第6話「ねーねー痛くて、滅ぼしちゃいそう!」

 無機質な明かりに照らされた白い部屋に、男の発狂する声が響いている。


「それで、これまでの研究は何の意味もなかったと?」

「そーだよ、言ってんじゃんーヒトには理解できるようなものじゃないってー」

「いやだから瀬田さん、さっきから言ってますけど、それを今何とか分かるよう研究してるんじゃないですか」

「何の成果も出せていない、コストばかり増えていくのを我々に許容しろと言うのか。上位世界との繋がりは何も見出せないままに」


 眉間に皺を寄せたスーツの男が不愉快そうに首を傾げると、切りそろえられた黒髪が肩に触れる。怒りを煽るような高次元生命体の横槍に溜息を吐きながら、島本は手元の資料をトントンと指差した。

 目の前で繰り広げられる無意味な口論に、ハピーは交互に二人を見ながらやれやれと両手を広げた。


「有用性を示せ。そうでないのなら――」


 無機質な明かりに照らされた白い部屋には、隣の部屋に移された男の発狂する声が響いていた。




 それから、ある時は新しいゲームを頼んで二人で楽しんだ。ある時は動画配信サービスを契約させてドラマの一気見をした。ある時はラーメン屋でたらふくラーメンを食べた。

 世界は何度も滅亡の危機を迎えては救われるのを繰り返していた。陽柄の日常は穏やかに時間が過ぎていった。


「そういえばねーなんかねー昨日の実験、黒い知らない人がきてたよー」

「はあ、誰だろう」

「なんかハカセとケンカしてておもしろかった!」


 昼食に用意された焼うどんを食べる。行儀悪くテーブルに肘をつく少女に眉を顰めながら、楽しそうに話す彼女を眺めていた。

 初めの頃に比べて、随分と心がこの生活に慣れてきている。勿論息苦しさや後ろめたさが消えたわけではないが、時折「楽しい」という気持ちが生まれることがある。

 現状を受け入れるようになると、時折ハピーがただの少女のように感じた。それは大抵、彼女の超人的能力ですぐに幻想だと気づくのだが。


「そういえば、今回は『お願い』、何にしたんだ」

「えっとねー、かんがえ中」

「ふーん」

「……あ、そーだ、『お願い』じゃないんだけど、ハピーごはん作ってみたいなー! ヒガラにハピーの愛情らぶらぶ手料理食べさせてあげたい!」


 顎に手を置いて「かんがえ中」のポーズをしていたハピーは、ハッとして呟いた。どうやら全巻一気読みした漫画にヒロインが手料理を振る舞うシーンがあったようだ。

 一応、この居住スペースにはキッチンの設備があり、チラチラとそちらを見て上目遣いで要求してくる。陽柄とハピーの食事は全て用意されたものか買ってきたものだ。彼にも、いつもと変わったものを食べたいという気持ちが無くはない。昼食を終えた陽柄は、珍しく乗り気で腰を上げた。

 使用許可はすぐに下りた。食材と調理具を調達し、二人でキッチンに立つ。今晩のメニューは、「気になるカレの胃袋を掴むなら!」と肉じゃがになった。いつの時代の話なのか……と感じたが、陽柄にも作れる料理の為気は楽だった。


「剥いたジャガイモは、切って水にさらす。まあ切り方はこんなもんか……真似できるか」

「はいはーい! おちゃのこさいさい!」

「……う、指切るなよ」


 まな板の上で、危なっかしい手つきの包丁がトントンと音を立てる。油断をすれば指を切り落としそうな勢いに、陽柄はハラハラして目を離せない。当の本人は、念願の手料理ごっこに楽しそうに興じている。


「ヒガラは料理できるんだねー」

「まあ一人暮らししてたから一通りは……お前は知ってると思うけど」

「うん知ってるー」


 キッチンに立つ、凸凹の二人。隣で楽しそうに包丁を振るう少女を見下ろして、陽柄は目を細める。こうしていると、まるで親子みたいだな。心の中でそう呟くと、ハピーはコツンと肘をぶつけて瞳を覗き込んできた。


「ハピー親子じゃなくて恋人がいーんだけど〜」

「…………ほらよそ見するな」

「え〜……ハピーは抗議します」

「あーもう……めんどくさあ……」


 悪戯っぽく笑う彼女に、思わず素直な言葉が溢れる。言葉とは裏腹に穏やかに緩む口元を見て、ハピーは頭の翼を小さくパタパタさせた。


「あは! 夫婦でもいーよ〜新婚さんだよー!」

「分かった分かった、今だけ夫婦でいいから、ちゃんと手元見ろって」

「やったあー! あはは! あてっ」

「あーほら言わんこっちゃな……ん?」


 案の定手元が狂った包丁が、ハピーの指先をさっくりと切り裂いた。呆れて彼女の小さな手に視線を落として、陽柄は言葉を止めた。

 彼女の指先から垂れた赤色が、まな板を濡らしていた。


「いたーい、じんじんするー」

「思ったよりざっくりいったな……」


 ガーゼを当てて止血をする。医務室の丸椅子に腰掛けて手を差し出すハピーを、隣で陽柄は神妙な顔で見つめていた。

 ガーゼで包んだ指先を押さえながら、ハピーは知らない感覚に少し驚いているようで、少し眉が下がっている。痛みという感覚をよく分かっていないらしいが、それがなんだか嫌なことは思い知ったらしい。


