第21話

「どんなにアイドルが飽和していても、それでも届くものがある。それは、歌」



 いつの時代だって、歌は人々に感動を与え、心を躍らせ、「これは自分の歌だ」と感銘を受けさせる。


 アイドルが栄枯盛衰を続けていても、歌の時代が終わったことは一度たりともない。


 けれど、歌が苦手な葵が不安げな声を上げる。



「う、歌なら、どのアイドルだって、う、歌う。お、同じじゃないか」


「誤解を恐れずに言えば、歌がいいからアイドルを好きになるんじゃない。アイドルが好きだから歌まで好きになるの。アイドルありき。そういうふうに作っているんだから、当然だけれど」



 歌はあくまでアイドルを広く見せるための、コンテンツに過ぎない。


 だからこそ雅は、アイドルに歌唱力は必要ない、と断言している。


 アイドルに必要なのは、歌姫ではない。


 アイドルグループを知ってもらうための、きっかけとしての歌が必要なのだ。



「アイドルグループに歌が上手い人はいらない。名曲もいらない。だから――、そこを突く」



 雅は桜子を見る。


 彼女はどぎまぎしながら、雅を見返していた。


 桜子の歌唱力は素晴らしい。雅が歌手になるよう勧めるほどに。



 きっと、孤独にアイドルに憧れる中、たったひとりで練習してきたのだろう。


 形は違えど、同じように努力をしてきたふたりを見る。



「こう言ってはなんだけど、アイドルは基本ナメられるもの。何の努力もしてないように見えるからだろうね。だからこそ、常人にはできない努力の結晶は武器になる。もし、三人が必死に歌と楽器に取り組むのなら、その努力はわかりやすく尊敬の対象になる」



 一度言葉を区切ってから、改めて三人に告げた。



「普通はアイドルとして好きになって、それから曲を好きになる。けど、あなたたちは別。曲を好きになってもらったあと、アイドルとして好きになってもらう。歌は魂に根付くもの。一度住み着いたら、そう簡単には離れない」



 アイドルだけでなく、歌手も見てきた雅だからこそ、わかる。


 アイドルが生み出す熱は凄まじい。


 ライブでは熱狂的な想いが客席から生まれ、それは会場を揺らす。


 だが、アイドルが年齢を重ね、結婚し、だれかの者になった際、その熱はどうしても失われていく。


 ライブであっても、純粋に歌だけを聴いている人ばかりではない。



 そこが、歌手と違うところ。


 もちろん、彼女たちにはアイドルとして、お客さんの熱を奪ってもらう。


 そして、そこにバンドとしての熱を上乗せできれば――。


 それは、凄まじい熱狂へと変わる。



「あなたたちには、アイドルらしいかわいい衣装で、ロックを歌い、ギターを弾き、ドラムを叩いてもらう。アイドル活動をする、本物のロックバンド。だから、アイドル・ガールズバンド」



 雅の説明に、詩織はわかりやすく困っていた。葵も同じようなものだ。


 アイドルとして事務所に所属したと思ったら、事務所は空っぽ、数少ない社員に「ガールズバンドやってみない?」と言われれば、不安になるのも仕方なかった。


 けれど、桜子だけは違った。



 アイドルに憧れ、救われ、おそらく一番普通のアイドルをやりたかっただろう桜子が、葵と詩織の手を取る。


 彼女はまっすぐにふたりを見て、彼女らしからぬ力強さで告げた。



「やってみよう。雅さんがそう言うのなら」



 ふたりは納得したわけではないだろうが、ぎこちなくも頷く。


 やるしかない。


 もはやアイドルの時代は終わり、手ぶらの人間が参入できる環境ではなくなっている。


 生き残りたいのならば。


〝本物〟を持ってくるしかないのだ。




「……それでは、具体的にどのように致しましょうか。雅さん、指示を」


 安心院の声にはっとする。


 桜子、詩織、葵は雅をじっと見つめていた。


 ガールズバンドをやると決めたとは言え、すぐに動き出せるわけではない。



 というか、何も決まっていないに等しい。


 数十分前まで、桜子ひとりのプロデュース内容に頭を悩ませていたのだ。


 今やれることなんて、ない。


 安心院につつかれ、頭をどうにか回転させる。



「現状、まだ動ける段階じゃない。ただ、一度、三人で合わせてはみよう。葵と詩織がどこまでできるのか、聴いておきたいから。地下にスタジオがあるから、好きに使っていいよ。合わせる曲は既存のものでいい。今できることはないから、練習しててほしいかな。三人の曲は今から発注する」



 その言葉に、詩織が目を輝かせる。



「雅さん、それってデビュー曲ってこと?」


「そ。ガールズバンドって言うなら、曲がないと話にならないから。それを持って、ライブハウスでライブやろうか。アイドルらしい、リリースイベントもね。衣装も発注しとく」



