三部式着物

増田朋美

三部式着物

寒い日であった。日中は暖かいけど朝晩はめっきり寒い。そんなわけだからもう着物の上には羽織が要るだけではなく、和装コートと呼ばれるような防寒用の上着が必要だなと思われる季節になっていた。

製鉄所では、水穂さんがなんとなく疲れてしまって布団の上でうとうとしていたところだった。すると、いきなり玄関の引き戸が開いて、サザエさんの花沢さんに非常によく似た声がして、浜島咲が来たことがわかった。

「ごめんください!杉ちゃんと右城くんはいますか?」

どうやらやってきたのは咲一人では無いらしい。同時に若い女性の声で、

「すみません。浜島さんに勧められて、相談にこさせていただきました。」

という声がする。

「はあ今頃誰だよ。」

杉ちゃんが玄関先へ行ってみると、

「杉ちゃんあたしよ。今日は、この人の着物のことで相談にこさせてもらったの。大事なことだから、ちょっと相談に乗ってよ。」

咲の声は、サザエさんの花沢さんの声に似ていると書いたが、同時に、なにか独特な響きもあって、すぐに話しを聞かないといけないような気持ちにさせるのだった。隣に、若い女性が一人いたので、杉ちゃんはとりあえず入れと言って、彼女たちを製鉄所の四畳半に連れて行った。水穂さんはその間に、布団の上に座った。

「右城くんお願いがあるの。実は彼女の着物のことなんだけど。彼女は小村祥子さん。うちのお琴教室に今月から入ってもらった新人なの。」

咲はそう女性を紹介した。咲は着物を着ているけれどその小村さんという女性は、洋服を着ている。

「それで、相談ってなんですか?」

水穂さんがそうきくと、

「はい。実は、お琴教室に着物で来るようにと言われまして、それで通販でお着物を一枚買い、半襦袢もなんとか買ったんですけどね。でも、着物の着方なんて全然わからないから、着付け教室に行き始めたんですが。」

と、小村祥子さんは話し始めた。

「それで、なにか変なものを買わされたりしたか?それとも、免状代かなんとかとかいって、急にお金を取られたりしたか?」

杉ちゃんに言われて、小村さんは

「はい、両方なんです。」

と言った。

「そうか。まあ、着付け教室というものはそういうもんだからな。着付けが便利になるからと言って、変なものを買わされるか、入会金とか、免状代とか、そういう目的でやたら金を取り上げる。それしか無いから、むやみにいかないほうがいい。ちなみにどこの着付け教室に行った?」

と、杉ちゃんが言うと、

「赤木着物スクールというところです。ネットで評判が良いと思いましたから。」

と、小村さんは答えた。

「はあ、あそこですか。まあ確かに、500円で体験入門させてくれることは確かなのですが、その後が怖いと聞いたことがありました。まあ、着付け教室というのは、平たく言えば呉服屋の回し者みたいなものですからね。結局考えることは、お金儲けのことばっかりなんですよね。」

水穂さんが、そう現状を言った。

「じゃあ彼女はどこで着付けを習ったら良いのかしら?」

咲がそう言うと、

「まあ、本気で着付けをしたいというのだったら、着付け教室には頼らないで、自分で勉強することかな。着付けについての本は山程出版されている。それに、最近では、動画サイトとかで、着付けにまつわる動画も星の数ほどある。それでもわからなかったら、もう強硬手段だ。着物をぶった切って、二部式にして、上下で分かれるようにすれば、かなり着付けは楽になる。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「あたしもそうするように言ったんですよ。だけど、祥子ちゃん、おはしょりが無いことで叱られるのが怖いから無理だって。」

咲が、花沢さんの声ににた声で、そう杉ちゃんに言った。

「はあ、誰かおはしょりの無いことで叱られた人がいたのか?」

杉ちゃんが言うと、

「そういうわけではないんですけど、苑子さんが着物のことで、やたら厳しいことは、杉ちゃんも知ってるでしょう?」

咲は、杉ちゃんに言った。

「まあ確かに、苑子さんのこだわりぶりは、すごいものがあるからな。着物は、色無地を強制させられるし、帯は必ず一重太鼓で、他の結び方は一切してはいけないという。」

杉ちゃんがそう言うと、

「確かにそうですね。それに、地紋が縁起の悪いとされる椿や、西洋のバラ柄などは、使ってはいけないとおっしゃるんでしょう?」

水穂さんもそういったので、お琴教室の主宰者である、下村苑子さんの着物へのこだわりぶりは、並外れであることがわかった。

「そういうわけですから、あたしも、おはしょりがある、ちゃんとした着方をしていないと、だめじゃないかって祥子ちゃんは言うんです。だけど、それを狙って着付け教室に行ってみたら、コーリンベルトとか、そういうものを無理矢理買わされて、肝心の着付けのお稽古はどこへ行ったという有り様。でも一人で着付けは自信がないし。おはしょりはできないと不安らしいし。それで、相談にこさせてもらったの。杉ちゃんお願い。なんとか解決できないものかしら?」

