第25話

 詩織が最後に叩いたシンバルの音が浮かび上がり、やがて消えていく。完全に溶けると、スタジオには静寂が戻ってきた。


 先ほどまで激しい音楽が鳴り響いていただけに、その静けさが耳に痛いくらいだ。


 残響が残っている。



 マイクスタンドを握っていた桜子が、はあっ、と熱い息を吐き、肩を動かした。


 そのまま、おそるおそる振り返る。ゆっくりと三人が顔を見合わせた。


 今度は同じ動きで、揃って全員が雅を見る。


 無言でも彼女たちがどんな言葉を欲しているのか、あまりにもわかりやすかった。


 だから雅は、素直に手を叩く。



「――よかった。すごく。三人とも、この方向で絶対いけるよ」


「や、やっぱりそうっすよね? めっちゃよかったよね?」 



 真っ先に声を上げたのは、詩織だ。


 彼女は頬に落ちる汗を拭いながら、嬉しそうにスティックを振って見せた。



「葵のギター、すっごくよかった! めちゃくちゃ格好いいよ! それに、桜子! 歌上手いんじゃん! 今日びっくりしてばっかだよ、あたし!」


「う、うん。さ、桜子の歌、よかった」



 詩織の興奮した声に続いて、静かな葵の声が浮かぶ。


 桜子は面食らったように目をぱちぱちさせていたが、そっと雅を見た。


 雅が頷くと、ようやく嬉しそうに笑う。



 力の抜けた、花が咲くような笑みは見惚れるほどに可愛らしい。


 三人は揃って、きゃいきゃいと自分たちの手応えについて語っている。


 雅はそれを見ながら、手のひらで口を覆い隠した。


 いやまぁ……、ダメだけど。



 葵のギターは文句なしに素晴らしい。十年の余暇を注ぎ込んだ彼女のギターは、おそらくプロじゃないと太刀打ちできない代物だ。


 膨大な時間を注ぎ込んできたんだな、という説得力がある。


 ドラムは走りすぎ。詩織のせっかちな性格がそのまま出ているように、ペースが乱れている。葵と比べるのは酷だが、彼女はアマチュアレベルだ。学生にしてはよく叩けているが、要練習。それは本人もわかっているだろうから、あまりつつくべきではないだろうけど。



