第23話
出社し、安心院とともに仕事をこなしていると、あっという間に時間は過ぎていく。
ふたり揃ってキーボードを叩いていると、「お疲れ様でーす」という声と扉を開ける音が同時に響いた。
そちらを見ると、制服姿の詩織が立っている。
長い髪をさらりと流し、軽く撫でる姿はどこかのお嬢様が迷い込んできたかのよう。
もう夕方か、と雅が時計を見ようとすると、詩織が足で扉を閉めた。
そのまま、「あれ、まだふたりとも来てないんすね」と言いながら、空いている椅子の上にどかっと座る。
スカートひらひら、足もガパー。
今日は水色の下着らしい。
はぁ、とため息を吐きながら、雅は彼女の目を見て注意する。
「詩織。足で扉を閉めない、足を開かない、下着は見えないよう気を遣って」
「! おほほ、失礼いたしましたわ」
詩織は慌てて足を閉じ、しなを作って、手を口元に当てた。
ふざけているくせに、ちゃんとお嬢様っぽく見えるのが腹立つ。
もう一度ため息を吐き、雅は膝に手を付いた。
「いい、詩織。アイドルになるんだから、本当に仕草には気を付けて。あなたみたいな見た目の子ががさつなのは、一番ファンが萎えるんだから。夢を壊さないで」
「わかった、わかってるって、もう! ちょっとミスっただけ! でも、ドラム叩くときは許してよ!」
力強い注意から逃れるように、詩織は悲鳴じみた声を上げる。
口酸っぱく言っているせいで、詩織もうんざりしているようだ。じゃあ直せよ。
ただ、彼女の言うとおり、ドラムを叩くなら足を開くのは避けられない。
そこで疑問が生じる。
「……なら、なんで下に何か穿かないの? 下着見えるでしょう」
「んー、いつも穿いてないし。男いないんだし、別に見られても」
詩織はそう言いながら、ぺろっとスカートをめくった。
相変わらず健康的な太ももと白いお腹、そして水色の下着がしっかりと見えている。
シンプルな飾り気のないショーツだが、布面積は少なく、なんだかやけに可愛らしい。なぜだか、品の良さを感じた。
なんでこんなにがさつなのに、下着は上品なの?
その動作に頭に血が上がり、「詩織!」と声を荒らげると、詩織は「わー! ごめんて! くせで!」と慌ててスカートを下ろした。
何回言えば直るんだ、本当に直るのか……⁉ と強めの説教に移行しようとすると、「お疲れ様です」「お、お疲れ様です」と声が重なった。
朝見たときと変わらぬ格好の桜子、なぜか未だに制服を着ている葵だった。
葵は前と同じく、ギターケースを背負っている。
げそっとした顔をしているのは、バイト先でお客さんにクレームを付けられたから。
「こんなに苦しい思いをして……、一時間で千円ちょっとしかももらえないのおかしい……」と泣きそうな顔をしていて、桜子は苦笑いしていた。
詩織が説教から逃げるために、わざとらしく「葵、大変だったねえ、褒めてあげよう」と葵を構いにいく。ふたりがじゃれ始めたので、雅は仕方なく矛を収めた。
それほど時間があるわけでもない。
集まったのなら、やることをやってしまおう。
「三人揃ったね。なら、地下のスタジオに行こうか。安心院さん」
安心院に声を掛けると、彼女はしずしずと鍵を持ち出し、立ち上がる。
彼女について下に降りていくと、こぢんまりとしたスタジオがあった。
部屋の形は長方形で、圧迫感を覚えるほどに天井が低く、それほど広いわけではない。だが、ビルの古さに比べると、それなりに綺麗だった。
一面が鏡張りになっており、もう一面は奥の部屋とガラス越しに繋がっている。そこにはミキサーなどの機材が置いてあり、簡単な収録ならここで済ませられる。
部屋の中にはドラムセットが堂々と鎮座しており、大きめのギターアンプがいくつか並んでいた。
そして、中央にはマイクスタンドが一本。
何度か訪れている桜子は特に反応はないが、詩織と葵は揃って、「お~……」なんて声を上げていた。
特にバンド経験のない葵は、興味深そうにスタジオ内を見回している。
詩織はドラムセットを目に留めると、嬉しそうな声を上げた。
「お、ドラムいい感じ! わー、新品みたいに綺麗~! これは上がるなぁ」
詩織は早速、ドラムセットをしげしげと見ている。興奮気味にチェックしていた。自分の世界に入り込んでいるようで、学生鞄からいそいそとスティックを取り出し始めている。
新しいおもちゃを見つけた子供のようで、微笑ましかった。
「……いいんですか、ドラムセットやアンプまで買ってしまって」
はしゃぐ詩織を見ていると、安心院がそっと囁いてきた。
スターダスト・ブロッサムはアイドル事務所。
地下にスタジオはあったものの、基本的にダンスレッスンや仮歌を収録する用途で使われていた。
バンド練習は想定されていなかったし、当然ドラムセットやアンプの類も置いていない。
ならば、新しく買い足すしかなかった。
詩織たちには聞こえないよう声を落としながら、雅は言葉を返す。
「詩織が使っているのは、古い中古品とのことでした。さすがにそれで、客前には立てません。どちらにせよ、用意しなきゃいけなかったわけですし」
その返事に、安心院は何か言いたげな視線を向けてくる。
ある程度は飲み込んだようだが、それでも漏れ出ていた。
「最終的には雅さんのお金ですから、雅さんがいいのならそれでいいのですけど」
なんだか、お母さんからお小遣いの使い道を咎められているようで、据わりが悪くなってしまう。
確かにドラムセットは決して安いものではないが、これは必要経費だ。
「全部終わったら、売るつもりですし……」と申し訳程度の言い訳をしてから、雅は逃げるように三人の姿を見やる。
詩織は既にドラムセットの前に座っており、葵は面倒くさそうにギターをケースから出して、アンプと繋げていた。
桜子だけが、落ち着かない様子でマイクの周りをうろうろしている。
桜子、と声を掛けると、不安そうに雅を見てくる。
堂々とマイクスタンドの前に立つ桜子を、想像できないと言えばできないが。
こんなところで躓いてもらっては困る。
「桜子。あなたはボーカルなんだから堂々と胸を張って。一番注目を浴びるのは、あなたなんだから。センターみたいなものだからね」
雅の声に、桜子はひっと小さい悲鳴を上げる。
肩が縮こまり、すがりつくようにマイクスタンドを掴んだ。
「わ、わたしがセンター、ですか……?」
思ってもなかったようで、桜子は目を白黒、口をうにゅうにゅさせている。
「うわ、いいなぁ、センター。ドラムなんていっつも後ろだよ」「わ、わたしは、端っこのほうが、いい」と詩織と葵がそれぞれ感想を述べた。
誤解を恐れずに言えば、雅はバンドの主役はボーカルだと思っている。
桜子たちがバンドを組むのなら、その傾向はより強くなるだろう。
ギターやドラム、ベースにキーボード、それらの技術力は理解できる者にしか伝わらない。
だが、「歌が上手い」「この歌が好き」という感情は、だれだって簡単に抱くことができる。
最悪、ドラムやギターが大したことなくとも、ボーカルの桜子さえよければ、このバンドはギリギリ成り立つ。
桜子の歌唱力は既にわかっている。
だからこそ、雅はガールズバンドに踏み込むことができた。
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