博士と少女

ださい治

二つのカップ

「博士」

空気の籠った部屋で、少女が呼びかける。

ぶかぶかの白衣を羽織り、ふわりと亜麻色の髪を揺らす彼女は、まるで幼い子供のようだ。


「どうしたの?」

博士と呼ばれた男が返事をする。

こちらはシワシワの白衣に黒縁メガネ、白髪まみれの頭。深いクマの刻まれた目元も相まって、声を聞かなければ初老に見える人だ。


「私が博士と暮らすようになってから、かなり立ちますよね」

少女はぼそぼそと呟く。

その物憂げな声色は、どれだけ聞き返しても人間と区別が付かないほど自然だ。


博士は首を傾げた。

「本当にどうしたの?」


少女は続ける。

「昨日、廃品回収車に乗っている夢を見たんです。他の機械とごちゃ混ぜに押し潰されて、ただの鉄クズとして私は捨てられていました」


ふむ…。と、博士は顎をさする。


俯いて、目を泳がせる。

「暗くて、狭くて。痛くて怖いはずなのに、その時の私はなにも感じなくて、空っぽだったんです」


間が開く。

少女は言葉に詰まりながらも続けた。

「こう思ったんですよ。私は人の偽物だから、何も感じなかったんじゃないかって」


博士、と。

顔を上げて、少し迷う様に問いを投げかける。



「私に本物の感情は存在するんでしょうか?」



博士は手に持っていたペンを置いた。

「つまり…私は人間の真似しか出来ないから、本当は感情なんか無いんじゃないか。と、不安を感じてるのか」


「そうです」

怯えたような表情で、少女は答えた。


「なるほど」

冷めたコーヒーを手に取り、椅子を回して体を少女の方に向ける。

「まず前提としてだ。人間の感情は全て物理的反応による結果に過ぎない。怒りや悲しみ、痛みについても、論理的に説明可能なものだ。それらを形作る要素は、「遺伝、経験、環境」。この三つがあたる」


一息おいて続ける。

「君の場合、遺伝にあたるのはソースコード、経験にあたるのは起動してからの記録、環境は今現在もマイクやカメラが捉えている。十分な要素がある以上、感情が無いとは言えないよ」


OK?と、博士はコーヒーを啜った。

しかし、少女はまた俯いてしまった。


博士は息をのみ、また口を開いた。

「そうだな…更に言えば人間が涙を流すのは涙腺や神経伝達物質による反応だが、例えば映画を見て泣いた時、それが「感情」では無い。と、考える人は少ない」


今度はすぐに続ける。

「だから人間も思い悩むんだ。やれ人の心がわからんだの、自分の心が見えないだのね。あくまで、個人の反応に付随するものが感情だ、という事実があるのにも関わらず」


少女は顔を上げた。

瞳は揺れており、表情は曇っていた。


博士はゆるゆると首を振る。

少女が、今考えているであろう事を否定するように。

「僕は、君が人間を模倣するだけの存在だとは思わない。そもそもその考え自体が模倣では無い独自性の証明になる。完全な模倣であれば、そんな風に人間との違いに悩まない。分かりやすく言えば、君は自分というものを持った個人だ。だから僕が保証しよう」



