第20話

「北条さん、お待ちください。……雅さん」



 詩織が歯を食いしばった顔で振り返り、足を止めた。


 それを見てから、安心院は雅の耳に口を寄せ、囁き声で続ける。



「覚悟を決めたほうがよろしいかと。北条さんも田川さんも、うちで一度、合格を出してしまったんですから。今さら反故にするのは……」


「…………………………………………」



 安心院の言葉を否定できず、雅は黙り込む。 


 どういった契約を交わしているかは現時点でわからないが、こういうのは会社が不利にならないよう書類を作っておくものだ。事を大きくされても、おそらく問題はない。


 問題はない、が……。


 彼女たちは既に切符をもらってしまった。


 夢を見る権利を、雅の父親が出している。



「………………」



 気まずそうにこちらを見る桜子、どうしていいかわからずきょろきょろしている葵、こちらをじっと睨む詩織。


 彼女たちは夢を叶える、その一歩を踏み出している。


 彼女たちが事務所に来たとき、緊張しながらもその表情はとてもキラキラしていた。



 だって、夢に見たアイドルになれるのだから。


 それを取り上げられたら、話が違う! と叫びたくなるのは当然だ。


 こんな、子供相手に。


 アイドルなんてならないほうがいい、なんていう説教は、もっと前の段階ですべきことだ。



 雅は額に指を当て、大きな大きなため息を吐く。


 背もたれに身体を預け、観念したように呻いた。



「……わかりました。田川葵さん、北条詩織さん。うちで面倒を見ます。ただし、うちの会社はこの調子で、畳むと言ったのも嘘ではないの。あんまり期待はしないで」



 その答えに、桜子が顔を輝かせてふたりを見る。葵はどうしていいのかわからないらしく、肩を上下させながら、妙な動きをしていた。


 一方、詩織はわかりやすい。やったー! と声を上げながら、葵に抱き着き、葵ともども床に転がる。ぎゃあ! と低い悲鳴が聞こえてきた。


 桜子が彼女たちに駆け寄る中、雅は肩の重みだけが強くなっている。



 プロフィールを眺めるも、頭痛が強くなるだけだ。


 ダンスが苦手なアイドル志望、歌が歌えないコミュ障、がさつな大和撫子……。


 彼女らでユニットを組む選択肢は生まれたが、それぞれにシナジーはない。


 それどころか、各々足を引っ張るだけだから、組む理由はなかった。



 方針に変更はない。


 彼女たちをどうにかアイドル活動ができるよう鍛え、別の事務所に引き取ってもらう。


 その負債が、ひとりから三人に変わっただけだ……。


 三人かぁ……。きっついなぁ……。



「……社長は、なぜこの三人を合格させたんでしょうね」



 安心院が三人を見つめながら、ぽつりと呟く。


 雅も三人を見た。


 一見して、共通点のない三人に見える。死人に口なし、彼が三人をどうプロデュースしようとしたのか、今となってはわからない。



 素直に考えれば、ユニットを組ませたい三人を集めたんだろうが……。


 今は歳が近い女子らしく、三人できゃっきゃしている。


 詩織が「よかったー! 本当によかった! 嬉しい~!」と言って、桜子に抱き着いていた。桜子もそれに応えていたが、詩織が「⁉ えっ⁉」と驚いた顔で身体を離した。


 そしてまじまじと桜子の胸を見つめていたかと思うと――、おもむろに胸に手を置いた。



「うわ! 桜子、おっぱいでっか!」



 が、がさつぅ……。


 桜子は「……あの、詩織ちゃん……。声、大きい……、やめて……」と気まずそうにしていた。真似して、葵がぽよぽよと胸に触れている。


 仲良くはできそうだけどさぁ……。


 呆れながら、雅は詩織のプロフィールデータに再び目を落とした。



「……ん」



 備考欄には、『ドラム 〇』と書かれている。


 そういえば、先ほどバンドを組んでいた、と申告していた。


 桜子の『歌 ◎』、葵の『ギター ◎』、詩織の『ドラム 〇』。


 雅は口元に手を寄せる。


 ……親父、そういうことなのか?



