第18話



「なら田川さんは、親元を離れて、ひとりで上京したの?」


「そ、そう。ひとりで、来た」


「……高校は?」


「やめた」


「…………………………………………」



 またかよ、と雅は頭を抱えそうになる。


 桜子がなぜか嬉しそうに、「わ、わたしもやめてる。いっしょ」と申告し、葵も嬉しそうに「お、おー……。な、仲間」と応えている。


 詩織が「え、そういうもんなの?」と引いていたのが、救いだった。彼女まで中退していたらどうしようかと思った。


 雅はこめかみに指を添えながら、彼女に質問を重ねる。 



「……学校をやめたのは、アイドルになるため?」


「い、いや。小中は全校生徒が十人くらいだったから、全員知り合いだったけど……。高校は隣の市の高校で……。知らない人いっぱいで……、友達もできなくて……。だ、だから、やめた。そ、それで、東京に」


「……………………」



 とんでもないことをしれっと言う葵に、雅は言葉を失う。


 この子、凄まじいほどの考えなしでは?


 端的に言うと、アホでは?



 そりが合わなくて学校をやめて、楽に稼げそうだからアイドルになりたい、なんて。


 だが、事務所のせいでやめたのでなければ、雅たちに責任はない。


 そこだけはよかった。


 人生に迷い始めているのも、彼女の自己責任でしかない。


 よくそれで親が上京を認めたな、と思っていると、葵はふにゃっと笑う。



「お、親は、わたしの可愛さなら、と、東京でも通用するだろって……。わたしも楽な仕事で大儲けできると思って」



 ふへへ、と笑う彼女は、現実をわかっていない……、とは言えない。


 確かに彼女の可愛さ、そして若さがあれば、東京で稼ぐことは難しくない。楽とは言わないが。


 彼女は未成年だが、法律のラインを超えれば一財産稼ぐことは何でもない。


 きっと親も地元の人も、彼女自身も、そんな仕事をするとは思っていないだろうけど。



「へぇ。なら今、一人暮らし? 羨ましいなあ。めちゃくちゃ自由じゃん」



 のんきな声を出したのは、隣にいる詩織だ。


 てっきり葵は自慢げな顔をするかと思えば、首を少しだけ傾けるだけだった。



「ひ、一人暮らし、なのかな。わ、わたし今、家ない。ネットカフェに住んでる」



 ……なんだって?


 雅が固まっていると、桜子が困惑した声を出した。



「え、ネットカフェなの……? どうして? 仕事先に、家は用意するって言われたのに、なかったとか?」



 己の境遇と重ねているのか、桜子が前のめりに尋ねる。


 さすがにそんな悪徳会社は、ここくらいだと思いたいが。雅も安心院も、渋い顔になってしまう。胸が痛い。


 葵はふるふると首を振ってから、なんてことはないように答えた。



「い、家は、な、なんとかなるだろって思ってたら、そんなことなくて。ほ、保証人がどうとか、よ、よくわからなかったから、ネカフェでいいかなって。そこから、アイドルのオーディションをう、受け始めたけど、合格もらえなくてびっくりしてる」


「……それ、家の人は知ってるの? 生活費は?」


「し、知らない。嘘、ついたから。お、お金は、仕送りがちょっとだけあるから、そ、それ」



 なんという……。


 雅は得体の知れないものを見るような目で、少女を見た。



 ここまで行き当たりばったりな、アホな子は初めてかもしれない。


 安心院は、得心が言ったとばかりに呟く。



「……だから、現住所が空白だったんですか。ですが、未成年のネットカフェ滞在は法律で禁止されています。だというのに、どうやって?」


「て、店員と仲良くなって。と、特別に入れてもらってる。そ、その人は家においでって、い、言ってくれてるけど、そ、そこはさすがに。相手、男の人だし」



 葵はふにゃふにゃした笑みを浮かべながら、その特別扱いを喜んでいる。


 桜子と詩織は、その内容を若干微妙な顔で聞いていた。


 一方、大人である雅は思いきり眉を寄せてしまうし、安心院は目を瞑って何かを諦めるように天を仰いでいた。


 葵は自分がかわいいから、特別扱いされていると思っているが――、いや、それも間違ってはいないのだが……。



 その特別扱いには、大変危険な意味が生じる。


 葵自身がそれに全く気付いていないし、この綱渡りはこれからも続きそうだ。


 このままだと近いうちに、まぁ間違いなく彼女は痛い目に遭う。


 むしろ、今まだ無事なのが不思議なくらいだ。そう考えると、世の中捨てたものじゃない。



 彼女が行きつく先は、どんな形にせよ、後ろ暗いものになる可能性が非常に高い。


 葵自身が人生をナメ腐っているし、あまりにも考えなしすぎる。


 でもそれは、大河内雅には関係ないことだ。



「……………………………………」



 頭がずきりと痛んだ。


 純粋無垢……、とは言えないし、何なら彼女はちょっと邪悪寄りだと思うが、何も知らない少女が取り返しのつかない道に行こうとしている。


 その先を想像してしまう。


 それは、かつて雅が――。



「雅さん?」



 桜子に顔を覗き込まれて、はっとする。


 突然黙り込んだ雅に、桜子が心配そうな目を向けていた。


 なんでもない、と手を振ってから、改めて葵を見る。


 彼女はとても可愛らしい顔立ちで、けれど雅とは目を合わせずに視線を彷徨わせていた。



 プロデューサーとして考えるのなら、彼女にアイドルとしての魅力は感じない。


 頭を下げてお引き取り願い、その先でどうなろうと知らん顔をするのが一番賢い。


 それはわかっているけれど。


 そこで、葵のそばにあるものに目を向ける。椅子には、彼女に似つかわしくないギターケースが立てかけてあった。


 プロフィールに目を落とすと、備考欄には「ギター ◎」と書かれている。



「……あなた、ギター弾けるの?」



 その質問に、大した意味はない。自分の考えを整理する時間がほしかっただけ。


 葵はギターに一瞥をくれると、それほど意味のないことのように答えた。



「ひ、弾けはする、けど。ひ、暇潰しで、や、やってるだけ。別に好きじゃない」


「ふうん? ほかに荷物はないのに、ギターだけ持ち歩いているから。大切なものかなって思ったんだけど」


「こ、これ父さんの高いやつだから。お、置いとけない。お、お金がなくなったら、う、売るつもりだし」


「ふうん……」



 今までの発言からして、上手いならもっと自慢げにしそうだから、本当に趣味程度なのかもしれない。


 ただ、ギターを弾ける、ということは頭の中に入れておく。


 ……あぁ、と雅はため息を吐きたくなる。


 こう考えている時点で、既に。



「あ、あたしも、ドラム叩けるよ! バンドやってた!」



 その声で顔を上げると、詩織が嬉しそうに手を挙げて、雅と葵にアピールしていた。


 どうやら根が明るいらしく、にこにこと葵に笑いかけている。


 葵はたじたじだが。


 雅としては、スカートで脚をかぱーっと開き、股の間に手を置いているのが気になる。


 自分に注目が集まったことに気付くと、詩織は挙げたままの手をぶんぶんと振った。



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