 おお、と三人が揃って声を上げた。


 お互いに顔を見合わせ、嬉しそうに頬を緩ませる。


 先ほどまで、入所すら怪しかったのに、ここまで話が進めばにやけたくもなるだろう。



 雅としても、動き出せることはありがたかった。桜子ひとりだったら、どうにもならなかったかもしれない。


 三人とも、とてもアイドルに向いているとは言い難いが……。これで形になって付加価値がついたら、できるだけ迅速に別の事務所に引き取ってもらう。


 この会社も、いつまで維持できるかわからない。


 頭の中でいろいろと計算していると、詩織が手を挙げた。



「あの、雅さん。あたし、結局高校ってやめなくていい?」


「絶対やめないで」



 反射的に力強く否定してから、ため息を吐く。


 これ以上、中退者を増やしたくない。



「基本的に、仕事は学校に被らないようにするから。そもそも、仕事ないだろうし。学校行けなくなるほど忙しくなったら要相談だけど、皮算用だよ。バンド練習するにしても、平日は夕方からにして」



 雅の指示に、詩織と葵がほっとした顔を作る。


 詩織は頭の後ろで手を組みながら、のほほんと笑った。



「よかった~。勢いでやめるって言っちゃったけど、本当にやめたらパパとママ、絶対怒り狂うから」



 普通はそうだろうな、と雅は微妙な顔でそれを聞く。


 そして、なぜ葵までほっとしているかというと。



「平日はゆ、夕方からなら、だいぶ楽だな。昼まで眠れる」



 ……楽して稼ごうとしているからである。



「葵は今のうちにバイトしなさい。接客業ね」


「え⁉ なんで⁉ しかも接客業……⁉」



 今日一の大きな声を出して、愕然として雅を見つめる葵。


 その表情は絶望の色に染まっていた。 



 何なら、「合格は間違いだから帰って」と言われたときより、ひどいもの。


 その顔を見て、ますます彼女には労働が必要だと感じる。



「アイドルをやるんでしょう。それなら、人には慣れないとダメ。それに、最低限の礼儀も。接客業ならいろんなものを学べるでしょう。絶対にやって」


「で、でも、わたし、楽に稼げるからアイドルになりたいのに……!」


「楽に稼げる仕事なんてありません。アイドルで稼ぐにしても、労働はしておきなさい。その経験があるかどうかで、これからのアイドル人生さえ変わってくるから。それに、比較対象がないと楽かどうかなんてわからないでしょう」


「わ、わからなくていい~……! ろ、労働なんてしたくない~……!」



 葵は顔を両手で覆い、この世の終わりのように声を震わせる。


 基本的に彼女は人生を舐めすぎなので、本気で面倒を見るのなら、この辺りの価値観を直さなくてならない……。


 雅は桜子に手を向ける。



「桜子だって、バイトするよ。どっちにしろ、うちに所属するんならネカフェ暮らしは困る。きちんとお金を稼いで、ちゃんとした家に住んで」



 そう説明すると、葵はバッと顔を上げた。


 素早い動きで桜子にすがりつき、ぎゅっと手を握りながら訴える。



「さ、桜子。な、何のバイトするの? い、いっしょにやろう、いっしょに。ね。ね?」



 あまりの必死すぎる訴えに、桜子は首を縦に振ることしかできない。


 そこで葵はあっ、と口を開けた。



「さ、桜子。接客業なら、ガールズバーかキャバクラ――」


「こら」



 葵の髪の束を引っ張ると、「うっ」と口を閉じる。


 油断も隙もない。



「アイドルとして活動するなら、節度ある行動を心掛けて。未成年が働いて、問題ないところにしなさい。桜子、バイトの目途ってある?」


「ええと、近所にパン屋さんがあったので、そこに行こうかと……」


「はい。なら葵もそこ。悪いけど、葵の履歴書と面接の練習も見てやって。安心院さん」


「なんでしょうか」


「葵の住む家はどうしましょう。ネカフェ暮らしはいろんな意味でまずいですから」



 そうは言いつつも、雅の家には既に桜子がいる。さすがに葵までは持ち帰れない。


 桜子には悪いが、ホテル代でも出すべきじゃないか、という意味で相談したのだが。


 安心院は小さくため息を吐くと、そっと葵を見た。



「仕方がありません。うちに連れて帰ります」


「いいんですか?」


「彼女をひとりにするのは不安ですし。教えるべきこともたくさんあるでしょう」



 安心院がちらりと葵を見ると、彼女は小さな身体をビクっとさせた。おずおずと桜子の陰に隠れる。


 安心院は小さく微笑んで見せるが、この場面では不思議とその笑顔が怖く見えた。


 それでも、安心院が葵を引き取ってくれるのはありがたい。



 桜子は雅の家、葵は安心院の家。


 それぞれの家にお世話になることを詩織が知ると、「えー、なんか楽しそう」という実に学生らしい感想を述べて、雅は毒気が抜かれてしまった。




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