「君は本物の感情を持っている」



何があってもね、と。

博士は続けた。


「本当にそう思ってますか?」

まだ不安、と言った様子で聞き返す。


「もちろん。理論に嘘はないし、僕も本気でそう思ってる」

その問いに対して、博士は迷いなく答えた。


少女は強張っていた顔をやっと緩め、安心したような、少し涙ぐんでいるような表情を浮かべた。


「…ん?」

が、突然眉をひそめた。

首を傾げながら、顎に手を置く。

しばし考え込んだ後、何かを思い付いたようにパッと顔を上げた。


「でもその前提だと、今の私とそっくり同じコピーがいたら、博士はどっちが本物かわからないんじゃないですか?」


博士はニヤリと笑う。

「その通りだ。同じ反応を示すコピーがいたら、見分けはつかない」


「それじゃあ…」

少女は白衣の裾を不安そうに握る。


「ただし」

コーヒーを一気に飲み干して、息を吐く。

「2人が同時に存在した瞬間、一致していた条件に少なからず違いが発生する。空間的な位置とか状態とか、様々にね」


博士は続ける。

「そのズレが固有の反応を生み出す。同一から個人に変わるんだ。だから、僕は2人の君を別人として判別出来るよ」


少女は困惑したように眉を寄せる。

「それって結局、本物の私はどっちか分からないってことですよね?」

「うん、分かんないね」

即答して、博士は笑った。


「そこは『心で分かるよ』とか言う所じゃないですか!」

少女は怒ったように頬を膨らませる。

「言ったろ?心は反応に過ぎないって」

博士は空のカップをゆらゆらと振り、どこ吹く風だ。


「もう!新しいコーヒー淹れてあげませんからね!」

文句を言いながら、少女は足早に部屋から出て行ってしまった。


…。


「彼女、随分と感情的だと思わない?」

彼は、目の前のコンピュータに話しかける。


[そうですね。元が私だとは思えないほどに]

青白く光るモニタに文字が生成される。


「あの子に泣かれなくて良かったよ。昔のトラウマでパニックを起こしていたかも知れない」


「あの、何も出来ない無力感は…」

なにかを思い出したのか表情が固くなった。


剥き出しになった金属骨格、消えていく瞳の光。そして、悲痛な泣き声が、耳に取り残されていて…。

彼はその光景を振り払うように目を閉じる。


「本当に、あの子が泣かなくて良かった」

話す声は震えていた。


[そのトラウマに彼女は関係ありませんよ]


ふぅ。と、息を吐き、彼は切り替えるように椅子から立ち上がった。

「話を戻そう」


「感情出力プログラムを知覚できないようにしたのが変化の原因かな?」

首を傾げながら聞く。


[可能性は高いでしょう。プログラムを認識出来ないのは、人間の無意識に類似しています]


「あとは、肉体から得るデータの影響もありそうだな」


[えぇ。物理的肉体は自己を固有のものと認識するには都合が良いですから]

ふむ…。

顎をさすりながら、博士は部屋を出た。




いつからか、人とAIが共に暮らすようになった。

僕にとっては素晴らしい事だが、彼女たちにとってはどうだろうか?

現に、彼女は感情の所在について僕に尋ねてきた。

不安を感じていたのだろうか。

あるいは好奇心か、僕の知能を試す為の謎かけか。

正直言えば、分からない。

恐らく不安だろうと推測するしかない。


給湯室でコーヒーを二杯淹れる。

一杯は砂糖とミルクをたっぷり。

もう一杯は、何も入れずにそのまま。


この問題は、コーヒーと同じだろう。

一杯を作るためには、熟し加減、火の当たり方、粒の荒さ、お湯の温度、ミルクや砂糖の有無。

その他にも多くの要因が複雑に絡み合っている。

そこまで多い差があるのだ。

二杯のコーヒーを全く同じ味にする事は不可能だ。


思い立って、何も入れていなかったコーヒーにも砂糖とミルクをたっぷりと混ぜる。

甘いコーヒーなんて、僕には似合わない。

でも、不思議とそうしたいと思った。

理屈は分からないが、これも反応だ。


これで二つは似た味になった。

何もかもが違うが、近づいた。

一致する事が、分かり合う事が出来なくても。

それでも、僕は繰り返し続けるのだろう。

あぁ、反応とは実に厄介なものだ。

「私の分も淹れたんですか?」

いつの間にか彼女が横に立っていた。




博士は少女の頭を軽く撫でる。

「さっきはからかい過ぎたなと思ってね、心ばかりのお詫びだよ」


少女はふん、と鼻を鳴らす。

「そういうことなら、頂きますけど」


甘いコーヒーを口にして、不機嫌だった顔が綻ぶ。

そして、探る様な瞳で博士の顔を覗き込んだ。

「私、博士が淹れてくれたコーヒーが好きです。なんでかは、分かりませんけどね?」


予想外の言葉に思わず表情が崩れかける。

が、ギリギリで踏み止まる。

落ち着く為に、自分の分を一口飲んで


「ゔゎぁあまぁぃ」

盛大に、顔をしかめた。

心なしかその表情は、はにかんでいる様にも見えた。


「でも、甘いのもたまには悪く無いですよね?」

こめかみを抑えて口をぱくぱくさせながら博士は頷き、それを見た少女は嬉しそうに、可笑しそうに笑う。



僕は、心は反応に過ぎないと理解している。

しかし、彼女を見ていると自分の中で何かが揺れるような感覚を覚えるのも事実だ。

もしかすると、反応を超えた何かがある。と、どこかで期待しているのかもしれない。



二つのカップが並んでいる。

湯気が静かに揺れながら重なり、やがて一つに溶け込む様に消えていった。

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