 そして、桜子。


 彼女の歌声もまた一級品だが……、熱が足りない。


 桜子の場合は、歌詞とメロディに沿って歌っているだけ。


 精神論のようで嫌いだが、魂がこもっていないのだ。


 人によっては鼻で笑われるかもしれないが、アイドルは想いを伝えてこそ。感情を載せて、魂を載せてこそ、届くものがある。



 これが案外、バカにできない。


 魂を込めてこそ、ロックだ。


 そうでなければ、人の心を動かすことは決してできない。


 現状、葵のギターに桜子も詩織もついていけてなかった。



「……ま、それはあとできっちり詰めるとして」



 肩の力を抜いて、安心院を見る。


 彼女はいつもの無表情顔だったが、雅を見ると静かに微笑んだ。


 お互いの感想を無言で交換し合う。



 ――いけるかもしれない。


 まだまだ粗削りだが、このまま磨いていけば、いずれは大きなものになっていく。


 アイドルのように可愛らしい衣装と見た目で、本物のロックを生み出せれば。


 もしかすると、もしかするかもしれない。



 汗が頬を伝っていても、熱っぽく話す三人を見やる。


 父親は、この光景が見たかったのだろうか。


 返事はないのに、欲しいわけでもないのに、雅は頭の中で問いかけてしまう。



「また別の曲、練習しない? せっかくだから、いろんな曲やりたいよ~。次は何する?」



 思った以上の戦果に、詩織たちははしゃいでいる。


 このままでは、勝手に次の曲を用意してしまいそうだ。


 雅が安心院を見ると、彼女はこくりと頷いて、タブレットを取り出した。



「はいはい。ちょっと集合して。次やってもらう曲はもう決まっているから」



 雅が手招きすると、三人ともすぐにやってくる。


 興味深そうに安心院のタブレットに目を向けるので、雅はすぐに口を開いた。



「あなたたちのデビュー曲のデモができました。デモといっしょに楽譜を配るので、これを練習、収録してもらいます」


「え、デビュー曲⁉ もう⁉」



 詩織が頓狂な声を上げ、ふたりもあんぐりと口を開ける。



「こ、こんな早くに曲って、で、できるものなの?」


「す、スピード感……、これがプロの世界……?」



 ふたりとも困惑していて、詩織が「すごい、じゃあもうすぐにデビューじゃん!」と声を弾ませていた。


 安心院がちらっとこちらを見たが、あえて説明する必要はないだろう。


 彼女たちのデビュー曲は、この会社でポシャった企画からもらってきた。本来なら闇に葬られるだけだった曲を、サルベージ、リサイクルした形になる。


 これにより、時間と費用が短縮された。


 当然、こんなことを聞いてもテンションが下がるだけなので、あえて説明はしない。



「皆さんのスマホに、楽譜データを送りました。確認しておいてください」 



 安心院が静かにそう告げると、三人は興奮した面持ちでスマホを取り出す。


 放っておくとデモを聴いてしまいそうなので、その前に手早く説明を続けた。



「一曲じゃライブはできない。テンポよく曲を作っていくから、そのつもりで。それで、まずはこの曲なんだけど……、歌詞がないの」


「歌詞がない?」



 一番関係あるだろう桜子が、顔を上げる。


 雅は頷くと、三人の顔にそれぞれ目を向けた。



「歌詞はね、三人に書いてもらおうと思って」



 雅のその言葉に、三人は一様に渋い顔をする。


 とてもいい反応とは言えない。


 まぁいきなり、「歌詞書いてよ」と言われて、乗り気になる人のほうが少ないだろうが。



「わたし、現国はあまり得意では……」


「あたしも~。詩って、なに言ってるかわかんなくない? あたしが書くと、めっちゃストレートになっちゃうよ?」


「わ、わたしも、作詞なんて、やったこと、ない」



 三人とも、不安を交換し合っている。


 それも仕方がない。作詞なんて、未経験者からするといかにも難しそうだ。


 けれどむしろ、そこを大切にしてほしいと雅は思う。



「難しく考えないで、自分が伝えたいことを歌詞に込めてほしいの。三人とも、何か主張したいことはあるんじゃない? そうじゃなかったら、アイドルなんてやらないでしょう」


 雅の言葉に、桜子ははっとした顔になる。


 だが、葵と詩織は眉を上げて首を傾げたままだ。


 詩織は暑いのか、制服をパタパタさせて風を送っている。そんな彼女に水を向けた。



「たとえば、詩織。詩織は、なんでアイドルになりたいと思ったんだっけ」


「そりゃ、かわいいものが好きだからだよ。アイドルってさぁ、すごく可愛くてキラキラしてるじゃん? やっぱ憧れるよね。一回しかない人生、やってみたいって思っちゃうよ」



 にひっと笑う詩織はとても可愛らしく、夢を語る彼女は少し幼く見えた。


 そのまっすぐな想いを、少しだけ掘り下げる。



「アイドルは、確かにかわいい。でもね、詩織。可愛くなるだけなら、アイドルじゃなくてもいいでしょう。だけど、詩織はアイドルになりたいと思った。たぶんだけど、詩織は『かわいい』こと自体に憧れがあるんじゃないかな。そこには、何か詩織の想いがあると思うの」



 雅の指摘に、詩織は笑みを固める。


 顎に手をやって、視線をわずかに逸らした。


 そのまま、考え込む。



「あ~……。うん……。そだね……。あたしは……、雅さんに何度も言われてるけど、やっぱがさつだからさ……。だから憧れみたいなのがあって……。アイドルってかわいいし、女の子らしいから……」


「うん。そういう気持ちを、文字にしてほしいの。拙くてもいい、むしろ拙くていい。自分の熱い思いをたどたどしくも言葉にして、歌に乗せる。そこには魂が宿る。その人の想いが込められてるから。わたしは、そんな歌が好きなんだ。だから、みんなの気持ちを聞かせてほしい」



 これは、どちらかと言えば、大河内雅の趣味と言えた。


 アイドルになろうとする人間は、必ず心に何か大きな意志を抱えている。


 葵の「楽して稼ぎたい」もそうだし、詩織の「可愛くなりたい」という想いだってそうだ。



 それに、と桜子を見る。


 この中で、一番鬱屈した想いを抱えているのは、桜子だ。


 彼女の心が綴った物語は、絶対に魂が宿る。  


 それを歌にすれば、人の心にまで届くだろう、と雅は考えた。


 ロックとは、元々そういうものだからだ。



「三人とも、アイドルになりたくて何度もオーディションを受けたはず。それは、変わりたいと思ったからでしょう? 今の自分とは別の何者かになりたい。そこには絶対強い想いがあると思う。わたしはそれを見たい。作詞には人間性が出る。上手くやろうと思わないでいい。丁寧に書こうと思わなくてもいい。ただ曲を聞いて、自分の伝えたい思いを載せてほしい」



 そこまで伝えると、三人の目はようやく得心がいったものになる。


 少なくとも、「書きたくない」と思っている子はいなさそうだ。


 そこで、安心院がぼそりと呟く。



「作詞家を使わなければ、費用も時間も圧縮できますしね」



 ……それもある。


 今から作詞家を探して、契約して、打ち合わせをして……、となるとやはり時間が掛かる。


 それに比べれば、まだまだ時間のある彼女たちに挑戦してもらいたい。


 ただそれ以上に、雅が彼女たちの想いを聞きたかったのと、「何かやっている感」を与えたかったからだ。



 自分たちで曲を作っていく。


 デビュー前でやることが少なく、アイドルになった実感の薄い今だからこそ、やることは多いほうがいい。


 夢を叶えた実感は、いくらあっても足りない。


 そういった経験が、続けるうえで重要なことを雅は経験で知っていた。



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