金を手に、瑠璃は町の賑わう通りを歩きながら悩む。玖郎衛門から預かった金であることを考えると軽々しく使うのは気が引けたが、ある店の前で足が止まった。


 そこは目に入ったのは色とりどりの手ぬぐいが並ぶ店だった。


「これなら…役に立つはず」


 そう考え、迷いながらも黄身色の手ぬぐいを一つ買った。手ぬぐいなら使い道はたくさんある。実用性もさることながら、どこか温かみのある色が気に入ったのだ。



 ▫️玖郎衛門の探しもの


 夕餉の後、瑠璃は今日町で目にした店のことを話していたが、ふと玖郎衛門に尋ねる。絵売りの店主が月流湖に行ったことがあるという話だ。


「月流湖は人が寄り付かない場所だと聞いたのですが…玖郎殿はあの場所で何をしていたのですか?」


 玖郎衛門は一瞬考え込むように視線を落とし、静かに答えた。


「探しものをしておりました」


「探しもの…ですか?」


 それが何なのか、玖郎衛門は語ることをしなかった。しかしいずれにせよ、自分に助力するため湖を離れていたことで探しものが中断してしまっている…そう考えた瑠璃は、せめて旅が落ち着いたら自分にできる方法で玖郎衛門の探しものを手伝おう、と思いそれ以上深く問うことをしなかった。



 ▫️夜の静けさ


 宿に戻り、夜を迎えた瑠璃は部屋の窓から外を見上げた。澄み渡る夜空に、まん丸の満月が浮かんでいる。村の祭事から三月が経っていた。


(村に帰ったら、まずは心配をかけたことを謝らないと…それから、親切な方に助けていただいたこと、ジブ草が林に生えていたことと、この町のこと…)


 いつか朱華や風吾とヤドロギの町へ来よう。たくさんの店と道を行き交う人々を見て、二人もきっと驚くはずだ。想像するとどこか心が穏やかになる一方で、明日からの旅路に少しだけ不安を覚える。幼なじみや兄妹たちが無事に暮らしていることを祈りつつ、眠りにつくのだった。



 ▫️短刀の贈り物


 翌朝、宿を出発しようとしたとき、玖郎衛門が一振りの短刀を瑠璃に差し出した。


「これは…」


「昨日、武器商店で手に入れました。薙刀を使えない場面もあるでしょう。いざというときのために」


 短刀はしっかりとした鍛造が施された立派な品だった。未熟な自分には不相応だと感じた瑠璃は、恐縮して受け取るのを躊躇う。


「身を守るために必要だからです」玖郎衛門は冷静に言った。


 瑠璃は黒装束たちに襲われた夜のことを思い出す。あの時は玖郎衛門のおかげで生き残ることができたが、もし一人でいる時に同じように襲われたら…神妙な表情で瑠璃は短刀を受け取る。


「ありがとうございます。大切にします」


 そう言って頭を下げる瑠璃に、玖郎衛門は軽く頷いた。



 こうして瑠璃と玖郎衛門は、ヤドロギの町を後にする。新しい道を進む二人の背中を、明るい朝日が照らしていた。

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