第17話

 雅が呆れていると、詩織はこちらに寄ってくる。



「あ、なにか話し合い? あたしも参加したほうがいい?」



 コーヒーカップがあるからだろう、彼女は葵の隣にどかっと座った。


 その際、スカートが大きく揺れて白の下着が見える。


 というか、今もガパっと足を広げているので、まだ見えそう。



 下に何も穿いてないのに足を広げるな……、いや、穿いていても広げるな……。


 意識がそちらに向きそうなのを堪えて、雅は本題に入ることにした。


 雅はすっと背筋を正して、冷たい表情を意図的に作り、少女ふたりに伝える。



「おふたりには、わざわざ出向いて頂いて申し訳ないのですが。実は手違いがありまして……。この会社は畳むことになったんです。あなた方を合格させた、責任者ももうおりません。なので大変申し訳ないのですが、合格を取り消しにさせて頂けないでしょうか」



 淡々と告げる。


 すると、当然ふたりはあんぐりと口を開けた。


 すぐさま立ち上がって、抗議の声を上げる。



「ちょ、ちょっと待った待った、そんなの困るよ! 合格ってそっちが言ったんじゃん! だからあたし、いろいろ準備してここに来たのに! 周りにも合格した~って言っちゃったよ!」


「そ、そうだ、こ、困る」


「申し訳ありません。ですが、会社もじきになくなります。わたくしどもには、もうどうしようもなく」



 雅は深々と頭を下げる。


 安心院も後ろで頭を下げているようだった。


 桜子はどうしていいかわからず、おどおどしている気配を感じる。


 父親を信じたふたりには申し訳ないが、頭を下げて納めさせるしかなかった。あっちとしても、「すみません、間違いでした」と言われれば、責めることはできても、それ以上は何もできない。



 こういったことも、この世界ではよくあることだ。


 なのでただ黙って頭を下げる。


 葵ひとりだったら、これで押し切れたかもしれない。


 しかし、詩織は清楚な見た目とは裏腹に、パワフルに声を張り上げた。



「い、いやいや、それなら、この子はなに⁉ 社員じゃないよね⁉ 絶対所属アイドルだと思うんだけど、どう⁉ あなた、名前は⁉ 自己紹介、プリーズ!」 



 頭を下げたまま、気付かれたか、と雅は舌打ちをしたくなる。


 当然、桜子が性格的にも咄嗟に嘘を吐けるはずもなく、言いにくそうに答えた。



「月森桜子、十七歳です……、昨日付けでここのアイドルになりました……」


「ほらぁ! アイドルいるじゃん! あたし北条詩織、高三、よろしくね! 一日しか変わらないから、あたしとしては同期だと思いたいけど、先輩扱いがいいならそれでもいいよ!」


「わ、わたしは、田川葵、じ、十六歳……、よ、よろしく……」


「よろしくお願いします……。同期で大丈夫です……」


「よし、じゃあ同期! 敬語はいいよ、詩織ちゃんって呼んで!」



 自己紹介が始まってしまった。


 諦めて顔を上げると、詩織が勝ち誇ったように腕を組んでいる。



「さぁ、説明してもらおうか! 潰れるから無理って言うのなら、この子がいるのはおかしいよね!」


「雅さん」



 後ろから安心院に囁かれ、この方向は難しいと悟る。


 雅だけならいくらでも嘘を吐くが、桜子がいるからそれも難しい。


 ため息を吐いてから、ふたりを見やった。



「なら、正直なことを言います。あなたたちふたりとも、アイドルには向いていない。絶望的に。桜子はやむを得ない事情で預かったけど、あなたたちのことを思って、言うよ。アイドルは諦めたほうがいい」


「なぁんで⁉」


「な、なんで」



 悲鳴のような声を上げる詩織と、小さく批難する葵。


 雅は眉間のしわをほぐしながら、まずは葵に目を向ける。



「まず、田川さん。あなたは、この中で一番アイドルに向いていない」


「こ、こんなにかわいいのに?」


「こんなにかわいいのに」



 その文言に、先ほどいなかった詩織がぎょっとする。そのまま、まじまじと葵の顔を観察し、「いや、確かにかわいいなこの子……」と呟く。葵は慣れているのか、無反応だった。


 雅はふっと息を吐き、欠点を指摘する。



「アイドルは人と人との対話が、なにより重んじられるの。相手に恋を与える仕事とも言える。あなたがそういったことが得意だとはとても思えない。あなたは、ファンに恋を与えられる?」



 葵はうっ、という顔をした。


 もじもじと指を絡ませて、言いづらそうに「ど、努力する」と答える。



「あなたが努力してできるかわからないことを、難なくやってのける人ばかりなの。顔の良さだけに頼ってる人なんていない。楽に稼げるなんて、とんでもない。物凄くかわいい子たちが、努力して努力して、それでもダメなのがこの業界なの。せめて人と目を合わせられるようになって、血反吐を吐く覚悟を持ってここに来てほしかった」



 正直な思いを伝えると、葵は突き放されたような顔になる。


 どうやら本当に楽観的に考えていたらしく、雅のお説教にショックを受けているようだった。


 そのまま顔を伏せて、目に涙を浮かべる。


 子供のように目をきゅ~っと瞑って、涙声で答えた。



「で、でもわたし……。い、田舎には、帰りたく、ない……。東京で生きていくって、き、決めたから……。こ、ここを追い出されたら、どこに行けばいいかわからない……」


「………………………………」



 その言葉には、心が痛むけれど。


 それでも黙っていると、居たたまれなくなったのか、桜子が取り繕うように口を開く。



「あ、さ、さっきも田舎って言ってたよね? なんで葵ちゃんは戻りたくないの? 帰れる家があるのなら、そのほうがいいなって思うけど」



 それは、桜子の本音なのかもしれない。


 彼女に帰れる家があったのなら、高校もやめず、アイドルを志すこともなく、普通の人生を送っていたかもしれなかった。


 葵は涙を浮かべたまま、ぽそぽそと言葉を並べていく。



「わ、わたしの実家は、本当に田舎で……。同世代の子が全然いない、ち、地域だった。そ、そこで、わたしはみんなから、かわいいかわいい、って言われながら育って……」



 そこまではいい話だと思う。


 元々の素質もあるだろうが、葵がこれほどまでの美少女に育ったのは、その空気がよかったに違いない。


 なぜ、そんな場所から抜け出そうと思ったのか。


 葵は寒気を覚えたように、両腕を擦った。



「ちゅ、中学校の途中あたりから……、ま、周りが勝手にわたしを取り合っていて……。い、いつの間にか、夫候補みたいなのがいて……。き、近所のおっさんとかが、彼氏面して寄ってくるんだ……。そ、それが気持ち悪くて……」


「……………………」



 スゥー……、と息を吸ってしまう。


 それは……、と全員がぞっとしていると、葵はなおも続ける。



「こ、怖くなって……。も、もし、だれかに子供を産み付けられたら、こ、こんな田舎に閉じ込められて終わるのかって……。ぜ、絶対やだと思って……。お、親にお願いして、じょ、上京した……。だ、だから、田舎には……、帰りたくない……、です……」



 そう締めくくる声は、とても小さいものだった。


 両親はまともそうでよかった……、と雅は内心で少しだけ胸を撫で下ろす。


 田舎に帰りたくない、という気持ちも伝わった。



 だが、その話は別の疑問を呼び起こす。


 雅は彼女のプロフィールの、実家の欄を確認する。


 東京からは、とても気軽には行けない場所だ。


 そして、なぜか現住所が空白である。


 嫌な予感がして、彼女におそるおそる尋ねた。

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