第24話

 桜子は緊張した面持ちだったが、雅がまっすぐに見つめていると、少しだけ落ち着いたように見えた。


 彼女には、注目されることに慣れてもらわなくてはいけない。


 そこでふと、注目されることが苦手な少女のほうに目を向ける。


 葵は既にギターを担いでいた。



 小さな身体のせいで、ギターがやけに大きく見える。傍から見れば、本当に弾けるのか? と思えるほどにアンバランスだ。にもかかわらず、彼女は非常に手慣れた様子で、チューナーなしでチューニングしている。


 その姿があまりにも自然体で、少しばかり驚く。


 さらに、雅は気になる点を見つけた。



「……んんんん?」



 彼女が担いでいるのは、フェンダーのストラトキャスター。真っ黒に鈍く輝くボディに、白いピックアップの、ごくごくありふれたデザインだ。


 しかし、白のピックアップは少しばかりくすんでおり、傷も見える。ヘッドもわずかに剥げている部分があった。雑に扱っているというよりは、シンプルな経年劣化のように感じる。


 その証拠に、よく手入れされているのが伝わった。傷や鈍い輝きは、むしろ味わい深い魅力となってギターに宿っている。


 それでも事前に話を聞いていなかったら、ただの古ぼけたギターだと思ったかもしれない。



「……ねぇ、葵。そのギター、お父さんのって言ってたよね。高いやつって」



 チューニングを終えた葵が顔を上げる。



「わ、わたしはよく知らないけど、そ、そうらしい」


「……ヴィンテージ?」


「ヴ、ヴィンテージってなに?」


「……いや、うん……。そうだったら、さすがに、言うか……」



 雅が言葉を濁していると、桜子がそれに反応した。



「雅さん、ギターわかるんですか?」


「あぁ、うん。昔、やってたから」


「え、そうなんですか……。はぁ……、へぇ……」



 なぜか興味を持たれたうえに、桜子は妙な顔でこちらをじっと見てくる。


 彼女のおかしな仕草には疑問を覚えるが、それよりも雅は葵のギターに目がいた。つい確かめようとしてしまう。



「……高価な物なのですか?」


 雅の反応で勘付いたらしく、安心院にそっと囁かれた。



「物に寄りますが……」と言ってから、答えに詰まってしまう。



 本当に? と自分でも感じてしまったからだ。



「……わたしの知っている物だと、三桁をゆうに超えるので」


「……そんなもの、娘に持たせますか?」


「葵、かわいいので……。それに、『いざとなったら売ればいい』って言うくらいですから、もしかすると……。いや、実際にはわかりませんが……」


「……なんだか怖いので、事実は知りたくないかもしれませんね……」


「はい……」



 そんな会話をぽそぽそとする。


 目の前の少女が、百万を超えるヴィンテージギターを持ち歩き、以前はネットカフェに住んでいたと思うと背筋が冷たくなる。



 彼女の両親は親ばかっぽいし、ありえるかもしれない。


 それは、まぁそんな親もいるよね、葵かわいいしね、で済む話かもしれない。


 だが雅は、もうひとつの可能性に思い至っていた。


 もし、それが期待どおりのものだったら……。


 それを確かめるために、葵に声を掛ける。



「葵。ギター、なんでもいいから弾いてくれない?」



 葵はこちらをちらっと見る。その姿は、ギターが似合っているとはとても言えない。


 身体に対してギターが大きく見えるし、なにより彼女は黙っているとただの可憐な美少女。


 小柄な可愛らしい女の子と、古ぼけたギターはあまり馴染んではいなかった。



 しかし、彼女は「な、なら、適当に」と言って、ギターピックを持ち上げる。


 そして、本当にごく自然にネックに指を這わせる。指と弦が一体化するように、指の腹に弦がわずかに食い込んだ。 



 ぴたりと動きを止めると、葵の雰囲気が一変する。


 まるで自分の半身と手を握ったかのように、彼女とギターがひとつの存在へと混ざり合った。


 馴染んでいない、なんてとんでもない。


 彼女にとって、あのギターは腕と脚と変わらない。


 もはや身体の一部にしか見えなかった。



 ――そして。


 激しいギターソロが始まる。



 キィン、という甲高い音がアンプからノイズとともに響き、それから音の濁流が部屋を満たした。葵が指を動かすたびに、ディストーションで歪んだ音が雅の鼓膜を揺らす。力強いくせに、やけに透き通ったパワーコードがわっと浴びせられた。平然と早弾きするせいで、おそろしい速度でリフが繰り返される。彼女が少し腰を落とすと、甲高いピッキングハーモニクスが心地よく共鳴する。そのまま、さらに高く、さらに高くと音が登っていった。