「北条。ちょっと」



 詩織はほかのふたりとワチャワチャしていたが、素直にこちらにやってきた。ふたりもいっしょに。


 彼女はポケットに手を突っ込み、「いいよ、詩織で。あたしは、雅さんって呼べばいい?」と友達相手かのような気軽さを見せる。



 葵も便乗するように、「わ、わたしも、葵でいい。み、雅さん」と続けた。


 下の名前で呼び合うのはどうかと思ったが、桜子の手前、何も言えない。


 それよりも気になることがあった。



「なら、詩織。さっきバンドやってたって言ってたけど、ドラムはどれだけ叩ける? バンドはどれくらいやってた?」


「んー? バンドは中一から。高二までは結構ガッツリやってたよ。ギターとベースが一年先輩だったから、今はやってないけど。結構叩けるんじゃない? 自信あるよ」



 詩織はニッと爽やかに笑いながら、手を動かす。


 およそ五年。


 どれほどの腕前かは聴いてみないと判断できないが、この年齢で五年もドラムを叩いているのは珍しい。



 少なくとも、バンドの一端を担うほどの技術はあるはずだ。


 葵もギターが弾けるという。


 先ほどの口ぶりだけでは確証を得られないものの、あの阿久津宗助が備考欄に◎を付ける程度には、弾けるはずだ。


 ここは父親――、というよりは、阿久津宗助の耳を信じる。



 これか? 


 親父がやりたかったことは。


 父は既に、ただのアイドルに限界を感じていた。


 死期を悟った際、事務所を畳もうとするほどに。



 その時代の波は雅でさえ、この身にひしひしと感じている。


 もしかすると、父は。


 新時代のアイドルを作ろうとしていたのかもしれない。



「……この三人で、バンド組もうか。ガールズバンド」



 雅のぽつりとした呟きに、桜子はきょとんとし、葵は首を傾げ、安心院は目を閉じ、詩織だけが眉を上げた。



「待ってよ、雅サン。あたしら、アイドルになりたくてオーディション受けたんだけど。バンドやりたかったわけじゃないよ」


「わかってるよ。もちろんアイドルをやってもらう。ただし、アイドル・ガールズバンド」



 聞いたことのない語句に、三人の表情は晴れない。


 こんなこと、新人アイドルには絶対言わないけど、と前置きしてから、雅は説明を始めた。



「このアイドル飽和時代に、普通にアイドルをやっただけじゃ絶対にヒットは望めない。ただのアイドルが入り込む隙間なんて、もうないから。あなたたちが想像するアイドルをやったところで、成功する見込みはかなり低い」



 ゼロとは言わないが、鳴かず飛ばずになる可能性が圧倒的に高い。


 それに異を唱えたのは、桜子だ。


 彼女はおずおずと手を挙げながら、ゆっくりと口を開く。



「で、でも雅さん。わたしが好きなアイドルグループは、正統派なのばかりですけど……。たとえば――」



 アイドルが好きな桜子が、いくつか名前を挙げていく。


 昔からのアイドルグループだけじゃなく、きちんと新しいものも入れているのが偉い。


 けれど、雅は静かにそれらを否定する。



「今、桜子が言ったアイドルグループは、大手事務所がマネーパワーとネームバリューで作った、売れるべくして売ったアイドルグループだから。昔はうちの会社も強かったけど、今じゃどうにもならない。空手で言っても押し潰される」



 流行は、金と力があれば作れる。


 それはアイドルでも、ある程度は同じこと。


 大手が正統派のアイドルグループを作り出し、それに惹かれる数少ないパイを根こそぎ持って行ってしまう。



 だからネット配信や地下アイドル、ヴァーチャルアイドルやアイドル声優などの、別の畑に散り散りになっていった経緯もあるのだろう。


 ほかの畑を開拓して、新たな収穫を得る方向に向かった。


 そんな中、ただのアイドル活動をやっても、荒波を進む豪華客船にいかだで挑戦するに等しい。


 だが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る