第5話「ドーナツ食べていーなら、滅ぼさないであげよっかなー」

 息苦しさに目を開けると、布団の上だった。

 大きく息をして呼吸を整える。背中の向こうの少女は、気持ちよさそうな寝息を立てて爆睡している。

 ベッドの側に置いた目覚まし時計に目をやると、四時三十分の表示に陽柄は目を閉じた。

 起きるには流石に早すぎる。微睡に身を任せて二度寝を決め込むのであった。



 陽柄とハピーの日常に大きな変化はなかった。平凡な朝を迎え、用意された朝食を取る。

 特に何も変わっていないのに、違和感のような――むず痒い感覚が胸の中にある。


「山科、表情が変わったな」


 散歩で部屋を出ると、外で警備をしている高槻は陽柄をじっと見て声をかけた。陽柄が気恥ずかしそうな、不服そうな顔をするので、相変わらず感情のない顔で続ける。


「そうでも無いと思うけど」

「顔が緩んだというか。余計な緊張がなくなったような感じだと思う」

「タカツキよくわかってんじゃーん!」

「……なんか、よく気づくなそういうの、お前……」

「女子にはすごく嫌がられる」


 淡々と答える高槻に、ハピーはご満悦の様子で陽柄の後ろからひょこっと顔を出してピースをした。そのまま彼女が腕に手を回してぎゅっと抱きつくと、張り付いた無表情が少し緩んだように見えた。


「……前にお前から羨ましいって言われたけど、俺は逆にお前が羨ましいよ。人に取り繕わずに堂々とできるところ……勿論いい意味で」

「俺はありのままの俺を好きになってくれる彼女が欲しいからな」

「……まあそれはもうちょい相手に寄り添った方がいいとは思うけど」


 いつもの無表情で、あまりにも堂々としている彼に苦笑いをしてその場を後にする。特に行くあても無いが、ハピーが熱中しているスマホゲームの歩数稼ぎの為に辺りを歩くのだ。

 青い空に薄い雲が帯のように伸びている。外は茹だるような暑さなのだろうが、空調の管理された敷地内では程よい涼しさが保たれ、心地良い風に陽柄は目を細めた。

 先日――ハピーに一生を誓った翌日、陽柄の前には手を合わせて頭を下げる摂津の姿があった。


「ほんっとうに、ごめんね……! 昨日は……」


 くしゃくしゃにしょぼくれた顔で、しつこいくらいに彼女はそう繰り返す。その後ろには気まずそうに会釈をする西大路の姿もあった。


「本当のところ、山科くんが精神的に追い詰められてたら、ちゃんとした治療が要るから確認しようってなって……誰が行くかってなったんだけど、ほら……うちのチーム、問題児ばっかで……」

「……そ、れはまあ、確かに」

「岸辺くんとかあんなだし、西大路さんは人の心とか知らないし……他の面々もコミュニケーションダメな子ばっかでね。そんで私は肝心なところでドジっちゃうしね……」


 あまりにも落ち込んでいる姿にたじろぐ陽柄に、摂津は両手をあたふたさせて弁明して、最後にまた落ち込んだ。後ろの西大路が気まずそうに黙り込んでいるので、ここぞとばかりにハピーは彼らの間に割り入った。


「はーいでもヒガラはもう大丈夫で〜す。ハピーのおかげでぇ〜す。ぷぷぷ〜! すごいでしょ〜ほかの女たちにはこんなのできないねぇ〜!」

「ハピーはちょっと黙って。……まあでも、本当にもう大丈夫なので、気にしないでください」

「ただの女たちにできることなんかないよー! 散れ散れー!」


 下劣な笑みを浮かべて煽り散らすハピーの首根っこを掴んで退散する。彼女の子供っぽい挑発を辞めさせる為もあるが、恥ずかしかったからだ。

 部屋には監視カメラがある。ハピーが煽るまでもなく、彼女たちは一連の流れを全て見ていたのである。情けない姿を全て晒していたのである。なんでもないように振る舞ったが、実際のところかなり堪えていた。

 意外なことに、島本博士には怒られなかった。それどころか、彼はハピーの記憶を見て発狂しなかったことをとても有り難がり、やりたい実験が増えたとばかりに気味の悪い笑みを浮かべるのであった。

 陽柄とハピーの日常に大きな変化はなかった。何の変哲もない毎日を送って、二週に一度の実験は変わらず行われる。(陽柄を使っての実験は彼の身体・精神状態を考慮し、ひとまず据え置きとなった。)


「ハピーさー、おみせでタツド食べたいなー」


 ハピーの「お願い」も、変わらずゲームや漫画全巻セットなど、比較的叶えやすいものが多かったのだが、その日は違った。ふと流れてきたテレビCMを見て、彼女は頬杖をついてそう言った。


「……多分店で食べても持ち帰って食べても一緒だと思うけど」

「ちがうんだよー! 「おみせ」という空気を楽しむんだよー! ヒガラ好きじゃん、あっつい日にあまーいタツド食べてアイスコーヒー飲むやつ」

「……ていうか外出るとか絶対無理だと思うし……敷地内に店舗作ってもらう方がまだ現実的だろ……」


 ソファに腰掛けて、いつもの脚をバタバタさせる我儘仕草。自分の腕にしっかりと組みついた少女の腕に、隣で陽柄は溜息を吐く。もう当たり前のように記憶を覗き見ているのである。