「ていうか、これくらいの傷、自分で治せないもんなのか」

「なおせるよー?」

「じゃあ早く治してくれ……」

「えーあのね、これマンガのヒロインじゃん! バンソーコ貼ってー」


 血が止まったので、患部を消毒する。傷口に沁みる痛みにキュッと目を閉じるハピーの指に、岸辺は要求通り絆創膏が巻いた。指先の可愛いピンクの絆創膏に、少女は満足げに笑みを浮かべる。


「ヒロインってバンソーコだらけなの、こんなに大変な痛みなんだねー」

「いや多分、今回のお前ほど深い傷は負ってないよ……」

「あはは、ていうか、どんだけ不器用やったらあんな手ぇ傷だらけになんねんって話やしな」


 手当ての器具を片付けながら大きな声で笑う岸辺の後ろでは、西大路が神妙な顔で血の着いたガーゼを見つめている。

 この男は陽柄には見下げたような口調だが、ハピーにはとことん良いお兄ちゃんのように振る舞う。本人曰く、「子供のような純粋な存在が好きなんでェ……」だそうだ。

 治療を終えて立ち上がろうと腰を上がると、ドアの向こうからバタバタと忙しない足音が近づいてきた。


「ッはあ、……出血したって聞いたんだけど……⁉︎」

「あ、ハイ。ガーゼ採ってます」

「3Bに持って行って、あとハピーの身体もちょっと調べたい……」

「いや! バンソーコおわったから、戻ってつづきするー!」


 乱雑にドアを開けて飛び込んできた息を切らしていて、島本博士は青ざめているような、昂っているような顔をしていた。ふらつきながら、西大路がガラス瓶に入れたガーゼに駆け寄って何やら話をしている。

 立ち上がったハピーを留めようと伸びた手を振り払って、彼女は頰を膨らした。何やら急を要しているのを察して、陽柄は少し身を下屈めて彼女に目線を合わせた。


「今日はもう俺が作っとくから、料理はまた別日にしよう」

「えーつづきやるの! 今日つくりたいのー!」


 何とか宥めようとするも、そうと決めた彼女は簡単には意思を曲げてくれない。困惑する人々の前で、いつも通りハピーは傍若無人に喚き散らした。

 こうなるともう、要求を飲まなければまた滅亡の危機が訪れるなあ少女の背中を摩りながら、陽柄は困ったように眉を下げた。


「ッた」


 ――瞬間、医務室にパン、と乾いた銃声が響き渡った。

 花火の音みたいだと思ったが、それはより鋭く、そしてより近くで鳴った。黒いスーツの男が銃口をこちらに向けて、その引き金を引いていた。

 振り返ると、医務室の壁に小さな窪みが出来て煙が出ている。そんなことはどうでもよくて――隣の少女の二の腕に、赤い線が入っていた。


「え、あ……ええっ……?」

「傷を負っている。なんだ、話が違うじゃないか」

「――ギャアアァアッ‼︎ いたい‼︎ いたい‼︎」


 一瞬の沈黙の後、割れるような悲鳴と共にハピーの口から火が噴いた。それはチョーカーが展開したシールドによって防がれて、隣にいた陽柄に熱風が吹き付ける。咄嗟に彼女の身体を押さえて止めようとするも、痛みで我を忘れたように泣き叫ぶ少女をどうすることもできない。


「なっ、だれ、どう……撃っ……⁉︎」

「あ、血! 採取して」

「……え、あ……は、はい」

「はあ⁉︎ そんな場合じゃないでしょ‼︎ 撃たれてるんですけど‼︎」

「当たるように撃っていない。掠っただけだろう」


 その場にいた者は皆、呆気に取られて固まっていたが、パピーの腕から流れる血を見て島本博士はハッとしてスポイトを手に取った。少しして、状況を飲み込めた西大路と岸辺が彼女の腕に器具を近づけるのを見て、思わず陽柄は大きな声を出した。