咲は、そう祥子さんの代わりに言った。なんだか祥子さんより、咲が相談をしたほうがより深刻度が増す気がした。

「そうか。それなら三部式着物という手がある。上着と巻きスカートで着ることは二部式着物と同様だが、それに、おはしょりベルトというものを巻くことで、おはしょり付きに見せかける着物だ。作ることだってできる。作って欲しいんだったら、持ってくればなんとかしてあげるよ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「三部式着物?そんなものがあるの?」

咲が驚いてそうきくと、

「ええ、ありますよ。二部式にしたらおはしょりが出なくなって困るから、ということで開発された着物です。そういうふうに簡単に着られるようにする着物を使うのも一つの手ですよね。日本人の9割位が、一人で着物を着られないという調査もありますから、着られなくても、恥ずかしくありません。ですが、着物でお稽古に出なければならない以上、なんとかしなければならないでしょう。そういうことなら、着物を改造するしか無いじゃありませんか。」

と、水穂さんが優しく祥子さんに言った。

「そうなのねえ。じゃあ、杉ちゃん悪いんだけど、今度着物を持ってくるから、それで直してよ。もうあたしたちも、毎回お稽古に行くときに、叱られてばかりで、困ってるのよ。」

咲が祥子さんの気持ちを代弁するように言った。

「ああわかったよ。じゃあ、それでは、着物を持ってきてくれれば、すぐに着物を三部式に作り直すよ。ただもとの形には戻せないけどね。それでもよろしければ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「じゃあ、そうさせていただきます。明日着物を持ってくるから、すぐ作り直してちょうだいね。」

と、咲はすぐ言った。祥子さんも

「お願いします。」

と言って、杉ちゃんたちに頭を下げたので、

「おう、任しとけ。」

と、杉ちゃんは言った。

次の日、咲が、祥子さんといっしょに、色無地の着物を持ってやってきた。一応、インターネットで買った着物であるという。化繊の着物であるが、しっかりエメラルドグリーンに、菊の花の地紋がついている。杉ちゃんは急いで採寸をし、手早く着物を三分割し、その端を手縫いでかがりぬいして、紐を取り付け、三部式の着物を作った。杉ちゃんの話によると、スカートは巻きスカートにするものと、ゴムを入れたスカートにするものがあるそうだが、今回は、着物の形を残すという意味で、巻きスカートにした。ちなみに帯は一重太鼓の作り帯があるというので大丈夫だという。作り帯はまだ苑子さんに叱られたことがないと言う。

「よし、できたぜ。これでお前さんも簡単に着られるよ。じゃあまずだな。洋服の上で良いから、スカートを巻いてみてくれ。」

杉ちゃんに言われて、祥子さんは、こしに巻く形で、スカートを付けた。

「それでは次に、上着を着てみてくれ。」

杉ちゃんの指示で、祥子さんは、着物の上着を着て、紐でそれを止めた。

「よし。最後はおはしょりベルトをマジックテープでつける。」

杉ちゃんに言われて、祥子さんは、おはしょりベルトと言われている部品を胴体に巻いた。

「よし、それでは、そこから帯をつければ三部式とはバレないよ。バレても、気安くするための工夫だと言ってドヤ顔してれば良い。」

水穂さんが作り帯を渡すと、祥子さんは、それを指示通りにつけた。どうに巻く布を巻いて、お太鼓の部分を背中に背負って、帯揚げに包んだ帯枕で固定する。そして、帯締めで再度固定すれば着物姿が完成である。

「よしよし。これなら、一人で着られるじゃないか。それに、着付け教室に行く必要もなしだ。」

杉ちゃんはにこやかに言った。

「本当にありがとうございました。これなら着るのも簡単だし、それなら着物を着るのも怖くないと思います。まだ自身持ってお稽古に行ける可能性は無いですけど、頑張ってお琴のお稽古続けてみます。」