 そのひとつひとつの音色があまりにも丁寧で、同時にそのパワフルさに目が眩むようだ。


 雅は唖然とその光景を見つめていたが、葵が指を離してようやく我に返った。独特の余韻を残したまま、彼女のギターの音色は空間に溶けていく。


 それでも、頭の中に残された震えは消えない。


 凄まじいテクニックを見せたくせに、葵は平然と「こ、こんな感じ」と雅を見た。


 桜子と詩織だけでなく、安心院ですらぽかんとしていた。


 上手い、なんてものではない。


 ――上手すぎる。



 それも、圧倒的に。


 たじろいでしまうほどに。


 雅のもうひとつの予想が当たっていた。



 もし、自分が大事にしている、とても高価なギターを娘に譲るとすれば。


 自分よりも、さらに才能を宿した存在だからではないか、と雅は思ったのだ。



「う、うわあ! 嘘ぉ! 葵、そんなにギター巧かったの⁉ 言ってよ! あたし、ドラム叩けるとか言っちゃったけど、こんなの見せられたらさぁ!」



 最初に声を上げたのは、詩織だった。


 おそらく、正しく彼女の凄さが理解できたのは、雅と詩織の両名だ。


 詩織が半分本音、半分尊敬の念で、葵を呆然とした顔で見つめていた。



「う、うん、すごかった。わたし、何もわからないけど、とにかくすごいなって……」



 桜子が目をぱちぱちさせながら、手のほうもぱちぱちと拍手している。


 楽器のことがわからない桜子にも、「とにかくすごい」と言わせる程度には、葵のギターは真に迫っている。


 てっきり葵は、これだけ褒められれば、上機嫌になると思っていたのだが。



 なんとも言えない表情を浮かべ、詩織と桜子の賛辞にどう答えていいかわからないようだった。


 その反応は気になるが、雅はそれより気になることを葵に投げ掛けた。



「葵。ギターは、いつからやってるの?」


「小一から」



 ――約十年。


 さらっと答えられた年月は、その重みを音色として証明している。


 いや、期間は大したものだが、それだけで作られる音ではない。


 なぜここまでの技術を持っているのか、葵は面白くなさそうに説明した。



「べ、別にやりたくてやってたわけじゃない。う、うちは田舎だから、や、やることがない。ゲームや漫画も、す、すぐ終わってしまう。で、でもギターは、無限に時間を潰せるから、やってただけ」



 ……なるほど。


 葵が住んでいた地域は、いやになるほど田舎だったと彼女が語っている。


 暇で暇で仕方なく、ギターを弾いて暇を潰していただけで、本人は楽しくてやっているわけではない。


 そういえば、「暇潰し」とも前に言っていた。



 楽器の演奏は、どれだけ練習に時間を注ぎ込めるか。夢中になれるか。


 葵には、生涯の中で最も時間があるだろう学生時代に、暇を潰せるものがなかった。


 膨大な時間を持て余し、それをギターに注ぎ込み、結果的に今の技術まで磨き上げたのだ。



 だがそれは、葵にとってはつまらない田舎の象徴とも言えた。


 だから、今も微妙な顔をしているのだろう。


 でもこれは、雅にとっても、桜子たちにとっても、とんでもない僥倖だ。


『バンドの主役はボーカル』という認識は、雅の中では揺らがない。



 しかし、彼女のギターは、主役を食うほどの魅力を秘めている。


 ただ。


 桜子の歌唱力もまた、才能と練度によって作り上げられた、輝く要素のひとつだ。


 それがぶつかりあう様を想像し、雅はそっと拳を握った。



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