「と、りあえず! 大丈夫かハピー!」

「わあああああ‼︎ いだいー‼︎」

「うぐ痛っ……落ち着け、大丈夫だから……! あの! このままだと全部壊されますよ!」

「それをどうにかするのが君の仕事だろう、山科陽柄」


 パピーは痛みに暴れ回り、近くの研究器具を薙ぎ倒し腕を叩きつける。なんとか身体に組み付いて止めようとするも、我を失った少女の悲鳴は止まることなく、採取どころではなくなった研究員たちもその体を必死に押さえ込んだ。

 阿鼻叫喚から少し離れたところから、撃った張本人のまるで他人事ような声が聞こえた。その口ぶりや誰にも意見が出来ないところから、島本博士より上層部の人間なのだろう。陽柄の懇願は意味を成さない。

 彼女の腕が顔を身体を痛めつける中、陽柄はなんとか頭を絞って考えた。


「あ! 傷治せるだろ! とりあえず治そう! 治せるか!」

「ううううッ……うううー……」

「そうそう、怖かったな、痛かったな」

「ううう〜……いたいよヒガラー……」


 陽柄が叫ぶ声を聞いて、唇を噛み締めながらハピーは傷跡を手で覆う。細めた目から大粒の涙をぼろぼろ零しながらゆっくりと手を離すと、その下は初めから傷なんか無かったようにつるりとした肌になっていた。

 漸く落ち着いた彼女は、治った筈の痛みがまだ忘れられないのか、ぐずりながら陽柄に抱き着いて胸に顔を埋める。そっと抱き締め返して背中を擦る。それは庇護欲なのか、はたまた理不尽な加害に対する怒りなのか――胸の中に込み上げた感情が陽柄にそうさせた。

 気が付くと、スーツの男の姿は無かった。言いたいことを言ってやりたいことをやって、文句や意見は聞かずにさっさと去っていったのだ。

 縋りつく少女は嘗てなく機嫌が悪い。いきなり撃たれたのだから無理もない。何とかして暗い気持ちから意識を逸らそうと、陽柄は胸の中の少女に微笑みかけた。


「そうだハピー、次のお願いを考えよう。食べたいものとか欲しいものとか、行きたい場所とか。今回の件があるし、何でも博士も聞いてくれるよ」

「せやせや、今のやつで揺すれば多少の無茶はいけるやろ」

「え〜……いや何でもは無理だけど……」


 陽柄の言葉に、ハピーは真っ赤になった潤んだ瞳でちらりと上目遣いに彼を見た。隣でチャチャを入れる岸辺の明るさが、今はとても心強く感じる。

 渋る島本博士を睨みつけて威圧していると、ハピーは何か考えるように少し目を閉じた。悲しそうに歪んでいた口元が少し緩んで、下がっていた眉は再び上がり始める。


「……う……んー、じゃあ……あのね、ハピーは『ケージーアイ』に行きたい」

「KGIって……テーマパークの?」

「うん、ケージーアイでジェットコースター乗ってねーチュロス食べてーショー見たりしたい」


 少女は口をもごもごさせながら、小さな声でそう言った。思わぬ要望に、側で聞いていた西大路が思わず聞き返す。ぽつぽつと語り始めたハピーは、楽しい願望を前に少しずつ表情を明るくさせ始めた。


「俺もこないだ行ったわーカジラン。もうすぐハロウィンのやつもあるし」

「……何その呼び方」

「KAWAII《カワイイ》 GENIUS《ジーニアス》 ISLAND《アイランド》やから、カジランやろ」

「? ケージーアイはケージーアイだよー、あの、カチューシャとか着けたいなー」

「俺も久し振りに行きたくなってきたなあ……ねえ! 行けますよね! 島本さん!」


 ハピーは今朝見たワイドショーの特集コーナーを思い出して、目をきらきらさせ始めた。岸辺と西大路も加わった団欒で、漸くいつもの調子が戻ってきたようだ。

 少し距離を取って気まずそうに眺めている島本博士に、陽柄は強い語気で問いかけた。島本博士は何とも言えない顔で彼らを見つめて、頭を抱えて溜息を吐く。


「う~ん……あのデカいテーマパークをかあ……流石に」

「無理とは言わせませんよ。さっきの銃刀法違反で揺すってください!」

「ええ~……また瀬田さん……というかお偉いさん説得するのやだなあ……まあやるだけやってみるけど……」


 もうすっかりハピーよりも陽柄の方が頭に血が上った様子で、ハピーもきょとんとして彼を見上げている。島本博士は背中を丸めて頭を搔いた。

 どうしてこんなに必死になっているのか、陽柄は自分でもよく分からなかった。彼女が特別大事だからではなかった。かと言って自分のストレス発散の代替行為でもなく、いつものような世界滅亡への恐れでもなかった。

 ハピーの手が陽柄の手を掴む。少し驚いたように目を開いて、陽柄は何も言わずに小さな手を握った。


「たのしみだなーケージーアイ!」


 ただ一人、ハピーだけは陽柄の心の中を分かっていた。

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