祥子さんは、着物を脱いで、たたみながら言った。着物というものは着るのは大変だと言われているが、脱ぐのは紐を解くだけなので、比較的簡単なのである。

「他にも、仕立て直してほしい着物があったらどんどん言ってね。僕、仕立て直しするからね。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

それから、数日後のことである。

杉ちゃんと咲は、用事があったので、富士駅近くにある、商店街に出かけたのであった。買い物をして、さて駅に戻ろうかと道路を歩いていたところ、

「あら、すごい人垣だぜ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「なんだか、事件があったのかしら?」

咲も思わず言ってしまった。その間に野次馬連中が増えてしまって、人垣は更に大きくなってしまう。

「これじゃあ、僕らが駅へいけないな。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「すみません。こちらを通ってくださいませ。」

と警察官が二人の前に現れた。

「どうしたんですか?なにか事件でもあったの?」

好奇心旺盛な杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、傷害事件です。」

とだけ警察官に言われた。

「傷害事件。」

杉ちゃんと咲は顔を見合わせた。とりあえず、警察官が用意してくれていた道を歩いて、駅へ帰ることはできたのだが、咲が駅へ帰って、

「あそこの建物、赤木着物教室って書いてあったわ。」

と言った。

「じゃあ赤木着物教室で事件があったのか?」

杉ちゃんも驚いてしまう。それと同時に咲のスマートフォンがなった。何だと思ったら、ニュースアプリが通知していた。こういうアプリは、本当に情報が早いものである。咲が、スマートフォンを出してニュースアプリを開き、その内容を、読んでみた。

「はあ、赤木着物教室経営の女性が刺される、か。やはり傷害事件だったのね。赤木着物教室の経営者って、、、。」

咲は、赤木着物教室と検索欄に打ってみる。

「赤木和子さんか。すごい人みたいだわ。なんか生徒さんがたくさんいて、結構有名な人も、習いに来てるんだ。それなのに、祥子ちゃんが言うように、着物を無理矢理買わされたりするのかな、、、?」

「まあ、着付け教室っていうのは、どこでもおんなじようなところだと思うんだけどねえ。」

杉ちゃんはそういうことを言うが、咲は更に興味を持って、赤木着物教室のことを調べ始めた。

「赤木着物教室は、赤木和子さんという女性が、一代限りで、隆盛させた着物着付け教室なんだ。その時は、紐2本で着物を着るという古典的な着付け教室だったわけね。」

咲は、スマートフォンを眺めてそう言ってしまった。

「それでは、随分古い着付け方だな。でもそれが確実に、着られる着方なのは確かなんだけどね。でも祥子さんの話では、いきなり余分な部品を買わされたと言ってたな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。それも書いてあるわ。何でも、赤木和子さんには、娘さんがいるらしいんだけど、娘さんの方は、着付け教室という商売に反対し、今風な着付け方を取り入れることで対立していたみたいなのよ。」

と、咲は言った。

「なるほど。つまり、母娘の確執ということかなあ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ多分そういうことなんでしょうね。だから、始めは善良な着付け教室だったんじゃない?それが、今になって、変な場所に変わってしまったという。」

と咲は、これ以上スマートフォンを見るのは嫌な気持ちになった。どうも母娘の確執という記事は好きではない。自分自身のこともそうだけど、母が色々干渉してくる、娘の苦しさは溜まったものでは無いからであることを知っている。

「そうかそうか。着付け教室ということで、また時代の流れに乗せられるか乗せられないかでかなり変わってくるんだな。」

と、杉ちゃんはため息を付いた。二人はそれから、富士駅からバスに乗って、製鉄所へ帰った。

製鉄所には先客がいた。誰かの革靴が一足置いてあった。杉ちゃんが四畳半に行ってみると、なんだか芋切り干しの匂いがした。

「おかえり杉ちゃん。今華岡さんが来ていて、芋切り干し持ってきてくれたよ。」

と、水穂さんが布団の上に座っていった。

「よう杉ちゃん!」

と華岡が、杉ちゃんと咲に行った。

「実はちょっと聞きたいことがあってね。俺達、事件の捜査をしているのだが、教えてほしいのだけど、三部式着物というのはどういうものなのだろうか?」

と、華岡は言った。杉ちゃんはすぐ芋切り干しに手を出して、むしゃむしゃと食べながら、

「ああ、簡単に着られるように、上下2つに切った着物に、おはしょりがつくようにおはしょりベルトというのをつけて誤魔化している着物のことさ。」

と、答えた。

「そうなんだねえ。それでは、その三部式着物というものはどれくらい流行っているものだろうか?結構使っている人はいる?それとも、あまり普及してない?」

華岡がメモを取りながら言うと、

「ああまあ、あまり普及してないといったほうが良いかなあ。着物は、きちんと着なければいけないっていう考えが日本人には強いしね。そういうふうに着られるように改造することは、美しくないっていう人が多いから。」