 勿論、陽柄だって外に出られるなら出たい。彼の世界が施設内だけになって、もう九か月近くになる。ただ、隣に座る怪物を、ちょっと気に食わなければ世界を滅ぼす人でなしを、外に出すことなんて――


「別にいいよ」

「いけるんですか⁉」

「まあ、それなりの準備の時間は要るし、場所もこっちが指定するけど……」


 島本博士があっけらかんと答えるので、思わず大きな声を出してしまった。花火の時にあんなに渋っていたのが嘘の様である。

 この危険生物を外の世界に解き放つなんて。博士の返答を聞いてより一層戦々恐々とする陽柄に、島本博士は丁度良かったとふらりと別室に消え、何かを手にして戻ってきた。


「はい、これも出来上がったところだからね」

「? チョーカー……? 何すかこれ」

「ハピーの攻撃の兆候を感知してシールドを展開してくれるやつ」

「えー! かわいい! ハートと羽のキラキラがあるー!」

「女性研究員指導の下、可愛くしてもらったからね」


 少女の首にぴったりと合いそうな金属の輪っか。女児が喜びそうなキラキラ可愛いチャームの付いたそれを装着して、ハピーは鏡の前で嬉しそうに目を細めた。

 見た目はただの子供のアクセサリーだが、機能はしっかり実証済みらしい。そういえばどーでもよくて忘れてたけど、と彼女は実験時に吐いた炎が防がれたのだと話してくれた。

 これを着ければ、彼女は何の脅威もない少女――という訳にはいかないが、あとは大きめのキャスケットで頭の翼も隠してしまえば、何処にでもいる可愛らしい女の子の完成だ。

 準備の為に幾らかの時間を待って、外出当日。気合を入れてよそ行きのコーディネートをして、新品のスニーカーを履いて部屋を出た。ボーイッシュで可愛い装いをくるくる回って陽柄に見せつけて、ハピーは満足げに笑う。

 厳重なセキュリティで警備された地下通路の先に、「施設」の出口はあった。地上へのエレベーターで昇った先は、表向きの製薬会社の自社ビル。嘗て陽柄が所属していた「普通の日常」が広がっていた。

 一瞬、ごくりと唾を飲んだが、感慨なりトラウマなりに浸る暇は無かった。少女が強く手を引くので、脚は自然と走り出していた。

 二枚の自動ドアの先に、外の世界は広がっていた。


 ビルを出て少し歩くと駅前に出る。田舎と言うには栄えているが、都会と言うのはおこがましいくらいの、平穏な街。

 普通の人々が行き交い、普通の日常を送る街の中に、たちまち世界を滅ぼせる怪物が歩いている。自分たちだけ歩いている世界線が違うような違和感に思わず辺りを見回してしまう。

 駅の近くにあるドーナツショップに入る。ガラスケースの中、色とりどりのドーナツが並んでいるのを見て、ハピーは飛び上がって目を輝かせた。トングを片手に走り回り、陽柄が持ったトレイはすぐにドーナツの山が出来上がった。


「取りすぎだろ、これ……時間だって決められてんのに、絶対食べ切れない……」

「あー! 取ったやつもどしちゃダメなんだよ! それに、いっぱい食べたほうが幸せじゃん」

「……うーん」

「お金だってハカセたちが出してくれるしー、好きなだけ食べていいなら、好きなだけ食べたほうがおトクだよー!」


 山盛りのトレイと向き合って、暫く考えて、最終的に彼女の笑顔の圧に負けた。今までならドーナツ三つが限界だったところに、六つのドーナツを選んで乗せた。レジのアルバイトに目を見開いて苦笑いをされたのが、恥ずかしくて顔が熱くなる。

 グラスいっぱいのアイスコーヒーに、シロップとコーヒーフレッシュを少し入れてストローでぐるぐるかき混ぜる。氷がぶつかる軽い音に耳を澄ませて、陽柄は一口飲み込んだ。

 テーブルいっぱいのドーナツを一つ、大きな口に放り込んで、口いっぱいに広がる甘さに落っこちそうな頬を抑える。口の中の甘いのが無くなったら、シロップ二つを入れたアイスコーヒーを啜って余韻に浸る。

 目の前でころころ表情を変えながら幸せそうにドーナツを貪る少女を眺めながら、陽柄はミートパイを一口齧った。ほんのりと温かくて口に含むとサクサク鳴るそれを咀嚼しながら、窓の外に目をやる。

 平日の昼下がりは穏やかに時間が流れている。学生時代、空きコマに学内のベンチに座って、日陰でカスタードたっぷりのドーナツを食べたことを思い出した。

 何に追われるでもなく、喧騒から離れてゆったりした時間が流れて――その時はあまり分からなかったが、こういうことが「幸せ」だったと思ったのだ。


「えへへー、美味しいものいっぱい食べるのってしあわせー」

「……まあ、そうかも」


 クリームのたっぷり入った丸いドーナツを手に取って、一口口にした。生地が程よくしょっぱくて、甘すぎないクリームの後味はすっきりしている。

 陽柄は少し、口元を緩めた。



「…………いやもう、無理……」

「おいしかったー! だい・まん・ぞく!」

「もうこんなに食べない……」


 胃の中で甘いのとしょっぱいのがぐるぐる渦巻いている。げっそりと青い顔をする陽柄の隣で、大量のドーナツをぺろりと平らげたハピーは満面の笑みで腹を擦った。

 翌日は、酷い胃もたれと胸やけで動けなかった。

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