杉ちゃんは芋切り干しを食べながら答えた。

「じゃあ、それに仕立てかえたりしたこともあまりないの?」

華岡が聞くと、

「杉ちゃんが先日、浜島さんのお琴教室の生徒さんに、三部式着物を仕立てました。」

と水穂さんが言った。

「そうか。やっぱり需要はあるんだな。そのときの客は喜んでいたか?」

華岡がまた聞くと、

「ええ。だって、着物を着ることが全くできない人にとってはああして着られるようになることは、救世主が現れたのと同じくらい重要なのではないですか?その女性はお琴教室で、着物が必要だと言っていましたし、着付け教室でも何も教えてもらえなかったと苦言を呈していましたから。」

水穂さんは、考えてそういった。

「まあそうだよねえ。それでな、その事件の容疑者である赤木和子の娘千代子を取り調べているんだが、千代子は、三部式着物をレッスンに取り入れることを嘱望していたらしいんだ。それで、赤木和子はそれは本来の着方ではないからと激しく反対したらしい。それで今回の事件が発生してしまったようなんだが。」

華岡は、警察の人間らしくそう事件の内容を言った。

「そうなんですか。確かに一族経営でやると、私情が経営に入ってしまってどうもうまくいかなくなりますよね。」

水穂さんがそう言うと、

「そうなんだ。まあ、俺達はそう睨んでいるんだが、いずれにしても、赤木千代子が、何も言わないので、俺達がいくら調べても、事件が終わらないんだよ。」

と華岡は、大きなため息を付いた。

「まあ、そういうのは警察の仕事だからね。頑張って、正直に言わせるように指せることも大事なんじゃないのかな。ただ、言ってみろと怒鳴るだけじゃだめだよ。華岡さん。」

杉ちゃんに言われて、華岡はそうだなあと言った。お皿に乗った芋切り干しは全部杉ちゃんに食べられてしまって、他の人はだれも芋切り干しを食べることはできなかった。

「それで、和子さんの方は、命に別状はなかったんですか?」

咲はそう華岡に聞いた。

「ウン。外傷的なものは大丈夫だけど、娘との関係修復が本当に大変になるだろうな。」

と華岡は、やれやれと言った。

それと同時に、華岡のスマートフォンがなった。

「はいもしもし。ああそうか。じゃあやっと、母親を刺したことを認めたんだね。すぐ行くよ。こっちも、着物にまつわる情報は得られたので、なんとかなりそうだよ。」

そう言って華岡は、電話を切って、ごめんあそばせと言い、製鉄所をあとにしていった。そうなると、娘さんの千代子さんが、母の和子さんを刺したことを認めたのだろう。それからしばらく、ワイドショーや、ニュース番組では、着付け教室経営親子の不信感にまつわる事件のことばかり報道していた。娘の千代子さんが、現代着付けを取り入れた教室にしたかったことで失敗し、それを母の和子さんが、一生懸命立て直そうとしていたこともわかった。

「本当は着物の着方を報道してもらいたいものだな。着物を着る部品なんて、本当はいらないもんだぜ。」

杉ちゃんが、製鉄所のテレビを眺めながら言った。一緒に見ていた水穂さんが、

「本当は三部式着物とか作らなくても良い着付けを教えてくれれば良いんですけどね。」

と小さく言った。テレビでは、着付け教室の経営のことばかり報道しているが、着付け自体のことは一切報道されなかった。それでは、テレビももう少し視点を変えて報道してほしいと思った。

季節は確実に秋から冬に変わっていた。もう製鉄所の中にある木の葉も黄色く色づいている。今年は秋が極端に短かったので、冬の来るのがすごく早すぎる気がした。

杉ちゃんたちがテレビを見ているのをばかにするように、あるいは嘲笑うように、冷たい風が長庭をピーッと拭いて、落ち葉を大量に巻き込んで転がしていった。長く厳しい冬が本格的に始まるのだ。着物も、秋から冬の着物に変えていかないとまずいように、なにか変わっていくことが世の中なんだと思う。それが当たり前というか、大体の人はその事に気が付かないで終わってしまうのかなという気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三部式着物 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る